『蒼星石の百合的学園生活』
第一章 雪華綺晶
朝。ボク、蒼星石は幼馴染のジュン君と一緒に登校する。
「ふぁ~」
ジュン君が大きな欠伸をする。
「ジュン君、寝不足なの?」
「ああ。僕ってこの時期になると演劇部の衣装係にかりだされるだろ? 普段帰宅部なのに」
「もしかして、ずっと演劇の衣装を作ってたの?」
ジュン君はとても裁縫が上手だから時々演劇部から衣装の手伝いをさせられることがあるんだ。
「ああ。お陰で寝不足さ」
「でもそれだけ本気で取り組んでいるって事でしょ?」
ボクたちの朝の登校風景はこんな感じ。普段通り、いつも通り。何気ない会話の繰り返し。
幸せだった。でも、ボクの心は少し複雑だ。
ボクはジュン君のことが好きだ。勿論幼馴染としてではなく、一人の男性として。
なのにジュン君は鈍感で、ボクどんなにアプローチをかけても自分のことを幼馴染としか見てくれない。
幼馴染、それは最も近く、遠い場所。
なんとかしてジュン君の気持ちをボクに向けたい。
ジュン君は最近真紅と仲が良いようで、この間は二人でゲーセンに行っていた。
だからボクは少し焦っていた。
何とかしないと。
そう思っていた矢先、チャンスはすぐに訪れた。
放課後。
「え? 王子様? ボクが?」
ジュン君のいきなりと言えばあまりにもいきなりなお願いに、ボクは驚いた。
「ああ。何でも王子役の奴が盲腸で入院したらしいんだ」
ジュン君は申し訳なさそうに言う。
「…でも、何で代役がボクなの? それにどうして演劇部員じゃないジュン君が頼みに来るのさ?」
「女子部員達の熱烈な希望があったんだ。
…で、頼むなら幼馴染である僕が良いだろうってことで君に代役を頼むように頼まれたわけ」
「……そっか…」
「…あ。やっぱ…、嫌だよな。男役なんて…」
ジュン君はさらに申し訳なさそうな表情をする。
まぁこの表情もボクは好きなんだけど、やっぱりジュン君は笑っていたほうが良い。
そこでボクは考えた。
代役受ける→ジュン君と一緒の時間増える→もしかしたら共同作業とかもあるかも→二人のハート接近→ラブラブ
この思考ロジックの組み立てに要した時間、約2秒。
「しょうがない。演劇部のヤツらにはダメだったってつt」
「わかったボクやるよ! ジュン君の頼みだもの!」
ボクは物凄い勢いでジュンに詰め寄った。
「…そ、そうか。じゃあみんなにはOKだったって伝えておくよ」
ジュン君は少し怯みながら答えた。
「「キャー、蒼様ー!」」
ボクは演劇部女子部員たちの黄色い歓声に迎えられた。
ボクは驚きつつもなんとか愛想笑いを向けながら、ジュン君を探す。
見つけた。急いで駆け寄る。
「ジュン君!」
「蒼星石」
これからしばらくはジュン君と放課後一緒に過ごせる。
と、ボクは期待していた。けれど、世の中はそんなに甘くなかった。
「じゃ、頑張れよ」
ジュン君は立ち上がると、右手をシュタッと挙げた。
「…へ? 帰るの?」
突然のことに驚く。
「うん。衣装はもう大まかには完成してるんだけど、細かい仕上げ作業は家でやろうと思ってね」
ジュン君はそう言って左手に持った紙袋を持ち上げて見せる。どうやら中には作りかけの衣装が入っているようだ。
「あ、そうそう。部長の雪華綺晶先輩は演技に厳しい人だから、気を引き締めたほうがいいよ」
呆然とするボクを一人残し、それじゃあ、と言ってジュン君は帰っていった。
「そ、そんなぁ…」
一人残されるボク。
「何ですか、これ!」
渡された台本を読んだボクは、気がついたら思いっきり叫んでいた。
「あら、どうかしました?」
雪華綺晶先輩は どうしたの? という感じで答える。
「こ、この最後のシーン。……そ、その、キ、キ、キ…」
「ああ。キスシーンですね」
…そう。台本にはお姫様。つまり雪華綺晶先輩とのキスシーンがあったんだ。
「ボク、キスシーンなんて嫌です!」
「大丈夫ですわ、すると言ってもフリだけですから。…まぁ、勿論客席から見たらちゃんとしてるように見える角度で演技をするけれど」
「で、でも…」
「台本の変更はなし。良いですね?(ギロリ)」
「……はい」
ボクはなおも食い下がってみたけれど、先輩の一睨みで黙ってしまった。
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雪華綺晶先輩はジュン君の言うとおり厳しい人だった。一言で言えばスパルタ。
台詞や動作のタイミングなど、秒単位で指摘してくる。
