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「突入開始!!」
みつの、辺りに聞こえないよう、されど力のこもった声が各自装着したスピーカーから耳に響いた。


「行きます」「ああ」
この声に真っ先に反応したのは正面玄関前に潜んでいた蒼星石、巴ペア。2人は息を合わせると、一片の躊躇いもなく玄関に向かって走り、惜しげもなく己の武器を振り抜いた。
この正面玄関というルートは入る場所としては適切だが、侵入という点において使われることは滅多にない。出入りの頻繁な場所は警備が難しく、貴重品や機密施設はここから離れた位置に置くのがセオリーだからだ。
すると、盗賊からの隠し場所としての価値が出るという矛盾が生じる。裏の裏は表。灯台下暗し。
よって今回、みつはこの正面玄関を突破することを決めた。それも、“侵入”ではなく、“突破”である。
だから2人の任務は確かにジュンと白崎の奪還であるが、それに加えて揺動があった。真っ正面から正々堂々、障害物を薙ぎ払いながら進撃する。その脅威は間違いなく、他のチームの助けになるはずだ。
(日本警察が誇る巴ちゃんとローゼンメイデンのエース蒼星石、2人の剣舞士の突撃よ。止められるものならやってみなさい!)
みつがそう心の中で呟いた時、巴が正面玄関にたどり着く。黒く、固く閉じられた鋼鉄の門を前にしても、巴は足を止めることなく突き進む。そしてその後ろにぴったりと蒼星石がついていた。
「柏流参式、菊葉一門!」
巴が僅かに身をかがめた刹那、居合いの要領で抜かれた刀が、突き刺さるような烈風と共にその黒門をいともたやすく粉砕した。
数ヶ月で身に着けたこの剣技。障害物を蹴散らすのに、これほど有効な技もないだろう。だが、父から免許皆伝を受けた弐式までならいざしらず、いかに巴でも行使には瞬間的に全力を出す必要があった。
その後の一瞬の間。振り切った腕。宙に浮いたままの体。よって、巴に次のトラップによる攻撃を避ける術はなく、ここでリタイアする事になる。
蒼星石が、いなければ。
カカカカカ、カン!
門が破られたと同時に巴に向けて放たれた無数の矢は、蒼星石の双剣レンピカが巴をまるで撫でるように舞い全て弾き返されていた。
「よしっ!」
その映像を蒼星石の頭に着けられた小型カメラを通して見ていたみつは思わず声を上げた。突破力のある巴を視野の広い蒼星石がカバーする。一度全力でぶつかり合った2人ならば互いの動きを良く理解していると踏んだみつの予想は見事的中した。
だが、画面見ていたみつの表情が瞬時に引き締まる。自分がしていたもう一つの予想も、的中してしまっていたのだ。
暗視スコープもかねる2人のカメラから送られた映像。その暗闇の中、積まれた機材の上に立ち構える、一人の人影。
(用心棒…!)

カッ!!
「くっ…」
暗闇から一瞬、猛烈なライトがその空間を光で埋め尽くした。2人はとっさに目を閉じる。目くらましを受けても動揺してはいけない。剣を青眼に構え、視覚以外の感覚を研ぎ澄ます。
先程は矢が飛んで来た。ならば今度は。
だが、意外にも2人の下へ飛んで来たのは、
「目を開けたまえ、レディース」
呆気にとられる。その戦場では命とりの愚行を一瞬でもピチカートを除く4人から奪ったのは余りの意外性とインパクト。
積み上げられた機材、木材の上、その頂点に立っていたのは、純白のマントを纏った純白の騎士であった。

