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『Dolls' House 第三話 こうこうとあかりんごあめ』

 やれやれ、だわ…
 真紅は溜息をついた。手元には黒い何か。最早「何か」としか形容できないもの。それが銀紙におさまってぷすぷすと燻っているのだった。
「真紅、お前という奴は……本当に、ここまでくると哀れなムスメですぅ」
「真紅……どうやったら、こんなに黒いものが出来るんだい?」
 憐憫の眼差しを向けてくる翠星石と蒼星石の手元には、ショコラマフィン。綺麗で美味しそうで、且つ無害そうな茶色をしている。真紅の炭素の塊とは大違いだ。
「……うるさいわね、余計なお世話なのだわ」
 真紅は眉間にシワを寄せて、炭マフィンを見つめた。
 調理実習の一コマである。
 担当教師が完成度を見にきて、マフィンになる予定だった毒殺兵器に息をのんだ。
「……真紅さん、が……頑張りましたね。先生は分かっていますよ」
 一つ頷いてから、教師は足早に立ち去っていった。何が、何が分かったというのだろうか。問い質すいつもの気力は真紅に残ってなどいなかった。
「どうして、いっつも食材っていうものは言うことを聞かないのよっ……!」

 真紅は、見ての通りの神がかった料理音痴である。今の時代料理を炭にするようなひとはいないのに、彼女のある種天才とも言い切れる腕によって途端に生き物が摂取するのに不適切な物質に変えられてしまう。
 そのテクニックは、かの有名な有栖学園調理同好会(名ばかりだ。実状は食物兵器実験室)に神と崇められスカウトが毎日途絶えないほど。勿論彼女は「心外なのだわ!さっさと諦めなさい!」と必死に拒絶している。
 毒牙にかかったものは身内でも死の危機に追いやる。泣く子も黙る、恐怖の料理人。それが有栖川町八人姉妹の五女、真紅だった。


 さて、食物処刑タイムも終わり、午後の授業は修了だ。
 教室に帰ってきた生徒達がガタガタと机を動かす音がそこらじゅうから沸き上がり、真紅は自身が弁当を持って移動した。
 向かう先には一人の少年。
「いつまでボサッとしてるの。早く準備なさい、ジュン」
 真紅は少年、ジュンの机の上に少し乱暴に弁当と紅茶のペットボトルをおいた。ボーッとしていたジュンは目の前の真紅に気付いて「え、ああ、分かったよ」と頷いた。
 二人はいつも一緒の机で昼食をとっているのだった。周りからは多少囃し立てられはするものの、二年になってもこの関係が続いているのだから、もう公認の仲といってもいいほどだった。
 …しかし。しかしこの二人、付き合っているとかいないとかそういう浮ついた話には一度もなったことがなかったのだった。
 真紅はジュンのことを下僕だと言い張り、ジュンは真紅のことを幼なじみだと言い切り。ことは全てジリジリと停滞するのみだ。
「あ、ところで真紅」
 ジュンはそこで余計な一言を呟いた。
「おまえ、炭マフィン作ったんだってな」
「………………ッ」
 真紅の逆鱗に触れた瞬間。

「だまりなさぁあぁあああぁぁい!!」ぴしゃぁぁんごろごろごろどっかーん。

 タイミングよく雷鳴が轟きジュンが恐ろしさのあまり縮こまり、やっと元の体勢に戻れた頃には真紅はもう何処にもいなかったという。


「で、結局こっちに走って逃げて来たんですねー真紅」
 分が悪そうに顔をしかめつつ弁当を平らげた真紅は、口づけていた紅茶のボトルを勢いよく離してダン!と机に置いた。
「違うわ、何で私が逃げなきゃならないの!第一、私にはジュンから逃げる理由なんてないわ!ただ、私は」
「だいたい、おかしいですぅ。いっつも翠星石達が真紅の料理ベタをネタにしてもあんまり怒らなかったのに、そんな走るくらい切れてるんですか」
「私はっ……」
 真紅は口籠った。
 彼女は先程のジュンの余計な一言に切れに切れた挙げ句、結局翠星石と蒼星石のいるとなりのクラスにやって来たのだった。
「そうね、そんなに怒ることじゃないわ…元々は私のせいなのだわ」
 緩く頭を振る。ご自慢のツインテールが気怠げに揺れた。
「うーん、取り敢えず、喧嘩はしていないんだよね?じゃあ戻っても大丈夫じゃない?」
 蒼星石は柔らかい物腰でそう言った。真紅もそれに頷こうと……したが、できなかった。
「……」
「そうですぅ。さっさと実家に戻ってちび人間とじゃれ合ってくるですぅ」
「そんなんじゃないわ!」
 やはり真紅はムキになってそう返すのだった。
「私は、ここに来たいから来たのよ!追い返すなんて無礼なのだわ」
 腰を浮かしかけていた真紅だったが、良く分からないノリによってまたここに居座ることになったのだった。
 空模様は嫌な予感、降り出した雨は強くなりそうである。



 記憶を辿るのは、深海に潜っていくのと似た感覚だと思う。
 ごぽごぽ、頬を撫でていく思い出の水流。眼にはしみない。何故だろう。
(……駄目だよ、僕は)
(そんな事…ないのだわ)
(いや、こんな………が皆に)
(違う、違うのだわ。だって貴方の指は)
 思い出せないんじゃないわ。違う。私はきっと知らないふりを、気付いていないふりをしてるのだわ。
「(私は何を。私は何を考えて、想っているの)」



