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『Dolls' House 第二話 みどりとあおはゆうぐれこみち』

 翠星石は激怒した。
 必ずかの邪知暴虐で更に残虐で愚鈍で更に更に生きる価値すらないと思われる花盗人を、限界まで伸さねばならぬと決意した。
「絶対に、翠星石が─────」



「カレーねぇ………どうかしらねぇ………カレー……?…カレーねぇ………」
 月曜日の事だった。食卓の前で、姉妹達総勢七名は一様にしみったれた顔をして沈黙のままに座っていた。目の前にはレトルトカレー。かの有名なボ○カレーだ。あの翠星石の名物『………』料理ではない。
 言わずもがな、雪華綺晶の前にはパラボラアンテナのような皿がどでんと横たわっている。カレーを「盛る」というよりは「そそぐ」と表した方が分かりやすいのではないかと思われる有様だ。
 そして水銀燈は、久しぶりの単調なメニューにスプーンを構えつつ意味を殆どなさないようなことをだらだらと呟いていた。
「ごめんね、皆…翠星石がバイト始めちゃったから……あと、僕料理専門じゃないから、こんなものしか作れなかったよ……とにかく、ごめんね」
 今日の夕飯担当の蒼星石がしょげながら茶色い完成品をかき回した。金糸雀がすかさずフォローに入る。
「ま、まぁ、皆が皆翠星石に任せっきりだったのが一番いけなかったかしら!ね、ヒナ!」
「そうなの!そうなのよ!」ガクガクと頷く。
「……一般家庭では…………これが……普通……私達は……今まで…かなり贅沢だった………だから……夕食を………………始めましょう………にゃ」
「ばらしーちゃん、何で急に語尾がにゃですの?……でも正論ですわ。早く食べましょ。蒼薔薇のお姉様、お疲れ様でした。次は順々で作っていきましょうね」
 一番色んな意味でおさまりきっていない雪華綺晶が上手い具合にその場をまとめて、一人だけ欠けた晩餐が始まったのだった。



 そういえば、今頃蒼星石は何を作っているんだろうか…翠星石はふと気になって作業する手を止めた。
「…やっぱり翠星石がいないと心配なのですぅ」
 やめてしまおうか、もうやめて帰った方がいいだろうか……一度勢いのついた思案は、水で濡れた布にインクがしみていくようにじわじわと、かつ妙な早さで広がっていく。
 でも。でも辞める訳にはいかないのだった。だって、どうしてもお金が足りなかったから。
「頑張るのですぅ、翠星石!」
「おっ、姉ちゃん、気合い入ってんね!」
「勿論ですぅ!じゃんじゃん仕事もってくるですよ!」
 翠星石は眉に力を入れて、ふんっと店長に向けてポーズらしきものを決めた。



「じゃあ、僕は部屋に行くから。今日はお粗末様でした、皆」
 いつもとのギャップが結構きつい内容だったにも関わらず、会話やらはいつもと変わらない団欒だった。やはり、食べれれば何でもいいという姉妹のハングリーな本質を表しているのだろう。
「分かったわ、お疲れ様、蒼星石」
 真紅は蒼星石に言って、蒼星石は気にしなくてもいいよというように手を振りつつドアを開けて部屋から出て行った。
「明日は誰が作るの?」
「(やばい、真紅に作らせちゃマズいわ!ここはワタシがっ)あらぁ、勿論私が作るわよぉ。楽しみにしておきなさいよぉ」
 途中に面には出せないような思考が挟まったが、水銀燈は妹思いのやさしい長女だ。異論は認めない。
「さ、大事な話し合いを始めるわよ…………皆。蒼星石はもう行った?翠星石はまだ帰って来ていない?」
「大丈夫かしら。足音も聞こえないかしら」
 居間に残った六人の姉妹達が、さささささっと隠密のように輪になって集まる。

