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初めて彼女を見たのは、雨の日。

何気なく窓から道を眺めていると、学校帰りの彼女が歩いていた。

彼女は道端で雨宿りしながら鳴いてる子猫に自分の傘を差し出していた。
私がその光景に目を細めていると…彼女は私に気が付いて、いかにもバツの悪そうな…嫌そうな顔をしたっけ。


次に彼女を見たのは、良く晴れた日の夕方。

私が病院の庭で子猫を撫でていると、制服姿で歩く彼女を見つけた。

私が子猫の手を握り、彼女に手を振る。…彼女は少し驚いた顔をして、それから不機嫌そうな表情をした。
でも、私には彼女が立ち去る直前、ほんの少し…微笑んでたのがしっかり見えた。


初めて彼女と話したのは、暖かな週末。

小さな猫缶を一個だけ持って、彼女は私の病室まで来てくれた。

「この子が虐待されてないか、見に来ただけよぉ」そう言うと彼女は膝に子猫を乗せ、頭を撫でて帰った。
彼女が帰った後…看護士さんが薔薇の一輪挿しを、誰かからのお見舞いと言って私の部屋に置いていった。



   ―※―※―※―※―
     薔薇色の日々
   ―※―※―※―※―

 
「そろそろ…いい加減に、この子の名前も決めてあげないとね」
私は子猫を膝に乗せ、今日も『子猫の様子を見に来た』水銀燈に声をかけた。

「ポチ…とか、どうかしらぁ?」
水銀燈は少し笑いながら、わざと変な事を言ってくる。
「そうね…ふふ…ポチか……素敵じゃない」
私も、いきなりそれを否定したりはしない。
「ちょっとぉ…子猫に『ポチ』は酷いんじゃないのぉ?」
水銀燈はわざと呆れたような声をあげる。
「…そうかな?…うーん…じゃあ、何にしよっか?」

何だかよく分からない、不思議なテンションの会話。

「そうよ。五月にうちに来たから『さつき』ちゃん、って言うのはどうかな?」
我ながら名案だと思う。『さつき』『サツキ』『皐月』……うん。可愛いと思う。
「安直ねぇ……もっとこう…カッコイイのが良いわぁ」
水銀燈は差し入れの林檎を手に取り、その皮を器用に剥きながら、少し頭をかしげる。

「同じ五月なら…そぅねぇ……『メイメイ』って言うのはどうかしらぁ?」
果物ナイフで空中に『May』の綴りを書きながら、水銀燈が提案してくる。

『さつき』ちゃんか、『メイメイ』か。うーん、難しい所ね。

ふと、名案が浮かんだ。

私は膝の上で丸くなってくつろぐ子猫を両手で抱え上げ、声高らかに宣言する。

「そうよ。この子は…命名!『メイメイ』!……どうかな?」
我ながら決まったと思う。
私は100点満点スマイルを水銀燈に向ける。
「……それ…駄洒落ぇ…?」
「うん…面白いと思わない?」
水銀燈は林檎を手の上で八等分に切りながら、私を見つめてくる。
「んー………良いわぁ。かなり大爆笑よぉ」
「でしょ?これ、後になってジワジワくるわよ?」

「メイメイ、ほら、こっちに来なさぁい…美味しい林檎が有るわよぉ?」
水銀燈は切った林檎をメイメイの鼻先にチラチラ当てる。
メイメイがその林檎に向かって、小さな体をめいっぱい伸ばす。
水銀燈は時々手を引っ込めて、必死に手を伸ばすメイメイに楽しそうに目を細める。
私はそんな光景を見ながら、水銀燈が切ってくれた林檎をちょっとだけかじった。

自分の前足ほどもある林檎の切れ端と格闘しているメイメイ。
それを眺めながら水銀燈とお喋り。
でも、楽しい時間はあっという間。
気が付けば、病室の中は西日で紅く染まり始めた。