「待ち焦がれたぞ、レディース。我が名はヤマモト。“ヒーロー”ヤマモトだ。麗しき戦乙女達よ。讃美されし剣の下、夜明けの光と共に我が腕の中で安らかに沈むがよい」
罠だ。
我に返った巴はまずそう考えた。
不安定な立ち位置からその者に集まる照明、さらに両手を組んでの演説…あまりにもスキが有りすぎる。
頭のカメラの映像からピチカートが解析した分にはトラップは見当たらないと金糸雀は言っていた。なら、あの男に近付くと発動する壁に埋め込まれた発砲装置の類?あるいは、あの瓦礫の中に威力と向きを調節した爆弾?
どの道近付くのが危険ならばここから仕掛けるべき。私の飛太刀をまず撃ち、避けた所を蒼星石の援護を受けながら仕留める。
上の台詞が終わる前に巴はここまで考え、刀を構えた。蒼星石もそれに合わせるように体を沈める。みつと金糸雀も目を光らせる。
ただ一人ヤマモトだけは、気にもとめずに高らかな演説を続けた。
「我が正義の刃の名は“エクスカリバー”。乙女に切り傷は似合わない…だが我がつるぎならばその美しき肢体に傷を付けることなく高貴なるワザをも」スパァン!「あっ」
ひゅー、どさっ。
「………」
「………」
目の前でうつ伏せのまま動かないヤマモトを見ながら無言で固まる2人。するとすぐ蒼星石の耳に雪華綺晶から連絡が入った。
『何やら叫んでいる馬鹿者がいたのでとりあえず撃ちましたが、よろしかったですか?』
「…ああ、問題ないよ。ありがとうローズ7」
いえいえ、と雪華綺晶が答えている間にも蒼星石は部屋を見渡し、3つある内のどの通路に行くべきか指示を仰いだ。
みつはその男が背にしていた通路を選択した。理由は、あの男が背にしていたから。ピチカートは理解出来ないようだったが、金糸雀も同意した。
『Why?』
ピチカートが可愛らしい声で尋ねた。
「簡単に言えば、ヒーローの性かしら」
『Un…It's abstract problem.』
「気にせずいくわよ。ピチカート、引き続き解析を頼むかしら」
『yes,master』
指示を受けた蒼星石は直ぐさそちらに体を向ける。
「じゃあ行こう巴さん。一応警戒しておこう」
「…はい」
今度は蒼星石、巴の順番で細い通路に入っていく。その際、巴は一切の窓の無い部屋の壁に開けられ光を漏らしている先程の弾痕を見つめていた。

「ふう」
一息つきながら、雪華綺晶はボルトアクション式の古びたライフルに次弾を装填した。
「相手が皆、あれほど腑抜けていれば楽なのですが」
特に期待感も込めず、雪華綺晶は呟いた。
今雪華綺晶が居るのは廃工場全体を見下ろせる位置にある山の一角。そこに雪華綺晶はライフル弾と仲間への通信器具、そしてもう一つの機材を持ち込み銃を構えていた。
その機材は各自が付けているカメラから送られる映像をピチカートがデジタル処理し、そのデータを機材から雪華綺晶の頭へと伸びるコードを伝い電気信号として送るものだった。
これにより雪華綺晶は工場の外に居ながらにまるで内部の9人と視覚を共有する状態となっていた。もっとも、それすら今の雪華綺晶には補助的な役割しか果たさなかったが。
再びカビ臭いライフルを構える。生まれつき片方しか開いていない左目で工場を見下ろす。その目は、怪しい金色に輝き、異質の彩を放っている。
昔誰かはそれを、“猛禽の魔眼”と呼んだ。


雪華綺晶の狙撃の直後、工場地下の一室。

「ベジ兄貴」
「ああ、わかっている。準備に入るぞ」
「…お気をつけて」
「気をつけるような状況になればいいがな」
「………」
「後は手筈通りだ。ここで別れる。じゃあな。しっかりやれよ、笹塚」
「はい…さようなら。…では白崎さん、僕と来て下さい。え?ああ、いいんです、あれで。それでは念の為にこのマスクと手錠を…」



