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「ふっ…!」
獰猛かつ邪悪な影が弾かれた。そう表現すべきジャバウォックの突進を、壁を背にした蒼星石はギリギリまで引きつけてから自慢の身体能力と反射神経をフルに使い紙一重で避ける。
『ヴヴヴ…』
自身のパワーのやり場を失ったジャバウォックは苛立ちの声を漏らす。その姿を目の端で捉えながら直ぐに蒼星石は近くの壁へと走った。
ジャバウォックが再び蒼星石に狙いを定め、突進。そして、回避。
頑丈に作られたはずのボロボロの地下室で、蒼星石は何度も何度もそれを繰り返していた。
(こういうのは嫌いじゃないけど…なかなかハードだなぁ)
滴る汗を固まり始めた血糊と一緒にぬぐう。確かに疲れてきたが、まだやれる。少なくとも、気力が萎える事はない。
同じように方向転換する魔獣に合わせて、蒼星石も部屋の隅で息を荒げてうずくまる巴に被害が向かないよう、同じようにまた近くの壁に向かって走り始めた。


由奈がその部屋から出る時に行った魔獣への攻撃命令。それを聞くやいなやジャバウォックは雄叫びと共に蒼星石と巴に向かって猛烈な突進を仕掛けてきた。
それはまさに闇の進撃。本能が怯えるのを理性と経験でどうにか振り切り、2人は二手に分かれて間合いを取る。
『対獣のセオリーは目、鼻、耳だけど…正直狙えそうもないね』
蒼星石の言葉に巴も頷く。
『ですがこれだけの巨体です。狙うなら…』
『足、かな』
一旦1ヶ所に集まった2人に再びジャバウォックが迫る。だが前回と同じ攻撃なら冷静に対処もできる。突進をいなすように左右に分かれ、ジャバウォックの前足を横切る際になぐように剣で斬りつけた。
(!?…なんだろう、今の感触…)
確かに斬れた。斬れた、が、
(最初は砂を切ったような手応えなのに、そこからどんどん重くなって…最後は金属に弾かれたみたいな感じだったな…)
どうやら巴の方も似たような感想を持ったようだ。振り向いて観察しても、既に傷は闇に覆われ、足を気にする仕草もない。
ダメージは、ゼロに等しかった。
『あの“肉”みたいな闇をいくら切ってもムダらしいね』
『同意します。切るべきは…闇の“芯”となる骨格でしょう』
『じゃあ、頑張ってみようか?』
『はい』
三度の突撃に合わせ2人は息を合わせてジャバウォックの足下へと潜り込んだ。体が大きい分これはさほど難しくはない。問題はここから。すぐさま2人目掛けジャバウォックの右前足の尖爪が襲いかかるのを体をひねり避けて即、蒼星石が左前足に飛びかかった。
『はあああああッ!』
まるで蜂の羽のごとく高速で振られる二枚の刃。双剣レンピカによる目にも止まらぬ乱舞。それは霞を払うように皮と肉の闇をかき消していく。
ガキン!
そして刃が巴の言う芯に到達し、それを外界へ露出させた。それはまるで黒いダイヤモンドをイメージさせるモノだったが、蒼星石は目もくれず飛び退いた。
ここまで僅か数秒。まだジャバウォックの右前足は浮いている。左前足に重心が傾き動かすことは出来ず、切るべき芯は視界の中に。
『はッ!!』
柏流参式、菊葉一門。かつては滝を、突入時には鋼鉄の門を裂いた居合いの一閃がこれ以上ない形で撃ち込まれた。
この世の物質ですらない強硬度の骨格と、人の限界を引き伸ばし練り上げられた剣術と、匠の技と偶然が生み出した最上大業物の極刀。
一流すら劣る世界の中で、負けたのは、巴の握力だった。
バキイィィン…!
技の反動で否応なしに巴の刀は空中へと弾かれる。無防備となった巴はやむを得ず蒼星石と同じようにジャバウォックの足を蹴ってその場を離脱。
東ティモールで右手の筋肉を負傷した巴はその後あえて刀を持たない精神修行を自身に課し、結果腕の完治と参式の習得に至ったのだが…やはり腕を庇う気持ちがどこかにあったのだろう。
しかし今回はこれが逆に功を奏した。もしあのまま限界まで力を込め続けていたら完治した巴の腕であっても痛めていたはずだ。
巴が刀の下へ走る間、蒼星石はジャバウォックの正面で相手の気を引くと同時に思考を働かせる。
(ダメージが蓄積されない体に、巴さんの技が効かない骨格…)
そしてなんと、蒼星石は既にこの時点で見切りをつけていたのだ。すなわち、
(勝のは…無理かな)