「そろそろ、帰るわぁ…」
時計に目を向け、水銀燈が立ち上がった。
「…ところで水銀燈。貴方が帰った後、いっつも誰かがお見舞いに薔薇の花くれるんだけど…誰か知らない?」
病室の扉に手をかけた水銀燈の背中に、私はそう声をかける。
水銀燈は振り返り、ニヤリと笑みを浮かべる。
「……さぁ?…知らないわねぇ…」


本当は優しいのに、ちょっとひねくれてて、意地っ張りな水銀燈の居なくなった部屋。

私は今日も届いた薔薇の花に、そっと指先で触れてみた。

 
―※―※―※―※―


今日も水銀燈は『スーパーで特売品を買いすぎて、荷物が重いから休憩に』私の病室まで来てくれた。

「まぁ…これだけ買い込めば、当分は安泰ねぇ」
水銀燈は大きな買い物袋を床に置きながら、ご満悦の表情を浮かべている。
「……それにしても…すごい量ね…」
とても彼女の細い腕で持てるとは思えないほどのサイズの買い物袋。
それを眺めながら、私は感心するように呟く。

「……何よぉ…分けてあげないわよぉ…?」
訝しげな表情で、過剰反応する水銀燈の表情は、これがまた可愛い。
「いっつも薄味の病院食で飽きちゃったなー」
ちょっと湧いた悪戯心。私はニヤニヤしながら買い物袋を眺めてみる。

「…全く…しょうがないわねぇ…?」
彼女は、まるでそんな私の行動を予想でもしていたみたいにニヤっと笑い…
「…だったら…特別に…これあげるわぁ」
そう言い、変なイラストの描かれた袋を取り出した。

『くんくん探偵ふりかけ』

「……何これ?」
「知らないのぉ?ふりかけ、って言うのよぉ?」
「……それは知ってるわ」
 
 
水銀燈は指を一本ピンっと立てて、(何故か)得意げな表情で講釈しだす。
「…世の中には、多くのふりかけが存在するけど…これは別格よぉ…
小さく分けられた便利な使いきりサイズ…様々な味のバリエーション…そして…ここが一番大事な所……」
そう言い、彼女はバリッとふりかけの袋を破り、中から何かを取り出した。
「…これよぉ……シールなんてお子様な代物とは、訳が違うわよぉ…?
これはマグネット……つまり…冷蔵庫に引っ付くのよぉ…?」

まるでヤバイ物の取引でもしてるみたいに、水銀燈はくたびれた犬の描かれたマグネットを示す。
その顔には笑みが浮かんではいるものの…
マジもマジ。本気と書いて『マジ』と読む位に、大真面目な表情。
「そ…それはスゴイわね…」
「でしょぉ!? ふふ…やっぱり素敵よねぇ…?」

水銀燈はメイメイをもふもふしながら、くんくんについて熱論を飛ばす。
私も、部屋のテレビで見たことは有ったおかげで、付いていけない事はなかったけど…
まさか、こんなに流行ってるだなんて、思ってもみなかったな。


夕暮れ近くなって、水銀燈が帰って…
今日も、差出人不明の薔薇の一輪挿しを持って、看護士の佐原さんが私の部屋にやって来た。

私は、誰かさんが届けてくれる薔薇の花を眺めながら…
意外と、おちゃめな彼女との会話を思い出し、少し微笑んでいた。


―※―※―※―※―

 
 
これから来る梅雨の季節を先取りするような雨。

びっくりする位、色んな理由で毎日会いに来てくれる水銀燈。
今日は『雨宿り』に来てくれた。

「ふぅ…全く…最悪ねぇ」
窓の外で降り続ける雨に、水銀燈はため息をつく。
「そうかな?自然の奏でるジャズだと思えば…なかなか素敵じゃない?」
「……本気でいってるのぉ?」
「どうかな?…でも、水銀燈が雨宿りに来てくれるなら…たまには雨も良いわね」
「最悪よぉ。…洗濯物は乾かないし、ジメジメするし、髪は濡れるし…」
不貞腐れた表情で、水銀燈がブツブツ言う。


雨の音に身をゆだねながら、膝の上で眠るメイメイを撫でていると…不意に、悲しくなってきた。
何でだろう?