ジュン君と一緒にいられないということでやる気が半減しているボクにはついていくのがやっとだった。
それでもボクはジュン君の「当日は僕も見に行くから、カッコイイ蒼星石を見せてくれよ」の一言だけを糧に懸命に努力を続けた。
そして、当日。
演劇のラストシーン。
お姫様役の雪華綺晶先輩が王子様役のボクに駆け寄るシーン。
「王子!」
「姫!」
ボクは両手を広げて胸に飛び込んでくる雪華綺晶先輩を待つ。しかし
「あっ…」
雪華綺晶先輩がもう少しでボクの所に来る。というところで雪華綺晶先輩はドレスの裾を踏んで前につんのめり、ズルッとドレスがずり落ちた。
雪華綺晶先輩は咄嗟にドレスを抑えたものの、一瞬胸が露になる。
「き…」
「(まずい…!)」
ボクは咄嗟に雪華綺晶先輩を抱きしめて、自分の唇で先輩のそれを塞ぐ。
自分の体で雪華綺晶先輩の肌を隠し、自分の唇で悲鳴をあげそうになる先輩の口を塞ぐ。ベターな選択だった。
キャー!っと、客席から聞こえる女生徒たちの黄色い歓声と驚いた顔で呆然とする先輩を無視して、ボクは先輩を抱きしめる体勢のまま演技を続ける。
「姫、これから戦いで死に行く者が口づけをする無礼をお許しください」
本当はキスの前に言う台詞だったけれど、こうなってしまった以上は仕方が無い。
一瞬呆けていた雪華綺晶先輩も、はっと我に返り台詞を続ける。
「…な、何を言うのですか王子! 私はいつまでもあなたを待ち続けます。何故なら私はあなたを信じているのだから…」
裏方「おい何やってんだ! 早く照明消せ! あと幕!!」
そして、閉幕。暗いステージで先輩を庇いながら退場する。
何とか無事に終わった。
でも、安心していたせいでその時ボクは気づいていなかったんだ。雪華綺晶先輩のボクを見る目が妙に熱を帯びていることに……。
夜。演劇部の打ち上げパーティにボクとジュン君は参加した。僕たちは演劇部員ではないけれど、今回の功労者ということで招待されたのだ。
当然、みんなはキスシーンの話題で持ちきりだった。
「あのキス、するフリだったんだろ? 本当にしてるみたいだった、凄い演技力だね」
「う、うん…」
ジュン君の一言が、胸にグサッとくる。
うぅ…、初めてはジュン君って決めてたのに…orz
仕方なかったとはいえ、あんまりだよ…。
それもよりによってジュン君に見られるなんて……
ボクは赤面して、他の部員に勧められて持っていたビールを胃に流し込んだ。
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宴も酣。無礼講ということで宴会会場では何人かが酔いつぶれている。
ボクもお酒が入っているせいか、少し暑い。
「…ちょっと、外の風に当たろうかな」
ボクはそっと立ち上がり、外に出た。
夜空を見上げ、大きく伸びをする。
火照った体に夜風が心地いい。
「…星が綺麗だな……」
ボクがそう呟いた時、後ろから話しかけられた。
「蒼星石さん」
「誰!?」
突然のことにボクが驚いて振り返ると、
「雪華綺晶…先輩?」
雪華綺晶先輩が居た。
「ええ、あなたに二つ言いたいことがありまして」
先輩はそう言うと、ボクの隣まで歩いてくる。
「一つは、今日のお礼です。
私、感心しました。あんな風に突然のことに咄嗟に対応できるなんてベテランでもそうそうできません。
それに、…その、私が…人前で肌を晒しそうになったのも防いでくれましたし…」
最後のほうは顔を紅くしながら言う。
「いえ…、その…、あの時はボクも夢中でしたから……」
お互いに顔を真っ赤にして俯いてしまう。気まずい。
「…あ、あの。言いたいことが二つあるって言ってましたよね? もう一つは何ですか?」
ボクはこの気まずい空気を何とかするために質問をすることにした。
しかし、先輩はボクの質問に答えない。さっきよりも顔を赤くしてモジモジしている。
…何故だろう。とても嫌な予感がする。
先輩の表情はまるで恋する乙女だ。今までの鬼部長の顔からは全く想像できない。
…この表情は、何度も見たことがある。だって、今までボクに告白してきた女の子たちの表情とそっくりなんだもの。
「そ、その…。私……」
「……な、何ですか?」
嫌な予感はさらに強くなる。そして…
「初めて唇を奪われたあの時から、貴女のことを好きになってしまったみたいなんです!」
嫌な予感的中。それでもボクは、一応確かめる。
「そ、それって…」
「ええ、貴方を愛してしまったようなんです」
『ぽっ』と、そんな音が聞こえたような気がした。
…というか、ガチなんですね?
