「怪物と戦うものはその過程で自分自身も怪物にならぬよう気を付けなくてはならない…
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェの言葉だ…」

大きく西に傾き始めた太陽を見つめながら、車椅子の男が呟く。

「…? 晩年を狂気の内に過ごした哲学者ですね。…それがどうかなさいましたか?」
白崎がAliceから視線を外し、車椅子の男に疑問を向ける。

「…思うのだよ…。世界という怪物と戦う内に…私達もいつの間にか怪物になっているのでは…とな…」

白崎は顎に手を当て、考える仕草をする。
「ふむ…ですが…例え怪物となろうと、世界がAliceの恩恵に触れた日には…
我々は確実に救世主と…人類を救った神と呼ばれるでしょう。
それまでの悪名の一つや二つは…まあ、避けて通れない物として諦めるしかないでしょうな」
大仰に手振りを交えながら、白崎はそう告げる。

「まさか、ここまできて迷っておられるのですか…二葉様?」
口の端を僅かに持ち上げ、言う。

「…私にも…人類にも…迷ってる時間は無い…」
二葉と呼ばれた車椅子の男は…その真意を隠すように、静かに目を閉じる。
そして…沈む夕日を再び見ようとはしなかった…。




   14.盲目の正義


 
階段の上から水銀燈を見下ろす真紅。
階段の下から真紅を睨みつける水銀燈。

先程までの銃声響く光景からうって変わり…屋敷は静寂に包まれていた。

無言で視線を飛ばす水銀燈に、巴が小さく告げる。
「…ここは任せるから…私達は人質の確保を…」
そして駆け出そうとした時――水銀燈が片手でそれを止めた。

「はぁい、そこまで。
…何か他に言う事があるんじゃないかしらぁ…?」

巴もオディールも、何も答えない。ただ、視線を少し鋭くして水銀燈を見つめる。
水銀燈は口の端を持ち上げる。

「まんまと嵌められたわぁ。
だって相手が雇った傭兵と、依頼主が繋がってるなんて…反則もいい所よねぇ?」

再び、静寂が場を支配する。

「…沈黙、って…それはそれで答えになるわよぉ…?」

巴とオディールは相変わらず黙ったままだが…二人の武器を持つ手に次第に力が入っていく。
しかし、そんな切迫した空気も、すぐに途切れた。

「止しなさい、二人とも。
その距離でやり合ったら、三人とも怪我じゃ済まないのだわ」
階段の上から見下ろす真紅が、そう告げる。

「大方、ブラフだったんでしょうけど…まんまと引っかかったわね。
巴にオディール。あなた達はもういいわ…」
そこまで言い、腰に下げたホルスターの留め金を外す。

「真紅!でも…!」
「ここに来て、失敗する訳にはいかないでしょう?私に任せて行きなさい…」
オディールが反論するが…真紅の有無を言わせぬ一言で、それ以上は続かなかった。

―※―※―※―※―

巴とオディールの足音が遠くなり…
真紅は水銀燈を見下ろしながら言う。

「…私は、私のやり方でAliceに至る。
可哀想だとは思うけど…その作戦の一部になれること、せめて光栄に思うといいのだわ」

その目は…階段の上下という位置関係だけではなく…明らかに見下したもの。
それはまるで、地に堕ちた鳥を見つめるかのような視線。

そして…その視線の先に立つ水銀燈の脳裏に、真紅の言葉が木霊する…。
(Alice…アリス…どこかで聞いた響きねぇ……確か…)

だが、長く思案に耽っている訳にはいかない。

まるで決闘でもするかのように、真紅が銃に指を近づける。
そして、冷めた目のまま用向きを伝えてくる。

「私達にとって…屋敷を壊滅させた賊が、死のうが逃げようが『どちらでも構わない』事なのだわ…」
「…それは私達にとって『どっちも良くない』事よねぇ…」
 
水銀燈がサブマシンガン・メイメイを持つ手に力を込める。
こっちにも、意地とプライドがある。ここで「はいそうですか」という訳にはいかない。

水銀燈の視線が真紅を射抜き、真紅の視線が水銀燈を貫いた。


一瞬の静寂が空間を包む。


……―――


真紅がホルスターからピースメーカーを抜き――
水銀燈がメイメイの銃口を向ける――


だが…
(!! 早い!?)
ピースメーカの弾丸が続けざまに床板に穴を開ける!