この後、幾つかの戦闘があり冒頭の状況となる。今だにジャバウォックと1対1で動き続ける蒼星石と、立つこともままならない巴。
だがここで巴を責めることは出来ない。むしろ単純な戦闘力のみを見るなら蒼星石より巴の方がいくらか上回ってさえいたのだ。
ここで明暗を分けたのは2人の職種の違いだった。組織の力、または助っ人という立ち位置の巴と怪盗である蒼星石。巴は立場上確実に敵を倒さねばならないが、蒼星石はそうではない。
怪盗であるメンバーにとって、通常仕事場での戦闘は極力避けるべきもの。また避けられない場合でも、素早く対処してゆく。これは相手を打ち倒すと言うよりは任務に支障が無いように処理するという意味だ。
巴も頭では勝算が薄いことを理解してはいたものの、自分が倒さねば後が無いといった普段の思考が身に付いていたためにどうしても積極的な動きをしてしまい、それが結果として大きなダメージへと繋がってしまった。
だが蒼星石にとって、目の前の化け物を倒すことは任務における絶対条件ではない。倒すことは出来なくても、自分がコレを相手している間に他の突入班が捕らわれた2人を救出すればいいのだ。
この切り替えの速さが蒼星石の長所であり、状況を把握した柔軟な対応こそが蒼星石の真骨頂であった。
(やっぱり視界に標的が2人いた場合は必ず動いてる方を狙ってくる…地下室そのものには出来るだけ攻撃しないよう動くし、間合いや壁との位置で攻撃がパターン化されてる…つまり)
勝ちを諦め、現状維持を第一に置いてからの蒼星石は早かった。相手の動き一つ一つから性格を読んで自分が生きる道を手繰り寄せ、あっという間このジャバウォックが由奈の定めたプログラムにのっとって行動しているのを見抜く。
そしてまるでゲームで言うところの“ハメ”のように、確実に自分と巴に攻撃が当たらない動きを導き出してそれをただただ忠実にリピートする。派手さはないが、蒼星石は実に高度な“戦闘”を行っていた。
(このままミスなくいけば…由奈の指示が変わるまでは耐えきれるかな)
あるいは、自分の体力が限界を超えるまで。
この死に直結した無限ループから脱するには、仲間の誰かがジュン達を救出して、それをここへ伝えに来なくては(もう2人のマイクやイヤホンは壊れていた)ならない。
先の見えない地獄の釜の中の永遠で、仲間の成功をひたすら祈り続けるしかない。自分の運命を、手の届かない仲間に託すしかない。

だが蒼星石には、それがそれ程悪いことだとは思わなかった。



「あ、水銀燈に真紅なのよ!」
「おお、マジですね!ちゃんと生きてやがるですぅ!…片方原型を留めてませんが」
無線によるみつの誘導に従って痛む体を引きずってやってきた真紅と彼女を抱える水銀燈に、正面から聞き覚えのある懐かしい(騒がしい)声が飛んできた。
見れば元気そうなな雛苺と、その後ろで薔薇水晶を背負う翠星石。こちらも充分過ぎる程に元気である。それは喜ばしい事ではあるが、
「…ちょっと、お願いだからあまり騒がないで頂戴」
今の真紅には2人の声がまるで音の弾となって体に追突してくるように感じられる程に痛んでいた。これ以上のダメージは流石にもう勘弁してほしい。トドメが仲間の無駄口では余りに報われない。
「こっちの負傷はこの通り。私は問題ないわ。薔薇水晶はどうなの?」
「とても動ける状態じゃないの。命に別状はないけれど意識も戻ってないわ。ただおかげでヒナと翠星石は充分余力があるのよ」
水銀燈と雛苺が簡単に情報を交換する。ジュンが目の前だからといって急いではいけない。それはいらぬ危険を生み出してしまうし、ミッション達成の直前は一番気をつけろとは古今東西の常識である。
「ん…ローズ2、蒼星石はどうしたですか?」
残弾や武器のチェックを行っていた時、翠星石がマイクで金糸雀に尋ねた。そう言えば、随分前からあの2人に関しての情報が一切入ってきていない。
そして、不安の色を含んだ翠星石の質問に答えたのはみつだった。
『大丈夫よ。カメラもマイクも壊れているけど、ローズ4はそこから伸びる通路の先でまだ動いているわ』
ローズ4は。恐らくみつは単調に情報伝達に努めようとしたのだろうが、どうしてもそこの部分に力が入っていた。だがそれは、そこにいたメンバーに新たな気合いを入れさせるには申し分ないものだった。
「うだうだしてる時間はねーみたいですね」
「そうね。じゃあ雛苺、アナタに真紅と薔薇水晶を任せるわ。ここで出来るだけ応急処置を。翠星石は私と一緒にこのドアの向こうへ突入…それでいいかしら?」
『え、ええ』
巴の安否が不明で、さらに白崎の所在も一向に掴めない中でのみつの不安は相当なものだろう。それを見越して先に指示内容を提示する水銀燈の姿は、なるほどローゼンメイデンのリーダーの名に恥じないものであった。
雛苺が真紅と薔薇水晶を脇に移動させ、水銀燈と翠星石が扉の両サイドへそれぞれの武器を構え身を寄せる。
部屋から特に物音は無いが、気配は感じられた。恐らくは複数か。するとやはり…
「覚悟はいいかしらぁ?翠星石」
「語るに及ばんです。私だってオメーらに遅れをとるつもりはねーですよ」
「結構。それじゃあ…行きなさい!」
「了解ぃ!」
掛け声と共にノブに近い側にいた翠星石があわよくばカギごと蹴破る勢いで扉に向かった。が、次の瞬間。
ガチャ。
「はえ!?」
なんと扉の方からしかも内側に開いてしまった。当然バランスを崩した翠星石はどしんと豪華に地面に倒れ伏す。
すると―
「おや?…ああ、君は確か翠星石さん。で、こんなところで何をしているんだい?」
「んあ!?オ、オメーはあの時のぉ!」
顔面を赤くした翠星石がガバッと見上げると、それは翠星石が東ティモールで何故か意気投合した相手。その扉を開けたのは、多少服がヨレてはいるが五体満足で顔色のよい白崎だった。
加えて、
「ジュン!」
「うげぇ!?」
恐るべき嗅覚としか言いようがないが、真紅は彼の姿も見えない内から大して動かない体を引きずり、扉の前まで這って来ていた。何か柔らかいものを下敷きにした気もするが気にしている場合ではない。
「ああ…ジュン…」
そして、白崎の肩に抱えられ微かな吐息を漏らす、自分に負けないくらいの怪我をしたジュンに、とうとう会う事が出来たのだった。

