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白銀の景色だった。
色が異なるのは空の蒼とたまに見える川と洞窟の色。他は全て白く塗りつぶされている。
そんな世界を、大きな長靴を履き、厚いジャンバーと耳当てをした少年が雪を踏みしめる音と共に歩いていた。
「さぶい…」
少年が呟くと、少女の声が答えた。
「まったく、だからあのままトラックの二台で送って貰えば良かったのにぃ。変な意地張るから」
「だって、あんなに大きく建物が見えたんだから…何だって着かないんだよ…」
少年は震える手でコンパスを持ち、地図を見る。
「ジュンが見たのって、蜃気楼ってヤツじゃない?」
少女が言う。
「蜃気楼って…雪の砂漠でも見えんのか…?」
「さー。まあでも、早く人里に着かないと色々マズい事になるよ」
「…わかってる」
それから、ざくざくと音を立てながら銀色の森を歩いていると、ジュンと呼ばれた少年が声を上げた。
「あ…アリス!人だ!人がいるぞ!」
アリスと呼ばれた帽子も、いくらか声のトーンを上げた。
「良かったねー。危うく二人仲良くかき氷の具になるとこだったよ」
先程よりも速く歩きながら近付くと、それは紫色の服を着た、紫色の長髪の少女だとわかった。周りの白に良く映えたその少女は、無表情で足下の何かを眺めていた。
「すみませーん!」
「…!」
ジュンが呼ぶと少女が素早くこちらを向く。大きく見開かれたその瞳は金色で、猛禽類を連想させる。振り向いた時に左目に薔薇の刺繍の入った眼帯をしているのが見えた。
「道に迷ってしまって…って、あれ?どこいった?」
ほんの瞬きをした間に、その少女はジュンの視界から消えてしまう。
「ジュン!後ろー!」
「え…」
次に後ろを振り返ったジュンが見たのは、その少女によって振り下ろされる、半透明の棒の煌きだった。



第六歩「氷雪の鏡の国」



―さて、そろそろ彼等の旅も終わる頃だろう。順調に進んでいれば、だがね

『   ?』

―少なくともそうだろうな。私が感知していないのだから

『…   ?』

―ふむ、何故そんな事を聞くんだね?

『 、  …』

―…何だって?



(もしもし…もしもし…)
「う…」
強い痛みと繰り返される声になんとか意識を正し、目を開ける。
「あ、気付いたねジュン」
「アリ、ス…?ここは…」
頭を押さえながら顔を上げると、豪華でありながらどこか落ち着いた雰囲気のある家具や照明が目に入った。それと、
「わっ!さっきの…じゃない?」
鋭い打撃にてジュンの意識を奪った少女に良く似た、白い服に白い長髪の、右目に眼帯をした少女が申し訳なさそうに立っていた。
「申し訳ありませんわ。妹がとんだ失礼を…なんてお詫びしたらよいか…」
「ん…え、えと…」
困惑気味のジュンにアリスが説明する。
「お花の国の二の舞になったって事。如雨露の代わりに水晶で、翠星石さんの代わりに彼女の妹」
「あー…」
ジュンがぼんやりと答えた。
「ただ今回は仕方ないと思うよ。あの時は花壇に足を突っ込んだけど、今回は迷ってただけだからねー」
アリスが言うと、白い少女は申し訳なさそうに付け足した。
「あの辺りは普段は人が入らず、また入るとすれば国の者か盗賊くらいなものでして…妹が勘違いをした次第なのです」
「あー」
今度は納得して答えた。
「まあ…それは仕方ないですね。女の子一人で盗賊なんかにたかられたら大変ですから。えっと…」
「あ、これは失礼を。わたくし、雪華綺晶と申します。そして貴方様を殴ってしまった妹が薔薇水晶です」
雪華綺晶は礼儀正しいお辞儀をした。
「そしてここはわたくし達が住むお城の一室です。そこから城下がご覧いただけますわ」
雪華綺晶の白い指がジュンの寝ているベッドの隣のガラス窓を差す。ジュンが少し体を動かして覗くと、かなり下の方であったが白い雪の中に灯りや家、馬車などがぼんやりと光っていた。
「それにしても、正直危ないところでした。あれから直ぐに吹雪いて参りましたので…お二人が妹と出会わなければ…」
「今頃雪だるまだねぇ」
アリスがのん気に言った。
「アリス様から聞きしましたが、ジュン様が山道から見たとおっしゃられたのは確かにこの城でしょう。ただ、この地域には特別な鉱物や結晶が存在しますので、恐らくそれらに映し出された映像をご覧になられたものだと思われます」
「特別な…鉱物ですか」
雪華綺晶は微笑んで、言った。
「この国の特産ですの。今日は天気も悪いですし、お休みになられる方がよろしいと思いますが、明日にでも城下を散策されることをお勧め致します。きっと楽しまれる事でしょうから」
「ご丁寧にどうも。えっと、薔薇水晶さんは?一言お詫びを言っておきたいんですけど…」
「本当に申し訳ありません。妹は外出していて、明日にならないと帰らないのです。明日の朝には戻ると思いますから、その際お詫びを含めた挨拶をさせますので…」
あまりに雪華綺晶が恐縮するので、ジュンは慌てて気にしていない旨を伝える。 それでも尚彼女は続けて、
「お詫びと言えるかわかりませんが、お二方がこの国に滞在中はここにお泊まりくださいませ。食事もどうぞここで」
「あはは…どうも」
ジュンの曖昧な返事の後、アリスがピシャリと言い切った。
「雪華綺晶さん、そんなに気を使わないでください。男はちょっと冷たくするくらいが丁度いいんです。甘やかすとつけあがりますから。これじゃあ“しつけ”になりません」
さすがにこれには雪華綺晶も面をくらった様子で、少し笑うと、
「では、用事があればお呼びください。夕飯は出来次第お呼びしますので」
そう言って部屋を出て行った。
「ふー、いかなり災難だったけど…最後が良さそうな国でよかった」
ジュンがベッドに倒れながら言った。
「ホントにねー。雪華綺晶さんも良い人だし。あー、後は薔薇水晶さんか」
「…また殴られなけりゃ御の字だけどな」
ジュンがぼやいて、アリスが笑った。
「ま、寝る場所は確保出来たし、夕飯はとりあえずご馳走になるとして、お城にも直行出来たしね。珍しく至極順調。夕飯まで時間もあるし休んだら?疲れたんじゃないかい?」
「そうだな。“しつけ”には従わないとな」
そう言って、アリスが何か言っているのを無視して、ジュンは布団に潜った。