真紅の早撃ちの前に、水銀燈は無様に床を転がり必死に弾を避けるだけの結果となった。

(…大した腕してるわねぇ…その上…)
何とか辿り着いた物陰で、人心地つく。
(その上…高い所から狙われたんじゃ…不味いわねぇ…)
何とか上まで昇るか、相手をここまで来させるか。
そして…こういった駆け引きは、嫌いじゃない。
 
「おバカさんと煙って、高い所が好きよねぇ?…どぉ?こっちに降りてきなさいよぉ?」

返事の変わりに、近くの床が弾ける。

高いプライドと、それを根底から支える高い技術。
こちらから出向くのは…あまり得策とは思えなかった。

「いいわぁ…私をコケにした事、たぁっぷり後悔させてあげるわよ…真紅ぅ!」
メイメイを顔の高さまで持ち上げ、口の端を持ち上げた。

―※―※―※―※―

「…これだけ事情を知ってる私が、屋敷の中を逃げ回ったら…
そりゃあ、心配よねぇ…?」
聞こえるかどうか、という位の声で呟く。

「…!あなた…正々堂々とかかってきなさい!」
真紅がその言葉の意図を察し…声を荒げる。

「いやぁよ。お・ば・か・さぁん」
猫なで声で答え…メイメイをやたらと撃ちながら、くるりとその場から逃げ出した――

「…!!」
真紅は身を伏せ…心の中で舌打ちをする。

腕利きだからこそ…必ず食い下がってくる。激しい闘いが繰り広げられる。
それでこそ計画が進むというのに…

「全く!とんでもない性格してるわね!修正してやるのだわ!」
彼女をよく知る者なら、誰もが驚きそうな程に感情を露にしながら、真紅は水銀燈の後を追いかけた…

―※―※―※―※―

扉を開け、部屋の中に入る。
そして…その扉に、ちょっとしたトラップを仕掛ける。

(…ああいう、腕に自身が有って、真っ直ぐなタイプは…おちょくり甲斐があるわぁ…)

仕掛けたトラップを見て、口元に手を当てて、「ぷくく」と笑う。
…大したトラップを準備する時間は無いが…これでも十分、真紅には効果的だろう。
最も、その成果を見れないのは残念だが…

ニヤニヤ笑いを浮かべながら、別の扉から部屋を飛び出した。

―※―※―※―※―

「どこにいるの!隠れてないで出てきなさい!!」
真紅は喚きながら、水銀燈を探して駆け回る。
すると…どこからか風が吹き込んでくる…
見ると、そこには一箇所、少しだけ開いた扉が在った。

「…そこね!」
勢いよく扉を開ける――
ドアの上に不安定に置かれていた水筒が揺れ――
真紅の頭上に、ザバーっと水が降ってきた……

「………」

ポタポタと、髪の先から落ちる滴の音が、やけに聞こえる。

「……水銀燈…!……どてっ腹に…風穴開けてやるのだわ!!」

―※―※―※―※―

水銀燈は、律儀に通った全ての扉に、即興の罠を仕掛け…
罠と言っても、時間をかけて仕掛けるわけにもいかないので、かなり適当な代物だが。
それでも、時々遠くから聞こえる叫びから察するに…
ブービートラップとしての役割は十分果たしてくれているようだ。

(ふふふ…ああいう子おちょくるのって…癖になるわねぇ…)
すっかり本来の目的を忘れ…
いや、本来の目的など、そもそもが謀られた代物。
だったら、好き勝手やらせて貰うわぁ、と言わんばかりの表情で罠を仕掛ける。

罠を仕掛け、いざ次の部屋へ…そう思った瞬間――
たった今トラップを仕掛け終えた扉が吹き飛んだ――

「…あら?少々強めにノックしすぎたみたいね?」
煙を上げる銃を片手に、鉄仮面のように固い表情をした真紅が部屋に入ってきた…
「…レディーは、もっと上品にノックするものよぉ…?」
水銀燈は逃走を諦め…真紅に向き直る。
「散々コケにしてくれて…あなたは許せないわ…水銀燈…!」
そう言い真紅は、眼光鋭く水銀燈を睨みつける…。

「ふふ…あなた…怒った顔、とぉってもブサイクねぇ…」
「誰が…!!」
叫ぶと同時に真紅が銃口を向けてくる――
水銀燈もメイメイを持ち上げるが、真紅の動きはそれより早く――

だが、冷静さを欠いた早撃ちでは、水銀燈を捉えきれず、
ピースメーカーは水銀燈の放った弾丸によって地面に叩き落された。
 
――銃さえ押さえれば、こっちのもの。
水銀燈はそう考えており――それ故に、一手遅れる…
普通、銃を奪われれば、取り返そうとするか、逃げようとする。
だが…真紅は逆に――何の迷いも無く、水銀燈に一足飛びに殴りかかった――!