『巡査ぁあーー!!!』
「「ッ!?」」
真紅とジュンの再開もつかの間、その場にいた意識のある全員が顔をしかめるほどの大音量が辺り一面に鳴り響く。水銀燈は何も言わずに自分のマイクとイヤホンを白崎に渡した。
「あ…えと、警視庁特別捜査班巡査、白崎。只今…戻りました。みつ警部」
『~~~ッ!このっ!…お帰りなさい!』
「…はい。ご心配お掛けしました」
先程の不安を押し殺したような声など微塵も感じられない声で、数ヶ月ぶりの会話を交わす2人。ただの上司と部下ではない、共に戦場を生き抜いた2人の間に生まれた何かがそこには表れていた。
戸惑いながらも恥ずかしそうに、また嬉しそうに上司と会話する白崎。メンバー各位もやれやれといった表情でそれを眺める。
「…ところで警部、あの…巴さんは?」
が、彼のその一言で再びその場に緊張が戻った。そうだ、まだこのミッションが完結したわけではない。
「そうね…時間がないから手短に話すわミスタ白崎。私達は草笛みつと協力してあなた達を助けにここに来た。柏葉とウチの1人がまだ向こうで化け物と戦闘中。そちらは?」
「あ、ああ。私も全てを正確に把握してはいないけど…この少年がマフィア側のトップを倒したから解放されたらしくて…」
「…は?」
その白崎の報告に、聞いた水銀燈は勿論他のメンバーも開いた口が塞がらなかった。だがこれはもう致し方ないだろう。魔王に捕らわれた姫を助けに悪魔の城へ行ったら、既に姫が魔王を倒していたら誰だって驚くというものだ。
ただ、今回捕らわれたのが助けを待つしかない非力な姫では無かったというだけの話。
「あのジュンが…あのベジータを…」
「何があったですかね?もしやジュンはまださらに変身を残していたとでも…」
「一度も変身なんかしてないのよ」
こんな時でも律儀に突っ込む雛苺。
「ま、まあにわかには信じがたいけどぉ…ええ、構わないわ。問題ない。むしろ吉報よ。よし、ではこれより救出から脱出ミッションへ切り替えるわ!皆気合い入れなさぁい!指令室、指示を!」
『アイアイサーかしら!ピチカート、状況ステージセカンドへ。補助プログラムを立ち上げるかしら!』
『Got it!』
金糸雀がせわしなくキーボードを叩く横で、みつはじっと目を閉じて腕を組んで沈黙している。
水銀燈に言われるまでもなく、みつは既にこれからについて思案していた。最大の懸念であった両名の奪回は思わぬ形で成功したものの、予想外の障害がまだ残っているのだ。
そう…由奈の呼んだ魔獣、ジャバウォック。
本来なら負傷者を一番安全でかつ雪華綺晶の支援が見込める翠星石達が来たルートからそのまま正面玄関へ向かわせ、動ける者が2人に加わり倒すなり逃げるなりの対処が出来ればよいのだが…負傷者は3名もいて、いずれも自立歩行が不可能である。
つまり動ける者も4名しか(むろん白崎は戦闘員には含められない)居ないので、1人が負傷者1人を担ぐとジャバウォックへ向かえるのはたった1人。巴と蒼星石のペアがここまで苦戦する中、たった1人向かわせて果たして成果が出るのか…?
『…そうね、まずその場にいる全員で中央の通路に向かって。そして怪我人を化け物のいる部屋の前に置いてからローズ1、3、6の3人で入ってみて。まずは現実把握と情報収集、それから次の指示を出すわ』
「…ええ、了解したわ。雛苺、悪いけど治療は中断して。聞いたわね?みんな行くわよ」
「うっし、最後の仕事です!待ってるですよ蒼星石!」
「真紅、痛いのちょっと我慢なのよ」
「ええ、大丈夫なのだわ」
白崎がジュンを背負い直している横で、警視庁の警部であるみつの指示の下にテキパキと準備を進める怪盗乙女ローゼンメイデンのメンバー達。
(これは…なんとも…)
そんなある意味奇怪な光景を目の前に、白崎はとりあえず苦笑いを漏らしておくに留めておいた。