激しい発砲音が止み、廊下に薬莢が落ちる音が響いた。
「まったく…しつこいったらねーですぅ。これで何回目ですか」
翠星石が愚痴をこぼしつつ拳銃の弾薬筒を変える。
「予想以上に仕掛けが多いのよ。きっと大当たりなのね」
「でも…これだと時間がかかりすぎる」
「ですねぇ」
その言葉通り、突入合図から3分経過した今現在でさえ、3人はまだ通路を山奥の発電所から伸びる地下通路を半分しか進めていなかった。
その理由が、罠の多さ。
本来直線だった通路は折れ曲がった視界の悪いものとなり、通路の角を曲がる度に矢が放たれ、自動小銃がこちらを向く。
他にも落とし穴、横槍、催涙ガス…先程など天井からマムシが降ってきた。それぞれ雛苺のベリーベルや薔薇水晶のエンジュリル、翠星石のスィドリームを使って超えてきたが、『どこのドリフですかぁ!』と叫ばずにはいられない。
「でも、進むしかないわ」
「ですね。こんだけの罠を張るなら抜けた先にはそれ相応の…と」
曲がり角で身をかがめ、手鏡を使って先を覗いていた翠星石の目が光る。
「やれやれです。ようやくこっから先は一本道になってるみたいですよ」
「嬉しいけど、嬉しくないのよソレ」
「そうですか?まあでもここまでやってくれんです…さあて、最後は何が飛び出すですかねぇ?」
ひひひ、と笑う翠星石。呆れる雛苺。
「まあイタズラ仕掛け人として言うなら、この長い通路にダミー含め今まで以上の罠をお見舞いするでしょうが」
「そんな相手してる暇ないのよ」
「なら、そうするです…あのー、薔薇水晶?むちゃくちゃさっびーんですが」
「大丈夫…私はむしろ暑い」
手に持つ剣に霜が降り、顔面が文字通り蒼白になりながら事も無げに薔薇水晶は答えた。
それはかつて東ティモールで使い、そのまま気絶してしまったエンジュリルに搭載された機能の一つ。周りから熱を奪い、そのエネルギーを出力と化学反応に回して撃ち放つ荒技。
「準備出来た…いつでもいける…」
元々薄い色をしたのにさらに青白くなり、ほとんど動いていない薔薇水晶の唇から僅かな声がした。だがそんな状態でも瞳に宿った熱は一向に冷めていなかった。
「へぇ…じゃ、お手並み拝見といきますか。雛苺、やるですよ」
「はいなの。…ていうかむしろ早くして欲しいのよ。寒くて仕方ないわ」
少し笑ったらしい(表情筋がまったく動けていない)薔薇水晶が、剣を構えた姿勢のまま通路に飛び出した。
途端に飛んできた矢や刃物をベリーベルと散弾銃に変わったスィドリームで撃ち落とす。飛び出してきた銃器も水の散弾で破壊していく。
「クリスタルライト、ブレイカー…」
その隙に薔薇水晶がエンジュリルのトリガーを引く。瞬間、剣身から凄まじい勢いで氷結剤を含んだ衝撃波が弾き出された。
破壊、氷結、破壊、氷結…衝撃により生まれる破壊と熱を化学反応と気圧降下により強制的に凍らせていく。前回撃った時は常夏の国で野外という場面だったが、今回は気温15度の閉鎖通路にスィドリームの水弾の湿気つき。これほどの好条件もない。
筒状の通路をまるで氷の竜巻が突き抜けるような威力に、翠星石と雛苺は半分文字通りに凍りついた。
氷河期を迎えた通路を満足げに(表情筋は動いていないが)見つめる薔薇水晶に翠星石がぼやいた。
「…そんだけ冷たくなってもまだ意識があるですか…しかもこの威力…開いた口が塞がんねーですぅ…」
「きっと凍ったのよ」
その後体温上昇に時間を使い、3人は文字通り滑るようにその通路を渡っていった。 


