壁一面に広がる巨大な機械を見つめながら、白崎は呟く。
「Alice…この為に、全ては終わり…しかし…これによって再び全てが始まる…」
そして、誰にも聞きとれない程小さな声で囁く。
「まるで…昔の時代に紡がれた御伽噺のように…幻想的で、美しい、至高の存在…。
科学という名の神がその全てを奉げた…究極の装置…」
機械に施された『Alice』の刻印を撫でる白崎。その目には…異様な輝きが宿っていた…。
車椅子の男はその様子を気にするでも無く、窓の外を眺め続ける。
広がる光景は、灼熱の太陽に焼かれた大地。
…そして、その果てしない荒野のどこか。
人目を避けるように建てられた、一軒の屋敷。
太陽の光が届かない薄暗い玄関口で…睨みあう6つの瞳…
13.その先に見えるもの
「全く…チビカナもこんなおチビに出し抜かれるようでは、まだまだですね」
翠星石がニヤリと不敵な笑みを浮かべたまま、雛苺を睨む。
そして鞄の中から小さな瓶を取り出し…それを金糸雀にヒョイと投げ渡した。
「ところがどっこい!この薬を飲めば!ひ弱な今までとはバイバイのオサラバですぅ~!!」
金糸雀は薬の入った瓶を見る。『トンでもノビ~ルZ』と書いてあるが…
中で揺れる液体は、どう見ても…警戒心を煽る、蛍光緑色をしている。
金糸雀は顔を引き攣らせながら…とりあえず、翠星石に聞いてみる事にした。
「…これを飲んだら…どうなるのかしら?」
翠星石がくるりと向き直り、楽しそうに謎の踊りを披露しながら答える。
「一瞬で身長がグングン伸びて、『まっするぼでー』が手に入るです!」
「……」
「ささ!チビカナ!ぐぐいっと飲んで、ビッグカナになるですよ!」
金糸雀の脳裏にちょっと…いや、激しく嫌な光景がよぎる。
ズシーン ズシーン 『カ~シ~ラァァァァ!!』
怪獣にしか見えない何かが、咆哮と共に世界を滅ぼす!
(お嫁に…行けなくなっちゃうかしら…)
金糸雀は無言で小瓶を指の隙間から地面に落とした。
グシャァと瓶の砕ける音が聞こえ、安心感が胸に広がる。
(乙女の危機は…脱したかしら!)
「ごめんなさいかしら落としちゃったかしら」
「な!?せっかくの秘密兵器が粉々ですぅ!」
ジタバタと騒ぐ翠星石を一旦置いといて、金糸雀は目の前に立つ雛苺を真っ直ぐに見やる。
翠星石もその空気を察してか…その表情からはいつのも陽気さが一瞬で影を潜めた。
「さて…冗談はこの位にして…何か策でもあるですか?」
雛苺に視線を向けたまま…小声で金糸雀に話しかける。
金糸雀も…雛苺に視線を向けたまま…小さく頷き…足を前に一歩踏み出した…。
「…雛苺……」
「カナリア…あなたとは…もっと違う出会い方がしたかったの…もっと違う出会い方なら…」
小さな、搾り出すような声で、雛苺はそう告げ…ほんの一瞬だけ、視線を伏せた。
その視線が再び金糸雀と交わった時には…雛苺の目から迷いは姿を消している…。
…深い沈黙が辺りを支配した。
(…雛苺…カナも…とても残念かしら…)
静かに、固唾を飲み込む。
空気が鉛のように重く感じる…
額に針を近づけたかのような緊張感が全身に広がる…
不意に雛苺が、その両手に小さな爆弾を掴む――
同時に翠星石が駆け寄り、金糸雀を抱えて物陰に飛ぶ――
轟音――
次の瞬間、二人が先程まで立っていた位置には、巻き起こる粉塵と抉れた床と壁。
「チビカナ!ぼさっとしてると怪我するですよ!」
翠星石がそう叫び、金糸雀の額をペシッと叩き、立ち上がろうとし…
その腕を金糸雀に掴まれた。
「翠星石…やっぱり、戦いは避けられないかしら…。それでも…
甘いと思うかもしれないけど…雛苺には…怪我をさせたくないかしら…」
すがるような目を向ける金糸雀に、翠星石は鋭い視線を返す。
「このおチビ!…全く、とんでもないアマちゃん発言ですぅ…!」
翠星石はわざとらしくため息をつき、金糸雀の頬をキュッと抓る。
そして…
翠星石は、自らの武器として調合した睡眠薬『スィドリーム』の瓶を鞄から取り出し、握り締める。
「別にてめぇの意見なんざ聞いちゃあいないですが…
これは、そーゆー戦いがたまたま私の得意な分野なだけですぅ…!」
―※―※―※―※―
「私が『スィドリーム』で攻撃するですから、チビカナはサポートを頼んだです!」
そう言うと同時に、物陰から翠星石が飛び出す。
「任せるかしら!」
金糸雀が叫び、デリンジャーの引き金を引く。
小さなパァンという銃声と共に――
――翠星石の足元に金糸雀の放った弾丸がメリ込む!