…私は…この子みたいに自由に生きるどころか、雨に濡れる事すら無い。

「…何でこんな体に生まれちゃったのかな……」
呟く。
きっと…誰かに聞いてほしかったから。
何の答えも返ってこなくても…少しでも、自分の事を理解して欲しかったから。

窓の外で雨に打たれる、一本のか細い木に視線を向ける。
 
「どうせなら…どこかの文学みたいに、あの葉が全部落ちると同時に死んじゃったらいいのに…」
いつ止まるとも知れない自分の心臓。
明日には死んでるかもという不安。
「私みたいな壊れた子……いつ死んだっておかしく無いのに……」

慰めてほしかった?
否定してほしかった?
それとも、ただ聞いてほしかった?
…分からない。

私は、作り笑いを浮かべて水銀燈に振り返り―――
そして、人形のように表情無く私を見つめる水銀燈と目が合った。

そして…
私が何かを考えるより早く、水銀燈は何も言わずに私の頬を打ち――病室から出て行く。
私は…とりかえしのつかない事をしたのだと痛感した。

これは、私のせい。
こんなウジウジした人間の傍には、誰だって居たくない。

折角出来たと思った友達との、突然の別れ。
私はその事に、悲しさよりむしろ、自分の至らなさを感じ……


誰も居なくなった部屋。私だけが、残された部屋。
水銀燈に叩かれた頬が、とても熱くてとても痛い。
時計の音がコチコチと、時間が過ぎていく事を私に教えてくれた。

 
 
「――見てみなさいよぉ!」
不意に、窓の外から水銀燈の叫ぶ声が聞こえた。

私が窓辺に身を乗り出し、病院の庭に視線を向けると――

降りしきる雨の中、傘もささずに水銀燈が一本の木を蹴っている。

「めぐ!しっかりと!見てみなさいよぉ!!」
水銀燈は叫びながら幹を蹴り続け…

やがて…か細い木は、地面から抉れるように折れた。

「どう!?めぐ!死になさいよぉ!死んでみなさいよぉ!!」
そう叫ぶ水銀燈の顔は、雨に濡れてる。
「死なないじゃないのよぉ!だったら…そんな容易く壊れた子なんて言わないでよぉ!!」
水銀燈の顔から、雨の滴が落ち続ける。