 がたがたと一際強い風が教室の窓を揺らした。
 部屋の中は嫌がらせのような熱気が満ちている。夏に雨、それも豪雨。気温が高い分、梅雨より凶悪だわ…と真紅は辟易した。
 さて、気圧は益々下がり、天候は大荒れ、遂には強風まで参戦してくるという台風到来のような状況だ。
「暑いわ……」
 教室は薄暗く、外からの明かりも頼りない。これで正午をちょっと過ぎただけとは信じたくなかった。クーラーもついていない。だから余計に蒸す。
 しかしクーラーをつけようとする生徒は誰もいなかった。蛍光灯すら誰も点そうとしない。何故か。理由は単純だ。
─────有栖川町一帯が、この強風で停電してしまったのだ。
「最悪、なのだわ……」
 この騒ぎで町はパニック、教師陣も生徒を帰そうか帰すまいか議論中。おまけに四限(真紅のクラスは世界史である)は教師が会議に出たためストップ、教室は半狂乱だった。
 どう考えても最悪の事態。何をするにも憂鬱で仕方がない心境に陥ってしまう。
「もう……髪が重いのだわ」
 真紅のご自慢のツインテールは床に着くまでの長さで、湿気によってそれの弾力がぺなりと失われてしまっている。いつもはそれを鞭のように使うことだって出来るのだが、これではもう箒にも使えないだろう。
 ふと彼女が視線をずらした先。ジュンも同じようにグデンと机に体を預けていた。彼は視線に気付いたのか、なんだよ、と真紅を睨んできた。
「!」
 それに対して彼女自身よく理解できない感覚が体の奥底を襲ったので、真紅はジュンを睨み返して前に向き直り、世界史の教科書を広げた。
 どうして、とまた彼女の中に問いが生まれる。
 どうして私は。……でも、問いはそこで必ず途切れてしまう。彼女はどうしてもその先の言葉を紡げなかった。
 開いた教科書は見栄えのしないもので、ジュンと雑談している方が絶対にましな筈なのだが、こうなってしまうと真紅はもう世界史の教科書と見つめ合っているしか出来ないのだった。勿論ロマンスは始まらない。
「……お待たせ。先生帰って来たぞー」
 がらっとドアが開いて、世界史担当の梅岡が入って来た。
「今日の五限以降の課程は無しだ。生徒は気をつけて下校するように!怪我したら先生泣いちゃうぞ☆」
 気色悪い男がそう言い終わるや否や、教室は外の轟音に負けない歓声が満ちあふれた。


「ひいやぁぁああぁぁああああ!」と翠星石、
「みぃんなぁぁ、きをつけてぇぇぇえぇ!」と蒼星石、
「ヒナ飛ばされちゃうのぉぉぉ!!」と雛苺、
「わたくしがぁ捕まえてみせますわぁぁああぁぁ!」と雪華綺晶、
「…………アッガイ!!」と薔薇水晶、
「髪が、かみがひきちぎられるのだわあああぁぁぁあああぁあ!!!」と真紅が絶叫した。
 轟々と風が吹きすさび荒れ狂う中、髪の量が半端じゃない彼女達はいいように上下左右なぶられ悲鳴を上げるのだった。
 特に酷いのが翠星石。彼女の髪は良くいってふさふさ、悪くいってもさもさだから、こんな天気のなかだと一発だ。
「翠星石は!これじゃぁ!飛んでいっちゃうのですぅ!」
「大丈夫なの、翠星石!その前にまず禿げちゃうのよー!」
 比較的被害が少ない雛苺が幼い割に的確なツッコミを返した。
 もう雨はあまり降っていないが、風は依然として我が物顔。恐らくまだ電気の復旧にはかかるだろう。金糸雀がいないのは、三年生だけ早く帰されたからだ。決して忘れられている訳ではない。
「……たすけて、助けて……アッガイ!」
 薔薇水晶がしきりに某モビルスーツの名称を叫んでいるが流石に無理なものは無理だ。いくら彼女が愛していたって。
「そうなのだわ!」
 真紅が突然叫んだ。しんがりを任されていた雪華綺晶が叫び返す。
「どうしたのです、お姉様?」
「私としたことが、大切な物を学校に忘れて、来てしまったの──(息継ぎ)──だわ!皆、先に行っていて頂戴!!」
「わかったのですぅ!せいぜい事故らないように気いつけやがれですよ!」
「勿論だわ!」
 そうして真紅だけが進路を逆にして、髪をヤンヤヤンヤと逆立てながら一行から離れていったのだった。

 はぁ……はぁっ。
 息が切れる。生徒はもう危機を感じたのか、殆どが帰ってしまったようだ。廊下はあるかなしかの日光で灰色に薄ぼんやり浮かび上がって、窓の音だけが遠くまで響いている。
 真紅達二年生の教室は三階にある。四階が一年生、二階が二年生のフロアになっている。───去年は大変だったわ、四階だなんて…本当に。
 教室についてしまっていたドアを引くと、廊下よりも暗い教室が生暖かい気温は午前のそのままに彼女を受け入れた。
 黒板には誰が残したか「梅岡wwwwwwwwww」と書いてあった。消さないと梅岡が泣くわね…と思いつつ、真紅は敢えて消そうとはしなかった。心得ている。
 さて向かう先には真紅の机。流石に高校ともなると、妙な落書きは施されていない。
「はぁ……これを忘れるなんて、私としたことが」
 真紅が机の引き出しから取り出したのは、くんくん探偵ガイドブック(初回限定版くんくん探偵助手認定バッジ付き)。真紅の現在の宝物No.1だ。それを忘れたとあっては彼女の自責も大きい。
「ああもう……そもそも、持ってくる時点で……いえ、肌身離さないのも愛情だわ……」
 ぶつぶつ呟きながらそれを微妙に濡れている鞄に丁寧に詰め込んだ。これで下校準備は本当に完了である。まだ雨水が滴っている傘をしっかり握り直して、真紅は教室を後にした。
 突風で窓がみしっといっていた。


