女性恐怖症。
一体何をすれば、こんなトラウマが心に刻まれるんだろう。
一体どうすれば、この傷を消す事ができるんだろう。
…
言っておくけど、僕はアッーな人ではないよ。
確かに少なくない友達は全員、男だけど…
実際に女の子は好きだよ?二次元とか、特にね。…フフフ
いつもより早い時間に学校に行く準備を終え…
「行ってきます」
僕は部屋の中に声をかける。
…だからフィギュアじゃあないって。アンティークドールって言うんだよ?
朝の早い時間。
人通りも少なく、まだ少し冷たい風が心地良い。
僕は学校の正門を素通りし…そのまま裏門に向かった。
「朝早くから大変だな」
裏門の近くに備え付けられた花壇の脇で花を植えてる蒼星石に声をかける。
「あ…おはよう、ジュン君」
僕はここ数日、野良猫に荒らされた花壇を直すのを手伝っている。
最初は、男なのに花かよ。と一瞬考えたりもしたけど…それを言えば、僕だって裁縫が好きだし。
ちょっと男らしくないかな?といった趣味も持つ者。
そんな共通意識が僕の中で勝手に働き、こうなるに至った訳だ。
「よ…っと」
僕は蒼星石の横に屈みこむ。
すると何故か蒼星石が急にソワソワと前髪を触りだした。
「おいおい…手にドロ付いたままだろ?髪にもドロ付いちゃうじゃないか」
僕はそう言い、蒼星石の前髪や額に付いた泥を払い落とした。
「え…あ…わ…!」
突然慌てだす蒼星石。
…しっかりしてるようだけど、僕に言われるまでドロに気付かないなんて…
案外、おっちょこちょいな所があるんだな。
僕はそう思いながら、ポケットからハンカチを出して、額に残った泥をふき取る。
「え!あ!そんな…ハンカチ汚れちゃうよ」
蒼星石が顔を真っ赤にして、そう言う。
…顔を真っ赤に?
「なあ蒼星石、お前…顔赤いぞ?熱でもあるのか?」
手を蒼星石の額に当ててみる。
…
うん。全然分からない。慣れない事は、しても無駄だね。
そして僕は、そのまま蒼星石の前髪を持ち上げ…
自分の額を蒼星石の額とくっつけた。
…腐女子にこんな所見られたら、何を噂されるかわかったもんじゃないけど…
まあ、こんな早い時間なら誰にも見られないだろう。
そんな事を考えながら額をくっつけていると…
うん。やっぱり、熱がある。しかも…どんどん熱くなる。
これは…まさか!病気なのか!?
せっかく出来た友達が…大病を患うと!?
僕は立ち上がり、蒼星石の手を取る。
「とりあえず…風邪かもしれないから、今日はもう中止にしよう。保健室の前まで送っていくよ」
「え…?いや…その…」
真っ赤な顔でモゾモゾする蒼星石の手を引き、僕は校舎に、保健室に向かった。
…
その日はその後、コレと言って何の変哲も無い学園生活が過ぎ…
昼休みに蒼星石が僕の教室まで来て、朝の保健室のお礼と、何事も無かった事を僕に伝える。
その後蒼星石は…少し赤い顔で逃げるように僕の教室から出て行った。
「何事も無かった」って…顔赤いし、本当に大丈夫なのか?
思わずその後姿を追いかけそうになるも…
横で「ほぅ…」とか「ふむ…」とか言いながら蒼星石を見ていたベジータとの勝負が先決だ。
もしこのゲームで僕が負けた場合…
間違いなく、この変態は僕の眼鏡を粉砕する。
つまり…これは…避ける事の出来ない、男の戦いなんだ…。
君も男なら、誇りを賭けた勝負の大切さ…分かってくれるだろ?蒼星石…
…
放課後…
しっかり僕の顔に存在する眼鏡と、ベジータの前髪を毟り取った時の感触に思いを馳せながら校舎裏に行く。
花壇の前には蒼星石と…スイセーセキとか言う、蒼星石の姉がすでにそこに居た。
これはマズイ…
あのスイセーセキとかいう女は、たしか学年でも有名な女子だ。
常に男子からアプローチをかけられ…その全てを、残虐非道な毒舌で斬って捨てる。
そんな噂を聞いた事がある。
…君子、危うきに近寄らず。
(蒼星石…ごめん…!)
僕は踵を返し、その場を立ち去ろうとし…
「ジュン君!」
一瞬早く、蒼星石に声をかけられた。
スイセーセキが僕の方に近寄ってくる。
「ふ~ん…お前が、花壇を直すのを手伝ってくれてるジュンとか言う奴ですか…」
僕の全身を無遠慮にジロジロと眺めてくる。
「エエ…?…イヤ…ハイ、ソウダケド?」
これはヤバイ…!
全身から汗が噴出すような恐怖が広がる。
この女子は…噂を信じるなら、僕の目の前でも平気で僕に毒を吐くタイプだ…!
このオッドアイは…蒼星石の全くの逆…つまり…僕の心を抉る目、って事か!?
これはヤバイ…早くここから逃げなきゃ!