「で、でもボク女の子だし…」
「愛は性別を超えるんです!」
まるでどこかの舞台のヒロインのように熱弁をふるう雪華綺晶先輩。
しかしボクには好きな人、ジュン君がいる。これはもう、ハッキリと断るしかないようだ。
「雪華綺晶先輩! ボクは…」
ボクは先輩の告白を断るため、先輩のほうへ勢い良く一歩踏み出した。が、自分の足に自分の足を引っ掛けてしまった。
気がついたら、ボクは雪華綺晶先輩に覆いかぶさるように倒れていた。
「ご、ごめんなさい!」
慌てて立ち上がろうとするが、
「待ってください」
腕をガシッと掴まれる。そして、
「これが…、あなたの答えなんですね?」
なんだかうっとりとした表情で言う。
「ちょっ、違っ…」
どうやら何か勘違いしたらしい。
「私の心はあの時すでに唇と一緒に奪われているというのに……。わざわざ押し倒さなくったって…、大胆なんですね」
「いや、ですから…」
雪華綺晶先輩…、意外と妄想癖があるんですね……。いつもの厳しい姿しか見てなかったから、ボク知りませんでしたよ。
…とにかく、まずは何とかして立ち上がらないと。こんなところ誰かに見られたら変な誤解が広がっちゃうよ…。
大抵こういう時は誰か来るって決まってるんだ。
「…そ、蒼星石?」
そう、こんな風に…って、
「ジ、ジュン君!?」
聞き覚えのある声。
ボクが慌てて振り返ると、そこには今一番見られたくない人が気まずそうに立って居た。
「ちっ、違うんだジュン君! これは…」
ボクは慌てて弁解しようとする。が…
「大丈夫!」
「…え?」
…もしかして、事故だってわかってくれた?
「蒼星石が例えどんな趣味を持っていたとしても僕は幼馴染をやめたりしないって!」
……わかってなかった。
どうやらジュン君はボクの弁解を「ボクがジュン君に嫌われることを恐れた」と言う風に受け取ったらしい。あってるけど、違うよ…ジュン君。
ジュン君の爽やかな笑顔はボクの大好きな表情の一つだけれど…、今は少しだけ恨めしいよ。
「それじゃあ、邪魔にならないように僕はもう行くよ」
ジュン君はそう言って立ち去ろうとする。
「ちょっ、待って!」
「大丈夫。誰にも言ったりしないから」
そうじゃないってばっ!
慌てて追いかけようとする。けれど…
「逃がしませんわ…」
「ちょっ、放してください!」
…先輩、意外と握力強いんですね。
「ジュン君! ジュンくーん!」
ボクは叫んだけれど……
聞こえていないのかジュン君の背中は……
ゆっくりと……
闇の中へ消えていった……
「…さぁ、始めましょうか」
…うなだれるボクの後ろから、呼吸が荒い人の声がする。
その声が、ボクには死刑判決を下す裁判官の声に聞こえた。
…その後、ボクは何とかその場を抜け出した。
「…次こそは、次こそはジュン君の気持ちをボクに向ける!」
ボクはボロボロな逃げ出したときのボロボロな姿のままで夜空の星とお父様に誓ったのだった。