 分からない。
 風は来る前よりは少しは和らいでいる。だったら何故、私はここに立ち往生しているの。
 …真紅は玄関に立ったまま何故か帰らないでいた。傘だって持っている。赤チェックの可愛いけどシックな一品。一本だけ骨はやられているが。
「行かなきゃ、なのだわ」
 何かを待っているような足に気合いを入れて、真紅が歩き出そうとしたその時。
「おい、何でお前がいるんだ?」
 振り返ったら。
「それはこっちの台詞って、よくあるセリフかしらね」
 ジュンがいるのは、何となく予想はしていたし期待もしていたんだと思う。

「ジュンは本当に羨ましいわ。髪が少ないんだもの」
「いや、お前らが多すぎるんだろ……」
 真紅のツインテールが風に舞い上がり、ジュンをさっきから好き勝手叩いている。
 だがジュンはそれをみないようにするようにあらぬ方向をむいているのだった。
「ねぇ」
 真紅は呆れたように傍らの彼を見やった。
「何、そっちみてるの?」
「あのな……」
 ジュンも呆れたような反応を返した。
「お前、さっきあんな死ぬほど恐い怒り方しといてな。それはないぞ。雷背景とか怖過ぎ。トラウマになったからな」
「………」
 ジュンの長ゼリフ。内容は予想していたが、この長さには驚いた真紅はちょっと吹いた。
「なんだ!笑い事じゃないぞ!?」
 紅潮しながら言い返すジュンに、真紅は引き続き吹いた。
「気にしてなかったのだわ、そんな事。まさかジュンがそんなに怖がってたなんて思ってなかったのだわ………愚かね」
「…………!」
 真剣に怖がっていたジュンはそういなされて、不満げに一層そっぽを向いた。
 そこで、今までおさまっていた雨がまたぶり返して来た。夏の雨らしい大粒のものだ。とっさのことに帰路の途中の商店の屋根で二人は一時的に雨宿りするはめになった。
「真紅、お前傘持ってるだろ。さっさといけよ」
「いやよ。この風だと傘なんて意味ないもの」
 緩く真紅が否定して、雨音に暫し沈黙した。賑やかとも静かともつかない音が辺りを支配して、二人は只黙りこむ。
「………喋らないんだったら、行けよ」
「だから、行きたくないって言ってるでしょ。第一傘は壊れかけなのだわ。……あら、」
 ジュンに向き直って真紅は首を少し傾げた。
「ジュン、貴方傘持ってないの?」
「……ああ、初めのうちは晴れてたからな。朝のニュースとか見ないし」
 きまり悪そうに少年が屋根を伝う雫を睨む。
「……なぁ」
「何?」
 間。一つ呼吸を置いてからジュンは言った。
「もう、怒ってないか?」
「だから、気にしてなんかないって言ったのだわ。人の話はちゃんと聞いておくものよ」
 だったらもっと素直に言ったらどうだ、と反駁しようとしたジュンは、何だか穏やかな笑顔の真紅が視界に入って言葉を詰まらせた。結局それは拡散してしまったのだった。
 また間。沈黙とまではいえない、奇妙な時間が二人の間を流れる。決して気まずいものではない、不思議な安息、静謐。
「真紅。僕さ、またドール服とか作ってみようかと思うんだ」
 意表をつかれた真紅は、ジュンをぱっと見た。ツインテールが吸っていた雨の雫を少しだけ散らす。
「それは、意外な決断をしたものね?」
 また柔らかく笑った真紅は、心なしか嬉しそうだった。
「だってさ、最終的に僕の個性ってそういう方にしかないしさ。折角だからそっちを極めたいなって思ったんだ」
「またジュンのつくった服が見れるのね……でも、あんまり夜更かししちゃいけないわ、今日みたいに先生につきっきりで毎日質問浴びせる訳にはいかないのだわ」
「あ、分かってたのか……」
 真紅のいうように、ジュンは授業の分からないところをあれやこれやと教師に聞いてまわっていたのだった。
「だってきかなきゃ留年確実なんだよ。……お前と違ってな、図書委員長」
「あら、だったら私に聞けばいいじゃない?」
 珍しく悪戯っぽく笑った真紅は、言った後に激しく後悔していた。理由は意識はしていなかった。
「やだね。真紅に教わったら紅茶代が飛ぶ」
 だからそう返された時、真紅はさっきの後悔が溶解していくのを緩やかに自覚していたのだった。それには新しい後悔も伴ったのだが。
「…………行くわ。もう行く」
 真紅は自分の発言を覆して帰ることにした。何だかこのままジュンと一緒にいると自分の何かに負荷がかかってしまうと感じたのだ。
「おい、雨、止んでないぞ?」
「いいのだわ。いつ止むかも分からないし、これじゃあ埒があかないのだわ」
 ぐっと力を入れて開いた傘は、折れた骨がちょっと強情だった。
 振り返って、彼女はこう残す。
「さ。貴方も気をつけて帰りなさい、ジュン」