怪我人を担いで中央の廊下を進むこと数分、由奈が部屋から出て行く時に使った扉の前に到着する。念の為に怪我人は白崎と共に数メートル後方の曲がり角の先で待機させた。
事前情報として、一度蒼星石達のカメラにジャバウォックの姿が映っていたのを各自が時計に付けられている小型画面で映像化する。たった数センチの画面のくせに迫力満点だ。これを喜べるのは自分が鑑賞する側に居るうちだけ。
「この化け物があの扉の向こうにいるですか…M字ハゲの方が何倍もマシですね」
肉眼でその姿を見てないとは言え、その化け物のとんでもない叫び声を聞いた経験から恐怖の感は拭えない。
「倒す必要はないわ。どうせそんな巨体じゃ向こうの部屋から出れないでしょうから、蒼星石と剣士の娘をこちらか反対側の通路に逃がせればそれでいいのよ」
「でも警戒するの。魔眼の力は何が起きるかわからないわ」
部屋に繋がる扉は防壁の意味合いもあるのかとても頑丈で、かつ重く出来ていた。3人は息を合わせ、覚悟を決めて扉を開け放つ。
「蒼星石ー!!」
雛苺のベリーベルで扉を固定しつつ、3人は部屋へと踏み込んで翠星石が正面、雛苺と水銀燈が左右に頭を向けた。
確かに扉を少し開けてカメラだけ出して映像を撮ることも考えはした。だが、中の2人にはジュンと白崎を助けだしたことを知らせる必要がある。
また扉を少しでも開ければジャバウォックに気付かれる可能性が高く、その一瞬で部屋全体の状況を確認しなければならない。これらの理由からみつはこうした行動を指示し、水銀燈達もそれに同意してのアクションであった。
『グァアアアアアアア!!』
「みんな退くんだー!!」
「!?」
結論を言えば、これは失敗だったのだろう。
3人が部屋に入った途端、ジャバウォックの怒号と遠くに居る蒼星石の叫びが飛び交った。
一瞬で部屋全体を把握することは成功した。そして蒼星石に伝達も出来た。が、“今の”ジャバウォックから逃れるにはその一瞬では完全に足りなかったのだ。
それは怒れる突撃で、殺意の弾丸。蒼星石達に向けたモノとは違う、あまりに純粋な破壊行動。
「ひっ…!」
それを正面に居たがためにモロにうけた翠星石が一瞬怯む。脇の水銀燈と雛苺が彼女を抱え通路に逃げ込もうとするが、壁を突き破らんとする勢いの魔獣からは逃れること出来そうもない。
「飛太、刀…!」
『グバアアアアア!!』
部屋の隅からの斬撃がジャバウォックの目に命中し、僅かながら魔獣の勢いが落ちる。タッチの差で3人は通路に逃げ込み、扉を閉めることに成功した。
魔獣の手は、そんな扉を軽々と突き破ったが。