「……ごめん…ごめんなさい……」
私は―――いつしか泣きながら、水銀燈の下へと走っていた。


~~~~~

 
 
濡れた二人分の服が部屋の隅に干されてる中…
私の寝巻きに着替えた水銀燈は、私と二人でベッドの上で毛布に包っていた。
 
「…やっぱり、雨は最悪ね…」
「……だから、そういったでしょぉ…?」

私は、すっかり冷えて小さく震える水銀燈の手を、そっと握る。

「……ちょっとぉ…勝手に触らないでよぉ…」
「でも…私も水銀燈を迎えに行って、雨に濡れちゃったし…寒いじゃない?」

水銀燈はあからさまに嫌そうな顔をしながら…それでも、私の手を振り解こうとはしなかった。

「…ありがとう、水銀燈」
「……何よぉ…馬鹿じゃないのぉ…」


すっかり濡れた水銀燈の服は、一時間や二時間では乾く気配も無く…
私が無理を言って、見舞い人用の簡易ベッドでこの部屋に泊まってもらう事になった。

「…寝心地はどう?」
「…最悪」
ちょっと硬めの簡易ベッドの上で寝返りを打ちながら、水銀燈が小さく悪態をつく。
「だったら…こっちに来て一緒に寝ない?」
私はそう言い、ベットの半分に体を移動させる。
 
 
「…寝心地はどう?」
「…もっと最悪になったわぁ」
狭いベッドで私に背を向けながら、水銀燈が答える。
「…じゃあ…あっちに戻る?」
私は、無人の簡易ベッドに視線を向ける。
「…嫌よぉ…今頃、お布団がすっかり冷えちゃってるわぁ…」


素直じゃなくて、とってもひねくれてて…でも、誰よりも優しい水銀燈。
彼女の静かな寝息を聞きながら、私はずっと思っていた事を心に描く―――


―※―※―※―※―


「ねえ、水銀燈。私、手術受ける事にしたわ」
林檎の皮を剥いていた水銀燈の細い指が、一瞬止まる。
「…ふぅん……」
興味無い、といった感じで相づちを打ちながら、水銀燈は再び林檎の皮を剥き始めた。

「でね…その手術、成功する確率が低いから…この病院じゃしてくれないのよ…」
「…ひどい話ねぇ…」
まるで他人事のように…実際、他人事なんだけど…水銀燈は呟く。

「だから私ね…外国の病院に行くんだ……」

細く長く続いていた林檎の皮が途切れ、ポトリと地面に落ちた。

 
水銀燈は地面に落ちた林檎の皮を、やけにゆっくりとした動作で拾い上げる。
私はその仕草を眺め…そして、窓の外に視線を向ける。

「だから…お願いがあるの……聞いてくれる…?」


私は、ずっと考えていた事を、洗いざらい水銀燈に説明する。
最初は呆れていた様子の水銀燈も…
やがて、楽しそうに喋る続ける私につられてか、ニヤニヤと笑い出した。

「…どうも…一番にお医者様に診てもらうべきは、頭だったみたいねぇ…?」
「そう?イカした作戦だと思わない?」
「イカれた作戦、って所ねぇ……いいわぁ…やってやろうじゃなぁい」

膝を寄せ合うように距離を詰めながら話し…二人同時にニヤリとしてしまった。


―※―※―※―※―


「…もっとサイズの小さいの無かったの?」
胸元がブカブカな服を着た私が、鏡の中で切なそうな顔をしている。
「…変な言いがかりはやめてよぉ」
水銀燈が私の胸元を見ながら、呆れたような声をあげる。

………うん。
手術さえ…手術さえ成功すれば、私だって…!
 
 
水銀燈は、ブツブツと魔法の言葉を呟く私の髪を持ち上げ、帽子の中にスッポリ隠してくれた。
「……これで…後ろから見たら、男の子に見えなくもないわねぇ。……多分」
「多分?それじゃあ駄目よ。もっと、こう…」
私は水銀燈が用意してくれた道具の中をあさり――サングラスを取り出す。
「これ、いいじゃない!……どうかな?」
サングラスをかけて、水銀燈に向けポーズをとってみる。
「…やりすぎねぇ…不審者にしか見えないわぁ」
「そうかな?」
私は鏡で自分の姿を確認し……無言でサングラスを外した。