『ねえ。あ、あのさ…』
『うん』
『その…えと…』
『なんだよ?』
『う、う~!…あー、ダメだわ。やっぱり決心って1日も経つと薄れるんだよね~。ゴメン、また今度にする。その時はちゃんと聞いてね』
『…はぁ』


雪が止み、空に星が見える頃、雪華綺晶が夕食に呼びにきた。二人がダイニングルームに行くと、広い部屋の割には小ぶりなテーブルに二人分の料理が置かれていた。
「お口に合えば良いのですが」
ジュンが席に付き、慣れない手つきで口に運ぶと、少し目を開けて目の前の料理を眺める。それから、実に器用にナイフとフォークを振るって次々に皿を空にしていく。
「まったく…この子は…」
「気に入っていただけたようで何よりですわ。作った甲斐があるというものです」
それを聞いて、ジュンの手が止まった。
「え…これ、雪華綺晶さんが?」
「はい。基本的に身の回りの家事は全てわたくし達がやっております。使用人は普段このお城にはいませんので」
「何で?二人は王女じゃないの?」
アリスが聞くと、雪華綺晶は首を振った。
「確かに生まれた時は王女という位置付けでしたが、父の代で王政から民主制に移行したのですよ」
「革命…ですか?」
ジュンが恐る恐る尋ねると、雪華綺晶は笑って再び首を振る。
「いいえ、父が自ら王政を廃止したのです。父の代の時には既に政治は民間に委託していましたので、便宜上の王政だったのですが。そしてこのお城は貴重な文化資料として残される事になり、わたくし達二人が有り難く使わせていただいてるのです」
「え、じゃあここに住んでるのって…」
「はい、わたくしと妹の二人だけですわ。代々王家に使えていた執事が恩義にてここに残ってくれましたが、三年前に風邪をこじらせてしまって。高齢でしたし、わたくし達には祖父のような方でした」
ジュンがしんみりとデザートに食い付いていると、雪華綺晶がにこやかに、
「そうですわ!お食事の後にアルバムをご覧になりませんか?執事が写真に収めたこの国の記録がありますの」
既に食事を終えたジュンは2つ返事を返した横で、アリスは溜め息をついていた。

「へぇ」
「わー、すごい」
食器を片付けた雪華綺晶が紅茶と一緒に持ってきてくれたアルバムをジュンとアリスが興味しんしんにめくる。
そのアルバムには国の四季の風景から野生動物、庶民や貴族といった数々の写真が収められ、まさにこの国の歴史といったものだった。
「お」
「あー、可愛い!」
最後の方のページは、薔薇水晶と雪華綺晶の成長の証しで埋められていた。
「ふふふ、こうして見られると恥ずかしいですが、ばらしーちゃんは可愛いでしょう?」
「大丈夫です。きらきーちゃんも十分可愛いです」
雪華綺晶は少し驚いて、
「あらあら、どうしましょうアリスさん」
「これは“しつけ”が足りないですわねー」
「ギャー!頭を絞めるなー!」
随分と打ち解けた三人がテーブルの上に二人の写真を並べて雑談を交わす。写真は薔薇水晶、雪華綺晶、二人の写真に区分けされていて、雪華綺晶は主に薔薇水晶の写真をジュンとアリスに自慢げに説明していた。
「これはばらしーちゃんが初めて馬に乗った時で…これがばらしーちゃんのドレス姿。そして…あらいやですわ、わたくしの写真がありました。それも寝顔だなんて」
「あはは、良いじゃないですか。気持ち良さそうに寝てますね」
それは、窓にから入る月明かりに照らされて、本を枕に机に突っ伏しているところを収めた写真だった。夜の暗がりと白色の少女と白鳥の置物のコントラストがなんとも美しい。
「いや、結構ありますね。あ、これが最後の日付で…あれ?」
「あら、それは二人で写ってる写真ですのに。もうラプラスったら…」
それは星を見ようと出掛けた時の写真で、星の余りの輝きに二人並んでくるりくるりと踊っている場面だと言う。
「ラプラスさんは本当に二人が好きだったんですね。きっと夢中で見てるうちに紛れちゃったんですよ」
「ふふっ、違いありませんわ」
夜も更け、ジュンは雪華綺晶の強い勧めで大浴場に入る事になった。初めは断っていたものの、ジュンの為にお湯を入れたと言われては入る他ない。
「どうだったー?大浴場」
ゆでだこ寸前になって帰ってきたジュンにアリスがつまらなそうに聞く。
「うん…最高だった…朝まで入ってたいよ…」
「まあまあ、それではジュン様がふやけてしまいます」
それから三人は雪華綺晶と薔薇水晶の二人と、ゲストの寝室ある階へと歩いて行った。
「それではお二人共、お休みなさいませ」
「お休みなさい」
「お休みー」
雪華綺晶と別れ、反対側へと向かう。との途中で、ジュンは聞いた。
「私は…だあれ?」
「え?」
慌てて振り返ってみたものの、そこには誰もいなかった。

