《薔薇国志》 閑話休題

真紅達、雲南(ウンナン)の朗繕軍が対永昌(エイショウ)戦の準備をしていた頃。
その反対―大陸の東にある呉(ゴ)では、盛大な婚礼の儀が行われていた。
新郎は呉の次代君主・孫策(ソンサク)、彼の親友であり右腕たる周瑜(シュウユ)。
新婦は「江東の二喬」と称される絶世の美女・大喬(ダイキョウ)と小喬(ショウキョウ)。
朗々たる未来を二組の新しい夫婦に見出す様に、呉の人々は眠りも忘れ祝いあったと言う。

その様な明るい婚礼の儀が続く中、政庁で仏頂面を隠そうともしない女性が一人。
彼女は、人がいない薄暗い部屋で、黙々と膨大にある書類を捌いている。
初め、天井にまで届きそうな程積まれていたその書類群は、彼女の奮闘により半分ほど、
『済』という印が押されていた。
彼女が扱っている書類の一部を挙げよう――『軍備の増強』『農具の開発』『水防施設の建設』、
果ては『ごろつきの退治』『失せ物の探索』などなど。
余りにも雑多な書類内容に彼女は、まるで誰かの嫌がらせの様だ、と嘆く。
もっとも、『様だ』と誤魔化す必要もなく、嫌がらせだったのだが。

「――明かりもつけていないのは、嫌味かね?」

彼女にその仕事を押しつけた………もとい、与えた男が彼女以外人のいない政務室に入ってきた。
背の高さが並ではない彼は、それだけで衆人よりも異彩を放っていたが。
何よりも、その両の目の色―青色の瞳が、彼と対する者を怯ませた。

男の名は、孫権(ソンケン)――呉の君主・孫堅(ソンケン)の次男であり、婚礼の儀を行っている孫策の弟でもある。

目だけではなくその声にも威圧感があり、彼の前では弁舌巧みな文官でさえも
まともに議論を出来ないほどであった。
彼自身、己の特長をよく理解しており――己が与えた政務を厭々とこなす女性に対しても、
否を認めさせない態度で臨んだ。
その声を聞けば、この地に住むどんな怠惰な者でさえ牛馬の様に懸命に命じられた事を行うだろう。
――彼女という、例外を除いて。

「あっはっは、その通りですよ、孫権様。
外じゃ大喬ちゃんと小喬ちゃんが可愛く着飾っているって言うのに、やってられませんよ」

快活に言い飛ばす彼女だったが、文句を零しながらも手は動かし続けていた。
女性の言い様に苦い顔を見せる孫権であったが。
その表情すらも、彼女は意にしないだろうと推測し、彼にしては珍しい柔和な苦笑を浮かべる。

「兄の孫策でもなく美周郎(ビシュウロウ)と謳われる周瑜でもなく、見たいのは二喬だと言うのか、貴公は」
「勿論!晴れやかに喜び合う二人が見たかったから、無理を押して二組の結婚式を通したんですから!」
「………その所為で、周瑜が行う筈だった政務が遅れている訳だが」
「………だから、私が代わりにやらされてるじゃないですか」

孫権様の方が早く処理できるのに………口を尖らせてなじる彼女。
孫権は呆れた顔で言い返した――「私に雑務をさせようと言うのか?」
「何を仰いますか、国に携わるお仕事に雑務などありゃしません。
全ては天下泰平の為、ひいては呉の為、民草の為。
浮気調査も飼い猫捜索も赤子のお守も喜んで受け入れなくてはいけません」
あぁ言えばこう言う、と孫権は溜息をつく。
古来より男が女に口で勝る事はなく―ましてや、この女は己と同等の知力を持つのだ。
軽口の叩き合いで勝てる訳がない………彼は、苦笑しながらも己が負けを認めた。
だが、やられっ放しなのは癪に感じ、孫権はぼそりと呟く。
それが、単なる負け台詞だと承知の上で。

「全く………そんなだから嫁き遅れるのだ――みつ」


《薔薇国志》 閑話休題 ―才女は愚痴を垂れ、碧眼児は黄昏る―


「………何か言いましたか、孫権様」

明らかに声を低くして言い返してくるみつ―草笛みつ―に、孫権は少しだけ胸の空く思いを覚える。
ふふん、と鼻を鳴らそうとした所で、彼は彼女の視線に気づく。
女性特有の、全てを凍らせる目――絶対零度の双眸。

