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第九話


「……………………」


暑い、眠れない。
クーラーは……止まってるのね。
確か、3時間タイマーをかけていたのだったわ。
薄いタオルケットを腕で払いながら、枕もとを探る。
こつ、と指先に当たる固い何か。
豆電球を付けているけど、寝起きだからよく見えないわ。
手のひらで握るように感触を確かめて、ようやくそれが携帯電話だと思いだす。
時間は、ええと。深夜1時半。
いやな時間だわ、早く寝たい。
けど、ノドが渇いてしまった。
本当はこのまま寝てしまいたいけれど、自覚してしまったらそうもいかない。
あんまり動きたくないけど、冷蔵庫まで行って飲み物だけでも。
どうせこの時間なら、誰も起きてはいないだろうし。
お肌にも悪いから、早く済ませて寝てしまおう。
明日は休みだけど、規則正しい生活を送らないと淑女とは言えないわ。


「う……」


何が原因なのか知らないけれど、私は昔から暗い場所が苦手だ。
ひとりで寝られるようになったのは、恥ずかしい話、中学生になるかならないかのころ。
それまではずっとお父様と一緒に寝ていたくらい、暗いのが怖い。
ようやくひとりで寝ることができるようになっても、まだ豆電球を消すことができないでいる。
そんな昔の話を思い出しながら、改めて目の前にある暗い廊下を見渡す。
月明かりが強いのか、影ができるほどの月光が廊下を照らしてはいる。
けど、昼間より暗いのは当然。
廊下の天井にも電球はあるのだけれど、ここ最近のエコ活動がこの寮にも入ってきているせいで、今は光は点いていない。
つまるところ、光は月光だけが頼り。
これなら、飲み物は我慢してこのまま寝たほうがいいかしら。
あんまり起きていても良いことはない。
けれど、ノドの渇きは治まらないし、何より暑い。
少しでも体を冷やしたい。
結局、この暗い廊下を歩くしかないのね。
左手を壁に沿えながら、ゆっくりと階段に向かう。
視界ゼロというワケではないから、何かにつまづくこともないと思う。
階段を降りきるまでの時間をやたら長く感じて、私はようやく談話室のドアの前まで来ることができた。
このまままっすぐ行けば、すぐ台所だわ。
深呼吸してから歩き出そうとしたとき、談話室からテレビの音が漏れていたことに気付いた。
こんな時間に、誰か起きているのかしら。
不思議に思って、私はゆっくりと談話室のドアを開く。
そこには、ソファーに座っている誰かが、部屋の電気を点けずにテレビを見ていた。


「誰?」

「ん? ああ、真紅か」


人影はジュンだった。
ジュンも眠れなかったのね。
こんな時間にひとりで、しかも電気を点けずにテレビを見ているなんて。
私は少し安心してしまった。
心細かったのは本当だから、誰かが起きているとわかったって安心したのも本当。
私、こんなに怖がりだったかしら。


「眠れないのか?」

「え? ええ、そうね。ノドが渇いたの」

「そうか」


ジュンは「座ってろよ」と私に言ってから、台所に行ってしまった。
エアコンを冷房設定で付けていたらしい。
私の部屋よりも、談話室は涼しかった。
自分でもよくわからない感覚を実感しながら、さっきまでのジュンにならって、ソファーでテレビを見る。
思えば、こんな時間にテレビを見たのは初めてかしらね。
普段から見ている番組とは違って、少し違和感があるわね。


「ほら、これ」

「え?」


突然ジュンから渡されたのは、冷えて結露が始まりかけていたグラスだった。
紅茶とは違う、少しスッとした香りのする飲み物。
カランと動くロックアイスが、涼しい音を響かせた。
緑茶とは明らかに違っていて、紅茶とも違う不思議な香り。落ち着く香り。
これが何なのか、まだ寝ぼけている私の頭ではよくわからなかった。


「アイスハーブティーってヤツだ。この間、姉ちゃんに頼まれて淹れたんだよ」


真紅にやらされてお茶の入れ方は覚えたからな、と言い訳して。
ハーブはどこからとか、言いたいこと聞きたいことはいろいろあるけれど。
とりあえず、今は置いといてあげましょう。
下僕の心遣いを無駄にするのは、淑女らしからぬ行為だわ。