翌朝、一通りの準備とアリスの手入れを済ませたジュンは、とりあえずダイニングルームへ向かう。
「あれ?ジュン、あの人って…」
「あ、うん、間違いない」
ダイニングに向かう途中の廊下に、紫の長髪の少女が背を向けて立っていた。
「えと、薔薇水晶さん。おはようございます」
「…!」
再び開かれ向けられる金色の目。
「あの…殴らないでください。本当…お願いします…」
「・・・」
殴りかかる様子はなく、ただ無言で立っているので、ジュンの方から話しを振る。
「昨日はすみませんでした。疑われるような場所に入ってしまったようで。あ、自己紹介まだでしたね。僕がジュンで」
「私はアリス。よろしくね」
「…く」
微かに動いた唇から、ジュンはとりあえず『よろしく』と言ったのだろうと推定した。
「…ごはん」
「え?」
薔薇水晶が指でダイニングルームの椅子を示す。
「…持ってくる。まって」
「…あ、座って待てば良いんですね?」
ジュンの言葉に頷いて、薔薇水晶は廊下を歩いて行った。
ジュンが椅子に座っていると、カチャカチャと音を慣らしながら薔薇水晶が料理を運んできた。トレーに乗せられたそれらを黙ってジュンと自分の前に置き、黙って食べ始める。
「あ…えと、雪華綺晶さんは朝ご飯は?」
薔薇水晶はスクランブルエッグをすくって今まさに口に運ぼうとする姿勢で停止し、
「お姉ちゃん…出掛けた」
そう言って、フォークを口に入れた。しかし卵は既に皿の上に落ちていた。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
三人はしばらく無言で食事を続けたが、その空気に耐え切れなかったジュンが再び口を開く。
「えと!昨日雪華綺晶さんが作ってくれた夕食も美味しかったですけど、この朝食も負けないくらい美味しいですね!」
「…ん」
反応あり。が、ジュンは現在薔薇水晶が行っている行動の方が気になっていた。
「あの…薔薇水晶さん?そのお塩、キャップが付いたままですよ?」
「…ん」
「あ、はい、そうです…って!薔薇水晶さん!かけすぎ、かけすぎ!」
「…ん」
そんな調子でようやく朝食が終わり、自分とジュンの食器を片付けた薔薇水晶が今日初めて自分から話し出した。
「城下…行く?」
「え?あ、はい。そのつもりですけど…」
「…ん」
皿を乗せたトレーを手押し車に乗せ、薔薇水晶は部屋を出て行った。その際フォークが一本床に落ち派手な音を立てたが、そのまま行ってしまった。

「はあ、息が詰まるかと思ったよ…」
食後、言った通りに城下の街へ行く途中でジュンが呟く。
「お疲れ様。…ねぇ、ジュン?正直…どう思う?」
「正直もなにも」
アリスの問うと、ジュンが直ぐに答えた。
「天然キャラで済ませられるレベルをこえてるよ。あれじゃまともに生活なんてできっこない。まして一人で」
「だよねー」
先程の食事で、薔薇水晶が最終的に口に運べたのは二口のスクランブルエッグとカップ半分のコーヒーだけだった。残りはテーブルや床に落ちたか、手を触れさえしなかった。
「どうなってるんだろ?雪華綺晶さんみたいなしっかりしたお姉さんがいるのに…」
アリスが呟き、ジュンが答える。
「さあな。まあ、雪華綺晶さんがいるから問題ないと言えばそうかも知れないけど」
お城は丘の上に建てられているので、街に出るにはしばらく階段を使って下る必要がる。自然の岩を削った大きなものだった。
「ん…ああ、雪華綺晶さんが言ってた特産品ってあれか」
ジュンが街に入るゲートに、文字や絵柄の入った看板が掲げられているのを見つけた。
「なになに?えー、自然の神秘“ローズクリスタル”と自然の奇跡“スノー・マテリアル”…?何コレ?」
「さあ。ま、何か店もいっぱい出てるし、のんびり覗いていくか」
「さんせー!わ~い、久々のショッピングだ~!」
晴天に照らされ輝く雪の街に、アリスの元気のいい声が響いた。