「こちらローズ5。もう直ぐ左に曲がるわ」
『了解かしら。ならあと7メートル進めば真上になるわ。頑張って』
「ローズ5、了解」
交信を終えると真紅は移動を開始する。といってもそれは狭い通気口を這って進んでいるのですこぶる遅い。だがその甲斐あってかなり内部まで入り込む事が出来た。
正面玄関、地下通路を強引に突破していく他のチームと違い、この2人はまさに怪盗らしい動きをしていた。
相手に気付かれることなく近づいて、ジュンの発信機を頼りに進んでいく。実質ジュンと白崎の救出の本命はこの2人と言っていい。だからフロントリーダーの水銀燈を加えての潜入だった。責任は重い。
「ま、待ってぇ…」
さあいよいよだ、と気合いをいれた真紅がその弱々しい声に脱力する。
「ちょっとローズ1。一体何をやっているの?もうじきジュンの真上に出るわ。早くして頂戴」
真上と言ってもピチカートによれば6メートルは下らしい。恐らく地下にいるのだろう。だが位置が判るのとそうでないのでは雲泥の差だ。
「く、苦し…胸、が…」
頬がピクピクと引きつるのを押さえられない。なるほど、確かにここは狭い。所々に段差やケーブルなどの出っ張りもあるし、私が苦労するなら水銀燈にはかなりキツいのだろう。
(ふん、そんなものぶら下げてるからよ…)
そう考えて、自己嫌悪になった。私こそこんな時に何を考えているのか。今は作戦に集中しなくては。
「…ッんはあ!はぁ、はぁ…お待たせぇ」
「………」
これが『いやぁん♪胸が邪魔して通れなぁい♪』とか茶化されるのならまだ救いもあるが、本気で悪戦苦闘しているのでどうしようもない。これから男を迎えに行くのに幸先不安な…
(だから、そういう事は考えないの…!)
指定された場所に着くと真紅は慎重に通気口の鉄格子を外し、ピチカートに罠が無いか調べさせてから廊下へ降り立った。水銀燈はまたつっかえたが、なんとか真紅に続いた。
「この真下ね…階段かそれに準ずるものを探さないと」
「ふぅ…それにしても、この階殆ど改装されてないみたいねぇ。階段埋めたトラップエリアじゃなければいいけど」
その可能性はなくはない。いくら大々的な工事と言っても時間はそんなになかったはずだ。工場全体に志向を凝らした罠があるとは思えない。
「その時は私が床を抜くだけよ」
真紅は真顔で、真面目に本気でそう言った。
「まったく、ジュンが絡むと物騒なんだから…」
「何か言ったかしら?」
「なんにもぉ。それよりさっさと道探すわよ。床抜きなんかして工場崩されちゃたまんないわ」
朝日がぼんやりと照らす静かな薄暗がりの廊下を、2人はまるで猫のように素早く静かに駆けていった。