「そう。少しは下僕としての自覚が出てきたのかしら?」

「違うって言ってるだろ」


普段とは違う、妙に穏やかな口調。
やっぱり、なんだかんだ言いながら下僕としての自覚は出てきたみたいね。
入学式の日にすぐに選んだのは正解だったかしら。
半分は宝くじな気持ちで言ったけれど、当たりを引いたみたい。
まァ、この真紅の目に狂いはないのだけれど。


「それ飲んで、落ち着いたら寝ろよな」

「……ええ」


少し甘い。
ミルクティーとは違うけれど、これはこれで良いものね。
スッとした後味が好みかもしれない。
グラスに入ったお茶ひとつで、あんなに熱かった体が、少し冷えてきた。
この部屋が涼しいのもあるわね。
程よい心地だわ。
それに、「暑い」が「暖かさ」に変わっていく。
ああこれは、昔お父様に抱かれて寝た時に似ている。
そうね、ずいぶんと懐かしい話だわ。
お父様、今はどこにいるのかしらね。
きっとヨーロッパあたりを歩いているのだわ。


「 真紅? ここで寝たら……ちゃんとベッドへ 」

「 ……ええ 」


今は遠い、イギリスでのお話。
蒼星石と初めて逢ったのもあの国だったわね。
いろんな場所へ連れて行ってもらったわ。
どこかの宮廷や、ロンドンの時計塔。
少しの間だけ、女の子の家にホームステイしていた時もあった。
そばかすが少し目立つイギリスの女の子。今はどうしているのかしら?
私が大切にしていた鍵を口の中に入れていた猫、今でも許せないわね。
あの細い目や牙は嫌い。
そういえば、前もこんな風にお父様と一緒にお茶を楽しんでいたことがあったわ。
こうしてソファーに座りながら、薄い光の中で。


「 仕方ないな 」


ああ、ゴメンなさいお父様。
私はもう眠くなってしまったの。
きっと良い夢を見るわ。
でも、こうしてお父様に抱かれてベッドに行くのは、いつ以来かしら。
たしかそう、小学校のころ。
懐かしい。
こんな気持ちになれたのだから、これから見る夢も、きっと素敵なものになる。
幸せだもの、間違いないわ。
だから……、


「ん……あら?」


私、いつの間にベッドで寝ていたのかしら。
しかも私の部屋じゃない。
客間、かしら。
でもジュンはいないわね。
どういうことなのかしら。
丁寧にたたんであったカーディガンを肩にかけて、ドアを開ける。
朝の涼しい空気が、どこからか流れ込んできた。
ドアを開けると、窓から差し込んでくる光が談話室を照らしていた。
まるで木漏れ日のように。
ジュンはどこへ行ったのかしら。
ソファーを見ると、割とあっさり見つかった。
ジュンはそこで寝ていた。
なにもかけずに、外したメガネをテーブルの上に置いて。
ジュンがこんなところで寝ている理由を考えて、昨夜のことを思い出した。
私、いつの間にか寝てしまったのね。


「ま、下僕としてはまずまずの働きね」


ひとつため息。
私は部屋に戻る。
こんなに気持ちの良い朝だもの。読書にはうってつけだわ。
本格的な夏も近いけど、まだ朝は少し冷えるわね。
ひざ掛けも出さなくちゃ。
昨夜とまったく違う、明るく照らされた廊下を戻って、階段を降りる。
足取りが軽い。
今日は良い日になりそう。
時間はまだ朝の5時。
早起きしたらみっつも得をする国らしいし、良いこともありそうね。
ひとつ目は何かしら。
やっぱり、翠星石と蒼星石の作るご飯の香りね。
ふたつ目はそうね。
水銀燈の寝ぼけ顔をからかえることかしら。
最後は……、


「……たまには違う場所で本を読むのもいいわね」


ああ、最後のは思いつかないから、ジュンの寝顔でも楽しむとしましょう。
リズム良く聞こえる階段を降りる音と一緒に、蒼星石の挨拶がドアから響く。
ガーデニングが朝の日課になっている翠星石は、今は庭で薔薇の手入れをしているようね。
となりにいるジュンに気づいたのか、蒼星石は声の音量を下げた。
うとうとしながら私を運んだみたいだし、疲れさせてしまったわね。
ジュン、ゆっくり寝てなさい。
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