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薔薇乙女家族 その七

 まっさらなノートは純白の輝きを見せる。白の輝きはあらゆる光を跳ね返してこそのもので、何一つと受け入れる事はしない。
 純白が汚れを知らないのは、全てを跳ね返すからだ。まるで自分以外の全てを恐れているようで、少しでも受け入れられないものはいつまでも跳ね返し続けようとする。
 白は清潔感のある色だとよく言われるが、同時に反発的な意味合いもあるのはこういった事からだ。

 今、彼女はその純白を汚そうとペンを握って、そのノートをじっと見つめていた。
 白は全てを跳ね返す。何も受け入れられないから、何も知る事ができない。真っ白なそれは、彼女の心の象徴でもあった。
 いつまでも真っ白な自分を装うのは、偽りを自らの意志で作りあげてしまう事であり、それは自分の辿るべき道筋を隠してしまう事だ。彼女の信じる正義に反する事だ。
 だから彼女は、その真っ白なノートに記憶と想いを刻み込むのだ。

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 朝、夜の空気の冷たさは相変わらずだが、雪が降る日はもうあまり見られなくなってきた。空も青空が広がって、凍えそうになる雨を降らした灰色の空はもうそこにはなく、暖かい太陽が大地を明るく照らして、奥底で眠る命を育んでいる。
 芽吹きはまだ遠い。だが、傍らの木々、野草に滴る雫がキラキラと光るのを見ると、それが土の中で眠る命の姿に思えてくる。大地の恵みに天の恵みを受けてきた緑だからであろうか、実に鮮やかな艶を見せていた。
 その輝きは、“生きている”という事を健気に、かつ控えめに人間達に知らせているみたいだった。
 雫は葉を撫でる様に滑っていき、ぴちゃんと音を立ててはじけた。水たまりに波紋をいくつも作り、水の鏡が歪む。水たまりに映っていた顔も輪郭を歪め、彼女の泣きぼくろの位置もふっと隠れた。 

 それを見届けると、彼女はすっくと立ち上がった。
 時計は、昼にはまだ余裕があるが何かをするには足りないという中途半端な時間を指しているのを見て、彼女はため息を一つついた。時間のつぶし方の要領を得ない彼女にしてみたら少し退屈なひとときになりそうである。

 ―――今日は休暇だから、たまには外をぶらついてみよう。

 何の前触れもなくいきなりそう思い立ったものだからこうして外出してみたものの、こういう中途半端な時間を都合良くつぶす事は考えていなかったものだから、さてどうしようと思った。お腹が空くにもまだ余裕がある。
 そうしてぼんやり考えてから数秒のち、彼女はまた歩き出した。

 ―――別に考える事もない。お腹が空いたその時に考えれば良いだけの話ではないか。

 彼女は道筋の定まらぬ、勝手気ままな散歩を続ける事にした。

 道端に戯れる猫の群れを傍目に歩いているうちに中道を抜け、県道に出た。歩道の傍らにはよく手入れがされているきれいな丸の形をした緑のぼんぼんがこしらえられていて、その根元にはささやかな花がちらりと見え隠れしてる。
 バスやタクシーや大型トラックがぶんぶんと行き交うけたたましい無限の空間に咲く一輪の花は、本当にささやかであるがしっかりと生きている。
 その何気ない命が何を感じて何を考えているのかは知る術は無い。おそらく今後とも見つかる事はないだろうと思うが、“サボテンはテレパシーが使える”という話があるのを思い出したら、案外もしかすると…等とも思ってしまう。
 花がくねくね揺れ動きながら口を利くのは想像しただけでも不気味であるが、物語とかでたまにお目にかけるように、超能力者が手をかざすだけで花と会話ができる…とかそういうものには惹かれるものがある。そうして花と会話ができたらまた楽しそうである。 

 そんな事を考えながら緑のぼんぼんにも別れを告げた彼女は、とりあえず自分から見て手前側である左車線を走る車を追うような形で歩き始めた。それはちょうどアーケード街の方面である。
 さっきのとはまた別の緑のぼんぼんをたどる様に歩いていくと、中道とは違って人が多い事に気が付いてくる。手をつないでいる男女、何人か集まって談笑しながら歩いてる男子達、買い物袋ぶら下げている主婦(と思われる)と様々だ。
 今日は休日という事もあってか一層の賑わいを見せているみたいで、そこが平日との一番の違いであるのかもしれない。平日が職場の休日だという人もいるだろうがそれはおよそサービス業に限られていて、一般的な企業ではやはりこうしたカレンダー通りの休みが普通だろう。
 サービス業に従事する人達は、皆に休息のひとときを与える為に今日も頑張っている。皆が遊んでいる中仕事をし、皆が仕事している時に休む、そういう人達だ。
 この世は常に、いつ何時であれ、誰かが誰かの為に必ず働いている。だからこの世の中は潤滑に回るのだと思うと、人間という生物のスケールの大きさを感じた様な気になるのだった。