 八人姉妹が住むから、勿論豪邸と表現しても語弊はないくらいの大きさの家ではあった。
 だが、台風並みの天気に備えて最高強度にしてある筈もなく、突風が吹くたびミシリ……ミシリ……と不穏な音が何処からともなく響いてきて、雛苺と金糸雀はそれにひっきりなしに怯えているのだった。
「ヒィっ!ひ、ひな、こんどはそっちかしら!」
「落ち着くのよ、かなりあ!これくらいじゃヒナ達のお家は………きゃっ!」
 こんな調子で騒いでいるから、湿気で身も心も髪も神経質になっている翠星石が、
「うーるせーです、ちび共っ!大人しくしてないと今日の夕飯は乾パンの醤油焼きですよ!」
「……それは……酷い」
 薔薇水晶はじゅわっと涙を滲ませ、
「乾パンは量が足りないのでちょっときついですわ………ね?黒薔薇のお姉様」
「うーん……私はそれ以前の問題だと思うけれど」
 今夜のでぃなーのことしか見えていない目で話題をふる雪華綺晶に、苦笑いで適当に返す水銀燈。そして蒼星石が肝心なところをついた。
「ところで皆、真紅はどうしたの?」
 それにハッと気がつきカオスな有様で好き勝手なことをやっていた総勢七名は、互いに視線を交錯させた。
「そうですわ……赤薔薇のお姉様がまだお帰りになられていないわ」
 雪華綺晶が困ったように眉をひそめた。
「真紅のことだからどっかで油でも売ってるに決まってるですぅ」
「油ってったって……こんな天気じゃ無理かしら」
 天気はやっとこさ普通の雨である。とはいえ、やはり外で道草するにはお世辞にもいいとはいえない。
 遅いねぇ、何してるんだろうねぇ、とゆるーく心配する空気が出てきたころ、玄関のドアが開く音がした。
「真紅が帰ってきたの!」と雛苺がタオルを掴んで玄関まで駆け出す。元気ねぇ、と水銀燈がテレビのリモコンを何となく手に取ったとき。
「きゃぁーーーーーーーー!真紅、しっかりするのーー!!」
 尋常じゃない周波数の悲鳴が聞こえてきた。咄嗟に蒼星石が走って玄関に向かう。そして暫くするとまた悲鳴が聞こえてくる。
「どうしたんだい、真紅!こんな……」
 マズい状況なのだろうと思いつつ、何だか気が重い水銀燈は他の姉妹に任せることにしたが、次に聞こえてきた「水銀燈ーーー!これは本当に大変なのーーー!」という呼びかけに仕方なく立ち上がった。「厄介ごとは嫌いよぉ………」
 リモコンを置いて玄関に水銀燈が行ってみると、
「………………真紅?」
 真紅が前のめりに倒れ込んでいて、それを必死の力で支えている雛苺、あたふたとタオルで真紅の髪を拭いている蒼星石が「何があったんだい!?」と声を裏返していた。
「……どうしたの!」
 無意識のうちに水銀燈が真紅の額に手を伸ばすと、妙な熱をもっていた。明らかに風邪である。
 風邪っ引き認定の真紅は、なけなしの力らしいものを振り絞って顔を上げ、言った。
「梅岡…………」
 そしてパタリと弛緩した真紅を支えきれなくなった雛苺を更に支えて、水銀燈は嘆く。
「意味分かんないわよぉ!何で梅岡なの!それより、何でもいいから……せめて自分の力で歩いて頂戴─────!!」



 熱っぽい世界の中。緩い記憶が、その中の声が薄く響く。
(……だったら、個性なんて無い方がいいじゃないか。認められないくらいなら)
(違う、違うわ。個性に無駄なんかは無い筈なのだわ……)
(違うもんか!現にボクは……)
(………よ!それじゃあ、私は何だと言うの。私は貴方の……)
 記憶はおぼろなまま。



 薄暗い瞼越しの視界に気付いて、ゆっくりと目を開いた。
 寝返りを打って、真紅は自分が寝ていたことに気付く。頭が痺れるような感覚。
「………部屋?」
 体が重い。恐らく風邪を引いてしまったのだろう。玄関に入ってからの記憶が確かじゃないから、そこで自分は気絶したのだろうと判断する。
「…風邪で……気絶したのなんて、初めてだわ」
「全くよ。大変だったんだからね。家族総出でアナタをあんなことやそんなことに」
 ドアが開いて、一筋入ってくる廊下の光。逆光で輝く銀色の髪をたずさえるのは、真紅の一番上の姉、水銀燈だった。
「何したのよ……」
「ただ着替えして髪拭いて寝かしただけよぉ。何想像してるの、おばかさぁん」
「想像って………」
 想像していなかったのに、水銀燈の発言のせいで想像させられて真紅は頬を染めた。悔しくて唇をかんだが、力が上手く入らず変な顔になった。
「何にらめっこしてるの、真紅。みっともないわよぉ」
「………もう何も言わないわ……」
「ほら、馬鹿なことしてないでこれ飲んで、早く寝てしまいなさぁい。熱が38℃もあるわよ……全く、雨が降ってる中を歩いてくるくらいで熱出さないでよねぇ」
 押し付けられた薬を、同じように押し付けられたコップの水で飲み下して、無理矢理寝かしつけられて………誰が寝るものか、子供じゃあるまいし。と思った瞬間真紅は寝ていた。

