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フラヒヤ山脈、山麓東部。
ポッケ村の集会所で一騒ぎが起こる前夜にまで、その時間は遡る。
空に浮かぶは満天の星。
満ち満ちるは白い月。
時おり闇の帳を切り裂くのは、天蓋から零れ落ちた流れ星。
そして、おそらく空を眺める者を最も魅了するであろう光は、夜空にかかるおぼろなカーテン。
時には緑色、時には青色、という風に、揺らめきながら色を変えるこの光……
それはここ、大陸北部に住まう人間に極光、もしくはオーロラという名で呼ばれている。
昼と変わらず、鏡のようにまったき山麓の湖は、空のオーロラを左右対称に映し出し、静かにたたずんでいた。
この光景を今、この場で眺めているのはこの自分自身以外にはいるまいと、その人影は考える。
湖を一望できる程の高さがある、小高い丘の上に座り込んだ少女は、傍らの木のカップに口をつける。
その隣に置かれたのは、内部に『光蟲』の群れを放ったランタン。
そのランタンの放つ光は強く、例えこの場で夜行性のモンスターとの戦いを強いられても、
全く問題ないほどの光を周囲に振りまいている。
ランタンの中で揺らめくその光は、少女の黒紫色の鎧を闇から引きずり出していた。
少女は木のカップから、静かにその口を離す。
(――ふふ、こうやって湖を眺めながら飲む発酵乳も、格別な味ねぇ)
その少女の被った、あるモンスターの頭部をかたどった兜の中で、桃色の唇がほころびる。
彼女がたった今口にした飲料は、発酵乳。
家畜から取った乳にほんの少し酒を混ぜ込んで、穏やかな環境のもとでしばらく保管して出来上がる、
独特の酸味と匂いを持つ飲み物である。
この大陸で最も先進的な学究組織である、王立学術院の研究によると、
「乳酸菌」と呼ばれる極小の生物の作用により、発酵乳はこのような風味を帯びるらしい。
もっともその原理が何であれ、彼女はこの発酵乳の味が大好きであることに変わりはないのだが。
黒紫色の鎧をまとったこの少女は、木のカップを再び地面に置いたところで、ふとその左側に首を向ける。
夜の闇の中で輝く、2つの光。
それが己に仕えるアイルーの眼光であることに気付いた少女は、次の瞬間一つの声を聞くことになる。
「ポッケ村の偵察を済ましてきたよ、水銀燈!」
黒紫色の鎧を着る少女……水銀燈と呼ばれた少女のもとに、そのアイルーは四つん這いの体勢で駆け寄った。
水銀燈なる少女の鎧とよく似た、禍々しい紫色の毛がランタンの光の中に映える。
少女は、満足げに笑みを浮かべたなら、その兜へおもむろに手を伸ばし、持ち上げる。
「ご苦労様ね、メイメイ」
もとから止め具を外されていた兜の中から、長く豊かな銀髪が溢れた。
少女は、その銀髪を一つ振り、篭手で覆われた手でかき上げる。
「少女」という言葉が、そろそろ「女」という言葉に取って代わりそうな、凛とした容貌。
赤い瞳に、病的なまでに白い肌。
銀髪を纏め上げるヘッドドレスは黒を基調とし、その中ほどに小さな薔薇の刺繍があしらわれている。
首から下を守る鎧は、『ガルルガシリーズ』。
一対多の戦いを前にしても憶さぬ凶暴性と、人間の考えた罠すら回避する狡猾性を兼ね備えたモンスターである、
「黒狼鳥」イャンガルルガの体から作られた、上質の防具である。
よく見れば、彼女の後ろ側に置かれていた武器もまた、イャンガルルガより作られたことが分かろう。
水銀燈の得物の名は、『セイリュウトウ【烏(からす)】』。
彼女の身長を超える長さと、太刀や片手剣とは比べ物にならない幅広の刀身を持つ、黒紫の大剣である。
水銀燈は『セイリュウトウ【烏】』の柄をいじりながら、メイメイと名付けた紫のアイルーにその結果を尋ねた。
「で、あの子達はポッケ村に来ていることは間違いないわけぇ?」
水銀燈の言葉を受け止めたメイメイは、荒っぽい口調で報告をもたらす。