「くそっ…!」
砂煙が舞う部屋の出口を睨みつけながら蒼星石が悪態を付いた。
運がない。皆が入ってきた時の位置が悪かった。失敗した。でもそれ以上に…見誤った。
蒼星石としても、皆が部屋に入って来た時の事を考えなかったわけではない。メンバーの誰かが向こうの扉から現れ直ぐに戻ることは想定内のことだった。だからなるべく扉から離れるように逃げていたつもりだった。それで間に合う計算だった。
だが、蒼星石の誤算はジャバウォックの状況判断の仕方にあった。
確かに蒼星石が感じた通り、ジャバウォックには由奈からかなり厳しい制限を課せられており、まともに力を出すことが出来ない。それはベジータからなるべく殺さないようにと言われたし、また仲間を助けに来る人を殺すのは良くないと由奈が感じたからだ。
だが大前提として、由奈はジャバウォックのために自分の任務を全うする必要がある。そのためジャバウォックに『自分が出て行った扉に人を通さない』ことを強く指示していた。
しかし由奈はこの状況、つまり“その扉から人が入ってきた場合”をまったく想定していなかった。故にジャバウォックは3人を『扉から人が入ってきた』ではなく『人が扉を開けて部屋から出ようとしている』と認識してしまったのだ。
突如として現れた最大級の緊急事態に、ジャバウォックは全力を出すのを躊躇わなかった。蒼星石と巴と対した時とは段違いの馬力だ。部屋を壊す事もまったく躊躇していない。
こちらから3人の安否の確認は出来ないが…もし、門横の角でうずくまっていた巴が動けなかったら…
「みんなー!無事かー!?」
次々生まれる不安を振り払うように、今やこちらを完全に度外視した魔獣の背中を見つつ、蒼星石はその向こうに居るはずの仲間達に向かって叫んだ。

「いでで…信じらんねーです…まだ翠星石は生きてるですか…信心深い甲斐もあるでってもんすね…アーメン、ハレルヤ、ピーナッツバターですぅ」
「…馬鹿なこと言ってないで早くその尻を退けなさぁい」
「重いのー…」
曲がり角まで突き飛ばされ、キレイに積み重ねられた3人が思い思いの言葉を口にした。ちなみに、上から翠星石、水銀燈、雛苺の順番。
流石に無傷とはいかなかったが、途中の減速と固い扉が盾となったようで、直接その手で殴られはしたものの大事には至っていなかった。
そのジャバウォックはと言えば、まるで壁穴に逃げ込んだネズミを猫がかき出そうとするように通路の床をガリガリと削っている。もし廊下がもっと短かかったら、もしあの大きな爪に引っかかっていたら…考えるだけで背筋が氷る。
『みんな大丈夫かしら!?』
「ええ…なんの加護か祟りか3人共ね。それにあの剣士の娘も生きてるようだったけれど…さて、どうしたものかしら」
水銀燈の視線の4メートルほど先には、依然通路の八割を占めようかと思える程の巨大な腕。
当然中の二人を救出するためにはその手を退かさないとならないが、魔獣は今は『待て』を指示された犬のようにじっと動かない。だが近付けば攻撃されるだろうし、退かしたところで部屋に入ればまた同じことになる。
「ねえ、今蒼星石達はどうしてるの?この隙に向こう側に移動してる様子は?」
『無いわ。あの2人がその部屋に入った時に崩れるような音がしたから…もしかすると完全に戻れないのかも』
それは充分あり得る話だ。めぐとは違う理由でジャバウォックもあの部屋から出られない。なら入ってきた者達が来た通路を戻ってしまったらそれこそ魔獣の置き腐れ。
「チッ…」
マズい…打開策が見当たらない。時間をかければどうとでもなるが、いくらみつ達と居るからと言って日本海域に長時間駐留するのは問題だ。ただでさえ日の昇った時間帯の作戦だと言うのに…
身の危険があるわけではないが、まるで開かない金庫を前にした時のような焦燥感が募る。汗を滲ませながら頭を必死に回転させる水銀燈と、指令室の2人。
そんな時、場違いとも思えるような澄んだ声がそれぞれのイヤホンから各人へ届いた。
『お困りのようですね。少々お耳を拝借したいのですが』

ローズ7、雪華綺晶が口にした指示はとても簡単なものだった。だがあまりに簡単で明瞭な故に、皆はその意味するところが解らない。
「えっと…これでいいですか?」
言われた通り、翠星石はまだ意識の無い薔薇水晶を抱えジャバウォックが見える位置まで移動する。
『誠に重畳ですわ。後はその場に座らせて、耳に新しいイヤホンを付けてください』
翠星石は雛苺から渡された一式を薔薇水晶へ装着した。雪華綺晶から言われた事は、これで全部。
「ちょっとローズ7?これでどうするの?何やるかくらい言ってから…」
『まあお姉様。ここからはわたくし共にお任せください』
そう言って、少し間を開けた後。
『コホン。えー、ばらしーちゃん?先ずはお疲れ様でした。良く頑張りましたね。偉いですわ。ただ、まだ危機は去ってはいないのです。もちろんわたくしとしても、今のばらしーちゃんにこれ以上の無理をさせるのは心苦しいのですが…
あ、つまりですね?何が言いたいかと言いますと……すーっ、仲間のピンチに呑気に寝てるんじゃないわよ私の妹!!あなたのその目は飾りじゃないんだからしっかりこじ開けて敵を見なさい!!解ったら今すぐ起きろ薔薇水晶ー!!』
効果覿面。まさに電流が流れるがごとくビクンと跳ねる体と、くわと大きく開かれた右目。余りの反応に翠星石もビクッと体を震わせたその直後、
スパァアアアアアン!!
『ヴガアアアアアアアアアアアア!!』
ジャバウォックがその巨大を震わせ、口の大きく開かれた顔は宙を仰いだ。それはもはや敵を怯ませる雄叫びではなく、ただ単純な絶叫であった。

