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雛苺は、まるで手品でも見るかのような眼差しを、真紅の所作へと注いでいた。
女主人は、客人の奇異な視線を気にする風もなく、片腕だけで紅茶を注いで見せる。
ひとつひとつの仕種が、無駄のない、習熟した職人の洗練された技を思わせる。
思わず見惚れてしまうほど、優雅だった。
 
「お待ちどおさま。さあ、どうぞ。冷めないうちに」
 
ティーカップを載せたソーサーが、ことり……。硬い音を立てて、雛苺の前に置かれた。
深紅の液体からは、温かな湯気と、得も言えぬ薫香が立ちのぼってくる。
ここで生産されている、真紅ご自慢の紅茶『ローザミスティカ』なのだろう。
お茶請けに……と、てんこ盛りの桜餅も供された。
 
けれど、上質の紅茶も、美味しそうなお菓子でさえ、雛苺の関心を惹ききらない。
無礼と承知しつつも、彼女の眼は、どうしても真紅の右肩へと向いてしまう。
ただならぬ気配を察したらしく、真紅は品よく唇に三日月を描き、右肩に左手を添えた。
 
「気になる? やっぱり」
「ちゃ、あぅ……。ご、ごめんなさい」
「いいのよ、別に。見られることには、慣れているもの」
 
彼女の立場上、広い人脈と面会するのは、いつものこと。
しかも、衆目を集めてやまない美貌を、真紅は天より与えられている。
畢竟、隻腕も好奇の目に晒されてしまうわけだ。否応もなく。

義手は、使ったりしないの?
そんな言葉が、喉までこみ上げ、いましも溢れそうになる。
雛苺はティーカップを手にすると、その質問を、お茶で肺腑に押し戻した。
ついさっき出会ったばかりの他人が、気安く口出しできるような問題ではない。
ありのままの姿でいるのも、彼女なりの考えあってのことだろう。
 
二人の間に横たわる、山脈のような、高く重たい静寂。
その割に、音だけは――
マントルピースの上に置かれた振り子時計のリズムは、やけに大きく聞こえた。
急かすように、からかうように。カチ……カチ……。
 
 
どうにも、いたたまれない。居心地が悪くて、尾骨の辺りがウズウズする。
雛苺はティーカップの縁を啄みながら、対座する乙女を、上目遣いに窺った。
なにか……この沈黙を押し退けるほどに勢いのある話題は、ないものかしら?
 
けれど、真紅は、雛苺の煩悶など、どこ吹く風で。
うっとりと瞼を閉ざし、紅茶の味と香りに酔いしれている。
 
もっと、紅茶のことを知っておけばよかった。
今更な後悔が、雛苺のアタマを掠める。が、このまま黙っていたくはなかった。
偶然にも触れ合えた絆を、無為にほどいてしまうのは惜しい。

言葉に窮してしまうのは、お互いのことを知らなすぎるから。
ならば、簡単なことだ。共通の話題を、暗中模索していけばいい。
雛苺はさりげなく、応接間を見回した。
そして……真紅の背後、真鍮の振り子を煌めかす置き時計の横に、ソレを見つけた。
 
「ねえねえ、真紅~。あの写真、見せてもらってもいい?」
 
指差された先を振り返って、真紅は微かに、白い喉を波だたせた。
パッと見には判らないほどの、些細な変化。
雛苺の鋭敏な瞳を以てしてもなお、捉えるのが、やっとの機微だった。
 
「ええ、どうぞ」と。真紅は腰を上げて、フォトスタンドを手にした。
彼女の手と比較してみると、それが随分と大振りな一品であることが判る。
収められている写真も、2L版サイズらしい。
 
「これ――大学院に在籍していた頃に、図書館前の広場で撮った写真よ」
 
言って、真紅はフォトスタンドを、雛苺に差し出した。
雛苺は軽く会釈して、賞状でも貰うかのように恭しく、それを受け取った。
 
2人の乙女が、青々とした芝生に腰を下ろし、肩を寄せ合っている写真――
真紅と、彼女の学友らしい銀髪の娘が、くつろいだ笑みを浮かべている。
撮影された季節は、だいたい、5~6月くらいか。
彼女たちや芝生に降り注いでいる日射しに、真夏ほどの強さは感じられない。
 