「ああ、間違いないね。数日前に近くの村を出たポポ車の特別便は、今ポッケ村への街道を進んでる。
中に乗ってんのは、翠星石と蒼星石、それからスィドリームとレンピカだった。
遠目からしか見れなかったけど、あたいの目に狂いはないね」
メイメイの言葉を耳にし、水銀燈はその顔を酷薄な笑みで満たす。
「なるほど……まったく、誰かがお膳立てしてくれたみたいな、最高のシチュエーションじゃなぁい。
実を言うと、私もギルドナイトの筋から、ちょっと耳よりな情報を得てるのよぉ」
水銀燈は左手を折り畳み、唯一残された親指で己の耳を指した。
ギルドナイト……それは簡単に言えば、ハンターズギルドが組織している風紀委員兼懲罰組織と言えよう。
ともすればその荒っぽい仕事内容から、ごろつきや無頼漢と思われがちで、
一般人からしてみれば不信感や恐怖心を抱かれやすいハンターだが、
ギルドナイトはそんな偏見を取り払うために、ハンターを指導・啓発すべく作り出されたのだ。
そして、ハンター社会の秩序と風紀を著しく乱すような、特に悪質なハンターには、
「物理的な手段を伴う懲罰」を施すことは、もはやハンター達の間では公然の秘密と言えよう。
そんなギルドナイトの名を口に出した水銀燈は、口元でその両手をスクラムさせる。
「何でもここしばらく、ポッケ村にはちょっとした有名人の噂が流れてるらしいのよぉ。
ハンターとして本格的なデビューを果たしてから、わずか二、三ヶ月でイャンクックを狩るまでにこぎつけた、
期待の新人さんの噂がねぇ」
「ふーん……。で、それがあたいらの何の関係があるんだい?」
水銀燈の喉から、くつくつと笑い声が漏れる。
それは聞く者によっては屈託のない純粋な笑い声とも、底知れぬ悪意を含んだ嗤い声とも取れる、
不可思議なものだった。
「まあ、それくらいのペースでイャンクックを狩るまでになるハンターは、そこまで珍しくもないわぁ。
本当の天才ハンターから、単に運が良かっただけのハンターまで合わせれば、ざらにある話ねぇ」
水銀燈は、静かに口元でスクラムさせたその手をほぐしつつある。
「けれどもそれが伝説のハンターであるローゼンに師事した義理の娘……
『ローゼンメイデン』を名乗ることを許された、赤いドレスの少女と、ピンクのリボンの少女と来たら、
話はどうかしら?」
はっ、とメイメイは息を呑んだ。
そのアイルーらしい猫目の瞳孔が、一気に広がる。
「真紅と雛苺……! あいつらまでこの村にいるってのかい!?」
「ええ。聞いた話だと、あの子達は何でも3年くらい前に、素寒貧のままポッケ村に流れて来たそうよぉ。
ちょうどその時期は、例の『迅竜』ナルガクルガとの戦いを機にお父様が失踪した、あの事件の直後だわ」
ほぐれ去った水銀燈の手の平は、そのまま彼女の着る『ガルルガメイル』の中に滑り込んだ。
ここに異性がいたなら、その動作の艶めかしさに思わずどぎまぎする者もいただろう。
程なくして、水銀燈の手はその中から現れる。
握り拳より二回りほど小さい、緋色な結晶を握り締めて。
緋色の結晶はランタンの光を反射して、その内部からこの世のものとは思えぬ神秘的な光輪をもたらす。
ペンダントとして水銀燈に着用されるその赤い結晶は、まごうことなきローゼンの遺産、『ローザミスティカ』。
メイメイはその光輪を見つめ、眩しそうにその目を細める。
水銀燈は抑えきれぬ歓喜を、その口先に滲ませて1人ごちた。
「うふふふ……。
真紅と雛苺の噂を聞きつけて、あの子達のローザミスティカを頂こうとこの村に来てみれば、
それと時を同じくして翠星石と蒼星石までポッケ村に揃い踏みだものねぇ。
この絶好の機を逃すわけにはいかないわぁ」
口元を愉悦で歪めた水銀燈。
メイメイもまた、水銀燈に似た背徳的な声で、彼女に応じる。
「……だから、水銀燈は突然こんなド田舎までいきなりあたいとやって来た、ってわけか。
で、ローザミスティカを頂くならどうする?