この街は城から国外へと抜ける一本道を中心に発展していて、その両側へ軒を連ねるという体系をとっていた。
メインストリートには旅行者向けの店や娯楽施設や大型店が並び、少し脇にそれると日用雑貨や食料品などの店が並ぶ。そしてそれを囲うようにして、大小様々な民家が建ち並んでいた。
「ふーん…特産ってこの水晶と鉱物ってことなのか。お、原石って書いてあるけど鏡みたいに映るなコレ」
「それがスノー・マテリアル?じゃあこっちがローズ・クリスタルね…わっ、ガラスみたいに透き通ってる。これが天然水晶なんて信じらんない」
二人がまじまじと店の前な並ぶ商品を眺めていると、不意に後ろから声をかけられた。
「お二人共、楽しんでますか?」
「あ、雪華綺晶さん」
振り返ると、白い服にコートを羽織った雪華綺晶が立っていた。
「おはよー!」
「はい、おはようございます。どうですか?我が国自慢の特産の方は?」
「え?まあ…綺麗ですけど…」
ジュンが言い淀むと、雪華綺晶が少し得意げな笑顔を作る。
「それらをただの鑑賞品と思っておいでですね?いいでしょう、ここはわたくしが自らガイドを務めさせていただきます。マスター!」
雪華綺晶が店の奥へ声をかけると、一人の男が歩いてきた。
「おお、雪華綺晶ちゃん!今日も可愛いねー!おっと失礼、綺麗だねー!」
その男は雪華綺晶を見るなり、嬉しそうに顔を緩ませる。
「マスター?今は仕事の時間ですわ。今からこのお二人方に我が国自慢の品を見せて差しあげようと思いますの」
「ん?ああ、観光の方かい!よっしゃ、じゃあまずはこの鏡だな!」
大袈裟な手振りでマスターが差し出したのは、縁を装飾で彩られた薄い手鏡だった。
「ご覧くださいジュン様、アリス様。これがまず一品目、スノー・マテリアルの鏡ですわ!
まず驚くべきはその薄さと軽さ。そしてそれらに似つかわしくないほどの強度を実現したという事です!これはこの地域でしか採掘されないスノー・マテリアルという特殊な金属質を含む鉱物によるものなのですよ。
このスノー・マテリアルを熱処理や表面加工を施す事により、我々は従来の鏡より遥かに強度で壊れにくい鏡の製造に成功したのです!そして」
雪華綺晶が伸ばした手に、タイミング良くマスターが紫色の布を乗せた。
「ご覧ください。これがスノー・マテリアルの一番の特徴である、『色調反転』でございます!」
雪華綺晶が布を鏡の前にかざすと、アリスが驚きの声を上げる。
「あ!布が白く写ってる!」
「はい、このようにスノー・マテリアルには紫色を白色に変える働きがあるのです。これによりこの鏡で写すものには全て美白効果があるのです!いかがですか!」
突きつけられた鏡をジュンが思わず手に取ると、マスターがすかさず『150メリルだよ』と言った。
「次の品はこのローズ・クリスタルです!これはこれ単品ではただの透明度の高い水晶ですが、ガラスよりも軽くて強く、また加工のしやすさにより、ステンドグラス、ガラス用品、装飾、レンズ、果ては保護膜まで何でもござれの万能アイテムなのですわ!」
そう言って今度はガラス細工のブローチをジュンに突き出した。マスターが『90メリル』と言った。
「このローズ・クリスタルにも白色を紫色に変える色調反転効果はありますが、月の光に照らされた時のみその効果が発現します。ああ、なんて神秘的なのでしょう!」
うっとり呟きながらもスキあらばジュンに商品を突き出してくる。この時にはジュンも対象法をわきまえ、マスターも苦笑いで二人を見ていた。
「ちなみに、この色調反転は互いに効果を及ぼさないので、例えばこのスノー・マテリアルに写して白色になったものを月灯りの下でローズ・クリスタルに通して見ても白いままなのです。…さて、これにてわたくしの説明を終了とさせていただきますわ」
「お疲れ様だ雪華綺晶ちゃん。さあ旅人さん、2つで240メリルだ…と言いたいが、雪華綺晶ちゃんの手前だからな!200で持ってけ!」
「素晴らしいですわマスター!良かったですわねジュン様!」
「え?あ…はあ」
こうしてジュンは買う予定になかった商品を買う事ができた。あるいは、買わされた。
それからは雪華綺晶は善良なガイドとして二人を案内し、ジュンとアリスはその場所場所で楽しんだ。そして全ての場所で雪華綺晶は歓迎され、二人もその恩恵にあずかった。
「雪華綺晶さんのガイドっぷりはプロ並みです。恐ろしいくらい商売上手ですね」
ジュンが両手に荷物を持ちながら言うと、
「今のわたくし達には権力やその他の力はありませんが、国の代表として少しでも国民の皆様に貢献しなくてはなりません。父に生前良く教えられました」
雪華綺晶は満足そうに答えた。
日が少し傾き、オレンジ色の太陽が雪山の斜面に張り付くように並ぶその国を照らす。そんな風景を見つつ、途中で買った雪んこ饅頭(25メリル)をかじる二人。そんな折、ジュンが言った。
「あの、薔薇水晶さんの事なんですけど…」
「ああ、そう言えばお会いになられたんでしたね。今朝妹から聞きましたよ。料理を誉めてくれたと喜んでました」
「そう、ですか…」
冷たくなりだした風に髪を揺らしている雪華綺晶が呟くように話しだした。
「あの子が“ああ”なのは昔からなのですが…父やラプラスが死んでしまってから随分悪くなってしまって。わたくしとしてもこのままではいけないと思っているのですけど…」
雪華綺晶ががジュンの方を見て、笑う。
「でも、そんなところも含めてわたくしの可愛い妹なんですよ」
その笑顔を見て、ジュンも笑った。
「では、わたくしは用事がありますのでこれで失礼しますが、お二人はどうなさいますか?」
「そうですね…もう少し見て周りろうと思います。夕食は教えていただいたお店を覗こうと思いますから」
「それがよろしいですわ。では…あ、そうそう!」
立ち上がった雪華綺晶がくるりと二人の方へ体を向ける。
「言い忘れましたけれど、ローズ・クリスタルとスノー・マテリアルには別名がありまして、ローズ・クリスタルは“薔薇水晶”。スノー・マテリアルは“雪華綺晶”と言うのです」
「そうですか。…いい名前ですね」
「ええ、わたくしもそう思います」
そう言って、雪華綺晶は赤く染まった雪の道を歩いて行った。

ジュンは夕食を雪華綺晶に勧められた店で食べ、しっかりと月が空に登ってから城へと向かった。その途中で、ジュンが袋から半ば強制的に買わされたローズ・クリスタルの水晶を眺める。
「まったくそんなに買い込んでー。荷物になっても知らないよ」
「まあ、その時は売るか捨てるかするさ。それより…」
「それより?」
ジュンが言葉に詰まったので、アリスが聞く。
「うん…この鉱物とか水晶とかを説明されてからなんか…こう…モヤモヤしてると言うか…何というか」
「何それ。それより早くお城に行こうよー。寒くなってきたよ」
「んー…まあ、そうだな」
ジュンはとりあえず考えるのを諦めて、水晶を袋に戻す。
それから下る時はそれ程苦労しなかった階段を土産を抱えて懸命に上り、城の中へと入った。
「あ、薔薇水晶さん」
玄関を抜けると、薔薇水晶がこちらに背を向けて立っていた。
「ふろ」
振り向きざまに薔薇水晶が言った。
「え?」
「…ふろ」
今度は昨日入った風呂場の方を指して言ったので、
「ああ、お風呂に入っていいんですね」
ジュンが言うと、薔薇水晶が頷いた。
「ありがとうございます」
「ん」
二人はそこで薔薇水晶と別れ、一旦部屋に戻った。そこに買ってきたお土産を置き、お風呂場に向かう。
「だんだんあの人との接し方がわかってきた気がする」
ジュンが呟き、
「ふーん」
アリスは特に興味も無さそうに答えた。