「さぁ、一週間前に迫ったのだわ………翠星石と蒼星石の誕生日が」

「何だか修羅場っぽい感じに…なってる………私達は、何をする?」
「やっぱりぱーっとパーティーするのがいいの!おっきなケーキにロウソクおくの!」
 話し合いの方向性をうっすらと示唆する薔薇水晶に、明らかに自分の欲がないまぜになっている雛苺の発言。ケーキを食べたいのは確実に彼女だが、その発言に雪華綺晶はちょっと頷いた。
「確かに誕生日にはケーキとロウソク消しは欠かせませんわ……。
 プレゼントの品物は蒼薔薇と翠薔薇のお姉様にお任せして、私達はパーティーの主催をする、というかたちでよろしいのではないかと思いますが、赤薔薇のお姉様、黒薔薇のお姉様、金薔薇のお姉様、どう思われます?」
 さり気なく姉に話題をふった雪華綺晶はやっぱりケーキを食べたいという目の色を隠し切れていないが、言っていることは間違っていないから、三人としても否定は出来ないから複雑だった。
「そうね、私もそれでいいと思うわ。まあ、ケーキは買って来るからいいけど、問題は………料理かしらね。やっぱり、翠星石じゃなかったら誰が作るの?」
「(やばい、真紅に作らせたらパーティーが死の宴になるわ!ここはワタシがっ)勿論私が作るわよぉ。それまでに腕を磨くから、明日からの朝ご飯夕飯は私に作らせてちょうだいねぇ」
「すごい決心かしら!カナも手伝うかしら!まかせてかしら」
 危険回避のためがとんでもない大役を引き受けることに繋がってしまい、水銀燈は内心頭を抱えた。他人のためと思ってついつい行き過ぎ、自分の首をキュッとしてしまうのが、水銀燈の悩みだった。
「水銀燈、あなたさっきから私が料理役にまわるのを阻止していない?そんな気配を何となく感じるのだわ」
 真紅が訝しげな顔をして、それでも彼女は今まで自分の料理がしでかしてきた悪行を自覚しているので、ふうと一つ溜息をつくと、五人に向きなおった。
「……まあいいわ。とにかく、私達六人はパーティー担当で」
 水銀燈と金糸雀を指差す。「料理係ね」
 薔薇水晶と雪華綺晶を指差す。「アナタ達は飾り付け」
 そして最後に雛苺を見て、「私と雛苺は全体演出ね」
 それに対し、雛苺は火がついたように抗議した。
「やなのー!ヒナも料理するのー!」
「駄目よ、貴女がキッチンに立つとそこら中つまみ食いしてまわるじゃないの」
 これでも図書委員長の真紅が、愚図っている雛苺を見つめて餌をちらつかせた。
「……全体演出は、ケーキを選べるって言ったら、どうするの?」
 目を途端に輝かせた雛苺に後ろからいきなり雪華綺晶が抱きついた。
「………赤薔薇のお姉様!わたくしもやりますわ!だから、だから、だから……!わたくしにも、わたくしにも、ケーキを選ばせて下さいまし…………けーき…けーきぃ………」
 雪華綺晶は最早ボロ泣きになってケェキケェキと繰り返すだけになった。鬼気迫る泣き顔。そんなにケーキが好きなのか。
 後ろの方で薔薇水晶が寂しそうに首を傾げた。
「…わたし、………一人で、飾り付け………するの?」
 そんな妹達の有様に見るに見兼ねた水銀燈が宥めにかかった。
「まぁまぁ、飾り付けの子達もケーキを買ってくればいいじゃなぁい。ね?金糸雀」
「そうかしら!カナもちょっと選びたいとか思ったけど、いいかしら。妹達に譲るかしら」
 金糸雀も伊達に次女をやっている訳ではない、そこは大人である。
 だが、誰がケーキを選ぶかというところで揉めることの幼さに指摘を入れるものは誰もいなかった。

 話し合いも無事に終わり、水銀燈はテレビに群がる(放送されているのはくんくん探偵。先陣切ってテレビに張り付いているのは言うまでもなく真紅である)少女達を見て、コーヒーをいれて一息ついた。
(それにしても、蒼星石が下りてこないなんて珍しいわねぇ…………何かあったのかしら)
 蒼星石の部屋からは、得体の知れない「がしゃっぽん、がしゃっぽん……」という音が断続的に響いているだけだった。