 人の密度はアーケード街につくや一層に増してきた。



 ―――来る所を誤っただろうか。

 ぼ~っとしながら歩いていたら、ずいぶん面倒な場所に来てしまったみたいだと彼女は思った。右を向いても左を見ても人ばかりで、満足に歩く事もできない。
 引き返そうかと思ったが、時計を見てみるとあと十数分で正午になるところだった。このままここから離れるのもなんだから、ついでにここいらで腹ごしらえしようと考えを改めた。
 人と人の間を歩き抜け、横断歩道を渡りきった所にちょうどそれはあった。

 そば ~四季の音~

 看板にはそう書かれている。
 ここに来るまでも食べ物屋はあったがそれらは都会らしさ漂うファーストフード店、利用するのはためらわれた。
 となると、ここいらがやはり無難な線だろう。
 彼女はさっとのれんをかき分け、店内に入った。
 客は意外と多く、席はカウンターの一つ二つ程度しか空いていなかったので、彼女は真っ直ぐにその席についた。

 「失礼します」

 暖かいお茶が差し出された。その香りや温もりはひとときの疲れを癒やしてくれるが、周りの人のしゃべり声を始めとした乱雑な音は耳に不快感しか与えてくれない。早いとこ出ようと彼女は頭の片隅に思った。
 お茶を一口、一息つけると“お品書き”へと手を伸ばし、それを片手に適当に注文する。そして出された物を味わって食し、さっさと勘定を済ませてその店から出てしまった。

 ―――場所を変えよう。

 彼女はそこから足を遠ざけた。

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 アーケード街から少し離れた箇所となると、光の影というのをちらほらと目にする。旧道のさらに中道の方にそれてみるとそれは顕著に見られる。
 営業しているのか潰れているのかも分からないスナックが隣り合わせで並んでいる。中には“都合により休業します”という貼り紙をした店もあり、人気も感じられない所を見ると、大半はすでに店でなくなってしまっている様子である。
 割れたスナックの看板を尻目に歩くと、軽い登り坂にさしかかった。ここらは山の麓であるから、これより先に行くと登山道を行く事になりそうだと思った彼女だが、山の足元に所狭しと並ぶ住宅を見て何を思ったかやがて登り始めた。
 山の鬱蒼とした草木が住宅の間と間に見え隠れしている。その中にささやかな花がゆらゆらと揺れ動いていた。

 登り登っていくと、ひどく傷みの進んでいる家があった。
 雑草や蔓に蝕まれている様から見て、人が住んでいるとは思えない。人が引き払った後、誰の手にかかる事もなかったのだろう、完全に寂れてしまっている。
 きっと数十年前には人が住んでいたのだろう。周辺の人達とも触れ合いながら、この家は今よりもずっと輝いていただろう。
 時の流れの儚さを感じる。輝いていたのが何かを境に風化していった様を目の前に、彼女は立ち呆けてしまった。

 ―――まるで私みたい。

 彼女は“彼”と出会ってから毎日が楽しかった。彼の特技であるお裁縫(彼は恥ずかしがっていたが)を見ているのも好きだった。普段見せない一面を垣間見て、彼をまた見直した事もあった。

 彼が好きだったから…彼と一緒にいるのが楽しかった。
 だけど彼は自分を、どう見てくれているのだろう。

 彼が学校に来なくなったあの一時に、彼女はその答えを知った。
 彼は…銀色の長い髪をしたあの女の子の後ろ姿を常に見つめていたのだった。
 彼女は彼の自宅の門を幾度となく叩いたが、彼はただの一度も姿を見せてくれなかった。だがあの女の子は違った。
 あの女の子が手を引いて学校に連れて来たのは見間違えるはずもない、彼自身だった。
 それを見た瞬間に、彼女の中のひび割れていた輝きが静かに砕け散り、風に流されて消えていった。
 そうして彼女は彼に近づく事さえもできなくなり、やがて姿を彼に見せる事もなくなったのだった。

 しかし…それでは、自分は彼とのめぐり逢いを果たしてどう思っているのか?

 そう考えてみると、彼女は考えが少しだけ変わった様な気がした。
 叶わぬ恋に心が揺さぶられ、冷静さを欠いたりもしたが、彼との出会いが無かったのならば今の自分もいないはずなのだ。

 ―――彼に会えて良かった。

 そう、自分はこのまま朽ちていくわけにはいかないのだ。
 叶わぬ恋だが、自分は彼の事を…今でも………。
 だから、前を見据えなければならないのだ。

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