「あ」
不意にジュンがお風呂場への道からそれて、一つの部屋に入る。
「どうしたの?」
アリスが聞いた。
「ほら、ここ写真で見た部屋だ。薔薇水晶さんのに混じってた雪華綺晶さんが寝てた写真の」
「あー確かに」
部屋の壁にはガラス窓がはめられ、今も月明かりが差し込んでいる。その光はとても明るく、灯り無しでその部屋と紫色の鳥の置物を照らしていた。
「あれ…?」
その部屋の一角を見ていたジュンの体が突然硬直した。
「あれ…え…あれ?」
「ジュン?どうしたの?」
明らかに普通ではないジュンにアリスが声をかけるが、ジュンは何かぶつぶつ言ったまま返事をしない。
しばらくそんな状態が続いた後、また突然にジュンが持っていた下着の着替えやタオルを床に落とした。
「そうか…わかった…」
「ジュン…?ちょっと…わっ!」
ジュンが急に走り出したのでアリスが短い悲鳴を上げた。
「ねぇジュン!さっきから…」
「出かけるぞ」
自分の部屋に戻ったジュンは上着を羽織りカバンからライトを取り出す。
「出かけるって…どこに?」
ジュンはその問いには答えず、
「確かめないと…確かめないといけない…」
そう、低い声で呟いただけだった。 

動物も寝静まり、時折風が木々を揺らす音だけが聞こえる夜の森に、ライトを持った少年が歩いていた。
少し進んでは地図とコンパスを確認し、また進む。
「よし…多分、この辺りだ」
ジュンがライトをかざして周りを確認する。
「この辺りって…ジュンが殴られた場所じゃない。来ちゃだめなんじゃないの?」
「なあアリス。雪華綺晶さんは薔薇水晶さんが僕を盗賊と勘違いしたって言ってたけど、あれっておかしくないか?」
アリスに答えながら、ジュンは適当な場所の雪を足や手で払い始める。
「仮にここに盗賊が良く来るとして、ソイツは何を盗むんだ?」
「えっと…スノー・マテリアルとかローズ・クリスタルとか…」
「うん、僕も特産があるって聞いたからそれかとも思った。だけど、今日色々買わされたけどみんなそんなに高価じゃなかった。商品ですらそうなんだ。原材料なんてもっと安い」
話しながらジュンはある場所に目をつけ、そこの雪を重点的に掘り除ける。
「確かに車とかで大量に盗むならわかるけどこんな雪山じゃそれも出来ない。わざわざ一人で重い水晶と鉱物を盗みに来るなんて絶対おかしいんだ」
「でも…それじゃあ何で?」
アリスが聞く。ジュンは雪を祓いながら、
「だとすれば、何で薔薇水晶さんは僕をいきなり殴ったか。あの時薔薇水晶さんは足元の何かを見てただろ。多分…それを見られたくなかったんだ。そしてここがその場所のハズ。今は雪が降っちゃったから埋もれてるけど…」
雪を祓うジュンの手が止まった。雪の下に、何か固い手応えを感じた。
「あった…」
それはガラスのような透明な板で、それをライトで照らして覗くと、その下は洞窟がある事がわかった。そして、そこには、
「ちょっとジュン…それって…」
掘り返され盛り上がった土に十字架が刺され、薔薇の刺繍の眼帯がかけられていた。
「ああ…お墓だ」
ジュンが、静かに呟いた。

「でも…でも、じゃあ…どっちが…?」
アリスが喘ぐように尋ねる。
「僕の考えが合ってれば…多分…」
次の言葉を言おうとして、ジュンは辺りが急に暗くなったのを感じた。
「ジ  ! ど し  ?」
「アリス!?」
アリスの声が途切れ途切れになって、どんどん小さくなっている。そして、
『あははははは!』
甲高い、少女の笑い声が耳に響いた。
「誰だ!」
『誰?…私はだあれ?私はだあれ?』
辺りを見渡すが人の姿は無い。直接頭に話しかけられているような気がした。
「アリス!おい、アリス!…くそっ」
『ふふふ…御安心ください。彼女には退場いただいただけです』
アリスの声が一切聞こえなくなったジュンに、怪しげな声が話しかけた。
「退場だって…?あんたは…」
『くすくす…私はだあれ?…私はだあれ?』
その声は、尚もジュンの頭に響き、
『貴方は…だあれ?』
そう問いかけた。
「僕は…僕は、ジュンだ…」
『くすくす…くすくす…』
その声は笑う。そして、
『では…あの子はだあれ?』
「アイツは…ぐ!?」
ジュンが頭を抱え、膝を地面に着ける。呼吸は荒く、顔は青ざめていた。
『可哀想…貴方はとても可哀想…』
どんなに耳を強く塞いでも、その声はするりと頭に入ってくる。その声は、歌うように続けた。

『貴方は自分を知っている。自分が誰だか知っている。貴方はそれを知っている。少し前から知っている』
う、ぐ…
『だから貴方は知っている。どうしてなのかも知っている。なのに貴方はここにいる。二人一緒にここにいる』
はぁ…はぁ…
『それは薔薇水晶も同じ事。貴方も薔薇水晶も同じ者。それは人が望むから。“そうあれかし”と願うから』
うるさい…
『くすくす…もう気付いているのに。もう知っているのに。もう解っているのに。貴方は茨に捕らわれた。そして今はクリームに…くすくす』
やめてくれ…
『可哀想…貴方はとても可哀想…そんな貴方?貴方は今でも…』
やめろ…!
『“帽子が喋るとお思いですか?”』