心から忍び寄る恐怖に…体が震えかけた時…
「手伝いに来てくれたのかい?」
蒼星石が話しかけてきてくれた。
同時に、蛇に睨まれた蛙状態が解ける。
(助かったよ、蒼星石…。でも…)
今は何より、ここから逃げる事が一番大切だ。
「でも、ごめんな。今日は用が有るから、もう行かなくっちゃいけないんだよ」
「そう…なんだ…」
蒼星石が少し悲しそうに俯く。
僕も…せっかくの君とのひと時が過ごせないのは…悲しいよ…。
だけど…今は…ごめん…。
そして、蒼星石の手を握る。
「でも、蒼星石の姿を見れてよかったよ」
(今、もしも君がここに居なかったら…きっと僕は…死んでいたから)
「え!?」
瞬間湯沸かし器みたいに一瞬で顔を真っ赤にした蒼星石を尻目に、僕はそのまま裏門目掛けて駆け出す。
例えどんなに辛くっても…逃げなきゃいけない戦いも有るんだ…君も男なら分かってくれるだろ…蒼星石…
心の中で呟きながら走り続ける。
少し流れた涙が風に舞い、キラキラと光り…消えていった。
…
翌日の朝。
最近はいっつも早く起きているが…今日はそれよりさらに早く起きる。
昨日の放課後は、僕が弱かったばかりに…
その罪悪感を償う為、今日はいつもより早く出発する。
部屋のドアを開け…いつもアンティークドールに言っている「行ってきます」を言ってない事に気が付いた。
何でだろう…?
少し考える。
確かに…男ばかりだけど…僕には友達もちゃんと居る。
でもそれは…バカ騒ぎしたり、ふざけあったりで…。
もっと、フラットな気持ちで。見得も外聞も無く、一緒に居れる友達。
それこそ、家に居る時と同じ位にくつろいだ気分で接する事が出来る存在。
僕にも、そういったものが出来たから…
だから僕は、今までみたいにアンティークドール達に依存しなくなったのでは…?
疑念とも確信とも取れない心境のまま、ドアを閉める。
「…行ってきます」
ドアがガチャリと閉まり…その音が静かな余韻を残す。
僕はゆっくり目を閉じて…そして、はっきりと心で感じる。
…僕は…蒼星石ともっと仲良くなりたい…!
いつもと同じ通学路。
いつもより早い時間。
いつもよりずっと軽い足取り。
いつ以来だろう…学校に行くのがこんなに楽しいのは…
きっとそんな気分は体にも影響を与えるのだろう。
僕はいつもよりずっと早く学校に着いた。
「おはよう、蒼星石」
「ジュ…ジュン君!?きょ…今日はやけに早いね?」
「蒼星石ほどじゃないよ」
やっぱり、蒼星石より早く着く事は出来なかったけど…
でも、早起きした分、蒼星石と居られる時間が長くなるのは良い事だ。
それに…
スイセーセキは朝が弱いから、ここには来ない…。
つまり!邪魔な女子共はここには居ない!
この桜田ジュン!まさに策士!…ククク…
そう考えながら、いつものように蒼星石に近づく…
と、不意に蒼星石がジーンズの埃を払い、立ち上がった。
そして…
「あの…その…ジュン君…今週の日曜日…暇かな…?」
何故かモジモジとしながら尋ねてきた。
「?日曜…?ああ、暇だけど?」
まあ、予定といえば、ネットで二次元画像のコレクションを充実させる位だから…
無二の友の質問の前では、予定なんて皆無といっても良いだろう。
「その…だったら…映画でも…どうかな…って…ちょうどチケットが二枚余っててさ…」
モジモジと、顔を赤らめながらそう告げてくる。
そしてジーンズのポケットから、映画のチケットを取り出してきた。
(何でそんなに恥ずかしそうに言うんだ?)
僕はそう思うも…蒼星石が差し出してきたチケットを見て納得した。
今世間で話題になっている、超大作の恋愛映画。そのチケットだ。
…たしかにチケットを余らせるのは勿体無い。
かといって、一人でこれを見るのは…流石にイタい話だろう。
誘うような女子が誰も居なくて、せめて男友達と。って考えたんだろうな。
で、男同士で恋愛映画を身に行くのは、やっぱり恥ずかしい。
さしずめ、そんな所だろうな。
「ああ、なら一緒に行こうか」
僕はそう答え、蒼星石の持つチケットの一枚をヒョイっと受け取る。
途端に蒼星石の表情がパァァっと明るくなり…
そして、次の瞬間、真っ赤な顔で俯いた。
…『朝は低血圧』ってのは聞くけど…
ひょっとして蒼星石は『朝は高血圧』なのか?
ぼんやりとそんな事を考えながら、二人で花壇に花を植える。
…
そして…日曜日が来た。
…
僕は駅前に備え付けられた時計を見る。
…
集合時間よりだいぶ早い。ってか、早すぎた。
何で僕が、女子が喜ぶような映画の為にこんなに張り切ってるんだ?
いや…映画の為じゃあないな。
僕は柄にも無く、少し目を細める。
(学校以外で蒼星石と会うのって…初めてだな)
再び、時計を見るも…時間は全然進んでない。
待つ時間は長く感じる。
そんな言葉を思い出す。
そして、のんびりと時間まで待とう。そう思った時…
駅に電車が停まる瞬間が見えた。
何故だろう…他にも電車はたくさん有ったのに…何故かその電車が停まる瞬間だけが目に焼きついた。
そして、その電車から蒼星石が降りてきた…
僕はそこで違和感を感じる――
――蒼星石?…君が降りてきたのは…女性専用車両だぞ…?
違和感はさらに広がる――
――それに…何で君はスカートをはいてる…?
遠くで手を振りながら近づいてくる蒼星石を見ながら…
僕はいつだったか、インターネットで見かけた言葉を呟いていた。
「髪の毛短いし、青いズボン穿いてるし、絶対、男だと思ってた…」