「な・に・か・お・っ・しゃ・い・ま・し・た・か――」
「………いや、貴公の空耳だろう」

ふぃと顔を背け、相手の表情を見ない様にする。
ひょっとしたら、今自分は頬に冷汗を流しているのかもしれない………冷ややかな視線を
後頭部に受け、孫権は滅多にない事態を楽しむ。
そう、彼は楽しんでいるのだ、この状況を。
戦場に出れば命を削る戦いが待ち、都市に戻れば際限なく増えていく政務がとぐろを巻いている。
仕事をそう嫌いでもない彼であったが、時々、ふっと疲れが差し込む。
そんな時に、才知に富み弁舌軽やかなみつとのやり取りは憩いであり―彼もそれを自覚していた。
ただ、策謀好きな―言いかえれば回りくどい―彼の言葉では、なかなか彼女にその思いが伝わり難く。
今日も今日とて、軽口の応酬に終始してしまっている。

「そーでしたか。
と言うか、其処で突っ立っているだけでしたら手伝って頂けません?」
「貴公はもう少し上司に対する態度と言うものを………まぁ、いい」
「あ、手伝っていただけるんですか。言ってみるもんですね」

然して期待してなかったという風なみつに、またもや苦笑いを浮かべる孫権。
どうぞ、と引かれた彼女の隣の椅子に座り、書類の束を掴み取る。
目を通し、書きこむ速度はみつと同程度かそれ以上。
未だ山の様に残っていたそれらは、あり得ない速さで処理されていった。
「――流石に早いですね。この分なら衣装替えには間に合うかも」
「衣装替え?とうに披露宴は終わった筈だが………」
「あっはっは、晴れの舞台なんですから、それぞれに何着も用意してますよ」
誰が用意したのか、とはあえて聞かない孫権。
彼は、みつがここ数日寝る間を惜しんで商家に押しかけ新婦達の服を集めていたのを聞いている。
商家の主人も彼女の人柄と熱意に感化され、大車輪の動きを果たしたそうだ。

「貴公の熱意は認めるが、時々間違っているかとは思わないか?」
「『可愛いは正義』です。偉い人にはわからんのですよ」
「………確かに、わからんな」
「可愛い子に可愛い衣装を!ってのは当然の思考だと思いますけどね。
あー、似合うだろうなぁ見たいなぁ………うへへ」
「………貴公は女性だった様に思うのだが」
「お言葉ですが、是でも乳はありますよ?」
「いや、だから………」

みつの余りにも漢らしい宣言に、流石に孫権は顔を顰める。
会話のやりとりで二の句も告げない彼を、彼女以外の家臣が見れば目を丸くするであろう。
其れほどまでに、彼は彼女に弱かった。
――丁々発止の投げ合いを続け、数分経った頃。

「――そう言えば。………私にも、幾つか妻を持たないか、と言う誘いがあってな」

孫権は、さも自然な流れの様に己の婚姻の話を持ち出した。
傍から見れば明らかに不自然な流れであったのだが………彼も、投げかけられた彼女も、
その違和感を意識しなかった様だ。
みつは書類と格闘しながらも、己の上司のめでたい話を喜んだ。

「へ、あぁ、孫策様もかなり候補がいたみたいですし、当然っちゃ当然ですね。
徐氏の娘さんとかですか?」
「あぁ、まぁ、………そうだな。
しかし、私は嫉妬等と言う瑣末な感情が強い人間は好かん」
「贅沢な事を。――では、歩氏のとこのお嬢さん?」
「まだ成人すらしておらんのではないか」
「可愛いじゃないですかー、色んな服を着てもらいたいなぁ」

頬が弛みきった表情のみつに、孫権は半眼を叩きこむ。
もっとも、その程度で彼女の妄想が止まるならば、彼も斯様に苦労はしていないのだが。
もう少し分り易く、彼は彼女を非難する――「んぅ、こほん」
「………策士とは思えない、わかりやすぅい制止ですね」
「誰の所為だと思っているのだね」
「どの様な行動であれ、自発的に起こした動作はすべからくご自身の為だと思いますが」
簡単な揶揄に、議論を呼びそうな難解な哲学を示す。
苦笑しながらも、孫権は改めて会話を楽しむ自分を確認する。
だが、彼の当初の目的は霞の様に遠ざかっており――それを懸命に手繰り寄せようとした所で。