「……」
「……」
「てめぇチビカナ…私を殺す気ですか!?」
「ごごごごめんなさいかしら~!」
さっきまでいた物陰に再び飛び込んで、背後から来た爆風をやり過ごす。
「チビカナの銃の腕に期待した私がバカだったです!」
翠星石が金糸雀の頭をポカリと叩く。
そして…警戒しながら物陰から顔を出す。
雛苺の姿が見えない…。
…発破によって巻き起こった粉塵で、視界は良いとは言い難い。
抉れた床に、倒れた柱…四散する様々なオブジェ。
小柄な雛苺なら、十分に姿を隠せる…。
「…どこかに潜んでるみたいですが…まずいです…あのおチビを見失ったです…」
金糸雀もちょっとだけ顔を出して状況を確認し――考えを巡らせる。
――この状況…有利か不利か。
互いの位置を探りながら…見つからないように相手を見つける。
相手は一人、こちらは二人。
相手の爆弾は衝撃でも十分なダメージになる。
こちらの戦力は…残念ながら、期待できるのは翠星石だけ。
しかも、その『スィドリーム』も直撃でなければ効果は薄い。
「…この状況は…カナ達には不利かしら…」
そっと翠星石に囁く。
「だけど、二人でバラバラに行動して…相手を霍乱すれば…チャンスが見つかるかもしれないかしら…!」
小さく震える拳を、静かに握り締める。
「動き回るカナを狙って、雛苺が発破を投げた時に…翠星石が『スィドリーム』を叩き込む。
この作戦が…一番効果的かしら…」
「…チビカナ…オトリになるつもりですか」
翠星石が目を細めて詰め寄る。
「…大丈夫かしら。雛苺の腕力では、そんなに速く爆弾を投げられないかしら。
ドジさえしなければ…十分避けれるかしら!」
言い終わると同時に、金糸雀は物陰から飛び出す――
何所からとも無く爆弾が飛来し、背後から爆風が押し寄せ――
爆風に背中を押されるように、金糸雀は別の物陰に身を滑り込ませた。
「…危なかったかしら…でも…」
一人呟く。
「でも…カナの予想した通り…避けられない事は無いかしら…!」
―※―※―※―※―
物陰から顔だけを出し、雛苺を探す…
…恐らく、爆発に紛れながら移動を繰り返しているのだろう。
先程、爆弾が飛んできた元と思しき地点には、誰も居ない。
――ここは敵地…このまま雛苺のペースで進められると…ジリ貧は確実かしら…
先行している水銀燈の戦力は確かに大きいが…撃ち洩らしが居ないとは限らない。
もし、その連中がこちらに駆けつけてきたら…
――何とか…雛苺の位置を掴むしかないかしら…!
足元に飛び散る瓦礫に、ガラスや陶器の破片を集めて隠す。
――この程度の罠にかかるとは思えないけど…何も無いよりはマシかしら
すっと息を吸い込み…そして物陰から飛び出す。
同時に少し離れた物陰から雛苺が立ち上がり、爆弾を投げながら移動する――
閃光――
爆風――
倒れ込むように、瓦礫の隙間に身を滑り込ませる。
目と耳を凝らすも…やはり、雛苺の姿はすでに見当たらない…。
爆発に紛れて移動を繰り返してる、と見て間違い無い。
どうやら…まだ暫くは、このいたちごっこを続けるしかなさそうだ。
金糸雀は再び、自らをおとりにする為飛び出す。
先程と同じように、雛苺が発破を投げかけてきて――
身を守るべく、物陰に跳ぼうとした瞬間――
陥没する足場に一瞬、動きが止まる――
見ると、床板に度重なる爆発で亀裂が入り、そこが崩れ…
――肝心な時に…ドジ踏んだかしら…!
目の前に閃光と轟音――そして爆発とその破片が――
―※―※―※―※―
…
一体、どれ程の間、気を失ってたのだろう…
いや…まだこうして生きている事を考えると、ほんの一瞬だけだったのだろう。
金糸雀は自分がまだ生きてる事に気が付き、恐る恐る目を開いた。
そして…
「そんな…翠星石…!」
自分に覆いかぶさり、頭から一筋の血を流す翠星石を見た…。
翠星石は、明らかに強がりと分かる笑みを浮かべる。
「てめぇチビカナ…私の前でドジ踏むなんて、良い度胸してやがるです…」
そして、金糸雀の横に倒れるように伏せる。
「…このままじゃあ、ジリ貧は間違い無いですよ…どうするですか?