~~~~~

「いきなりヘマしないでよぉ?」
そう言い、水銀燈は私の病室を後にする。
私はコチコチと鳴る時計を睨みつけ…ちょうど一分経ったのを確認して、立ち上がった。

ずっと考えていた計画。それを、実行に移す為に…。

~~~~~

右見て、左見て、またまた右見て…
うん。大丈夫そうね。

私は足音を殺しながら、病院の真っ白な廊下を慎重に進む。
耳に神経を集中させ、小さな物音も聞き逃さないように…誰かの足音に、すぐ反応できるように…
そして、目深にかぶった帽子を持ち上げ、廊下の先―――
最大にして最初の関門…ナースステーションを睨みつけた。
 
 
…迷ってる時間は、無い。見つかったらそこで終わりなんだから。
私は意を決し、匍匐前進でナースステーションの受付台の下を進む。
…これ…結構…しんどいわね……
慣れない運動と緊張で心臓がドキドキする。ここで止まっちゃったらどうしよう?

私は匍匐前進のまま、進み…ナースステーションを抜けた先の曲がり角で、一休憩。
ちょっとだけ聞き耳を立ててみると――特に何の変化も無い。良かった…バレてないみたいね。
「……ふぅ…」
思わず、ため息が漏れてしまった。

「油断するのは、少し早いわねぇ…?」
「! きゃ…」
背後から突然聞こえる声に思わず私は叫びそうになり…柔らかい手に口元を塞がれる。
「…静かにしなさいよぉ?…見つかっちゃうわぁ…」
水銀燈が私の口を塞いだまま、耳元に顔を寄せて囁く。吐息がちょっとくすぐったい。
私はそのままコクコクと頷くと…
水銀燈に手を引かれて階段の方へと向かっていった。

体に無理をさせないように、ゆっくりと階段を降りていく。
本当は今すぐに走り出したいけど…
そんな事したら不審者丸出しだし、何より心配性な水銀燈に怒られちゃうかもしれない。

私はゆっくりと階段を降りてゆく。
誰にもすれ違わない。だって、普通は皆エレベータ使うものね。

私は順調に進む脱出作戦に、思わず嬉しくなってくる。
 
でも、普段の運動不足がたたって、階段を降りるだけでも一苦労。
「ねえ…ちょっと休憩しない?」
階段の踊り場で、水銀燈にそう提案してみた。
「…状況をわきまえなさいよぉ……」
水銀燈はそう言いながらも、それでも立ち止まり…

何だかんだ言っても、いっつも嫌そうな顔をしながらも、それでも優しい水銀燈。
「ありがとう、水銀と――」
私がそう、彼女に微笑みかけた時―――
誰かが階段を昇ってくる足音が聞こえる―――

(マズイ!)
私が足音に身を固くした瞬間――

水銀燈は私の手を引き、自分の背中を壁に当て――
そして抱きしめるように私の体を掴み寄せてくる―――

コツコツと足音が近づき…足音は私の真後ろを通り…

一拍遅れて、私の心臓はドキドキしっぱなし。
「す…水銀燈…?」
「…大丈夫…このまま『階段でイチャつくカップル』のフリしとけば…やり過ごせるわぁ…」
抱き合うような格好のまま、とっても小さな声で囁きあう。
視界の端には、カツカツと歩く看護士さんの足が見える。

もう、色んな意味で心臓が止まっちゃいそう。

階段に響く足音は、そのままペースを崩さずリズミカルに鳴って…
やがて、階段の上のほうへと消えていった。

私達は暫く、そのままじっとして…

私はちょっとした悪戯心で、水銀燈に顔を向け、目をそっと閉じる…―――

…ポカっ!
殴られた。

「…調子に乗るもんじゃないわぁ…」
「ふふ…ごめん」
私達はちょっとだけ体を離して、互いの顔を見て少し笑い……
「めぐちゃん…?」
階段の上から聞こえた声に、雰囲気をぶち壊された。
驚いて振り向く。その先に居たのは…私を担当してる、看護士の佐原さん。

全く…覗き見なんて悪趣味ね。
いくら名前の通り、サハラ砂漠みたいに潤いの無い生活してるからって…若い二人の邪魔しないでよ。
それにしても……見つかっちゃった。さて、どうしようかな…?

でも、私がそんな風に考え、答えを出すより早く―――
「さっさと逃げるわよぉ!」
水銀燈が叫びながら、私の手を引き走り出す。
「ちょ…めぐちゃん!?待って!待ちなさい!」
