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 5.

ラストオーダーは、最初と同じカクテルを注文した。
これで、楽しかった宴も、おしまい。
消えゆく幸せな時間を名残り惜しむように……僕らはゆっくりと、それを飲み干した。
たおやかに奏でられる旋律に、耳を傾けながら――

その曲がドビュッシー作の『夢』だと知ったのは、この数日後だった。


 「だいぶ、酔ったな」
 「……ですねぇ」

来たとき同様、足どりの怪しい薔薇水晶を支えつつ、控え室まで戻る。
彼女が、「どうしても着替えて帰る」と言い張ったから、仕方なくだ。

 「そのドレス、着たままタクシーで帰ってもいいよ」

クリスマスだし、プレゼントすると言ったけれど、聞き入れられなかった。
薔薇水晶は頑として、首を縦に振ろうとしない。
僕のデザインしたドレスなんか、どうせ、もらったって嬉しくないよな……
なんて、ヘソを曲げたフリで困らせてみようかとも思ったが、大人げないから止めた。

 「プレゼントなら、もう戴いてますから……気持ちだけで充分です」

受け取るのは、ひとつだけ。
彼女は、彼女なりの決意や信念を、貫こうとしているのだろう。
そういう拘りは、僕にもある。それは大概、砕かれると無気力を生む。
いわゆる『失意』と言うヤツだ。
だから、僕も、無理強いはしなかった。



彼女が、バスルームで着替える間、僕はベッドで仰向けなっていた。
見るとはなしに天井を眺めながら考えるのは、薔薇水晶のこと。
断っておくが、いやらしい妄想を膨らませていたわけではない。
どうして、専属モデルになるのを拒否したのか――その理由が、気になっていたのだ。

静かな室内に、ドアロックの外れる音が、大きく響く。
そちらに頭だけ巡らすと、バスルームから出てくる薔薇水晶と、眼が合った。
カラーコンタクトを外したらしく、琥珀色の瞳が、ネコのように輝いて見えた。

服装はカジュアルで、あか抜けない印象だ。
着替えのついでに顔も洗ったようで、さっきよりは、サッパリした表情になっている。


 「あの……お、お待たせ……しました」
 「ん? そんなに待ってないよ」

酔いが回って怠い身体を起こし、ベッドの端に座りなおす。
そして、もう一度、まじまじと薔薇水晶の顔を見つめた。
メイクを洗い流した素顔には、高校生だった頃の面影が、僅かに見て取れる。
ガラス玉のように澄んだ瞳も、あの頃のままだ。
淡い色のルージュを塗ってはいるが、カムフラージュと呼べるほどではなかった。

先刻までの人なつこさは、どこへやら。
薔薇水晶は、僕の視線から逃れるように、もじもじと、顔を逸らした。
気恥ずかしそうに、丁寧に畳んだライトグリーンのドレスを差し出してくる。

 「このドレス、お返しします。どこに置けば?」
 「適当に、その辺でいいよ。それよりさ」

単刀直入に切り出す。「どうしても、【JaM】のモデルになってくれないのか」

我ながら、未練がましいとは思う。
だが、これほどの逸材を手元に置きたいという欲望は、そう簡単に納まるものでもない。
叶わないのであれば、確かな口実――諦めるに足る理由を、代わりに与えて欲しかった。

「え、と……」薔薇水晶は、困った顔をして、短く吐息した。
僕は、辛抱づよく待ち続けた。
そんなふうに、たっぷり五分は費やしただろうか。
身じろぎもせずに立っていた薔薇水晶は、ドレスを手にしたまま、傍の椅子に座った。
それから、僕と顔を合わせ、徐に唇を開いた。

 「奥さんとは、インターネットで知り合ったのよね」

いきなり話が飛ぶ。どうして、女の子というのは、突如として論点をすり変えるのか。
しかし、そこで短気を起こして非難めいたことを口にすれば、会話は終わりだ。
本題を切り出すための前振り……と、ここは好意的に解釈しておくのがスマートだろう。