2人とも、私服の上に、白衣をつっかけていた。真紅の右腕も、まだある。
どんな研究をしていたのかしら? 格好からして、理工系?
学生生活の思い出を話題にするのは、妙案かもしれない。
 
  
改めて、雛苺は写真に見入った。
この頃の真紅にはまだ、服装や面差しに、あどけなさが見え隠れしている。
現在の彼女を紅いバラに喩えるなら、学生の真紅は、ピンクのチューリップだろうか。
どこか刺々しい印象の可憐さではなく、奥ゆかしく柔らかで、愛嬌に満ちた美しさがある。
 
「うよー。とっても初々しくって、かわいいのよ~」
「……なんだか、いまの私が、擦れっ枯らしみたいに聞こえるわね」
「考え過ぎなの」
 
雛苺は写真から目を離すことなく、すげなく切り返した。
 
それにしても、と。雛苺は、思わず嘆息した。
真紅もさることながら、隣りに座る銀髪の娘は、これまた抜きん出た美貌の持ち主だ。
女の子である雛苺でさえ、息を呑み、羨んでしまうほどの。
白衣で遮られていても、スタイルや、ファッションセンスの良さが垣間見える。
こうして並んでみると、むしろ、真紅のほうが引き立て役だった。
 
如才ない才媛なのね。雛苺は、直感的に判断していた。
この娘は、天賦の魅力をもっているし、それを自覚してもいる――と。
だからこそ、自らを、叩き売り同然に八方ひけらかすなんて愚は犯さない。
秀麗な存在と並び、衆目に比較させることで、自分の美をより際立たせているのだ。
料理を味わい深くするため、隠し味として、スパイスを用いるように……。
 
考えようによっては、酷薄とも言える人柄だ。
そんな人と、どうして仲良さそうにしているのか。 
怜悧な真紅なら、交流相手の本性ぐらい、容易に見抜けただろうに。
 
興味を惹かれた雛苺は、テーブルに半身を乗り出し、「ねえ、教えて」と。
まるで友だちに宿題の解法を訊くみたいに、写真の、銀髪の乙女を指差した。
「この人とは、どういった間柄なの?」
 
 
――暫しの、間隙。
真紅は、手にしていたティーカップを、そっとテーブルに置いて、ひた……と。
アクアマリンのように深く澄んだ蒼眸を、フォトスタンドに向けた。
 
「その子の名前は、水銀燈。私の幼なじみなのよ。
 見た目、お淑やかそうでしょう? でも、これで意外に激情家でね。
 私たちは互いにライバル視して、コトある毎に張り合って――
 ああ、そうそう。何回か、取っ組み合いのケンカもしたわね」
 
小学校の頃だけど……と繋げて、真紅は、クスクスと肩を揺らした。
真紅だって、生まれながらに慎みある淑女だったワケではない。
人並みに、やんちゃで、おてんばな時期があったのだ。
それは至極当然のことだけれど、雛苺の、真紅への親近感を膨らませる材料となった。
 
「幼稚園で、初めて逢ったときのショックは、いまも憶えているわ。  
 肌は透けるように色白だったし、こう……髪も総白髪って感じでね。
 絵本で読んだ『雪女』のイメージそのものだったから」
 
語りながら、真紅は相好を崩した。彼女の瞳は、とても遠くを見ている。
もう手が届くことのない、遙か彼方にある、思い出の景色を。
 
「私、もう怖くて怖くて――膝がカクカクしていたの。本当よ。
 顔を伏せていた彼女が、上目遣いに私を見たときには、失神しそうになったのだわ」
「それ、すっごく失礼な気がするのよー」
「仕方ないじゃない、幼稚園に入園したての子供だったのだもの」
「そんなに怖かったのに、なんでお友だちになれたの?」
「……見ていられなくなった。それだけよ」
 
一瞬、雛苺には、意味が解らなかった。
忌避したいと思いながら、どうして近づいていったのか。
怖いもの見たさ? それとも、子供にありがちな気紛れ?
雛苺が問うより先に、真紅の唇が、答えを紡いだ。 
 