「ッッ!!?」
突然の事に反応が間に合わず、顔面にイイのを貰って吹き飛ぶ――

その隙に真紅は銃を拾い――水銀燈に向けて引き金を引く――

水銀燈は吹き飛ばされたまま、転げるように机の影に隠れ…
脇腹に手を当てる。

服に開いた小さな穴から…指の隙間から…血が流れ出てきた。

(…弾は抜けてる…この出血だと…お腹の中に血は溜まらないでしょうし…この程度…かすり傷よぉ…!)
怪我の状況を判断し、痛みに耐えながら、何とか自身を奮い立たせる。
幸い、避難所として選んだこの机は、暫くなら銃弾も防げる。

だが…出血、机の耐久力、敵方の増援が来る可能性。
残された手段は…あまりにも少ない。

真紅が銃を机に向けながら、最後の勧告をしてくる。
「…出てきなさい…もう…逃げられないのだわ」

(…正面からの撃ち合いじゃあ…ちょっとマズイわねぇ…)
水銀燈は血に濡れた手で、ポケットの中を探る。
(…出来れば…予算の都合でやりたくなかったんだけど…)
鼓動に合わせて静かに流れ続ける血が、鈍い痛みを伝えてくる。
(背に腹は代えられない、ってヤツねぇ…!)

―※―※―※―※―

「…銃を捨てて、大人しく出てきなさい。今なら、命だけは見逃してあげるのだわ」
先程より少しは落ち着いた声で、真紅はそう言う。
だが、その銃口は未だ油断無く机に向いていた。



返事は無い。

真紅はちいさくため息をつき…威嚇の為に引き金に再び指をかけた瞬間――
机の影から、キラキラと光る何かが投げ出された――
「…!?…コイン…?」
それは無数の硬貨。
「これが一体―――」
最後まで言う暇も無く、水銀燈が机に身を潜めたまま銃を乱射する。
狙う先は――空中のコイン。

「――!?」

コインが弾丸にビリヤードの球のようにハジかれ、光を乱反射しながら真紅に襲い掛かる――!

「――っ!!」
弾丸のような勢いで降り注ぐコインの雨を必死に避ける。
一撃一撃に大した威力は無いにしても、これ程の数に同時に来られては―――
――避けきれない――!
そう判断し、それからは早かった。
脱兎の如くの勢いで、部屋の入り口まで逃げ、壁に身を隠す。
 
「…一々、やる事がいやらしいわね…」
悪態をつきながら、コインに切られた頬の血を手で拭う。

―※―※―※―※―

予算を大きくオーバーした攻撃だったが…
お陰で状況を、五分とはいかないにせよ、それに近い所まではひっくり返せた。

「…さぁて…次はどうしようかしらぁ…」
正面からでは、不利な事に変わりは無い。
今度は、腹に穴が開く『かすり傷』程度では済まないだろう。
だが…それなら、脇から攻めればいいだけの事。そう、今さっきのように。
手持ちの全てを考慮に入れて、策を考える…。

「…腕利きだと思っていたけど…これじゃあ、ただのサーカス団員なのだわ」
壁を挟んで、真紅が声をかけてくる。
「そのサーカス団員の芸に怯えて、逃げ出したのは誰だったかしらぁ?」
水銀燈も負けじと答える。
「その誰かさんに、お腹に風穴開けられといて…よく言うわね」

――気に食わない。
二人は心からそう思う。

「…あの一撃は、大したものねぇ…。やっぱり胸が無いと、あれだけ素早く動けるのねぇ」
「!!……そんな脂肪の塊…重いだけで、何の役にも立たないのだわ」
「あらぁ?ひょっとして僻んでるのぉ?ふふ…魅力が無いのって、とぉっても残念な事ねぇ」
「…誰がよ…。あなたこそ、目尻に皺がよって、何が魅力よ」
「!?」
「見える訳ないでしょ。分かりやすく引っかからないで欲しいものだわ」
 
「…うるさいわねぇ…この貧乳…」
「…耳障りな猫なで声ね」
「高慢ちき」
「年増」

「……」
「……」

……

「ギッタギタの…ジャンクにしてやるわぁ!!」
「あなただけは!絶対に許さない!!」


怒りのボルテージがMAXを超え、爆発する!


二人同時に飛び出す――!

そして互いに銃を向け、引き金に指をかける――

だが、その指で引き金を引く事無く――二人は同時に左右に跳ぶ――

次の瞬間、二人の立っていた中心が吹き飛び――


二人が視線を送った先には、片足を引き摺り、壁にもたれかかる雛苺の姿があった。

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最終更新:2008年03月14日 18:27