「やめろー!!!」
「ジュン!」
ジュンは両手を雪の上に乗せ、全身で息をした。汗はだらだらと頬を伝い、落ちる。
「ジュン!ねぇジュン…!どうしたの!?どうしちゃったの…!?」
「アリス…」
ジュンは帽子を取り、ゆっくりと胸に抱く。
「ううっ…やだよぉこんなの…どうしたのよぉ…」
ジュンはアリスの始めて聞く涙声に微笑みながら、
「ありがとう…もう、大丈夫だから…」
帽子を被り直し、ライトを持って立ち上がる。
「行こう。城に戻らなきゃ」
「ねぇ、どうして?どうして行かなきゃいけないの?また変な事になるんでしょ?」
アリスがすがるように叫ぶ。
「それでも…僕は行かなくちゃいけないんだ。彼女の為に。そして…僕達の為にも」
そう言って、ジュンは夜の森を駆け出した。

二人が城に着いた時には、城下の灯りはほとんど消えていた。ジュンには一瞬に思えたあの体験が、実は数時間掛かっていたことになる。
それでも、城の一室に灯りがついていた。ジュンは迷わずその部屋へ向かった。
「失礼します」
「・・・」
その部屋は本や資料がしまわれている部屋で、二人が見た写真集もあった。その部屋の窓際に、薔薇水晶が立っていた。
「夜中にすみませんが…薔薇水晶さんに聞いて欲しい事があるんです」
「…なに?」
ジュンは荒れた呼吸を整えて、言う。
「僕等…お墓を見てきました。最初に貴女と出会った場所にある、薔薇の刺繍の眼帯がかけられている」
それを聞くと、薔薇水晶の片目が初めて会った時のように大きく開かれた。
「う…あぁあ…」
薔薇水晶が頭を抱え、熱にうなされるように呟く。
「私は…わたくしは…だれ…?誰ですの?」
ジュンの目の前で、薔薇水晶と雪華綺晶が交錯していた。
「私はここにいる…わたくしもここにいますわ。二人でここにいる…わたくしは、だあれ…?」
「あなたは」
よろめく目の前の少女に、ジュンがはっきりとした声と表情で言った。
「薔薇水晶、です」
「なぜ…?何故ですの?」
二人の少女がジュンに尋ねる。
「昨日の晩に見せてもらった写真に、二枚別の仕分けに紛れていた写真がありました。雪華綺晶さんが寝ている写真と、二人で踊っている写真です」
ジュンが横の棚からバインダーを取り出して、その二枚を取り出す。
「まずこの雪華綺晶さんが寝ている写真ですが…ここに、白鳥の置物が写ってます。ですが、この部屋にあった置物は、“紫色をした鳥”でした」
目の前の少女は黙ってジュンの話しを聞いている。
「あとこの写真の左上に月が写っています。これは貴女が教えてくれましたね。様々な用途に使えるローズ・クリスタルはレンズにもなって、月の光で紫色を白色に写す、と。
つまり、ラプラスさんが取っていたカメラのレンズは、ローズ・クリスタルで出来ていたんです。だからここに写っているのは雪華綺晶さんではなく薔薇水晶さん。この写真の仕分けは正しかったんですよ。そして、」
ジュンが二枚目の写真を突き出す。
「この写真は、星を見に行った時のものと言いました。当然月も出ていたはずです。つまりローズ・クリスタルの色調反転が機能してしまう。だから!もしここに居るのが薔薇水晶さんと雪華綺晶さんの二人なら、“写真では両方薔薇水晶さんでなければならないんです!”」
ジュンの目の前の少女が、僅かに体を震わせ始めた。
「なのにここには雪華綺晶さんが写ってる。白色の少女が写っています。ですがこれも今日教えていただきました。“色調反転は互いに影響しない”と。
つまり、ここにいる白色の少女は、“薔薇水晶さんがスノー・クリスタルに白く写っただけ”なんですよ!だからこの写真に写っているのは薔薇水晶さん一人だけ!ラプラスさんの仕分けは何一つ間違っていなかった!」
写真をテーブルに置き、ジュンは続ける。
「これはお墓にあった日付より後に撮られた写真です。だから、あなたは…」
「いやああああああああああああ!」
ジュンの目の前の少女が、“薔薇水晶”が叫んだ。
「いやだ!お姉ちゃん…お姉ちゃんが消えちゃう!この体の中のお姉ちゃんが…いやああああああああああああ!」
「薔薇水晶さん!?」
「お姉ちゃん…?お姉ちゃん出てきてよ…どこにいるの?ねえ…ねえ?」
「薔薇水晶さん!貴女の姉の雪華綺晶は死んだんだ!あのお墓はかなり立派だった…貴女一人で作ったとは思えない。恐らくラプラスさんも知ってたんじゃないんですか?雪華綺晶さんが死んだ事も、貴女が雪華綺晶を演じる事にしたのも…」
「う…ううう…!」
ジュンが次の言葉を出す前に、薔薇水晶が叫び声を上げながら部屋を飛び出していった。
「ジュン!早く追いかけないと!」
アリスが叫ぶ。
「ああ。でも…」
ジュンが帽子のつばに指をかけ、アリスを机の上に投げた。
「え…?」
「アリス。ここで待っていてくれ。僕は…対決しなくちゃならない。さっきのアイツは、また現れるだろうから」
「ジュン!?」
「アイツとは、僕一人で戦わないとダメなんだ。僕達の旅をここで終わらせるためにも。大丈夫、必ず戻る。じゃあ…行ってくる!」
「ジュンー!」
ジュンが薔薇水晶と同じく部屋を飛び出す。二人が出て行った部屋のテーブルには、二枚の写真と、刺繍入りの帽子だけが置かれていた。