 次の日目が覚めたときには、カーテンは全て引かれて綺麗な青空が見えていた。
「………あら、」
 ベッドの横の時計を見やると、もう二時間目が始まっている時間だった。まあ、風邪を引いているし別にいいわよね……と開き直って真紅が二度寝しようと思ったとき、ドアが開いてまた水銀燈が入ってきた。
「駄目よぉ、もう起きなさい。十時になったら流石に寝坊も過ぎるわよぉ」
「………病人は寝かせておくものよ、水銀燈」
「アナタもう元気そうじゃない。そんなんじゃ病人なんて呼ばないわぁ。それに、私アナタのために学校休んであげたんだからねぇ………逆らうより前に感謝したらどーお?」
 けたけたと笑う水銀燈に何も返す気にならず、渡された昨日と同じ薬を飲み下した。同時に空腹に気付く。
「はい、うどん。お姉ちゃんが作った麺☆類なんだから有り難く食べなさいよ」
「麺類じゃなかったら有り難く食べなくていいのかしら?」
「あら、そういう解釈もあるわね。でも捻くれないのが一番よ、真紅」
 真紅は差し出されたその麺類を大人しく受け取った。三大欲求の一つには勝てなかったようだ。
「一日高校休むと大変ねぇ、ノートは誰に見せてもらうのかしらぁ?」
「そんなものは、ジュンに………」
 詰まった真紅に水銀燈はあらぁ?と首を傾げた。
「喧嘩でもしたのぉ?」
「そんな事はしないわ。それに、今日はもう夏休み二日前だから大して内容のある日じゃないのよ」
「そう、それならいいけどぉ……じゃ、私一階にいるから。何かあったら呼びなさいねぇ」
「分かったわ………ありがとう」
「ふふっ」
 ドアが閉まりかかる。そこを真紅は咄嗟に引き止めた。
「………待って」
 不思議そうに水銀燈は振り返った。「なぁに?」
「あの……上手く、表現、出来ないのだけれども………」
「はっきり言っちゃいなさぁい、まどろっこしい」
「………例えばの話よ。今まで下部だと思っていた人が、違うものに感じたら、それは一体………何なのかしら?」
 どこまでも条件が暈されて、余りに分かりにくい話だったが、水銀燈は水銀燈なりに解釈したようだった。それが的中していることは自覚もせず。
「それはきっと、恋人よぉ……私はそう思うわぁ。アナタも、気付いているんじゃない?」
 パタンとドアが閉じて、真紅は一人っきりになった。
 うどんを手近なテーブルに置いて、もふっと仰向けにベッドに倒れ込む。窓からみた空は昨日が嘘みたいな日和で、外に出られない真紅は少し残念に思った。
「……………」
 水銀燈の答えは、何となく考えないようにしていた。


 更に翌日。今日が一学期最後の登校日で、学校は何となく浮き立っている。高校でも中学でも、夏休みは嬉しいものだ。
 しかし、風邪を水銀燈の看病(もれなくイヂメ付き)によって治した真紅が教室に入ると、何となく他の教室とは違うよそよそしいものを感じた。
「……………?」
 何だか変な予感がしたので、真紅は近くにいた女子に事情を聞くことにした。
「何かあったのね?」
「あ、真紅ちゃん、おはよう………そっか、昨日いなかったもんね」
「ええ。昨日何かあったようね」
 見渡してみると、ジュンが見当たらない。変な予感は嫌な予感にじわじわと変換されてゆく。
「……昨日、ジュン君のデザインしたドレスのスケッチが教室にあって。多分偶然だったんだと思う。それ見た男子が結構驚いた反応したのね。あ、その時はヤツらジュン君のだって気付いてなかったみたいなんだけど」
 真紅は恐ろしいデジャヴュに鳥肌が立った。
「……でね、ジュン君、それを皆に見られたのがショックだったみたいで、それから次の授業ずっと保健室で休んでたの。それで、皆何となく気まずくなって」
 そういう話ね。真紅は状況を何とか飲み込んで、起こりかかっていた立ちくらみを抑えた。
「話、ありがとう。分かったわ。……私、ちょっとお腹痛いから今日は早退するわ………連絡、よろしくね」
「え、あ、うん……」
 真紅はそう言い放つなり鞄を持って教室を出て行く。それはそれは健康的なスピードで。
「早退………」
 本来ならずる休みです。よいこのみんなはまねしないでね。