「Excellent.さすがわたくしの妹ですわ♪」
山から工事を見下ろす一つの金色の眼。加え今の雪華綺晶はその表情までも、狩猟者としての獰猛とも言える笑みをたたえていた。それは一片の迷いのない、清々しいまでの殺意。
今までの雪華綺晶はその猛禽の魔眼があれど、先述したように工事への狙撃はかなり限られた範囲でしか出来なかった。
しかし現在、仲間の位置を全て把握した事で狙撃範囲は工事全土へと広がった。だがそれでも、室内への透視が可能(正確には透視ではないが)なのはやはり壁一枚が限度だったために地下への狙撃は不可能だったのだが、
「それにしても…壁に床にと貫いておきながら全く弾筋がブレないとは。やはり1つより2つがいい、と言うことでしょうか」
薔薇水晶が雪華綺晶の右目の魔眼を受け持つことで、猛禽の魔眼は完成した。魔眼の能力に加えその姉妹の視界共有が、魔眼の性能を遥かに引き上げていたのだ。
もはや雪華綺晶の狙撃範囲は今までの比ではない。今度はさらに、薔薇水晶の視界まで猛禽の尖爪が襲いかかるのだ。ファルコンとイーグル。二羽の空の支配者の前に死角はない。
『ヴヴ!グヴヴ…ガアアアアア!!』
『雪華綺晶!あの魔獣が…!』
「ええ、承知しております」
翠星石が薔薇水晶を背負って部屋に入ったおかげで、その魔獣の姿はしっかりと“視えて”いた。アレはもはや部屋の人間に興味は示さない。一直線に、この私の方を睨んでくる。
「あらあらうふふ。そんなに見つめられては照れてしまいますわ」
そんな言葉とは裏腹に、しっかりと顔に鋭い笑みを刻む雪華綺晶。そして彼女の爪であるライフルは隠すことなく眼下の獲物へと向けられて、
ばちん!

『グガァアアアアアアアアアアアア!!』
今まで聞いてきた雪華綺晶の銃声とは比べものにならない鋭い音が響くと同時に、ジャバウォックも今まで聞いた事もない苦しげな叫び声を上げた。
その獣の首筋からどす黒い飛沫が上がり、それに合わせ漆黒の巨体がのた打ち回る。
効いている。間違いなく。
「ふー、やれやれ。柏葉さんの剣でも傷1つ付かなかったのに…凄いなぁ」
「ですねぇ…って蒼星石!?久しぶりですね!?大丈夫ですか!?」
「まあ、お陰様でね。魔獣の方ももう僕達は眼中に無さそうだし。…柏葉さんは大丈夫?」
「はい…とりあえず、ですが」
よろよろと壁に手を付きながらこちらへ歩いてくる巴。どうやら見た目以上の重傷らしい。その中で先程の一撃を繰り出せた底力は感服せざるを得ない。
「で、どーすんですかコイツは」
「うーん、ほっといていいならそれに越したことはないんだけど」
ジャバウォックにとって、由奈の指示は絶対である。だが、その由奈が側におらず、加えて人外の身に危険を及ぼす攻撃を受けたことで、魔獣の防衛本能が勝ったのだ。
『ローズ3、ありがとうございました。もう良いのでばらしーちゃんを連れて皆さんでお逃げください』
「うっし、がってんです…って!オメーまさかこの化け物とサシでやる気ですか!?」
翠星石のその言葉は、ただ純粋に仲間の身を案じてのモノであることに疑いの余地はない。雪華綺晶も当然解ってはいる。が、それでも少し胸が痛んだ。
『…ローズ1。いえ、水銀燈』
「え?な、何?」
雪華綺晶は手元の機材を操作して、水銀燈にだけ声が届くようにしてから、言った。
『かつて貴女は「部下に悪魔は遠慮したい」とおっしゃりました。それは大変ごもっともです。けれど、こんな場合もあることですし、1つ手元に置いてみてはいかがでしょう?』
「…雪華綺晶…」
雪華綺晶の声も口調も普段となんら変わらない軽く明るいものだった。だが、水銀燈にはそれが少し怖がっているようにも感じられた。
確かに、雪華綺晶を勧誘する際に集めた彼女の情報は、水銀燈を躊躇わせるには充分過ぎるものであったかもしれない。ホワイトデビルを、悪魔と呼ばれる少女をチームに加える。それはリーダーとして決して優しい判断ではなかった。
だが薔薇水晶の意見もあり、最後は自分で見極めようと赴いた先での、2人の出逢い。悪魔と呼ばれたその少女は、あまりに人間であったのだ。
化け物と言うなら、目の前の魔獣も雪華綺晶も同じなのかもしれない。だが、人は化け物を恐れるのではない。“わからないモノ”を恐れるのだ。
化け物が仲間?結構じゃないか。意志疎通の出来る化け物の方が、ワケのわからない人間よりどれだけ信用できることか。
「…そうねぇ。私達は天下の怪盗ローゼン・メイデン。確かにそれくらいのチームメイトはむしろ必須よねぇ…。いいわ、ローズ7。チームリーダー水銀燈が命じるわよ。その化け物を打ち倒しなさい!そして再び私の下へ帰ってきなさい!」
『………』
その間はきっと、雪華綺晶が自分に与えられた言葉を噛み締めていた時間。
そして、
『認識致しましたわ。マイ・マスター』
ここに再び、彼女と彼女の契約が交わされたのだった。

