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真白へわずかに墨をたらし、空気をふくめてふんわりと掻き混ぜたようなワタが、
くんくんの引きちぎられたボディからはみ出している。ぬいぐるみなのでさすがに流血は
していないが、中身が出ている今の見た目はなかなかにむごたらしい。

「あぁ……」

「わぁぁ! や、やっちゃったの」

「あうぅ」

凄惨な有様を目のあたりにしてから数秒後、やらかしてしまった事態が頭に染みこんで
3人ともが慌てふためく。当事者ふたりは無論、やんちゃくれを鎮められなかった巴も
だいぶ責任を感じているようで、みなみな煮つめた茶葉を一気にすすった面持ちを
あらわにしている。

「これは、もう」

「うん」

「真紅にあやまりまくるしかないのよ」

「そうね、そうよねぇ」

日差しと興奮に赤くほてっていた肌が、相当な焦燥を感じているからだろう、目に見えて
青白く潮を引き、血の気を失っている。ともあれ、追い詰められた心持ちでも、大事故に
みまわれたくんくんにごめんなさいを繰りかえし、下手なごまかしをせずに素直に
あやまる事を選んだふたりの心がけは評価したいところだ。 

しかし、相手はあの激情家な真紅。ことさら大切にしているであろう一品を、よりにも
よって喧嘩のはてに引きちぎったとあっては、どれほどカミナリが降ることか。

よもや某法典の言にならい、自由人の目をえぐった者は、等しく目をえぐられるの
だろうか。歯をへし折った者は、等しく歯を折られるのだろうか。

「うん、きっとゆるしてくれるわよ」

「ううん、トモエそれはないの。それはないのよ」

「そう。100のいかりが99になればいい方よぉ」

より真紅の事を知るふたりによって、努めてポジティブに発せられた巴の意見はいとも
あっさり突き崩された。広々とした部屋の中のことごとくに、強化ガラスのむこうの
お日様はこうこうたるぬくもりを振りまいているのだが、雛苺と水銀燈のまわりだけは
濃い暗雲でさえぎられているのか、やたらどんよりとした陰がかかっている。


「……ヒナね、前に真紅のもってたくんくんのキーホルダーをこわしちゃったの」

「うん」

「わざとじゃなかったの。それにあやまったのよ、ヒナ。 ごめんなさいって。
 なんどもなんども。でもね、ゆるしてくれなかったの」

「うん」

「ヒナね、ばつとして名前のかきとりをさせられたの。ひないちごって、ひらがなで」

「で、でもそれくらいなら」

雛苺の吐露した、かつての真紅の科した罰。なぐるけるといった直接的なものでない、
むしろ精神修養をかねたような罰は、己を見つめかえす時間を持たせるという意味でも
なるほどわりと効果的かもしれない。学校の先生らがオイタした生徒の反省を促す
ために用いそうだ。

巴の口から、それくらい、という言葉が出たのも不思議ではないだろう。真紅もわりと
物事の先を見ているようで、まあ無茶ではない罰の軽さではなかろうか。

「1万回」

「……」

「あさの9時にはじめてね、おわったのがよるの8時だったの。もちろん休みなしよ。
 おトイレに行ったのも2回だけ。ごはんもぬき。ほんとね、へんになっちゃいそう
 だったの」

重かった。まともな学校の先生はそこまでつきぬけた、登校拒否を促すような罰は
科したりすまい。真紅の持つ激の心を計りきれていなかった巴は、うつろな薄笑いを
浮かべる雛苺の姿をただ声もなく見守っている。


謝るより他になし、の意識をもって取りまとめられた場。血なま臭い事態にならない
事を祈るより他になし、という願いでひとつになった少女の部屋。

カラカラカラ… トッ、トッ、トッ

「っ、きたわぁ」

「かくご、きめるの」

「雛苺、水銀燈ちゃん」

かすかに、だが確実に届いてくる、お昼を乗せた台車のものだろう車輪のまわる軽い音、
食器のゆれる固い音。そして愛しのジュンの足音に合わせて刻まれる、処刑人の
カウントダウン。

悲壮な顔つきで身を寄せあっている土壇場のふたりと見届け人ひとりは、冷たい汗と
跳ねまわる心臓をどうすることもできず、赤鬼の到来に身構えている。できれば来て
ほしくないのだろうが、来るものは仕方ないからせめて身構えている。