 学校がもう始まったであろう時間。桜田家のチャイムがおもむろに鳴った。
 なかなか反応が返ってこないので、もう一度チャイムを鳴らしてから「………お邪魔します」強行突破で侵入した。玄関を閉めておかないなんて不用心だ。よいこの以下略。
 何度か入りなれた家の中。八人姉妹の家の大きさには及ばないが、それでも大きい部類に入る一軒家だった。そして最近は足を掛けていなかった階段を上り、その部屋の前に立つ。
「………お邪魔してます、なのだわ」
 真紅が部屋の中に呼びかけても、返事は返ってこない。ただ中にいるという気配だけが肌にしみる。
「……ジュン、そこにいるのね。入るわよ」
 おずおずとノブに手をかけて引くと、中は朝にもかかわらず薄暗かった。ベッドにうずくまるジュンは、入ってきた真紅にほんの少しだけ驚いてから、またすぐに元の体勢に戻った。
「ジュン、」
「自分のせい、なんだよな」
「ジュン……?」
 真紅はどう言葉をかけていいか分からずに立ち往生した。
「自分のせいなんだよ。教室にスケッチ落としちゃったのも。……だから、仕方ないのにさ。駄目なんだよ。『あれ』を思い出しちゃうんだよ…………」
 『あれ』。ジュンが中学生のときに起こった事件のことだ。
 彼が描いたドレスのスケッチが教室に張り出され、それがもとでイジメになりかけた。それに傷付いたジュンは引きこもりになってしまった………それとほとんど同じことが、高校で起こってしまった。
「……ジュン、でも、皆は大して悪いこと言ってないわ」
「でもさ。……でも、見られてしまったこと自体がもう、………駄目、なんだよ、精神的に、怖くて」
 ジュンは自嘲の笑みを浮かべて真紅を見た。
「笑ってくれよ。僕は、いつまでたっても外に出られないんだ。この趣味を持ってる限り、な」
「……………」
 真紅は何も言えなかった。いや、言わなかった。
「……こんなんじゃ、無理だ……どうせ駄目なら、もう引きこもりに戻ろう、なんて」

─────バシィッ!

 鬱屈とした部屋に、小気味よい音が響いた。
 真紅がジュンを殴ったのである。
「絆、パンチ………」
 絞り出すようなか細い声の後に、嘘みたいな怒声が続いた。
「─────馬鹿なこと言うんじゃないのだわ!」
 ジュンは殴られて歪んだ姿勢のまま真紅の言葉に打ち据えられていた。
「また引きこもりに戻る?笑わせないで頂戴!どれだけ周りの人たちが心配したと思ってるの、ジュン!!」
 怒りに任せて真紅はもう一度手を振り上げ、
「甘えるんじゃ、ないのだわ……………っ」
 その手を引っ込めると、何かを隠すように踵を返して部屋から出て行った。

「………真紅……」
 腫れた頬に触れる。いつかもこんな痛みを感じたことがあった気がする。
「……………ごめん…」
 ジュンは、そう呟いたが、ベッドからはまだ出られないでいた。



 …本当は。
 帰り道を真紅は途方に暮れて歩いていた。学校に行くにも遅刻扱いになるから何だか億劫。家に帰ってしまったら、教師からは風邪での欠席ととられて丁度いいだろう。分かってはいるが、何となく罪悪感があった。
 公園とも呼べないような雑草が伸び放題の空き地に立ち寄り、そこにあるペンキの禿げたベンチに座って溜息をついた。
 ………ほんとうは、
「ジュン……」
 高校が、あなたのいない場所になるのが怖かっただけなのに。
「絆パンチは、いつも先走ってしまうのだわ………」
 私は、私は。
 私は──────



 夏休みが始まって早三日。姉妹は長い休みに浮かれて小学生のようにはしゃぎ回っていた。
「なっつやっすみー!なっつやっすみー、なのー!」
「海にいきたいかしら!それとそれと、ああっ、もう………行きたいところが決まんないかしらー!」
「…………水族館…行きたい…」
「私は海に行きたいですわ……スイカ、三つくらいは必要ですかね………」
「金糸雀!アンタは今年受験ですよ!?もっと真剣に悩んだらどうですぅ?」
「うっ!あんまり、言っちゃいけないかしら〜…」
「まぁまぁ、とにかく海には行きたいよねぇ、みんな」
「待ちなさぁい、ここはやっぱりヤクルト工場見学でしょぉ?」
「………そんなの…あったんだ」
 最早てんやわんやを通り越してカオスである。
 しかしその混沌から一人離れて静かにテレビを眺めているのは真紅。蒼星石がそれに声をかけた。
「真紅、どうしたの?」
「あ、ああ……何でもないわ」と曖昧な笑顔で返すが、何だかいつもの凛とした感じがない。蒼星石は心配に思ったが、何だか繰り返し訊くのも申し訳ない気がしてそれ以上の詮索は出来なかった。
 ぱんっ、と翠星石が唐突に手を叩く。
「それよりそれより、今日は何の日だか分かってますか!?」
 雛苺がそれにすぐに食いついた。
「お祭りの日なのー!」
「屋台は出ますよね?主に、食べ物の屋台…」
「勿論出るわよぉ、でも雪華綺晶、食べ過ぎると他の客と屋台のオジさんが泣くわよ?」
 水銀燈が軽く雪華綺晶に牽制をかけて、それから真紅にこう投げかけた。
「真紅、アナタはどうするのぉ?……誰かさんが待ってるんじゃなぁい?」
 悪戯めいた声に真紅は必要以上に噛み付いた。
「誰のことよ!……行くわよ!勿論行くのだわ!」
 その剣幕に少しだけ気圧されたものの、水銀燈は大して狼狽せずにかわした。
「じゃ、皆で行くことになったわねぇ。皆っていっても、自由行動だからいつでも好きにうごいていいわよぉ」
 後半は明らかに真紅に向けた冷やかしだったが、真紅はそれ以上は噛み付こうとせず押し黙ったままだった。