どうせあいつらのことだし、肌身離さず持ち歩いてるだろうから、盗み出すのは難しいよ。
いっそのこと、4人まとめて殺っちまうかい?」
雛苺は現在村にいないことをまだ知らぬメイメイは、人数を「4人」と数え上げ、静かに猫の爪が伸ばす。
彼女の浮かべる獰猛な笑みはもはやアイルーではなく、モンスターの類を思わせるような凶暴性を秘めていた。
水銀燈はそんなメイメイの提案を、まるで妹のいたずらの計画をたしなめる姉のように、静かに制止する。
「それも素敵な提案ねぇ。暗殺みたいな陰湿な手段も、私は大好きよ。
けれども、さすがに4人をまとめて噴水送りにするのは、余所者の私達にはちょっとハードルが高いわねぇ」
水銀燈は、「噴水送り」というハンター達の間に伝わる俗言を用いて、メイメイに答えた。
「噴水送り」とは、ハンター達の俗言で「何者かに暗殺されること」……
狭義には、「ギルドナイトの人間に暗殺されること」を指す。
ある町で、再三再四の苦情や警告を受けたにもかかわらず、
ギルドの規則を破り続けた極めて悪質なハンターがいたという。
彼はある朝、その町の噴水に体を突っ込んだまま、血みどろの惨殺死体になっていた。
この事件の真相は、風紀委員であるギルドナイトが彼に施した「物理的な手段を伴う懲罰」であると言われているが、
この言い回しはその事件が由来であると、ハンター達の間ではまことしやかにささやかれている。
メイメイは「噴水送り」という言葉に一抹のうそ寒さを感じながらも、鼻を鳴らして水銀燈に喰ってかかる。
「じゃあ水銀燈……あたいらはどうするっていうんだい?」
「そうねぇ……。
色々と小細工を考えてはみたけれども、どれも今一つしっくり来ないのよねぇ。
何か、面白いことでもあればいいんだけれども……」
水銀燈がその言葉を言い終えた、その刹那。
山から吹き降ろす風に、その声は混じっていた。
それはただの風の音かとも考えたが、水銀燈の耳はそれを一瞬で否定する。
このまともな生物が発するとは思えない不気味な声は、これまで何度も聞いてきた。
水銀燈は一瞬その表情を驚きで満たすが、それが終われば次に来るのは、極上の喜びの笑み。
「水銀燈、あの声は一体……?」
「ふふ……そう言えば、この雪山は『あいつ』の好みそうな環境よねぇ。面白いことを考えちゃったわぁ」
「え……どういうことだい、水銀燈?」
困惑するメイメイを尻目に、水銀燈はすっくと立ち上がる。
一旦は外した『ガルルガフェイク』をもう一度頭に被り直し、その止め具できっちり兜と鎧を連結する。
傍らにあった『セイリュウトウ【烏】』に通された革製のバンドに手をかけ、一気に引き締めて背に固定。
『セイリュウトウ【烏】』の残した地面の溝が、その桁外れの重量をアピールするが、
彼女はそれを意にも介さず軽々と肩に留めた。
水銀燈は振り向き、地面に置いたランタンを拾い上げる。
「メイメイ、一旦ここは退きましょう。
明日はポッケ村に入村して、『あいつ』の存在を村に知らせるわ。
そうねぇ……あなたは適当な毛染めを使って、毛の色を変えてからポッケ村に向かいなさい。
それから、これを集会所に提出するのよぉ」
水銀燈は、歩き出した。
同時に懐から取り出した羊皮紙と羽ペンを手に収め、それを舞わせる。
「さて、この撒き餌にあの子達が食いつけば拍手喝采……もし食いつかなければ、別の手段を考えましょう。
さすがに4人まとめてかかってくれるとは期待しない方がいいでしょうけれども。
ふふ……楽しい『釣り』になりそうねぇ」
風が、静かに水銀燈の笑い声を夜空の彼方に吹き上げた。
水銀燈とメイメイが去った、フラヒヤ山脈のふもと。
そこには、この夜の闇の中でも不気味なほどに鮮やかな白が広がる。
わだかまっていたのは、白い闇だった。
おぞましい鳴き声を上げる、白い闇だった。

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