 「そう言えば、雑誌のインタビューで話したことあったな、そのエピソード。
  交流の始まりは、ひきこもり時代だったよ。高二の夏だ。
  なんとなくネットで検索していたら、彼女の運営するサイトに辿り着いてね」
 「どんなサイトでしたっけ?」
 「ビスクドールって、大きい人形用のドレスを自作、発表、販売してたサイトだよ。
  こんな趣味の世界もあるんだなと知って、ちょっと興味を覚えてさ。
  ひと通り作品を見てから、デザインについてとか、意見を書き込んだら、
  神の子を見つけちゃった――なんて、レスしてきてさ。それが、おっかしくって。
  ……で、なんとなく、意気投合したんだ」
 「ネットだから、顔を会わせないで済む気安さも、あったのかもね」
 「それと、彼女の雰囲気が、うちのアホ姉貴と似てたのも大きいな」
 「へぇ。貴方って、実は姉萌え系?」
 「否定はしない。何かと面倒くさそうな妹よりは、甘えさせてくれる姉を選ぶよ」

威張れるような嗜好じゃないけどね。
自嘲を交えて付け加えると、薔薇水晶は、首を横に振った。「そんなコトないです」
その言葉どおり、侮蔑や嘲笑めいた気配は、どこにもない。

 「それで……いつから彼女を意識し始めたの?」

ウェブの世界から抜け出して、実際に、会うようになったキッカケは――
知り合って、まだ一ヶ月と経たない頃だった。

 「彼女が、その手のイベントに出品するから、作品をチェックして欲しいって。
  できれば、制作を手伝ってくれないか……とも、ね」
 「貴方が男性だと、知らなかったのね」
 「いや……知ってたよ。頻繁にメールするようになって、互いに自己紹介したし」

それでも、僕に助力を頼むほどだから、よほど信頼してくれていたのだろう。
男として認識されてなかったのなら、ちょっとばかりショックだな。
まあ……当時は高校生だったし。子供扱いされても、仕方なかったけど。

 「僕は、彼女の申し出を受けた。どうせ、暇を持て余してたし、退屈しのぎにね。
  でもさ、いざ始めてみると、なかなか楽しかったんだな、これが。
  夏のイベントで、僕の作ったドレスが売れたときは、正直、身体が震えたよ。
  それから、じわじわと……自信みたいなものが、沸いてきたんだ」

ひきこもっていた僕は、必要以上に、自分を過小評価していた。
取り巻く環境を蔑視しながら、そこから離れられず、また、馴染むこともできない自分が、
くだらない最低の人間に思えて、惨めだった。

しかし、偶然にも彼女と知り合い、世界が拡がったことで、僕の中に光明が射した。
自分で思っているほど、僕は無能じゃないのかも……そう思えるようになった。

 「イベント終了後、僕は、彼女のマンションに招かれた」
 「えっ?! それって――」
 「邪推するなよ。早い話が、荷物持ちだ。まったくもって、色恋沙汰なんかじゃない。
  けど……その後で、打ち上げも兼ねた豪華な夕飯を、ご馳走になってさ」

彼女は、ほろ酔い加減ながら、ハッキリとした口ぶりで夢を語ってくれた。
あたしだけの宇宙を創る――と。

あのとき、背筋を駆け抜けた衝撃を、僕は今でもハッキリと憶えている。
一心不乱に、夢に向かって走り続ける彼女の生き様に、新鮮な風を感じた。
僕の中で、特別な想いが芽生えたのは、まさに、あの瞬間だった。

自信と目標を得た僕は、もう卑屈になったりしなかった。
そんな暇もないほど、日々が充実しだしたからだ。
彼女を手伝ってイベントに参加してたら、他人とのコミュニケーション能力も上がった。

 「貴方の不登校が治ったのも、奥さん――みつさんのお陰なんですね」
 「そうだな。今の僕があるのは、彼女のお陰だ」

【JaM】というブランド名も、【J and M】の意味だ。
彼女の夢なのに、Jが先にきているのは、語呂を優先させたからに他ならない。

 「今日は、来てませんでしたよね」
 「そりゃそうさ。娘の育児中だし、二人目が、もう一ヶ月後の予定だから」
 「あらま、おめでとう。シアワセ街道まっしぐら、ですね」
 「順調すぎて、心配なくらいだ」

嘘ではなく、いい知れない不安に苛まれるときがある。僕の悪い癖だ。
そんなときは、いつも、多忙な状況を作るようにしている。
ガムシャラに仕事していれば、余計なことは考えられなくなるから。

