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どうも今日は耳鳴りがひどい。

私はいつもの川沿い散歩ルートを歩きながら、脳髄に直接響いてくるようなテレビやラジオから流れるノイズに似た単調な雑音に頭を痛めていた。
この症状は半年に2、3回ある事なのだがどうも慣れない。
目を閉じても耳を塞いでも聞こえる不快音というものが生理的に駄目、という事もあるのだが、もっとも厄介な事は偶然にも『合うはずのない、ある一定の周波』に波長が合ってしまうことなのだ。
『……けて、痛い……』
雑音の中に今のような『声』が混じる事がある。特に車通りの多い交差点、散歩している川沿い、山……要は、ヒトが死にやすい場所だ。

あれは死者達の残留思念。
私はあまり幽霊を信じない質なのでそう判断している。
『……るしい。冷た……』
あぁ、欝陶しい。

私に助けを求めたところで遅いのに。あの『残留思念』は自分が死んだ事に気が付いていないのだろう。
かといって私が今更何かを、例えば死体を掘り返したり、お経やら十字を切ったところであの『残留思念』は自らが死んだ事に気が付くだけだ。

タチが悪ければ私まで死者の世界まで引き摺り込まれてしまう。

もうああいった体験は御免被りたい。

過去、私の中途半端な親切心からある『残留思念』に関わった事で厄介な事態になった。
簡単に説明すれば、翠星石が桜田ジュンに暴力を振るい始めたり、水銀燈が脱ぎ出したり、蒼星石が愚痴り始めたりと……要は皆が酔ったように、本能のまま行動を始めてしまった事があったのだ。

……あまり大変には聞こえないかもしれないが止めるこっちは大変だったのだ。

「トモエー、川なのー」

聞き覚えのある声が下の川原で聞こえる。ちょうどここは小高い土手の下に川原があり、誰でも川に入り遊べるようになっている。

そう、誰でも。

「あんまり水に入っちゃ駄目よ、雛苺」
やはりあの声の主は雛苺だったらしい。一緒にいるのは薔薇水晶に「巴投げ」を授けた雛苺の家主だろうか。
「冷たいのー」
「ほら、びしょびしょになっても知らないわよ」
どうやら二人も川原へ散歩に来たのだろう。雛苺にちょっかいを出したい所だが、“トモエ”と呼ばれた家主がいるのでは分が悪い。私はまだ「巴投げ」の攻略法を編み出してはいないからだ。

それに散歩を途中で止めるのも癪だし今日はこの雑音がある、と私は歩きだした。こんな日は早く家に帰って甘いモノを食べるのに限る。

「ほら、トモエー! 」
『……しい、寂しい……』
「こら、雛苺冷たいッ」
『……ここは冷たくて寂しいの。一人は嫌なの。ひ……は……や……』

足を止めた。冷たい氷が脳裏に突き刺さるような感覚がダイレクトに伝わる。

あの『残留思念』は誰かを求めている。今、足だけとはいえ川に入っているのは雛苺だけだ。
『彼女』は一人は寂しいと言っていた。
残留思念に理屈なんて存在するものか。
『彼女』は雛苺を……。

「うっ……足が引っ張られるの……」
「雛苺? 」
私は無我夢中で土手を駆け降りた。
このままでは雛苺が『彼女』に連れ去られる。私ですら雛苺を食べていないのに私を差し置いて頂こうとするなんて図々しいにも程がある。

「雛苺ッ! 」
私は叫んだ。川原の石に躓いたが、転んでいる暇はない。
「水の、中に、引っ張ら、れるのー! 」
ずるり、ずるりと雛苺の身体が一歩、一歩水の中へと後退してゆく。
「雛苺、手を伸ばしてッ! 」
「雪華綺晶ぅ! 」
雛苺の小さな手をしっかりと掴むと私は彼女の軽いはずの身体を引っ張る。
「雛苺ッ!? 」
と、我に返った彼女の家主もか細い手をしっかりと掴む。
(二人がかりでも引き摺り込まれるか)
ギリギリと骨が歪むような感覚に私は唇を噛んだ。
「腕が千切れちゃうのー!! 」
「雛苺、我慢ですわッ!」
『……みしい……寂しい……』
『彼女』の悲鳴に似た声か頭に響く。雛苺の身体は既に膝下まで川の中へ浸かってしまった。嗚呼、まったく、靴を水没させて薔薇水晶にまた怒られてしまうではないか。
『……ょに……一緒にいよう……』
ともかく『彼女』の動きを止めなくては雛苺までこの残留思念の仲間入りをしてしまう。私は痺れ始めた腕に必死に力を込めながら頭をフルに回転させる。
要は『彼女』を止める、彼女の動きを妨害する何かが欲しいのだ。
かといって『彼女』は世間体で言うのなら霊体、殴って解消出来る状況ではない。この際、数珠でも十字架でもいい何か……。

……あった。

痛い、痛いと泣き叫ぶ雛苺を押さえつつ、私はトモエさんッ、と叫ぶ。
「トモエさん、私の胸元のネックレス! 銀のお姉様に貰った十字架のネックレスを取ってくださいッ! 」
「ネックレスッ!? 分かったわ」
と、雛苺のマスターは胸元から私の服に手を突っ込むと銀のネックレスを引っ張った。
あ、まずい。首が閉まる気がしてきた。それでは私の方が先に残留思念の仲間入りだ。
と思っていると、カチリ、と器用に片手で銀の十字架の部分だけを雛苺の家主は取り、引っ張っていた私と雛苺の握っている手の中に捻り込ませた。
どうやら思った以上に彼女はテクニシャンらしい。
「雛苺ッ! その十字架を足元に投げ込んでッ! 」
「わ、わかったのー」
雛苺は銀の十字架を足元へと落とした。

ブチンッ!!

と頭に何かが切れた音が響いた。
途端、雛苺を引っ張っていた『彼女』の力は消え失せ、引っ張った力のみが残り、私達は川原の方へと崩れ落ちた。
「あ、ありがとうなのー、トモエ、雪華綺晶ぅー」
「ど、どういたしまして……」
私は服に染み渡る冷たい水を感じながら力なく答えた。
……銀のお姉様に貰った十字架のネックレスは無くしてしまったが雛苺を失わずにすんでよかった、と私は心からそう思った。
モノはまた貰えるが、雛苺はここで失っては二度と還ってこないのだから。

「き、雪華綺晶さん……」
先に起き上がった雛苺の家主が私を覗き込む。何やら顔が青い。雛苺も心配そうに私を見つめている。心配するのは雛苺の方なのに。

「あ、あの眼帯から……血が……」
あ、と私は声に出して呟いた。生ぬるい体液が眼帯に隠れた眼から流れだしていたのだ。

再び耳鳴りがひどくなる。
『アナタモ、ワタシト、イッショノ、ハズナノニ』

脳髄に再度『彼女』の声が響き渡った瞬間、私の意識は一瞬にして黒く反転した。



『残留思念 上』

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