薔薇乙女家族 番外編弐 一の二
~旅人~
人はいつから、こんなに冷たくなったのか。
彼はそう訊いてきたがジュンは答えられない。ただ浮浪者の眼を見つめて黙ったまま…何かを言いたげな様子ではあったがそれを言えないでいるみたいだ。
浮浪者は答えに迷うそれだと思ったらしく、言葉を繋げた。
「まあ…お前さんに訊いた所で仕方ないか。全ては時代のせいだもんなあ」
彼は苦笑いをしているが、それは悔しさに顔を歪めている様にも見えた。
旅を続けて何年経つか、様々な人がいた。その中にはやはり、力無くした人も何人といて、それらは直視できぬ程哀れなものであった。生ゴミに手をつけないと生きられないその姿には胸を絞められた。
しかし彼は、泣き言や愚痴は尽きないけれど眼はまだ生きている。もちろん彼には多数の重荷がのしかかっているはずであるが、今更それがどうしたよと開き直っている様な感じだ。元々バイタリティのある気質だったのだろう。
では、彼がこんな質問をしてきたのは何故だろう。ジュンはそれを訊いた。
「なんでかって?お前さんがどう答えてくれるかな、て思ったのさ。旅をしているお前さんが、様々な人と触れ合ってきたであろうその経験からどのような言葉を出すか、それが気になったのさ」
なるほど、とジュンは頷いた。
「…人はいつの間にか、冷たくなってしまいました。だから僕は故郷を捨てて旅に出た。…そして、何年か経った時にある事を知りました」
「何を知ったんだい?」
「人の愛です。僕は旅の途中で妻となる人と出会い、結婚しました。娘も一人います」
「はっはっは、そりゃ皮肉な話だな。人を嫌がって旅してみりゃ、人を好きになったってか。そりゃ皮肉だ」
「…ははは、全くです。皮肉な話です…がね」
「よっぽど良い女なんだろうなあ…俺にも昔は女房がいたんだが…こんな生活になっちまったってからは連絡の一つもとっちゃいねぇや。はは、まあ仕方ねぇか」
「…」
会話はそこで途切れた。ジュンは気まずくなったのか言葉が出せないし、彼は瞼を閉じて物思いにふけていた。時折首を縦に軽く振るが口は動かそうとしない。
ジュンは突然はっとした。
ガソリンスタンドの店員を待たせたままだったという事を思い出したのだ。
「あの…すいません、僕はそろそろ…」
「ん?そうか…」
彼は名残惜しそうな顔をした。事の訳を簡単に話して理解を得ると、ジュンはその場を後にしようと背を向けた。
その背後から彼は話しかけてきた。
「兄さん、家族は大切にしろよ。家族はかけがえの無い愛に満ち溢れる空間だ。それはきっと、お前さんの疲れを癒やしてくれるはずだし、お前さんの背中を押してくれるはずだ。まあ言うまでもない事だろうがな」
ジュンはまた振り返った。
「…はい!」
笑顔で彼に返した。
「俺は今ではこんなだがなあ、まだ死んじゃいねぇ。今は辛酸を舐めるのを余儀なくされているが、いつか必ずこの生活から抜け出してやるさ。若造にはまだまだ負けないぜ」
にっこり笑って言葉を続けた。とにかく彼が行ってしまう前に自分の言いたい事を全て言ってしまおうと言葉を急がせている様だった。
「今に見てろよ!俺は必ず立ち直ってみせるさ。必ず、またかつての幸せを手に入れてみせるぜ。そんときゃ、また会えたらの話だが…一緒に飲もうぜ」
右腕の拳を力強く打ち上げた。それを目にしたジュンは、やはり力のある人だったなとにっこり笑い、彼に手を振って応えた。
-----
給油を終えたジュンは水銀燈と金糸雀と合流し、車を走らせた。
車は食糧と燃料を積んで高速道路を一直線に行く。この街とも、もうお別れというわけだ。
ほんの一休みのつもりで立ち寄ったこの街でも思わぬ出会いがあった。そんな事は今までにも何回もあったが、やはり出会いというのは何時だって新鮮なものだ。
今回は…重荷に負けそうになっても持ちこたえて、一生懸命に生きる男の人だった。丸裸にされても、なお道を探す事をやめない人だ。
まだまだ寒い時期だが、彼はそれでもへこたれずに生きていくだろう。
冬を越して春を迎えて…一度無くしたものも、もしかしたらまたその手に掴めるかもしれないと彼は思った。そして信じた。
「…お父さん、機嫌良さそうかしら」
「何か良い事でもあったのかしらねぇ」
娘と妻の囁きを耳にしたジュンは、二人に分からない程度ににっこり笑ったのだった。