廊下を走るジュンは、廊下のあちこちに花瓶が落ちていたりドアが開けっ放しになっているので、薔薇水晶の移動ルートを追うことができた。
いくつかの部屋を抜け、階段を上る。途中、窓の外に薔薇水晶が廊下を走る姿が見えた。その先にあるのは、この城の屋上バルコニー。
「薔薇水晶さん!」
ジュンが叫びながら屋上へと出る。バルコニーの中央で薔薇水晶が途中で拾ったらしい水晶の剣を持ち、よろめきながらこちらを睨んでいた。
「来るなぁああああ!」
叫んだ勢いで体制を崩し、前に倒れ込む。それでも、剣先と視線はジュンに向いていた。
「お姉ちゃんは…お姉ちゃんは私が守る…!お姉ちゃんは私の中にいる…あんたなんかに消させるもんか…!」
震える剣と薔薇水晶を見て、ジュンがゆっくりと話しだした。
「薔薇水晶さん。確かに雪華綺晶さんは貴女の中にいるんでしょう。でもそれは…その人に成りきる事でもなければ、仮初めの人格をモノに付加させる事でもない!」
ジュンは一度顔を下げる。
「死んだ人間は…どうあっても生き返らない。だけど一緒にいた記憶はちゃんと遺ってる!絆は繋がってる!だからそれを…力に変えるべきなんだ!何時までも捕らわれてちゃいくないんだ!」
「おまえに何がわかる!?」
薔薇水晶が再びよろよろと立ち上がった。
「私は…お姉ちゃんがいないと何もできない…お姉ちゃんは何でも出来た!みんなに好かれた!みんなに期待された!みんなに愛された!お姉ちゃんは…私の理想だった…だから…お姉ちゃんも生きてるべきなんだ…お姉ちゃんが生きてるべきなんだ!」
髪を振り乱し、体を揺らし、薔薇水晶が鳴いた。鷹の目で、甲高く、鳴いた。
「わかるさ」
ジュンは、低く、落ち着いた声で、言った。
「僕も…同じだったから」
薔薇水晶の表情が、少し変わる。剣先が、少し下がった。
その時だった。風が吹き、二人を揺らす。そして、その城の外装に使われていたスノー・マテリアルに映る薔薇水晶の姿の一つが、ゆっくりと微笑んだ。
『くすくす…くすくす…』
「お姉、ちゃん…?」
「!」
薔薇水晶はすがる様に、ジュンは敵対的な視線を向け、二人はその場所に体を向ける。
『おいで薔薇水晶…私の愛おしい妹…』
「お姉ちゃん…お姉ちゃん…!」
薔薇水晶が剣を捨て、その四肢をばたつかせながらその白い薔薇水晶が映る鏡へ近付いていく。
「駄目だ!薔薇水晶さん!ソイツに…!」
ジュンが制止の言葉を言い終える前に、薔薇水晶はその鏡の下へたどり着いた。そして、その鏡に触れた瞬間、
「お姉ちゃ…ああ!?」
その手から白い薔薇と茨が噴き出すように伸び、薔薇水晶の体を包んでいった。
「やめろー!」
ジュンが薔薇水晶が落とした剣を拾い、その白い塊に駆け寄る。その剣を振り上げ、茨を切り裂こうとした時、
「うわっ…!」
その塊が、爆発するかのごとく、バルコニー一面に茨を撒き散らして、割れた。

「くすくす…くすくす…ふふふふ…あはははは…」
「くっ…」
ジュンが茨まみれの床から体を起こし、目の前に“生まれた少女”を見た。
「素晴らしいです…やはり体というものは素晴らしい…ふふふふ…」
「お前が…雪華綺晶か」
声をかけられた少女がぐるりと視線を向ける。それはまさに猛禽の目。絶対強者が向ける狩生度の目だった。
「返せよ…薔薇水晶を返せ!」
「これは奇なことを。これはあの子が望んだ事。これはあの子が私のために育てた体。ここに望みは果たされた。一体何の不満がおありで?」
雪華綺晶が笑うたび、ジュンの足が震えた。
「あるさ!薔薇水晶はどうなるんだ!アイツはお前が死んでからお前の分まで生きようとして…理想のお前に近付こうとするあまりに自分を削って、ボロボロになって…自分が元々どっちだったかもわからなくなるくらいに!」
「だから私が助けたのです。事実、今妹は幸せそうに寝ていますよ?私の中でね…くすくす」
震える足をこらえ、ジュンが叫ぶ。
「ふざけんな!何が助けただ!乗っ取っただけじゃないか!返せよ!その体を薔薇水晶に返せ!」
雪華綺晶から笑みが消え、別の感情が顔に宿る。
「うるさいですね…少し、お黙りください」
「!?」
雪華綺晶が手をかざすと、周りの茨がジュンに絡みつき、宙吊りに締め上げた。茨の棘が体に食い込み、ジュンの体にいくつもの血の線を描く。
「う…ぐ…」
「くすくす…茨に締め付けられ、身も心も引き裂かれる辛さは貴方が一番良く知っているでしょう?くすくす…」
「…さ」
「はい?」
ジュンが棘に埋もれる中で、血を流しながら顔を動かして雪華綺晶を視界に入れた。
「そうさ…僕も薔薇水晶と一緒だよ。受け入れられなくて…どうしようもなくて…逃げたんだ。だけど…だけどな!」
ジュンに絡みつく茨が、僅かにきしむ音を立てる。
「前の国で言われたよ。死人と生きてる人とは干渉してはいけないって。死んだ人間はそれを受け入れて、生きてる人間は前に進まなきゃいけない!交わる事なんてあっちゃ駄目なんだ!ここは死人のいるべき場所じゃない!居ていい場所でもない!
僕は生きてる!薔薇水晶もだ!僕達は生きなきゃならない!どんなに大切な人だったとしたって…楽しかった事もつらかった事も、全部思い出に変えて背負って進むんだ!何時までも死人の影にすがってちゃ駄目なんだよ!」
ジュンが叫ぶたび、吠えるたびに、茨は崩れ、剥がれ落ちる。そして今、ジュンは自分の足で地面に立った。
「…流石はあの男があの娘のわがままを聞くだけの事はある、といったところですか…いいでしょう」
雪華綺晶が瞬時にジュンに肉薄して、右手で頭を鷲掴みにした。
「では…これならどうです!」


『えへへ…なんかむずがゆいなぁ』
『…あ、そう』
『だって、今日から私達…今までの私達じゃなくなるんだからさ!』
『そんな大げさな…』
『まったく君はロマンが無いな!もう少し浮かれたらどうだい?』
『ファンタジーは嫌いなんだろ?』
『これは違うのだよ。人間様の事だもん。そう…私達の事だから』
『…ま、そうだな』
『よし!じゃあジュンの家まで競争だ!よーい、どん!』
『はぁ、まったく…って、おい!信号があ』


キキッ     ドガッ
   !!      ー!おい  誰か

   か助け

          血が止ま
 なよ!おい!    
      
