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第十話

「失われた眺め」





まだ生きている。致命傷ではなかった。
きっと、全力で走っていたのならすでに物言わぬ死体と化していただろう。
計算されつくしていたことで助かった。爆弾は道の真ん中に設置されていたのだ。
それゆえ、偶然端の方を走っていた私に予定通りの傷を与えることはできなかった。
罠自体は実に単純。
道の端から端までワイヤーを張り、そのワイヤーが引っ張られることにより、信管が抜け起爆するというものだ。

だが、予定通りの結果ではなかったとはいえ、傷を負うことになったのはつらい。
片目も失った今、死んでないというだけで、十全と言う訳ではないのだ。

今、私は最も近くの倉庫へと逃げ込んでいる。
思えば、あのまま残り、迎撃するという手もあったのだ。
冷静に考えてみるとその方が良かった気がする。
しかし、過ぎたことを考えても仕方がない。
今はどうやってこの状況を逆転させるか、を考えるしかない。

右手に握ったナイフで、身体に刺さった小片をほじくり出す。
痛みがないわけではない。だが、そうしていないと気持ちが悪いのだ。
確かすぎる熱を伴った、鈍い痛みが駆け巡る。
この痛みに耐えるため、砕けるかと思うほどに奥歯を噛みしめる。
危うく声も漏れてしまいそうになるが、すんでのところでこらえていた。
吐息も荒い。
苦しいが、なんとか左腕の目につく小片は全て取り出せた。


脇に置いておいた息を潜め、拳銃を握りしめる。
気がつけば激しい雨が降っていた。
激しい雨が。
大きな箱に背を持たれ座り込み、肩の力を抜いたまま、サイレンサーを額に軽く付けている。
きっとこれは、祈りの姿のようにも見えるだろうな、なんて思ってさえいた。


特に音がしたわけでもない。
しかし、ここに何者かが侵入した気配。
何者か、いや、一人しかいない。
箱に背をつけたまま、入口の方を見る。

いた。
だが、顔は見れない。
暗いからとかではなく、ナイトビジョンを付けていたからだ。
あぁ、そうか、それがあったか。

静かに転がって身を乗り出し、標準を合わせる。
引き金に指をかけた瞬間。
体のすぐそばで、コンクリートが爆ぜた。
見つかってしまったようだ。
頭はこのままここで引き金を引け、と叫ぶが、体は奥へと走り出していた。

重い。
体が重い。
これまでのどの状況、どの訓練の時よりも体が重い。

最も奥の物陰へとたどり着き、一息つく。
足は震えていた。確定された死への恐怖で。
足だけじゃない。体全身が震えている。
出来る事なら、拳銃など放り出して、そのまま、外へ逃げ出して行きたい。
だが、それはすなわち死につながることを知っていた。
だが、逃げたい。今ならあの時の、銀行強盗の時の仲間の心情がよく分かる。
逃げる場所なんて、どこにもない。どこにも。
失禁してしまいそうな恐怖の中、頭をふり、左目で何かを探す。



それは奇跡だった。本当に奇跡を感じた。
銃弾の注ぐ中、私はそこに駆け出して行った。
隣のコンテナのそのさらに奥。
長い年月をかけて腐食した鉄の薄い壁のわずかな隙間。
体が通るような大きさではない。
だが、もしかすると、蹴やぶれるのかもしれない。
そのわずかな可能性に賭け、痛む足を振り上げた。

ガンガンと、大きな音が響く。
敵はもはや、追う足を速めない。
5,6発目でガコリと音がした。
開いたその隙間へ体を忍び込ませる。
腰で一瞬詰まったが、それでも何とか通り抜けた。
その直後、壁を叩く銃弾の音。
何発かは壁を破り私に当たるが、どれもかすり傷であった。

真っ直ぐ目の前の倉庫へと飛び込む。
もはや、受けて立つという気概なんてどこにもなかった。
先ほどのように体を隠す。
途端に体が震え始めた。
必至に沈めようとするが、止まらない。
涙も溢れる。ヒクヒクと嗚咽も交る。

どうして私なのだ。どうして他の誰でもなく私なのだ。
生まれたときから選択肢なんて他にないといっても差支えなかったのに。
最悪から二番目の選択しかできなかったじゃないか。
この世は不公平すぎる。不在の神を恨んだ。
どうしてこんな目に合わせるのだ。どうしてこんな目に合うのだ。
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない
歯の根がかみ合わず、ガチガチと音を立てる。
駄目だ、恐れるな、怖がるな。
そう思おうとするが、芯に染み付いたこの恐怖はどうしようもなく深いものだった。
まるで、これまでの殺しへの恐怖があふれ出てきたかのように。