(順調だな…)
一旦地下へと潜った細い通路を慎重に進みながら蒼星石は考えた。
このまま直進すればジュン君の発信機の場所にぶつかる。ならば、もう救出できるのか?正面玄関は大穴だったのか?
いや、相手はベジータだ。ベジータがあのヤマモトという男をどう買っていたかは知らないが、このままジュン君にたどり着けるほど甘く無いはずだ。
(例えば…)
いきなり鉄格子が落ちてきて閉じ込められる。…いや、そんなもの巴がいれば何のことはない。鉄板でも同じだ。
催眠、催涙ガスなどの注入。…確かに地下では脅威だが、対応機材は金糸雀から渡されている。問題ない。
ならば、水攻めはどうか。…いや、徐々に注入しては間に合わないし、一度に注げば死ぬ可能性が大きい。地下ならなおのこと。
そんな蒼星石の思考を終わらせたのは、再び小さな上り階段を上がった先に見えたもの。通路の終わり。そして、証明に照らされた広い部屋。
「2人目、というわけか」
もしかすると誘導されたという気もしたが、今更戻る気もない。巴に目配せをして、ゆっくりと部屋に入った。
直ぐに、後ろで通路が塞がれた音がした。そして、2人目が現れた。
「…由奈…!」
「お久しぶりね、巴」
蒼星石はそれが自分達と同じような年頃の娘だった事よりも、巴が知っていた事に驚いた。
「お知り合い?」
蒼星石が尋ねる。何も情報が無い相手とやるのは骨が折れる。だが巴の知人となれば相手のスペックを知っているかもしれない。
「はい…数年前に、一度一緒に仕事をした事があります」
それは行幸だ。味方として戦ったなら戦術をかなり詳しく知っている可能性がある。そんな期待をよそに、巴の表情は硬かった。それが蒼星石を不安にさせた。
「あの子、どんな風に戦うの?」
そう聞いた蒼星石に巴が口を開く前に由奈が答えた。
「そちらの方は始めまして。私、由奈っていいます。今日はよろしくお願いします」
その広い部屋の反対で対峙しているからか、由奈と名乗った娘に緊張の色は無い。
「由奈…どうして?どうしてマフィアなんかに…」
巴が聞いた。
「ごめんなさい…でも、仕方ないの。だから、その答えも兼ねて、そろそろいくね?」
途端に巴が刀を抜いて構えた。それにつられた蒼星石だったが、この距離でここまで巴が警戒する相手。どうしても先に情報が欲しい。
蒼星石はもう一度尋ねようとしたが、出来なかった。由奈が目を伏せ、ゆっくりと開た瞬間、
「「!!!」」
蒼星石は驚いた。画面越しのみつと金糸雀も驚いた。だが、雪華綺晶が一番驚いた。
黒かったはずの由奈の目に光る琥珀色の瞳。威厳と貫禄と威圧に満ち溢れた2つの瞳。
雪華綺晶は茫然と呟いた。
「あれは、魔眼…!」

蒼星石にはその遠く離れた瞳に魅入る暇さえなかった。由奈が両手を広げると同時に、由奈の影が“広がって”きたのだ。
「こ、これは…!?」
「気をつけてください蒼星石さん、来ます!」
何が、とは聞けなかった。由奈の影は部屋の中ほどまで広がって止まった。縦13メートル、幅5メートルといったところか。そして、由奈がゆっくりと優しく呼んだ。
「おいで、“ジャバウォック”」
『ヴァオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!』

「わわっ…!」
「ひえっ!」
船で待機していたみつと金糸雀がヘッドホンを慌てて取る。もっとも、その凄まじい慟哭が伝わる前にピチカートが音量のストッパーをかけたので大事には至らなかった。
常識外れの轟音は工場全土に響き、薔薇水晶達や真紅と水銀燈も耳にした。そこでは音量はやかましい程度ではあったが、その音色に背筋が震えた。
では、巴と蒼星石は。