    あああぁあぁあああ!


「うあああああああ!!!」
「がはっ!」
あらん限りの叫びと共に、ジュンが手を前に突き出す。その掌が雪華綺晶を茨と共に吹き飛ばした。
そのままジュンは倒れ込む。だが、その顔は、その目は、真っ直ぐ前を向いていた。
「はあ…はあ…はあ…!」
「ぐ…はっ…あははは!」
満月が上る漆黒の空。月光は国を照らし、城を照らし、その二人を照らす。
「かはっ…ふっ…ふふふ…私は…私はだあれ?」
バルコニーに散乱していた茨が雪華綺晶の下へと集まっていく。その先端はより鋭利になり、メキメキと形を変えていった。
「お前は…雪華綺晶。薔薇水晶の姉だ。そして、三年前に死んだ人間だ」
「では…貴方はだあれ?」
複数の茨が束になり、まるで大鎌のように煌めいた。それが何本も何本も、雪華綺晶の背後で蠢いている。
「僕は、桜田ジュンだ!趣味はネット通販!いじめられた経験アリで!ちょっと抜けたところがある桜田のりの弟の!桜田ジュンだ!!」
「ならば…」
雪華綺晶がゆらりて立ち上がり、目の前の獲物を知覚する。その目は鷹。純白のドレスの翼を広げ、茨の尖爪を向けて、
「あ、の、子、は、だ、あ、れ!!??」
眼前の標的目掛けて、飛んだ。
「アイツは――」



月が落ちて、日が登る。その不可侵の掟を受けたその国は、金色の太陽光で輝いた。
その国にそびえる白と紫の城。その屋上で、二人の人間が朝日を浴びて、そこにいた。
「うっ…ひっぐ…ああ…お姉ちゃん…お姉ちゃん…うっぐ」
一人は、涙を流し、嗚咽を漏らし、うずくまっている、紫色の長髪とドレスの少女。
「…僕の、恋人だった人だ…」
もう一人は、涙を流しながら呟き、拳を握り締めながら立っている、旅人の少年だった。


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

墓は故人を弔うもの。死者の安寧を願うもの。

しかしいずれは朽ち果てる。参拝人も、いなくなる。

若い僧はそれを嘆いた。この世の無情と嘆いて泣いた。

しかし住職は笑って諭す。

それでいい。墓は生者の為のものだから。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


「ただいま、アリス」
「…お帰りなさい」
すっかり日が昇り、城下も賑わいを見せ始めた頃に、ジュンはアリスのいる部屋へと戻った。
「…怒ってる?」
ジュンが聞いた。
「怒ってる。あんな風にほっとかれて、心配してたら案の定そんなズタボロになって。…でもいいよ。帰ってきたから」
「ん。サンキュ」
ジュンが優しく帽子を掴んで、被る。
「それで、薔薇水晶さんは?」
「今はベッドに運んで寝てるよ。泣きつかれたろうから」
「へぇ、ジュン君は女の子を泣かせましたか」
「泣かせましたな」
それから、
「気になるか?」
そう聞くと、アリスは、
「別に」
と答えた。
荷物をまとめ、傷の応急手当てをしてから、服を着る。この国の案内人の話術にハマって買ったお土産もリュックに入れた。ただ、それだと少し思いので、かさばり思いものをいくらか城に置いてきた。その中には旅をする上で重要なものもあった。
「いいの?」
「ああ。いいんだ」
出国した後はちょうど通りかかったトラックの二台に乗せてもらい、山を降りた。
何回か今まで倹約だと控えていた車や馬車を乗り継ぎ、辺りは数日前とは一変し、花が咲く春の陽気となった。
そんなのどかな道を、ジュンとアリスはのんびりと歩く。
「あー、ようやく終わったねー。長かったようで短かったような」
「そうだな。ここに始めて来たのも…随分昔のような気がする」
ジュンが立ち止まって荷物を下ろす。そこは、ジュンとアリスが最初に目指した、六本の分かれ道の分岐点。
「一番右から出て、一番左の道から帰ってきた。うんうん、旅は成功だ!」
「ああ、成功したな」
しばらくその風景を眺めた後で、ジュンは再び荷物を背負った。
「よし…じゃあ行くか。僕等のゴールに」
「りょーかい!」
花が咲き、そよ風の舞う草原から、二人は山の谷へと歩きだす。二人が始めて出会った、ローゼンの丘へと向かって。



一人の旅人がいました。背が高く、金髪の、器量の良い男です。その男が、とある国を訪ねました。

『・・・』

雪深い森の中に少女が二人いるのを見つけました。一人は雪の上に寝そべり、もう一人はその横でへたり込んでいました。

男が近付いてみると、寝そべっている女の子は既に死んでいました。頭からほんの僅かに滴る血が、彼女の白い髪に落ちています。

『君の…お姉さんかな?』

紫色の髪をした少女は答えず、ただただ黙って目の前の姉妹を見ていました。

『ご覧なさい』

男が指差し、女の子が顔を上げます。するとそこの鉱物に、白い髪の女の子が映っていました。

『いいかい?君のお姉さんは君の中に生き続ける。全て消えたりなどしないんだ。わかるかい?』

紫色の髪の女の子はじっとその白い少女を見つめ、やがて口を開きます。

『わたくしは…』

その後、三人でお墓を作り、静かに埋葬しました。その墓碑には、薔薇の眼帯がかけられました。

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