おっと、閑話休題。そろそろ、本題に入らなきゃいけない刻限だ。
談笑の空気を保ったまま、僕は水を向けた。

 「きみが、モデルを引き受けたがらないのは、彼女に気兼ねしているからか?」
 「それもあるけど……強いて言うなら、ケジメ……です」
 「ケジメ?」
 「私の、気持ちの――」

それだけ言って、薔薇水晶は勢いよく、椅子から立ち上がった。
酔いも醒めてないだろうし、立ち眩みして倒れるんじゃないかと危ぶんだが、
彼女は確かな足取りで、僕の前まで歩いてきた。

そして、ちょっとだけ身を屈め――

 「メリー……クリスマス」

僕の頬に、そっと触れた、柔らかく滑らかな感触。
「こんなプレゼントしか、あげられませんけど」

もちろん、何をされたのか解らないほど、僕は鈍感じゃない。
まだ余韻の残る頬を、指先でなぞりながら、追いかけるように顔を上げた。
でも、薔薇水晶はもう踵を返して、僕から離れていた。
ふわり……。靡いた髪の、甘いコロンが、腰を浮かしかけた僕を押し戻す。

薔薇水晶は、ドアを開けて立ち止まり、肩越しに僕を見た。
琥珀色の瞳が、まっすぐに、僕の瞳を射抜いた。

ずっと以前にも、似た状況で、こんなふうに見つめ合った憶えがある。
卒業式の日――体育館の出入り口で、ふと佇んだ彼女が、振り返って見せた眼差し。
あのときと同じ視線を、今、僕に投げかけていた。


当時の僕らは、学校という箍で無理に束ねられた部材にすぎなかった。
その縛めを解かれれば、バラバラになって当たり前の存在。
それは、現在の僕らもまた、同じ……。

 「ありがとう。今夜は、楽しかった。最高のクリスマスプレゼントでした。
  夢のように素敵な時間を、私、忘れません。一生――」

彼女の、薔薇の花弁を想わせる唇が、言葉を紡ぐ。

 「さよなら…………またね」

それだけ言うと、薔薇水晶は、部屋を出ていった。
ドアが閉まってしまうと、空虚な静けさだけが、室内に残された。
カーペット敷きの廊下を行く彼女の足音など、もはや聞こえようもない。

 「またね、か」

別れは必然。彼女と僕は所詮、旧友以外の何者でもない。
それなのに――なんだって言うんだろう? この、胸に残るモヤモヤは。
薔薇水晶の、さばさばした別れ際の言葉が、なぜか耳に残って消えない。

だけど、僕は追いかけなかった。
また、一緒に仕事をするときがくる。そう思っていたから。
……そう。確信すらしていた。なんの保証もないままに。



 6.

早いもので、クリスマス・コレクションの大成功から、もう半年が経つ。
その間、薔薇水晶と僕が会うことは、一度としてなかった。
もっと言えば、音信不通。連絡すら付けられずにいた。

派遣会社の線から足取りを辿ってもみたが、徒労に終わった。
薔薇水晶は、あのクリスマスの直後に、辞めていたからだ。
先方の人事部でも、彼女のその後については把握していないという。
『立つ鳥跡を濁さず』と言うけれど、本当に、綺麗サッパリだ。


このところ、今更ながら思い出すことがある。
砂漠を彷徨っているとき、どう行動するか――彼女がした、あの奇妙な問いかけだ。
もしかすると、あれは薔薇水晶の、当時の状況を喩えたものだったのではないか?
だとして、パッと思いつく選択肢は、3つ。

進む先に、オアシスがあると信じて、ひたすらに歩き続けるか。
その場に留まって、飢えと渇きに耐えながら、救助を待つか。
すべての苦しみから逃れるため、自ら死を選ぶのか。

自助、依存、あるいは……。
そこまで考えて、僕はいつも、ムリヤリに想像を締め括る。
彼女なら、きっと元気にやっているさ……と。
そうしなければ、悪い方に想像が傾いて、滅入ってしまうから。

 「どうかした?」

溜息を吐いた僕に、柏葉が訊ねてくる。
「いや、なんでもない」曖昧に誤魔化して、窓の外の梅雨空に眼を向けた。

表参道に構えたブティック。ここが、僕らの創った宇宙。
わが最愛の相棒は、自宅で育児の傍ら、ネット関連の業務を取り仕切ってくれている。
ブティックの方を切り回すのは、僕と柏葉を含めた、数名のスタッフだった。