 事件は水曜日に起こった。
 蒼星石は、一足先に「バイトに遅れたら即死なのですぅ」と勇んで帰っていった翠星石に置いていかれ、一人で園芸部の部室に向かう途中だった。
 廊下は初夏の匂い。窓を開けてあるから、なおさら若葉の草いきれが風に乗って舞い込んでくるのだった。
「今年が最後か……」
 園芸部含む有栖学園の文化部は、基本的に余程の部活でなければ三年生になった生徒の殆どが幽霊部員になる。
 吹奏楽、管弦、合唱等コンクールを有するものは違うが(学校の見た目上、だろうか)、ただただ集まって何かをしているだけのものはそうするという不文律が出来上がっていた。
 だから、今年二年生になった蒼星石、翠星石は今年が最後の園芸部所属の年になってしまうのだった。
「(そんな大事な年の一番重要な季節に、姉さんは一体何をしているんだろう)」
 蒼星石は双子の姉に対してほんの少しだけ怒りを覚えた。彼女の行動の意味は分からない訳ではなかったが、蒼星石としては自分より部活、部活で育てている植物達を大事にしてほしいという気持ちが勝ってしまうのだった。
 どうにもならない考え事に、蒼星石は溜息を小さく吐き出して部室のドアを引いた。
「…………?」
 部室には誰もいなかった。ひゅうっと風が吹き抜けて、狭い部室の小さな窓を覆うカーテンがゆらりとまるっこく風を抱く。
「………い、蒼星石先輩っ!たいへんです!」
「先輩っ、花が、花がっ……」
 バタバタと後ろから走って来た部の後輩に気付き、事態の異常さを感じ取った蒼星石は落ち着いた方がいいと判断し、ゆっくりと振り返っていった。
「落ち着いて。どうしたんだい、君たち」
 息切れで俯いていた後輩二人は、どうやら伝令役を引き受けて走って来たらしい。片方が、苦しげに顔を上げて、蒼星石に涙っぽくなった目と声で訴えた。

「花が…一つの花壇の、パンジーから、花が切り取られていました─────」

─────ああ、どうして君は、こんな大事なときに…………



 翠星石は今日も花屋に行って、バイトに勤しむ。
「健やかにぃ〜、伸びやかにぃ〜」
 部活の植物達を愛せないなら、せめてバイトをしている途中でも植物を愛してやれるようにと、翠星石は花屋でのバイトを希望したのだった。
「みどりの葉っぱを、キラキラ広げて………!」
 唄うような言葉に合わせて彼女が撒く水が、暮れの橙の色に染まって流れ星のようにきらめいた。
「姉ちゃん、今日も気合い入ってんね!頑張れな!」
「当然ですぅ!大事な妹のためですからね!さ、今日も仕事たぁんと持ってくるですよ!」
 今日も翠星石は元気だ。はつらつとした笑顔で、あと二日間の仕事を全うしようとしている。
 だから。

─────寂しいなんて、思ってないですからね、蒼星石…………



「薔薇水晶、レイアウトとかは決まったのぉ?取り敢えず私はメニューを決めたけど」
 水銀燈がくるっと天井辺りを指差した。結局完全に引き受けることになった大仕事を、忙しいなりに楽しんでいる様だった。
「一応………ほら、ね」
 薔薇水晶はテレビの後ろから埃っぽくなった袋を引きずり出し、中から折り紙で作った鎖?みたいなもの?を見せた。得意顔。
「夜なべした……へへ」
 家には水銀燈と薔薇水晶の二人しかいない。金糸雀は管弦部、翠星石と蒼星石は園芸部、真紅は図書委員会、雛苺と雪華綺晶は例のうにゅー同好会だ。
 薔薇水晶は一応うにゅー同好会に所属してはいるが、幽霊会員だ。水銀燈はというと、今日は偶然午後の授業がなかったのである。
「偉いわねぇ。翠星石も蒼星石も喜ぶわよぉ」
 がちゃ、と玄関の音が響いた。誰かが帰って来たようだ、と水銀燈は焦った。小声で薔薇水晶に言う。
「ば、薔薇水晶、早くそれを片付けなさぁい……多分蒼星石だわぁ」
「……オーライ」
 薔薇水晶がテレビの後ろにかがみ込むような姿勢になった瞬間、水銀燈の予想通りに蒼星石が居間のドアを開けた。異様な彼女の姿勢に、入り様面食らった様子だ。
「………薔薇水晶………何してるの、かな?」
 返答に困った彼女は、悩んで、悩んで悩んで、
「……………そういう………………………お年頃…………だにゃ」
 水銀燈はもうちょっとまともな言い訳の仕方をこの子に教えてあげようと決心した。