「水銀燈はね、先天性の疾病を患っていたの。
 詳しい病名は忘れてしまったけれど、臓器系の難病だったそうよ。
 だから、虚弱体質でね。階段の昇り降りだけでも、息切れしてしまうの。
 いきなり倒れることも、日常茶飯だったのよ」
 
本当ならば、特別な養護施設に編入されても不思議はない子供だったワケだ。
にも拘わらず、普通の幼稚園に入園したのは、どういった理由か。
真紅はまたもや、雛苺の思考を読んだかの如きタイミングで、口を開いた。
 
「普通、であること」
「――うよ?」
「私たちが、なんの気なく過ごしている、ありふれた日々。
 水銀燈が最も欲しかったのは、そんな『普通の日常』だったのよ。
 あの子は当時、あまり長くは生きられないって……そう言われていたから」
 
普通ではない女の子の、普通への憧憬。
ただ、周りの子たちと、同じ生活をしたいだけ。みんなと一緒に、遊びたいだけ。
言葉を交わすようになって数日後、真紅は水銀燈から、そう聞かされたのだという。
 
だからこそ、水銀燈の両親も、保育園の関係者も――
誰もが、彼女の健気な想いに応えようとした。もちろん、幼かった真紅も。
 
「優しいのね、真紅。ヒナだったら、見て見ないフリしちゃったかもしれない。
 それか、腫れ物に障るような応対とか」
「まあ、好き好んで面倒事に首を突っ込んだりする人は、少ないでしょうね。
 私だって、初めは少し気になるから、面倒を見ていただけだったのだわ。
 それが、いつも視界の隅に、あの子を探してるようになって……
 気づいたら、顔を合わせるたび、憎まれ口の応酬をする仲になっていたわ」
「ケンカするほど仲が良い……ってコト?」
「そうね。結局のところ、私と水銀燈は、似た者同士だったみたい」
 
似た者同士は、無二の親友になるか、犬猿の仲になるか――どちらか。
お互いのココロの距離が近すぎるから、接触や干渉することが、他の人々より頻繁で。
それを心地よく思えばウマが合い、鬱陶しく思えば拒絶反応を示すワケだ。
 
真紅と水銀燈が、無二の親友となれたのは、やはり幼なじみだったから。
まだ、未熟な――心身ともに、自分というものが確立される前の、
その柔軟な時期を、一緒に歩んでこられたからなのだろう。
たまに衝突することさえ、信頼関係を育む糧にして、今日まで――
 
「なかよしだから、同じ大学の、同じ研究室を選んだの?」
「大学だけじゃないわよ。小中高、ずっとよ」
「……そこまでいくと、呆れを通り越して、感心しちゃうのよ。やれやれなの」
「私も、そう思うわ。多分、水銀燈もね。だけど――」
「だけど?」
「私にとって水銀燈は、素直な自分を投影できる、鏡のような存在だったわ。
 ココロから信頼できる、数少ない親友だったから……離れられなかったのよ。
 いつまでも――そう。これからも、ずっと一緒のはずだったのに、ね」
 
……だった? 雛苺の胸が、嫌な感じにざわついた。
どうして過去形なの? それも、何度も何度も、しつこいくらいに重ねて。
雛苺に眼差しで詰め寄られて、真紅は悲しげに睫毛を伏せた。
やはり、なにかがあったのだろう。でなければ、そんな態度を見せるはずがない。
 
「この子とは、いまも会ってるの?」
「……いいえ。水銀燈は…………もう、居ないわ」
 
ストレートな問いへの、ストレートな答え。
真紅は、テーブルに置かれたフォトスタンドを手に取って、
 
「私は、失ってしまったのだわ。水銀燈も、この右腕も」
 
胸に抱きしめ、唇を噛んだ。
「間違えてしまったのは、私。ごめんなさい、水銀燈――」
 
その先に続く言葉は、嗚咽に呑まれて、雛苺の耳に届くことはなかった。
 
 
 
  -to be continued
 
 

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