 有栖川町夏まつり。今日から明日にかけて催されるそれは、一日目は屋台が主体の日、二日目は御神輿が練り歩く日と分けられていた。
 今日はつまり屋台がものをいう夜で、学生達が財布の紐を緩めて色とりどりのバッタものを楽しく買いあさる光景があちらこちらで見えた。
「さ。皆、お財布はもったかしらぁ?」
『おーるらーいと!』
 水銀燈お姉ちゃんがそういって、愉快な妹達が親指を突き出してそれに答える。
「ささ、蒼星石!早く金魚すくいに行くです!今年も頼みますよ?」
「分かった分かった。腕引っ張らなくても大丈夫だから」
 翠星石が蒼星石の腕をぐいぐいと引き、困ったような蒼星石が連れ去られていく。
 それに気付いて雛苺が喜々としてついていった。
「わーい!蒼星石は金魚すくいが得意だものね」
 楽しそうな彼女達を見て、目を細めた雪華綺晶が雛苺の後を「待って下さいまし。わたくしも行きますわ」と、とことこついていった。
 薔薇水晶は姉妹達がほとんど行ってしまったのを確認した後、「私はどうしようかしらねぇ……」と思案顔の水銀燈をガッ!と捕獲して、
「銀姉、アッガイ、向こうで売ってた。買って。というか、獲って…」
「え、ええ、私でいいなら行くわぁ」
 剣幕に圧された水銀燈がいいように連れられていく。じゃあ真紅、金糸雀、また後でね、と言い残して。
「……真紅?なんだか、元気がないかしら?」
 心配そうに覗き込む金糸雀の顔は、家での蒼星石と同じ。つまり同じ心配ばかりかけてばっかり。申し訳なく感じて、真紅は笑顔を形作った。
「いいえ、…ごめんなさい。大丈夫よ。金糸雀、貴女も何か約束があるんじゃなかった?」
「あ、そうだわ。カナ、みっちゃんと待ち合わせしてるんだった。じゃあ真紅、カナ行くかしら」
「ええ、いってらっしゃい」
 何かあったら電話するのかしらー、と最後に金糸雀が残して、真紅はとうとう一人になってしまった。こうなったら途方に暮れても始まらない。
 取り敢えず真紅は近くにあったたこ焼き屋さんでたこ焼きのミニパックを買って、ぶらぶらと歩き出した。さっき翠星石達についていけばよかったな、なんて今更思ったって遅い。
 そこでも真紅は、自分が何かに期待をしているのに気付く。もうそれを拒絶するのには疲れていたから、彼女は素直にその感情を行動に移した。…ジュンを探し始めた。
 期待している反面、あんなことがあったのだから来ている筈がない、と思っているところもあった。だけど今の真紅はそんな事を受け入れず、ただただ心に映る姿を現実にも探した。
 赤提灯が揺れる。
 熱っぽい風は祭りそのもの。
 人が溢れかえっていて、真紅は何だか心細くなった。
「……ジュン」
 だから、あいたい人が見つかると、本当に、本当に─────頬が自然と緩んだ。

 ジュンをやっと見つけたものの、何だか彼は離れていく一方で、真紅は悔しくなって「ええい退きなさい!邪魔なのだわ!……ご、ごめんなさい!」と民衆をかき分けかき分け必死で追いかけた。
「ジュ……ジュンっ!ちょっと止まりなさい!もう、シモベのくせに何なの!?」
 ちょっと周りの視線がイタいが、もう気にしないことにした。
 そんな真紅の決心をよそに、ジュンはまだまだ歩いてゆく。遂には人気の少ない町外れにまで来てしまった。
「……っ、もう………いい加減にしなさいよ………ジュン!気付きなさい、このジャンク!!」
 漸く気付いたらしく、ジュンは「!?」という具合に振り返った。その手には体に悪そうな色をした赤りんご飴を一つ。
「真紅?」
「ええ、真紅ですとも!さっきからアナタを追いかけてた、ね」
 些か不機嫌そうに真紅は言い放って、ジュンが体重を預けているガードレールに同じように腰をもたせかけた。
 また、何度目か分からないくらいの沈黙。喧噪が控えめに聞こえてきた。
「………ねえ」
 何も言えないでいたジュンに、真紅が口を開く。
「顔、大丈夫?」
「まあな」
 空いていた左手を、絆パンチを喰らった頬にあてがう。傷の類は残っていなかった。
「………悪かったよ」
 ジュンはぼそりとそれだけ呟いた。
「……え?」
「だから、あんな馬鹿な事言って、悪かった」
 少しだけ文脈が繋がっていなかったので真紅は一瞬面食らったが、三秒くらい黙ってから意味を把握して静かに頷いた。
「たいしたことないのにさ。あんな塞ぎ込んで、自分でも馬鹿だなって。思ってたのに踏み切れなくてさ、でも踏み切るきっかけになってくれた」
 ジュンの言葉はたどたどしかったが、真紅にはそれで十分だった。
「だから、真紅。…ありがとうな」
「あら、なんてことないのだわ」
 ガードレールからおもむろに自立して、真紅は笑った。赤提灯に照らされて柔和に浮かび上がる。
「ジュンが、学校に来てくれるのなら、それでいいのだわ。私、また一人で教室にいるのはもう嫌よ?」
 少し素直になった声がジュンに届く。しみる、広がる。あたためる。
「それに。その分だとまたアナタの作品を見られそうだし。とても嬉しいのだわ…本当よ」
 真紅はもう自分を見て見ぬ振りなどはしていなかった。思ったまま、言いたいままを言葉にして、心から微笑んでいた。
 ジュンはふてくされたような顔をして、何かに散々迷った挙げ句、急に真剣な顔になった。
「真紅」
 その声に、真紅は固まった。動揺していた。
「何?」
 次の瞬間には。