 さて、帰って来た蒼星石は、あまり顔色の優れないままに、キッチンでコップ一杯の水をぐいっとあおって「今日も夕飯は君だったね……よろしく、水銀燈」と言ったきり部屋を出て行ってしまった。自室にまた籠るらしい。
「…………?」
 何だ、今のぎこちない間は。
「…………蒼……」
 薔薇水晶はぽつりと呟いたが、それは空気の中を泳いでいってその内溶けてしまうだけだった。
 がしゃっぽん。がしゃっぽん。がしゃっぽん。



 金曜日。翠星石のバイトも最終日で、後はお給料を受け取るのみとなった。放課後の教室で、翠星石は伸びをした。
「やー…っと終わりですう!翠星石はよく頑張ったですぅ!」
 自分で自分を気の済むまで褒め尽くして、翠星石は蒼星石のもとへと駆け寄った。
「蒼星石、久しぶりに部活に出るから、一緒に行くですぅ………蒼星石?」
 蒼星石は「……あ、ああ、バイトは?」と考え事から帰って来たような目で翠星石を見た。何やら様子がおかしいが、翠星石は暫く蒼星石と話し込んだことがなかったのでよく分からなかった。
 双子なのに。
 翠星石は自分の中でじわりと広がった焦燥に似た何かを自覚したが、だからといってそれをどうしたらいいか知っている訳ではなかった。
「ほら、早く行くです、蒼星石………」
 行き場のなくなった思考が、自ずと翠星石の右手を動かし、それは迷わず蒼星石の腕を掴んだ。蒼星石は驚いたように座っていた席から翠星石を見上げ、複雑そうな顔をしてから立ち上がった。

 ……まずい、と蒼星石は純粋に思った。まだ、あの事件のカタがついていない。
 だから、彼女が知ったら大変なことになる。何より、今まで自分が彼女に対して黙っていたことに今更ながら罪悪感が芽生えたのだった。
 この流れは、まずい。…だからといってそれをどうしたらいいか知っている訳ではなかった。
 行き場のなくなった思考が、自ずと蒼星石の表情を動かし、それは迷わず複雑な顔を形作った。翠星石はそれを見て何だかいつもと違うものを感じたようだったが、取り敢えず何も言わずに蒼星石と翠星石は教室を出た。

 部室に荷物をおざなりに置いてから、いつもの屋外の活動場所に向かう。
 今日は妙に天気のいい日だ。まるで双子達の不協和音に反するかのようだった。
 そして、また走って来る足音が響く。
「先輩っ、……あ、翠星石先輩、久しぶりです。……で、今日は三つ目の花壇が被害に遭っています」
 空気が凍った。別の後輩が続ける。
「一昨日に一つ、昨日一つ、今日も………誰が、やってるんでしょうか………」
 翠星石が何も言わずにすっ、と歩き出した。蒼星石はそれを止めようにも、何故だか動けなかった。自分と彼女の間に、どうしても埋められない溝が出来てしまったような気がしたからだった。
「……何があったのですぅ?」
 翠星石は花壇の前で立ち止まる。園芸部の活動スペースは校舎裏の七つの小さな花壇である。そこにはパンジーやらベゴニアやらニチニチソウやら、色々な花が栽培されているのだった。
 その七つのスペースの、右から三つ全て。
─────悲しいくらいに、色彩が失われていた。
「……………これはっ……!」
 蒼星石が後ろから暗い声で、それも世の中の悲しいことを全て溶かし込んだような声色で呟いた。
「水曜日が最初だったんだ。それから、昨日、今日と。用務員さんが張り込んだけど、犯人は見つからなかったって……深夜かとおもって夜張り込んだらしいけど。今まで言えなくてごめん」
 花を失った植物達が、風に煽られてゆらゆらと揺れていた。
 翠星石の後ろ姿から怒りと思しき何かが沸々と沸き上がった……肩がグイッと上がる。
「絶対に、翠星石が─────とっちめてやるですぅッ!!!」
 蒼星石はその時まで、翠星石のこんなに悲しそうな叫びを聞いたことがなかった。