佐原さんの驚いたような声が背後から響いてくる。
私は水銀燈に手を取られたまま、笑いながら、どこまでも走る。

何だか映画のワンシーンみたい。
そういえば、結婚式場から花嫁を連れ出すラストの映画をいつか見た気がする。
あれって、それからどうなったんだろう?

 
―※―※―※―※―


階段を二人で駆け下り、病院の入り口を走り去り、私と水銀燈は駐輪所まで辿り着く。
「めぐちゃん!待って!!」
佐原さんは愉快な仲間達と一緒に、私を捕まえようと追いかけてくる。

水銀燈は停めていた自分の自転車に飛び乗り、私はその後ろにちょこんと座る。
そうこうしてる間にも、看護士さん達はどんどん近づいてきて……

「メイメイ!足止めしなさぁい!」
水銀燈が突然、そう叫んだ。
すると、木陰から小さな鳴き声と一緒に子猫が飛び出し―――

チョコンと自転車の前カゴの中に座った。
「………」
「………」
何でこの子は、『やったぜ!』みたいな顔してるんだろう?
「………」
「……よし!出発よぉ!」

もうちょっとの距離まで迫った、私を捕まえようとする手から離れるように、自転車は走り出す――
「佐原さーん。夕方までには帰るから、心配しないでねー」
私は離れていく看護士さん達にヒラヒラと手を振り…そして、自転車を漕ぐ水銀燈の背中にしがみ付いた。

 
 
心臓が、とってもドキドキする。

でもそれは、いつもの痛みを伴うものではなくって……

私はそっと、水銀燈の背中に顔を押し当てた。


―※―※―※―※―


「…何とか…脱出成功ねぇ?」
自転車の速度を緩めながら、水銀燈が人心地ついたように呟く。
「うん。…無茶させてごめんね、水銀燈…」
変装用の帽子を取り、風に髪をなびかせながら、私はしがみ付く手に力を込める。
「…そうねぇ…なら、一つ貸し、って事にしといてあげるわぁ」

水銀燈はそう言うけど…
私は彼女に、色んな事をしてもらった。色んな思いを与えてくれた。
一つ、なんてものじゃない。それは、気持ちが一杯になる位に沢山の……

「でぇ?これからどこに行くのぉ?」
「うーん…そうね……海なんて素敵じゃない?」
「遠いわぁ…」
「じゃあ、どこかでご飯でも食べましょ?」
「……当然、貴方の奢りよねぇ…?」

―※―※―※―※―
 
 
二人で一緒にご飯を食べたり、色んなお店の中を覗いたり。

ふらっと立ち寄ったゲームセンターでもぐら叩きを二人でしたり、喫茶店でお茶を飲んだり。

目的も決めず、二人で気の向くままにプラプラ街を歩く。


「ふふ…私ね、一度で良いから、誰かとこうして過ごしてみたかったんだ」
「…元気になったら、いつだって出来るわぁ」

私はとってもご機嫌で、調子も良いのに…何だか水銀燈はいつもと同じで、どこか素っ気無い。
ほんのちょっと、悔しいな。

「ねえ、水銀燈…手、繋いでいい?」
「嫌よぉ。何で私がそんな事…」
私は水銀燈の返事を聞き流しながら、彼女の手にそっと自分の手を重ねる。
「でも…私が迷子になったら、心配しちゃうでしょ?」
「…私は引率のお姉さん、って柄じゃないわぁ…」
水銀燈はちょっと困ったような顔をするけど…やっぱり、私の手をそっと握り返してくれた。


素直じゃなくて、ひねくれてて、恥ずかしがりやで寂しがり。
とっても優しくて、誰より素敵な、私のお友達。

私は……
 
 
「やっぱり…手術受けるの止めちゃおうかな…」
「……馬鹿な事言うんじゃないわぁ…」
「うん……ごめんね……」

太陽は傾きかけ、私達の影は長くなっていく。

「そろそろ…帰らないと…」
「……そうね」

私の手を握る水銀燈の手に、ちょっとだけ力が込められた気がした。

「…向こうに行ったら…手紙書くわね…」
「…電話もメールも有るでしょぉ?…何で手紙なのよぉ……」
「だって…『手紙とは配達される期待』って言うじゃない?」
「……面倒になったら、すぐに返事書くの止めるわよぉ?」

手を繋いだ二人の影が、どこまでも、どこまでも長く伸びていた。

 
―※―※―※―※―


