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その車は、まるでくるおしく、身をよじるように走るという―――



首都高速湾岸線。
神奈川から東京をまたぎ、千葉に至る都市高速であり、制限速度は80km/h。
しかし、深夜にもなれば、スピードの魔力にとりつかれた者たちの、最高速フィールドとなる。

公道OVER300km/h―――

彼らは、それを目指して走り続ける。
自らの全てをなげうって車を改造し、深夜の首都高を暴走し続ける。
それが、いかに非常識であったとしても、いかに反社会的で狂った行為であったとしても……。



湾岸 "Maiden" Midnight

SERIES 1 「悪魔と天使と人間 Part 1」



「水温よし、油圧よし、アイドリング安定……、全てよし」

今日も彼は、自慢の愛車とともに、深夜の首都高へと繰り出そうとしていた。
彼の名は桜田ジュン。親から継いだ小さな自動車工場「桜田オートエンジニアリング」の若き社長である。
主に一般整備を請け負っており、ジュンの普段の仕事も、軽トラやファミリーカーのオイル交換や、車検代行などをしている。
もっとも、この工場の看板には、もうひとつの仕事である「チューニング」の文字が書かれているが、最近はその仕事が舞い込んだことはない。
そのため、チューニングに関しては、自分の愛車であるスカイラインGT-R(R32)をイジることしかしていない、いや、できないのであった。
それでもジュンは満足していた。仕事の空いた時間に、自分の車ではあるが、チューニングという行為をできることを。
その車を、深夜の首都高で走らせることを。

「今日はなかなか流れがいいな、軽く流すつもりだったけど、予定変更だな」

辰巳JCTから湾岸線西行きへと合流したジュンは、今日の道の流れを感覚で読み取った。
シフトダウン。車が加速を始める。体がシートに押し付けられる。周りの景色が、恐ろしい速度で飛び込んでくる。
それでもジュンは、アクセルから足を離さない。タコメーターがレブリミットをさす。
シフトアップ。さらに車は加速する。そして、周りの一般車たちを避けるようにスラローム。
それはコーナリング。わずかなハンドル操作で、右へ左へと一気に車が跳ぶ。一つのミスが、大事故につながる。
一般車がばらける、オールクリア。
まるで吸い込まれるように、ジュンのRは、道路を照らし出す光の向こう側へと消えていった。



身の毛もよだつような速度域であっても、彼は冷静だった。
もうかれこれ、何年も走り続けていた。まるで夢遊病のようにジュンは、首都高を、湾岸を走り続けた。
仲間もいた、一緒にチューニングをした、一緒に走った、一緒に追い求めた、OVER300km/hの世界を。
しかし、もう降りてしまった。この危険な行為が、いかに無駄であったかを知ってしまったから。
それでもジュンは降りなかった。この場所が、この瞬間が、何物にも代えがたいものであったから。

「後ろから1台……、来る」

大井JCTを過ぎたころだった。1台の車が、明らかに周りとは違う空気をまとって、こちらに向かってきた。
ジュンは今、最高速アタックの真っ最中である。
つまり車は、もてるパワーを出し切ろうとしているのである。
すでに、メーターの針は250km/hを超えていた。

「この速度域で追い付いて来る、……速い!」

真っ赤な、初期型のフェアレディZだった。

その真っ赤なZは、こちらを追い抜くと、突然スピードダウンした。
そして、ジュンのRの後ろに張り付いた。

「勝負か?上等じゃないか、よく見れば初期型のZじゃないか。確かあれは、S30と言ったっけな……」

真っ赤なZは、そのままジュンのRの後ろを走り続けていた。
まるで、優雅にディナーを品定めするように、もしくは、腹ペコで今すぐかぶりついてしまうかのように。

「なめられたもんだな」

口では冷静だが、ジュンの体内では、熱い何かがこみ上げていた。
ジュンにとって、こんな感覚はしばらく経験していなかった。
それは、近くもなく遠くもない昔、毎日が光り輝いていたころに感じていたもの。
この日、ジュンは熱くなってしまったのであった。初期型のZが相手であるのにもかかわらず。
ただし、最高速アタック真っ最中のGT-Rに追いついてきたZであるが……。

しばらくのランデブー走行。
たがいが、今ここで初めて会ったとは思えないほどの動きで、絡み合うように湾岸線を駆け抜ける。
つかず離れず、真っ赤なZはこちらを窺うように、後ろにぴったりとつけている。
右へ、左へ。それは、まるで曲芸飛行のように。
そして、2台の車は浮島料金所を越え、湾岸神奈川線へと入った。
ここからは、大黒JCTまでひたすら直線区間が続く、とびきりの最高速ステージ。