『ヴグガァ…!!』
「うえ…なんかヤバげな感じですぅ…」
別に大した時間ではなかったが、既に撃たれて怯んでいたジャバウォックが体制を立て直ていた。そしてさらに、もはや変形と呼ぶに相応しい変化を遂げてしまっている。
体を覆う闇はまるで研ぎ澄まされたように鋭く残酷で、体はふた回りほども膨れ上がり、燃えているかと疑うくらいに辺りに熱を振り撒いている。
そしてソレが纏う殺気は、こちらに向いていないからこそいいものの、今までとは桁違いの憎悪に満ちているのがはっきりわかるほどに邪悪で畏怖で脅威だった。
「みんな、ソレは雪華綺晶に任せるわ!私達は別ルートで移動するわよ!」
「くっ、しゃーねーですか…気をつけるですよ雪華綺晶!」
「柏葉さん、キツいようだったら僕の肩に手を」
「すみません…そうさせていただきます」
「みんな!早くするの!」
もうその部屋は居る事自体が苦痛になるほどだった。雛苺が扉を開け、それぞれがそこへ走る。
その矢先に、魔獣が体をかがめ、力を蓄えた。
「アイツまさか!?」
「急いで!!」
その僅かな動きで全員がこれから“何が起こるか”を察した。そして正にその通りに、その黒い塊は凄まじい地響きと爆音を伴い地下室の天井を突き抜けた。