 「それなら、いいけど。最近、溜息が多いから気になって」

剣道で培われたのか、柏葉の観察眼と注意力は、大したものだ。
そこに面倒見のいい性格とあって、他のスタッフからも慕われている。
僕としても、作品について的確なアドバイスをくれるので、全面的に信頼していた。

 「このところ、ずっと雨よね。梅雨だから、仕方ないけど」

僕の視線を辿って、柏葉も、窓の外を眺める。「ちょっと憂鬱、かな」
確かに。湿度が高いのは、いただけない。客足も鈍る。

 「でも、どっちかと言えば、僕は好きだよ」

特に、降りしきる雨を眺めながら、クラシックの旋律に耳を傾ける時間が。
以前は、あまり興味がなかったけど、聞き慣れると、これがなかなか心地よかった。
『たまには、贅沢に時間を使ってみるのも、いいものですよ』
そんな薔薇水晶の言葉が、なんとなく、耳に甦ってくる。


――薔薇水晶、か。
彼女は今、どこに居るのだろう? 何を考えながら、何をしているのだろう?
願わくば、僕と同じく、この雨空を見上げていて欲しい、と思う。
短絡的で衝動的な、みっつめの選択肢にだけは囚われないでくれ……と。


「ねえ、桜田くん」
横から、柏葉が話しかけてきた。「今、彼女のこと、考えてたでしょ」

 「……誰のことだよ」
 「薔薇水晶」
 「まさか」

苦笑った顔を、柏葉に向ける。
柏葉は、よく見なければ分からないほど薄い笑みを浮かべ、僕を見ていた。

 「相変わらず、隠し事が下手ね。声に出てる」

本音が顔に出る――とは聞いたことがあるが、どうやら声にも出るものらしい。
まあ、僕が薔薇水晶を探しているのは周知の事実だし、そこそこの想像力があれば、
そういう結論にも辿り着けるか。

……とは言え。僕が秘密を隠し通せない性分なのも、確かだろう。
これは困ったことだ。安易にウソも吐けないな。
嘘も方便という場面では、別の人に代わってもらおう。うん、そうしよう。

 「まいったなぁ。なんか、隠し事してると、落ち着かなくてね」
 「やっぱり考えてたのね」
 「ああ……考えてた。また会いたいな、って」
 「倦怠期に入って、浮気したくなった?」
 「違うよっ。て言うか、なんで瞳を輝かせてるんだ」
 「ちぇ。なんだ、つまんない」

冗談めかしてはいるが、柏葉の口振りは、どこか本気っぽい気配も滲ませている。
僕が返答に窮していると、彼女は呆れたように、眦を下げた。

 「そこで黙られちゃうと、私も困るんだけどな」
 「いや、その――」
 「お酒が入ったときは、饒舌になるのにね」
 「ほっとけ」
 「ふふ……はいはい」

柏葉は、僕の肩を軽く叩きながら、「でも――」と、続けた。
「たぶん、もうすぐ彼女は来るよ。桜田くんに、会いに来る」

なんで、そんなコトが言い切れるのか。
訊ねると、「女の子の勘よ」なんて答えが、臆面もなく返ってきた。
僅かでも期待した僕が、バカみたいに思えてくる。
いや……『みたい』じゃないな。僕はバカだ。
ならば、バカはバカらしく、柏葉の言葉を鵜呑みにしてやろうじゃないか。

 「信じておくよ、柏葉の勘ってヤツ」
 「大丈夫、大丈夫。信じる者は救われるよ。うんうん、モテる男は辛いね~」
 「……柏葉って、そんな性格だったか?」
 「どうだったかなぁ」

なんて、ゆるいお喋りをしていた僕らの頬を、ふわり――
梅雨時の、湿った風が撫でた。
自動ドアの開いた気配。店内に響く、小刻みな足音。

 「あ、いらっしゃい」

僕と柏葉は、ほぼ同時に言って、振り返った。



そこに佇んでいたのは、一足はやく夏を意識したような、カジュアルウェアの乙女。
傘も差さず走ってきたのか、白く艶やかなロングヘアーに、雨の雫を鏤めている。

乙女が、前髪を掻きあげる。
その瞬間、彼女の白皙たる美貌を飾るように、一輪の花がパッと咲いた。
この季節に相応しい紫陽花ではなく、紫色の薔薇が――



  完

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