結局、病院に帰った私達は…そこら中から、こっぴどく怒られた。
なんでも、警察に連絡するしないの騒ぎになっていたらしく…

水銀燈はその責任を取らされるように、病院へのお見舞いを禁止されてしまった。
 
 
だから、この一日は私にとって水銀燈と過ごした最後の思い出。

でも、私にも水銀燈にも、後悔は無い。
二人でかけがえの無い一時を送った。
その事実が、私達の心には確実な充足感として残った。


そして――それから外国の病院に行くまでの数日間は…
まるで昨日と今日の境目ですら曖昧なほど、私にとっては何の意味も感じない日々。
ただ、使い切っていくだけの毎日。

そんな日々が過ぎ……そして、出発の日が来た。





-=※=※=※=※=- 





病院から出てくる人の中で……私の目はすぐにめぐの姿を見つけた。
思わず駆け寄りたい衝動に駆られるが、周囲の目を気にしてそこは堪える。

めぐもこちらに気が付き、何か言いたそうにしているが…
彼女の受け持ちの看護士が私達の間に立ち、全てを遮った。
 
「…最後の挨拶をしにきただけよぉ」
極力敵意を抑えながら、看護士に用向きを伝える。
看護士の目からは警戒心は消えてないが…それでも、納得したのか彼女はゆっくりとめぐの横に戻っていった。

私はめぐの前まで歩み寄り…
でも、こんな時、どうやって話しかけたらいいのか分からない。

「見送り、来てくれたんだ…?」
「…偶然近くを通っただけよぉ」
めぐの笑顔に咄嗟に出た答えは…いつもと同じ、強がりの嘘だった。
違う。こんな事を言いに来たんじゃない。
私は背中に隠し持っている物を握り締め……ちょっとだけ、勇気を振り絞った。
「めぐ…貴方、いつだったか薔薇の花の事、私に聞いてきたわよねぇ…?」

「アレ…実は、私なのよぉ…?」
そう言い、背中に隠していた一輪の薔薇の花をめぐに差し向けた。

…やっぱり……こんなの、柄じゃないわぁ……
私は緊張して、めぐの顔を見れない。そわそわと、あらぬ方向に視線を向けるばっかり。
でも…―――

「そうだったの?全然気が付かなかったわ!」
めぐが素っ頓狂な声をあげたお陰で、私はいつものペースを取り戻す。
そうしてやっと見ることの出来ためぐの顔には…相変わらず意味深な笑みが浮かんでいた。
「……貴方もニブイわねぇ?この…お馬鹿さぁん……」
私はめぐの額を、指先でちょんと突っつく。
 
 
めぐは楽しそうに笑い、私もちょっと、つられて微笑む。
暖かい陽射しが私達を包む。
大切な友達の出発……せめて…最後まで笑顔で見送ろう―――

「水銀燈…?貴方…泣いてるの…?」
めぐの言葉で、私は自分の目が熱くなってる事に気が付いた。
「だ…誰が泣いたりするもんですか!私は泣いたりしないわぁ!」
そう言いながら私は自分の目元をゴシゴシと擦る。
「全く、せっかく来たのに……貴方なんて、さっさと行っちゃいなさいよぉ…」
「ふふ…ごめんね?水銀燈…。すぐに帰ってくるからね?」
めぐはそっと、私の髪に指を這わせる。

そして……

「じゃあね。水銀燈…」
めぐは停めてある車の方へと導かれ、歩いていく……

私はその背中に、絞るように声を飛ばした…。
「…手紙……」
「え?」
「自分で言ったんだから……ちゃんと書きなさいよぉ…?」
「…うん。約束ね」 



~~~~~
  

 
めぐを乗せた車が街並みの中に消え……私は一人、めぐの居た病院の前に佇んでいた。

ふと、空を見上げる。

どこまでも晴れた空に、飛行機雲が一本の線を描いていた。

「…早ければ、一年位で帰ってこれるわ」
私の背中に、看護士がそう声をかける。私は何も答えない。
気が付けば…私はいつまでも一人、空を見上げていた。

視線を下ろすと、私の足元に子猫が擦り寄ってきている。
「……おいで…メイメイ…」
私はそっと、子猫を拾い上げる。
メイメイを胸に抱き、再び視線を上に向ける。

誰も居なくなった病室の窓。カーテンが風に揺られていた。




 

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