目眩が、耳鳴りが、全ての音を、全てのつながりを消し去る。
こんな時に、いや、それでもいいか。
この無音の世界で死ぬのも悪くはない。
そう、思ってしまった。

顔を上げ、目の前の人物を見る。
そこには白崎がいた。
いや、白崎だけではない。
今まで殺したすべての人間が。私に関わったことで死んでしまった人間たちがいた。
迎えに来たのだな。そう思ったがどうも様子が違う。
一様にこの入口の方を睨みつけ、何かを待っている。

私の前には一人の男が立っていた。
それは、初めて私が殺した男。
仕事ではなく、この仕事のきっかけとなったあの警官だった。

彼は優しく微笑み、私に手を差し伸べる。
ぼうっとなっている頭のまま、その手を掴む。
彼は私をゆっくりと立ち上がらせた。

不思議なことに先ほどまでの恐怖は消え、未だかつて感じたことのない平穏が私を包んでいた。
今やるべきこと。今すべきこと。
殺した人たちのために私のできること。
私の中で二度目の死を味あわせないために出来ること。

すうと息を吸い、ゆっくりと吐く。
そして、その場にしゃがみこみ、ただ、待った。
敵が来るのを。
“私”が来るのを。
そう、敵は初めから外にいたのではない。――内にいたのだ。
さっき、敵はナイトビジョンを付けていたため顔が分からないと思った。
しかし、よくよく考えてみると、あの下には“私”がいたのではないか。
死すべき“私”が。
白崎の残した情報。その中の顔写真はそう、“私”だったのだ。

見なくても、右目が見えなくても、世界が見えなくても敵が来るところは分かる。
あれは“私”自身なのだから。
そして、ついに感じた。
敵がここに足を踏み入れたことを。


ゆっくりと銃口をあげる。
その先にはただの地面しかない。硬いコンクリートの地面しか。
まだだ。まだ引くな。
そう先ほど臆病風に吹かれたこの体に言い聞かせる。

私の背中には懐かしい気配。
“彼”だ。そしてその後ろには“彼ら”と“彼女”。
どれも優しい感じであり、恨みなど感じなかった。
私はこんなにも罪悪感を抱いていたのに。
許してくれるのか。皆は。

この瞬間、悟った。
“彼ら”は私そのものなのだと。
この瞬間、受け入れた。“彼ら”を。これまで拒んでいた“彼ら”を。
いままで拒んでいた私が馬鹿らしく思えた。
笑いそうにさえなる。
いや、実際口元には笑みが浮かんでいることだろう。
“彼女”――母は優しく微笑み、私を見守る。
“彼ら”――昔の仲間は今も変わらず笑いながら私を指さす。
“彼”――強盗のリーダーだった“彼”は私の体を優しく包み、ともに銃を握ってくれた。
違う、ここじゃない、もう少し横だ、と言うように照準をずらす。

温もりに包まれたまま、私は引き金に指をかけた。

この瞬間、私の世界の全てはこの銃に圧縮され、私は銃になった。
ここには、この銃以外何もない。
私と言う存在が希薄になり、銃がすべてに置き換わる。
引き金は拍子抜けするほど軽い。
引かれた引き金。
撃鉄が作動し、弾丸をたたき起す。
その衝撃で火薬が反応し、弾頭が飛び出る。
遊底がスライドし、薬きょうが排出される。
弾頭は空間を切り裂き、その先にある地面を擦った。
それでも弾頭は速度を衰えず、跳ね返り、その先の固い壁を削る。
再び跳躍し、一直線に敵の頭にぶつかる。

弾丸は敵の耳の中へ入って行き、皮膚を破き、鼓膜を裂き、三半規管を貫き、そして脳を激しく掻き混ぜた。
弾丸は反対側の頭蓋骨にぶつかるまで止まらず、夥しい量の血液の中に消えた。
そして、この世界の中で音もなく、砂埃だけが舞った。



世界が拡張し、音が返ってくる。
終わった。すべてが終わった。
これで終わりだ。これで終わりなのだ。

勝ち負けの問題ではない。
終わりなのだ。やっと。
全てから解放される。

よたよたと、外へ出てゆく。
死んでいることなど確認しない。
もうとっくに分かっていることなのだから。
体自体はいまだに重い。
だが、足取りは驚くほど軽かった。
いや、頭がとても重く感じているといった方が正しいのだろう。



踏みつけた紅により、足跡は赤く染まり、足音はぬちゃりと言う。
その鮮やかな何より赤い命の痕とは対照的な世界の色。
外はいまだに暗く、空は闇に覆われている。
何かを叫ぶべきところなのかもしれないが、生憎そんな言葉など持ちあわせていない。
その代りに、大きく、はぁ、と息をついた。

見上げた空は雲一つなく、満月だけが煌々と輝いていた。





DUNE 第十話「失われた眺め」了

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