 蒼星石は帰り道をゆっくりと歩いていた。
 風が吹かない。空気が妙に凪いでいた。
 翠星石は「バイト先にお金をもらってくるですぅ!」といってやはり先に帰ってしまった。あの咆哮の後彼女は、
「……って言っても、翠星石はれっきとしたか弱い乙女ですからね、成り行きは用務員さんに任せるしかないですよ。部員の皆、今まで怖かったですよね、翠星石が気付いてあげられなくてごめんですぅ」
と続けたのであった。
 あんなことを言っていたけど、絶対にあれは嘘に違いないと蒼星石は確信していた。いつもいつも、事件が起こったとき彼女は、穏健な嘘で虚構を固めてから無茶な行動に出るのだった。
 心配だ、と顔を上げる。
 次の瞬間には、蒼星石は反対方向に走り出していた。
 先程購入した品物を入れた、大きなビニール袋を携えて。
「こんな日に、全く姉さん………君って人は!」



 見逃せる訳がないと翠星石は、あのときに腹を括ったのだった。
 だって、この子達が助けてって言っているみたいだったのだもの───翠星石は目元に滲んだ何かを無視して、店から出て行った。花屋でバイトして稼いだお金で、例のものを買った後だった。
 学校には、熱心な運動部の一部が残って掛け声掛けつつ走ったりなんだりしている最中だった。「よくやるですね」一人ごちながら校舎裏へまわる。行く先は、勿論花壇である。
 花壇の後ろの垣根に、かさばる荷物ごと身を隠した。こうやってしていれば、完全に姿が見えなくなることを彼女は知っていた。
「(用務員は、深夜に張り込みをしたそうですね。でも、もし生徒だったら……この時間帯に来るに違いないのですぅ。ちょっと怖いけど、ここは翠星石がやるしかないのですぅ)」
 夕方になれば、初夏といってもやっぱり冷える。翠星石は息をひそめて寒さに耐えつつ、犯人の襲撃を待った。
「ごめんですぅ、蒼星石……こんな、大事な日に……!」

 ……。
 十数分後のことだった。足音が近づいて来たような気がして、翠星石は身を強ばらせた。
 垣根の隙間から様子をうかがってみると、どうやら根暗そうな男子生徒が猫背のまま花壇に歩み寄ってくるところだった。
「(……!!きっと、彼奴が犯人ですぅ……)」
 男子生徒との距離が確実に狭まっていく。張りつめる、静まり返る。
 標的は花壇の前に屈み込んだ。手を、無傷な花の苗に伸ばす。片手に握られているのは、…………鋏。恐らく園芸用ではない。
 翠星石を満たしていた恐怖が、赤黒い感情に変わった。
 立ち上がり、荷物をあらん限りの力で振りかざした。横なりの美しい弧を描く。終着点は、当然のように男子生徒の横っ面だ。
「─────いい加減に、成仏しやがるですぅっ、この○○○○ッ!!」
 途中にマズい単語が入っていたので、取り除かせてもらった。気にしないでもらいたい。
 さて、スクールバッグの運動エネルギーを一身に受け止めた彼はというと、二メートル程ふっとんで呻いていた。
「アンタですね、この子達を虐めていたのは!許さんですよ、許さんですよおおぉぉお!!」
 男子生徒は体勢を整えたようで、起き上がると怯えの混ざった憎げな眼を翠星石に向けて立ち上がった。
「うるさい……うるさい!!邪魔するなぁっ!」
 がむしゃらに振るった鋏。恐らく、計画性は無かった。彼も、そんなつもりは無かったのだろう。
 翠星石は咄嗟に身を引く。それが恐らく最悪の事態だけは避けた。

─────ぱらり、

 翠星石の右の髪が、一房だけ切り取られて地面に舞い降りた。
「……ぁ、」
 翠星石はぺたんとその場にへたり込む。気丈な表情はそのままに、顔からはどんどん血の気が失われてゆく。
「……なに、するですぅ………」
 今度こそ、翠星石は恐怖感で動けなくなった。たとえ目の前の犯人も自分に対して恐れを成して動けなくなっているとしても。
「……たす、けて……助けて、誰か………」
 その時だった。