「ぐ…ありがとう…助かったよ巴さん…

「いえ…」
蒼星石にはそれが『いえ…どういたしまして』なのか『いえ…まだ助かってません』なのか判断が付きかねたが、多分両方だと思った。
雄叫びの寸前、巴は刀を捨てて蒼星石の前で見せ付けるように両耳を手で覆った。蒼星石がそれに習ったのとジャバウォックが吠えたのはほぼ同時。間に合ったのは奇跡的だった。
それでも、
「うぐ…」
猛烈な痛みに声を漏らす蒼星石。さらに、目の前のアレ。アレは、“ちゃんとした”生き物かどうかもわからない魔獣だった。
全身が漆黒で覆われ、かすかに揺らめいている気さえする。犬、と呼ぶには禍禍し過ぎるその容姿。狼?豹?ハイエナ?タスマニアンデビル?
…バケモノ。そう呼ぶしかしっくりくるものは無かった。これは、間違っている。こんな生き物は、いてはならない。
「巴が前見たのは『黒犬』だったわね。今回はこの子。どう?可愛いでしょ?」
ジャバウォックが余りに大きいため、股下から覗く由奈のその優しい笑顔とその魔獣は余りにもかけ離れ、ある種の冗談のように感じられた。
「私の目でもこの子を手懐けるのは大変だったわ。でも一度懐くと私の言うことを良く聞いてくれて、とっても頭のいい子なの。見せようとするとみんな恐がっちゃうんだけど…」
まるで自分のペットの紹介をしているような由奈の口調。けれど蒼星石はそれが自然に感じられてしまった。それほど、由奈の目は絶対強者の威厳を醸し出していた。女の子の柔らかな表情の中で。
「でもね、この子がいるためには沢山のエサがいるの。生きてる動物が。この子、とっても食いしん坊だから。
だけど…そんなにエサをあげられる場所が、私の世界には無かったの。だから…」
「だから、マフィアに…?」
巴が聞くと、由奈が悲しそうに頷いた。
「ごめなさい巴。私、どうしてもこの子を見捨てられないの。私はこの子の母親も同然だから…私が目で呼んだ子達は、みんな私の子供なのよ」
由奈がふと視線を逸らして壁の電工盤を見た。重苦しい威圧から開放された二人はすぐさま武器を取り、構える。
しかしその剣先は、一向に止まってはくれなかった。
「わっ…凄い。あの3人、もう地下通路を抜けて来てる…流石は巴の仲間ってとこなのかな」
由奈がこちらを向く。心臓が握られる心地がした。
「じゃあ、私は行かないといけないから…ごめなさい。頑張ってね、巴。それと、巴のお仲間さん」
蒼星石はその声から嘲笑や蔑みの意は汲み取ることはできなかった。
由奈が部屋から出てゆく。その去り際に、たった一言言い残して。
「やりなさい」
悪夢が、吠えた。


薔薇水晶達は通路を抜けるとみつの誘導に従い確実にジュンに近づいていった。途中で現れる罠も地下通路程のものは無く、雛苺と翠星石の護衛で防ぎきれるので薔薇水晶は強気に工場を走ることにした。
何より、先程の声…いや、声と呼んでいいのかすらわからない音に焦りを感じていたのだ。あんなモノが、無防備なジュンの近くにいるとしたら…薔薇水晶の右目の高式眼鏡の下の瞳がこわばった。
「!」
通路を曲がった先に牢屋のような場所が見える。恐らくは、ここにいる間ジュンと白崎を拘束していた場所。
右目の高式眼鏡にはジュンの発信器の位置が細かく表示されている。ジュンはあの下3メートル…敵の気配は無し…強引でも下る手段があれば、いける。
その時、それが聞こえた。

真紅と水銀燈もなんとか一階まで降りることに成功していた。だがジュンのいるのは地下、どうしてももう一度下がらないとならない。
「ん…」
水銀燈が階段を見つけた。あの下は…ジュンのいる場所にかなり近い。近い、が。
「どう思う真紅?」
「…五分五分かしらね。出来ることなら、遠慮したいところだけど…」
何か匂う…そう思って水銀燈が一歩踏み出した時、それが聞こえた。

『誰か、誰かいるのか!?』

((ジュン…!))
ジュンの声。久しぶりに聞く、ジュンの声。その不安そうではあるが元気な声に、乙女達は胸が熱くなるのを感じた。
みつと、金糸雀以外。
「ッ!?」
2人が感じていたのは…戦慄。
背中を恐ろしいものが這っているような、おぞけが全身を駆け巡る。
吹き出る嫌な汗。体が揺れるほどの鼓動。驚愕に見開かれた二人の目。
その原因は、ピチカートが画面に表示したたった一言。

『art sound(人工音声)』

「罠よ!!止まって!!」
みつは必死にマイクに叫んだ。
答えたのは、非情な爆発音だった。

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