カチャッ

「おまたせみんな。 ジュンったらのみこみがわる…… 」

嬉しそうな、少なくとも楽しそうな顔をしながら、アヌビスの化身がいよいよおいで
あそばされた。本来ならこのまま和やかに、彼女のご機嫌をそこねる事もなく、後ろに
控えた3段台車を埋め尽くす皿や茶器の制覇に5人みんなで仲良くとりかかるはず
だったのだが。

それを許さない存在が雛苺と水銀燈の手の中で、声で痛みを訴えることもなくただ
じっとしていた。言の終わりをつむぐ前に真紅の目に飛び込んできた、右腕損壊に
みまわれている重症のくんくんが。

「あの、その、真紅」

「えっと、あのぅ、ごめんなさ」

「……っ!」

ゲストをもてなす淑女の微笑みが一転、冷たい手のひらで胸をえぐられたようにびきりと
凍りついた。口元を笑みで固めたままに、眼筋とともに強烈にひきしぼられた真紅の
視線は、激しくうろたえながら必死に言葉をつむごうとしている水銀燈と雛苺ではなく、
まっすぐにくんくんのみを捉えている。

ドンッ!

「うよっ!」

「きゃっ!」

それは一瞬、正しくまばたきひとつの間の出来事だった。呼吸を置き去りにし、弾ける
ような踏み込みでまごつくふたりの元に飛び込むと、真紅はヒステリカルなまでの引き
つった形相で彼女らの持つくんくんを、もぎ取るかのような激しい手つきで奪い
かえした。

「あのね、その、ほんとに、その、ごめんなさぁい」

「ごめんなさいなの」

「ねえ真紅ちゃん、その、あんまりおこらないであげて」

へたりとその場にお尻をついて座りこみ、くんくんを抱いてうつむく真紅の顔は、周り
からは前髪に閉ざされて伺えない。ただ水銀燈と雛苺、巴の語りかけにまったく応えず、
小さな肩をふるふる震わせている。

謝り通しの彼女らは、この奇妙な沈黙を何か恐ろしいものととらえたらしく、ごくりと
息をのみ、すでに失せた血色をさらにもうひと押し薄くした。フォローにまわった巴も
真紅の心に穏便の文字を書き込もうと、必死の様相だ。

各々が先述の強烈な罰と共に思い返しているのだろう、真紅の激情を。さて、出るのは
赤鬼か、魔狼か。流血沙汰はもはや避けられないのか。

「ごめん、ほんっとうにごめんなさいっ!」

「ヒナたちふざけすぎたの。ごめんなさいなのっ!」

この世に生れ落ちてから1桁の齢しか重ねていないにも関わらず、命の危機というものを
目の前にした少女たちは、もうなりふり構ってはいられないようだ。命よりも大切な
ものが存在するのは確かだろうが、そうそうあるものでもないのもまた確か。

「ねえ真紅、そのさ」

美味しい香りのする台車の隣、苦境に立たされた少女たちの様子をかやの外に立って
眺めていたジュンも、どうやら現状はおおむね掴めた様子。とにかく何か言わねばとの
思いに駆られたようで、鉛が足されている空気のまとわりを振り払うかのように、
大雨のさなかのダムのごとき状態の少女に向かい、えいやと口を開いた。

「あー、えっと、ゆるしてあげようよ。ふたりともあやまってるんだし」

たどたどしいがきわめて穏健な発言。のんきそのものではあるが、真紅にとって
おそらく最も特別な存在であるジュンの言葉は、何はともあれ彼女の胸に届くはずだ。
窮地の3人の思いも同じようで、少しばかりだが肩のこわばりがほうっと抜ける。

果たして彼女達の思いは天によって聞きとげられ、無反応だった真紅はジュンの言葉の
後にやっと顔を上げた。ただ、その場の全員にとって、それは思いもよらない事だった
だろう。

よりいっそうくんくんを抱く手に力をこめながら、金色の前髪のカーテンを開けて
想い人の方へと振り返った真紅の顔は、腕自慢が溢れそうな溶岩を押さえこんでいる
ものでもなく、淑女がしょうがないと眉をひそめるため息あわせの困り顔でもなく。

「…………ひどい」

ぽろぽろとこぼれる大粒の涙で頬をぬらした、幼い7歳の女の子のものだった。

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