 目の前が暗転した。
 迷っている余地等無かった。少なくとも、蒼星石にとっては。
「……姉さんに、何してるんだ──────!!」
 彼女自身信じられないような腕力で、スクールバッグを翠星石の前に立ち尽くしている得体の知れない男子生徒に投げつけた。
 それは縦なりの美しい弧を描く。終着点は、当然のように男子生徒の脳天だ。蒼星石の荷物は翠星石に比べて比較的(教科書をちゃんと持って帰るので)重い。
 犯人が倒れたのを確認する間もなく、蒼星石は翠星石のもとへ駆け寄った。
「大丈夫、顔に怪我とかしてない?鋏、顔に当たってない?」
 翠星石は呆気にとられて蒼星石をぼんやり見つめた。「……どうして?」
「君はいっつも無茶だからね……こんなこともあるんじゃないかと思って戻ってきたんだよ」
 泡を吹いている後ろのゴム人形のようなものを見やって、蒼星石は走り出した。
「姉さん、ちょっと待ってて!今先生呼んで来るから!」
 わかったですぅ、と答えてふと地面を見た。自分の自慢の茶色い髪の一部が散らばっているのを見て、これが体に当たっていたら……と考えて小さな震えを感じた。



 双子は黙って帰路を辿っていた。
 近道だと、そう言って翠星石がよく蒼星石を導いた小道である。
「…………」
 さっきまで二人は、犯人に巻き込まれて先生から質問と説教の責め苦に遭っていた。それは勿論、あんな遅くまで単独で張り込みをしていた翠星石に向けたものでもあるし、凶器ばりに重い鞄を犯人に投げつけた蒼星石へのものでもあった。
 ……犯人は、園芸部所属のある女子に個人的な恨みを持っていたらしい。それで、直接行動に出ることが出来なかったため、園芸部の至宝である花壇に手を出したらしい。恐らく、こっぴどく振られるかしたのだろう。
 とにかく、被害に遭った花はもう返ってこないけれども、事件はひとまず一件落着。
 翠星石が口を開いた。
「……蒼星石」
「なぁに、姉さん」
「今日は、ありがとうですぅ」
「……もう、」
 立ち止まって、翠星石を見据える。疲れたように、愛しげに、破顔した。
「あんな無茶はしないでね」
「翠星石だって馬鹿じゃないですぅ。一度学習したら忘れねーですぅ」
 無駄にVサインを送ってみせる翠星石。学習はあまりしていなさそうである。
「でも、何で翠星石に話してくれなかったですか?事件のこと」
「ああ、だって姉さん…忙しそうだったもの。あと、僕も自立したいなあ、なんて馬鹿なこと思ってたんだよ。ごめんなさい」
「全くですぅ!もっと姉ちゃんに甘えやがれですぅ!」
 ぱちんと蒼星石のおでこを叩いた。
「そうですぅ、大事なことをわすれてたです」
 そう言って、翠星石はおもむろに持っていたビニール袋を漁り始めた。がさがさがさがさ、漸く出てきたのは、───立派な庭師の鋏だった。
「けっこー高かったんですよ。翠星石が働いて稼いだお金で買った鋏ですから、大事に使いやがれですぅ」
 やっぱり、バイトはそういう意味だったんだね…と蒼星石も呟きながら持っていたビニール袋を漁った。出てきたのは、───立派な庭師の如雨露だった。
「これも、多分同じ店で買ったやつだ。僕が内職して稼いでかった如雨露だから、大事に使ってね」
「あ、じゃあ、あの部屋からしていた『がしゃっぽん』って音は……」
「うん。シャンプーのノズルのところを作る内職してたんだ。プレスしているときの音だよ」
 ………。
 二人は、思いっきり吹き出す。笑いが止まらなかった。
「これだから、双子っていうのは!」

 もう夕暮れだ。辺りは蜜みたいな赤に染まっている。
 夕暮れ小道を通り過ぎたら、もう姉妹の住む賑やかな家。
「さ。姉さん、扉を開けるよ」
「ふふふ、早く開けるですぅ」
 玄関を開ければ、そこには。

『誕生日おめでとう、翠星石、蒼星石!』

 大好きな姉妹達がクラッカーを引いて出迎えてくれるから。
 だから、今日も双子は笑顔でいられる。

 つづく

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