「ここで突き放す!」

フラットアウト―――
勝負を決めようとジュンのRが、その世界を求めて加速するそのとき、

真っ赤なZが、まるで生きているかのように、身をよじった。

気がついた時には、その真っ赤なZは、ジュンのRの前にいた。
そして、満足したように、目の前から遠ざかっていった。

「チギられた……、Zに、真っ赤なZに……」

薔薇のようにあざやかな、真っ赤なZ。
まるで生きているかのような走りをした、真っ赤なZ。
ほんの一瞬、その一瞬の、その走りに、ジュンの心は揺らいでしまった。
熱が冷めない。すでに、車は常識的な速度でクールダウンを始めていても、ジュンの熱はおさまらない。
それどころか、さらにヒートアップしていた。このままでは、ジュンがオーバーヒートしてしまう。
いくら流す速度とはいえ、このまま走っていたら、確実に事故る。
わずかに残った冷静さが、ジュンの頭の中で警鐘を鳴らし続けていた。



大黒PA。
一人の女性が呟いた。

「さっきのR……」



ジュンは、熱を冷ますために大黒PAへと入った。
少し休んで、今日は帰ろう。そう思って、車の横で涼んでいた。
自慢のR、何年もかけて作り上げてきたR。
それが、いとも簡単にチギられた。
あの真っ赤なZに。
少しずつ冷静さを取り戻しながら、ジュンはぼんやりと自分のRを眺めていた。
それでも、なかなかあの真っ赤なZのことが頭から離れない。あの瞬間が離れない。
忘れることなんて、できやしない。
脳裏に焼きついた記憶を、もう一度振り返るようにジュンは考え込んだ。


――――――――――


「ねえ貴方、名前は?」
「うん?……うおっ!」

突然話しかけられたので、素っ頓狂な声をあげてしまった。
うん、美人だな。
じゃなくて、何で僕は突然こんな人に話しかけられているんだ?
何の目的で?何でここで?何で僕に?

「聞いてるの?貴方、名前は?」
「え……、えっと……、じゃなくて、そういうのはそっちから名乗るのが礼儀だろ」

いかん、つい強い口調になってしまった。

「そうね……、悪かったわ。私の名前は真紅」
「……桜田、ジュン」

彼女は真紅と名乗った。
年は、僕とだいたい同じくらいかな……、たぶん。

「何か用でも?僕に」
「ええ、このRは貴方がチューニングしたのかしら?」

なるほど、車か。
さては僕のRを見て、何か思い立ったかな?
新規顧客を獲得できるチャンスかも……。

「そうだけど、なんでそう思ったんだ?」
「だって、ステッカーにSakurada Auto Engineeringって書いてあったし、貴方の名前は桜田ジュンでしょう?だから、そう思ったのよ」

これは本当にお客さんとしていけそうだな。
ああ、他人の車のチューニングなんて何年振りだろうか。
それにしても、結構積極的、悪く言えばなれなれしい人だな。
きっとどこかのお嬢様か何かかな?それも、世間知らずの。

「なるほど、えっと、真紅さんだっけ?」
「真紅でいいわ」
「あ、うん、じゃあ真紅。それで、僕に何の用?」
「エンジンルームを見せてもらってもよろしくて?」
「ああ、いいよ」

そう言って僕はボンネットを開けた。

真紅はしばらくエンジンルームを見回していた。
食い入るように眺めながら、何か考え事をしているようだった。
さて、真紅の車は何だろう?
お嬢様っぽいし、Rあたりでも転がしてるのかな?それとも外車か?
どっちにしたって、久しぶりのチューニング話だ。
なんだって構わないさ。まだ、お客さんとは限らないけど、話の流れ的にこれはイケる!

「ねえ、ジュン?」
「え?……は、はい。何?」

いきなり呼び捨てで呼ぶかあ?普通。
こりゃあ完璧世間知らずのお嬢様育ちだな。

「貴方にお願いがあるわ」

来た来た来た!
胸が高鳴る。久しぶりのイジりの仕事にありつける。

「さっき貴方の走りを間近で見たときから思ったの」

うん?間近?

「そして、このエンジンを見たら、それは確信に変わったわ」
「……それで?」
「ジュン、貴方に私の車のエンジンをオーバーホールしてほしい、と」

オーバーホール、か。
それにしても、間近っていったい……。
いや、そんなことを考えているときじゃないな。
大事なお客様だ。

「車種は?」
「Zよ、S30のZ」
「Z!?」

Zという言葉に、無意識に体が反応した。
まさかとは思うけど……、まさか、真紅があの真っ赤なZのオーナー?
いやいやいや、単に旧車マニアかもしれないし。
……まずは、その車を見るのが先決だな。

「どこにあるんだ?そのZは」
「ついてきて頂戴」


――――――――――


目の前にあったのは、まさしくあの真っ赤なZ。
停まっていてもわかる、その内に秘めたるパワー、そして速さ。
周りの人々には目にも留まらない、もし留まっても、ただの古いZとしか認識されない真っ赤なZ。

「これが……、真紅の言ってたZ……なのか?」
「そうよ、これが私のZ」

つい先ほど、ジュンを翻弄して、駆け抜けていったZが目の前にある。
それだけでジュンの心は、再び熱を帯び始めていった。

「そして、こんな呼ばれ方をしているわ」
「何て……、呼ばれているんだ……?」

「……悪魔の、Z」

「悪魔の……、Z……」



その車は、まるでくるおしく、身をよじるように走るという―――

魅せられた者たちは、もう、いくところまでいくしかない―――
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