半キロは離れた山中にも、魔獣の雄叫びと崩壊の轟音は体に触れる程に響き渡ってきていた。なんとも禍禍しく、されど体が疼くのを止められない気配。雪華綺晶はそれを、余すことなく全身で受け止める。
「そう…それでいいのです。いらっしゃないな、哀れな獣。アナタの敵は此処にいる。アナタの相手は此処にいる」
もう雪華綺晶の眼で魔獣が視える。魔獣も雪華綺晶を視界に捕らえる。
猛禽の魔眼と、獣王の産物が、この択捉の地で相対した。どちらの眼も、美しい程に、恐ろしい程に輝いていた。
そんな死線のぶつかり合いの最中、雪華綺晶はその眼を細め、小さく、されどしっかりと呟いた。まるで、心に刻むように。あるいは、確かめるように。
「そう…化け物の相手は、化け物だけがすればいい」
それが、皮切りとなった。
『ヴバアアアアアアアアア!!』
2人の間の唯一の境界であった工場の壁をジャバウォックが易々とぶち抜いて飛翔する。その魔獣は吠え狂い、喚き散らし、暗黒の炎となって山肌を蹂躙してゆく。その軌跡は真っ直ぐ彼女の元へ。それは山火事とするには余りに闇だった。
ばちん!
雪華綺晶が引き金をひくと古臭いライフルが安っぽい音を出し、市販の弾を人外の力へと変貌させる。そしてそれは何物にも干渉されることなく、魔獣の眼球へと飛び込んだ。
魔獣が叫ぶ。体がよろける。しかし止まる事はない。まだ魔獣は走る事を、恐怖であることを辞めはしない。
雪華綺晶が素早く次弾を込め、撃つ。再び眼球を狙ったものの、今度はジャバウォックが僅かに顔を逸らして頬で受けた。回避したとは言えないが、歩みは衰えず、むしろ更に加速する。
「流石にに同じ起動は通じませんか…ですが、それでこそ」
雪華綺晶はその場の機材を全て放棄し、素早くライフルだけを抱え山奥へと走った。きっかり4秒後、そこは闇が汚染した。
「ふふふっ…あははっ…!」
もはや彼女と魔獣との距離は僅かでしかない。それでも雪華綺晶は山を走りながら笑っていた。本当に、笑っていた。
「さてアナタ。アナタは歌劇、“魔弾の射手”を聴いた事があるでしょうか?」
魔獣は答えない。敵が逃げた事を悟り、その声のする方向へと刃を向けるのみ。
雪華綺晶は更に走り、更に続ける。
「悪魔に魂を売ったカスパールは、友人マックスの命と引き換えにザミエルにどんな狙いも外さない銃を作ってもらいますが…ふふっ、まるで私とこのライフルのようだと思いません?」
魔獣は答えない。木を焼き山を削り、倒すべき敵へと燃え盛る。
雪華綺晶は走るのを辞めない。語りかける事も辞めない。
「その銃は7発中6発は撃ち手の意のままに操れます。しかし最後の一発だけは悪魔の意志が宿っる魔弾となってしまう。ですが…」
ジャバウォックが雪華綺晶へ向けて飛びかかった。もう弾を装填し直す猶予も無い。後は闇が飲み込み、全てを消し去るだけ。
それでも、雪華綺晶は笑い、歌うように言ったのだった。
「これがその7発目。けれどわたくしにとって、“それ”こそが至高の弾になりえると思いませんか?」
魔獣は答えない。
代わりに、ないた。



突入班3組に加え白崎とジュンが工場の東側を走っている。半数がまともに動けない為に決して速くはないが、それでも確実に出口へと近づいていく。
「雪華綺晶、大丈夫ですかねぇ…」
自信の安全が確保されればやはり心配なのは仲間の身。まして、相手が相手なのだ。意味のない質問とわかっていても口に出るのを止められない。
「あの子が任せろと言ったのだから信じましょう。でも確かに頭突きで床に穴を開けるなんて…まるで真紅ねぇ」
「…水銀燈。アナタとは後でゆっくり話し合う必要が有りそうね」
「私にはないわぁ。と言うか真紅?あんまりしゃべると力尽きるわよぉ?カンオケに入って後ろから付いて来るならいいけれど」
「アナタが余計な事ばかり言うから私が…!ゴホッ、ゴホッ!」
「真紅、あまり無理しないようにね。水銀燈もおちょくらない。そして柏葉さんは笑わない。骨に響くよ」
「は、はい…!」
正直、動けない者達の数人はかなりの重傷で一度意識を失ったらかなりの間目覚めないと思えた。背負うにしても意識の有る無しでは負担も扱いやすさも遥かに違う。一見くだらないやり取りでもそれなりに意味と効果はあったりする。
みつの判断で一行は部屋を抜けた後、めぐが居た部屋を通り正面玄関へ向かうルートを選んだ。水銀燈はめぐがまだ倒れているようなら拾う事も考えたが、その姿はなかった。
荒れた部屋を抜け、蒼星石と巴がヤマモトと会った広間へとたどり着く。(どうでも良かったが)ヤマモトもその姿は見当たらなかった。
「野郎ども!ようやく出口ですよ!」
巴が刻んでしまった玄関から一歩外界へ踏みだすと、太陽と冬の空気の冷たさが迎えてくれた。確かに寒かったが、風が体を包むのは疲労した体に心地良い。
『みんなお疲れ様かしら!船を移動させるから指定の脱出ポイントまで来るかしら!』
ジュンと白崎を連れ出し、廃工場から脱出成功。長かったミッションがようやく終わりを告げようとしていた。
安堵と共に強い疲労が体を染める。脱力感に気が緩み、体が脳へ睡眠を要求する。
だから、古今東西の常識になる。
「伏せろですぅ!!」
翠星石が薔薇水晶を背負った状態からベリーベルを抜き打ちで掃射した。鍛えられた彼女達はセーフハウスかアジトへ帰るまで警戒を解くことはないのだ。
翠星石の水弾が相殺したのは、石だった。弾丸でも矢でもなく、手のひらサイズの石。まるで、足下にあったものを、投げたような。
「あははははは!みーつけた、みーつけた!!あははははは!」
「…めぐ」
皆の視線の向かうのは、工場が建つ山の斜面を少し登った所。そこに、小石を両手に持ち、笑いながら皆を見下ろす、柿崎めぐが立っていた。

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