「─────ッ!」

 ジュンに唇を押しつけらていた。
 思考までもが止まる。動き出したかと思えば混乱の渦。
「…………」
 けれど、今なら認められるから。
 真紅は、それを受け入れて目を閉じた。

「今年も大漁だったね。また誰かにお裾分けしようか」
「勿体無いですけど……飼いきれないですし、しゃーねーですね」
 もったりと水が入って、金魚がちらちらと泳ぐ袋を提げて、蒼星石と翠星石はお祭り騒ぎの中を歩いていた。
「ちょっと待ってるですぅ、いま二人分の飲み物買ってくるです」
「あ、ありがとう。僕アクエリアスがいいな」
「りょーかいですぅ」
 翠星石が蒼星石に金魚の袋を託し、町の外れの自動販売機まで駆け出した。
 意外と足が速い彼女、すぐたどり着いて財布を物色し始めた。小銭は足りそうだ。
「……ふんふーん、アクエリアスアクエリアス〜っと…ですぅ…」
 ふと、人の気配を感じた彼女は、自動販売機の影から何となく人気の少ない通りの方を伺う。
 そこで。
 衝撃的なものを見ようとは。
「…………………!!」
 一瞬で状況を理解した翠星石は一目散に蒼星石のもとへ逃げ帰っていった。

「……蒼星石!お待たせですぅ!」
「お帰り。お疲れ様でした」
 蒼星石が座って休んでいたベンチの隣に腰掛けて、暴れていた心臓を抑える。
「姉さん、どうかした?」
「……いいいいいいいいいえ、なんでもないんですぅ」
 翠星石は返すが、明らかに舌が動揺している。
「本当に、何でもないんですぅ」
 翠星石はちょっとだけ遠い目をした。
─────やっぱり、真紅なんですよね……
 一時期、ほんの少しではあるが、翠星石もジュンが好きだった時期がある。しかし真紅と彼との絆は思った以上に、彼等も自覚しないうちに強固なものになっていた。
 そう悟った翠星石は身を引いたのである。
「………真紅……」
 悔しくない訳ではない。だけど。
「今は、蒼星石がいるからいいのですぅ」
 そう思える気がしたから。翠星石は蒼星石を撫でて笑った。
 笑えた、と思う。


 さて、祭りもたけなわ、姉妹達もぱらぱらと家に着き始めたようである。
「ヒナ、苺のお菓子沢山買ったのよー!」
「お姉様につられてわたくしも……でもなかなか美味しいですわ」
「アッガイアッガイ」
「……結構散財したわぁ……じゃがバター止めらんないのよぉ」
 七人姉妹がそろって、後は真紅だけとなる。金糸雀が心配そうに玄関を見やった。
「真紅………大丈夫かしら」
 がたん。また真紅だけ遅れて帰ってきて、やっと全員集合である。
 だがまた様子が違うようだ。どうも……また、悪い方向で。
 勇んで迎えにいった薔薇水晶の悲鳴が響いた。
「アッ、アッガーーーーーーーイ!!」
「何事!?」
 水銀燈があわてて玄関に走っていくと、これまたデジャヴュ、真紅が薔薇水晶にのしかかって倒れていた。
「また!?何なのよぉ、アナタ!」
「……真紅……」
 翠星石も着いてきて、こんな意味深な発言をした。
「あれだけでそんなんじゃ、体がもたないですよ?」
 薔薇水晶が必死で助けを求めた。
「呆れてないで、助けて、銀姉」
「わかったわよぉ。ほら、真紅、ちょっと立ちなさい」
 真紅は手に持った赤りんご飴をどうしても離さないで只こう言い遺した。
「…………………梅岡…」
「また!?もう、もう梅岡は分かったからーーーーーーーーー!!」
 水銀燈の嘆きの叫び声は三件先まで響いたとか響かなかったとか。



(僕は、僕の才能はみんなにとっては気持ちわるいものでしかないんだ)
(……!そんなこと、いう子にはお仕置きなのだわ!)
 そして発動した在りし日の絆パンチ。
(そんなこと、いわないで頂戴。だって、私は、)
 中学生のころの、ジュンの引きこもり時代の終末の記憶。
(私は、アナタの才能、大好きだもの………)
 その時の、頬の火照り。きっとりんご飴そっくりだったに違いない。
(その指は、きっと魔法の指だわ)
─────その時から、私は、真紅は、この想いを自覚していたのだわ。



 真紅の夏風邪は、またぶり返して燻っている。彼女が起きたときに、
「アナタ、ジュンとキスしたんですってぇ?」
「真紅、中々隅に置けないかしら!」
「ふっふっふっふ…」
「真紅……僕は、ちょっと尊敬するよ……」
「しーんくー!ジュンとお幸せにねー、なの!」
「赤薔薇のお姉様……流石」
「アッガイ」
 という状況になっていて、
「貴女達、一体何処で─────!(以下意味不明の言語)」
 と叫ぶ真紅が部屋から出られなくなったのは後の話。
 別の噂によると、ジュンもそんな状況に立たされていたとのこと。

 とにかく、二人が仲良しならハッピーエンドだ。

 つづく

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