策士を自称するからには、何か考えやがれですぅ…」
「そんな…急に言われても、思いつかないかしら…」
小声で会話をしながら、二人は荒れ果てた屋敷内を警戒する。
荒れ果てた屋敷…?
金糸雀の脳裏に、ふと疑問が生まれる。
何故、ここに雛苺がいるのか。
相手が雇ったから?
確かにそれはそうだが…違う。もっと根本的な事だ。
何故、『発破を使う』雛苺がここにいるのか?本来、防衛すべき拠点の中に…?
普通そんな事をすれば…守るべき屋敷まで、身内の攻撃で破壊されるのは見えている。
この配置は、明らかにおかしい。
雛苺は…その仲間は、その程度の事に気が付かなかったのだろうか?
…そんな訳が無い。
金糸雀は頭の中で、パズルのピースが揃っていくのを感じる。
だが、まだ決定的な部分は見つからない。
確実に破壊されつつある屋敷に視線を巡らせる。
この依頼の発端となった二人の保安官。巴とオディールの言葉が脳内で再生される。
『人質の保護。そして――屋敷の破壊…』
雪華綺晶も雛苺も、護衛の任を無視するかのように、先へと進む水銀燈達には目もくれなかった…。
何故か…?
巴とオディールは、私達を信用しきらず、何かは分からないが…とにかく、何かを隠していた。
何故か…?
「内通者…」
金糸雀が呟く。
「確証は無いけど…可能性は高いかしら…」
…迷ってる時間は無い。
時間が経てば経つほど…状況は不利な方に傾いていく…。
金糸雀は警戒心を煽らないよう…ゆっくりと、静かに、声を上げる。
「雛苺…もう…分かったから、止めるかしら…」
―※―※―※―※―
「あなた達は、巴とオディールを使って…カナ達をスケープゴートにするつもりかしら…!」
姿の見えない雛苺にかまをかける。
相手が乗ってくるか否か。…いや、確実に乗ってくる。
雪華綺晶と違い、こちらに出会ってから闘う決意を固めた雛苺。
そういった雛苺だからこそ…必ず、何らかの答えを返してくる。
自分の予想を信じて、声をかけ続ける。
「襲撃者達は撃退する事が出来た…けど、屋敷の崩壊で人質の安否はうやむやに…。
こうして、内通者にかかる疑いを少しでも軽くすると同時に、うやむやの内に人質も確保。
その為に用意された演劇…これは…茶番かしら!」
金糸雀の声が叫びと言って良いほど大きくなった瞬間――雛苺が立ち上がる。
「言うのはダメなのー!カナリアのイジワルー!」
涙を目に溜め、手にした発破を大きく振りかぶる――
だが、その発破が投げられるより一瞬早く――
雛苺の足元で、瓶の割れる高い音が響く。
気が付けば、金糸雀のすぐ横に翠星石が立っている。
いつになく真面目な表情の翠星石は、雛苺に視線を向けたまま言う。
「…位置さえ掴めば、こっちのものですよ。
私の『スィドリーム』を一呼吸でも吸えば…たちまち意識はブラックアウトですぅ!」
雛苺は手で自分の口元を覆うが…その程度では空気に混ざったスィドリームを防ぐことは出来ない。
そして…雛苺もそれに気が付き…揺れる意識の中で…
自分の足元に、発破を投げつけた――!
爆風で薬が飛散し――
雛苺自身も弾き飛ばされる――
「なぁ!?なんて無茶するですか!?」
予想外の行動に翠星石は奇声を上げながら、同じく予想外の事に凍りついた金糸雀を抱えて物陰に跳ぶ。
爆風が止んだのを感じ、物陰から顔を出すと…
廊下の先…雛苺が片足を引き摺りながら闇に消えていく…。
「…追いかけるです…。チビカナの読み通りなら…水銀燈が危険です…!」
翠星石はそう言うと同時に、金糸雀の襟を掴んで立ち上がらせる。
「…雛苺が…あんな幼い子が、ここまでする程の何か…って事かしら…」
視界を覆っていた煙も徐々に晴れ、壊れた壁から光が差し込む。
それでも…金糸雀は未だ見通せない薄暗い廊下に一抹の不安を感じる。
その先に、雛苺達の真意が在ると信じて足を進める。
目指すは屋敷の深淵―――