「そもそも、だ。私が求めている正妻の資質は――」
「あぁ、そうだ!もう一人、いるじゃないですか!」

みつの素っ頓狂な声によって、またもや留められた。
わざとやっているのか、と勘繰る彼に、みつはにこにことした笑みで言い放つ。
それはもう、にっこにこした笑みで。

「孫権様に近い方で、とってもお似合いな娘さん!」
「………………嫌な予感しかしないが、一応聞いておこう」
「尚香(ショウコウ)様!」
「義母妹(いもうと)ではないか!」
「あぁん、禁断の関係!引き裂かれる絆っ。――でも、大丈夫ですよ」
「いや、だからな………――大丈夫?」
「私は応援しますから!」

此処に来て漸く――孫権は頭を抱え、己が相対する女性の駄目さを思い知らされた。
彼が暗い縦線を背負っている傍らで、脳内妄想を垂れ流すみつ。
碧眼児は大きな、それはもう大きな溜息をつき――彼女に向きなおった。
その青い瞳には、一切の嘘も、微塵の誤魔化しもない、真摯な輝き。

「みつよ。――私が求めている女性(ひと)は、私と同じ目線を持ち、同等の語らいが出来。
そして、私と共に国を創っていける女性だ」

彼の瞳は語っている。
それは、貴公だけなのだ、と。

「………孫権様」

みつは、孫権の瞳を真正面から受け止める。
異形の自分の目を何の躊躇いもなく、見返す彼女に。
孫権は其れを喜ぶ自身を再認し、また、彼女を愛らしく思う自分を誇らしく思う。

交錯する、瞳と瞳。

彼の視線を受け止めた彼女は、誠意を持って返答をする。
その言葉が、彼女にとって最大限の答え方だと輝かしく思いながら。

「見つかるといいですね、そんな方が!」

今日一番の清々しい微笑み。あぁ、なんて上司想いな私!
受け止められた筈の想いは、赤兎馬(セキトバ)にでも乗って彼方に去って行ったようだ。
もはや言い返す気力もなく、孫権は頭を垂れる――「そうだな………」

「孫権様ほどの人ですもの、奥方もきっと可愛らしいお方!
その時はこの忠臣みつ、寝る間を放り出して花嫁衣装を作りますね!」


その前に自分の衣装を作ってくれ――頭の中でだけ浮かぶ言葉は言い出せず。
いつの間にか沈んでいっている夕陽が、さも自身の心境と被る様で。
碧眼児・孫権はなんだか少しだけ泣きたくなってしまった。

―――――――――――――――――――――

「………と言う会話をしたんだがな」

失意に沈む表情を隠しもせず―と言うよりは、隠せもせず。
孫権は賑やかしく自室にやってきた兄夫婦とその友人夫婦を迎えた。

「孫権よ、お前はもうちょっと分り易くなった方がいいんじゃないか?」
「孫策様、孫権様の言葉は物凄く分り易いですよ」

叱咤してくる兄に頭を振り、援護してくれる彼の妻の言葉に頷く。

「しかし………それでも尚、気付かれませぬか。婚礼の衣服を送ってみるなどしてみれば?」
「駄目なのです、周瑜様。みっちゃん様、何の気兼ねもなく、それを私達に着せようとするのです」

とうにやっている、と返そうとしたが、そうだったのか、とまたもや凹む。
戦事ならば、或いは国策ならば、今ここにいる男三人で大概の片がつくであろう。
だと言うのに、一人の女性に対しては何らの解決策も見いだせずにいる。
鳴々、女心は複雑怪奇なり。
またもや熱くなりそうな眼頭をそっと抑え、孫権はそんな事を思った。

「お前、昔から守るのは得意だったけど、攻めるのはそうでもないもんなぁ」

兄の慰めになっていない慰めに、それは戦事の話ではないか、と言い返す孫権であったが。
強ち外れている訳でもないその言葉に、彼は今日何度目かわからない溜息を、大きく吐いたのだった。


―――――――――――――《薔薇国志》 閑話休題 了


《薔薇国志》 閑話休題之更爾間

ラ「トリビィィィッッアァル、ナマモノのみっちゃん贔屓は異常、ラプラスですぞ」
金「それでもまだ未婚って辺り、どうかと思うのかしら。」
薔「フラグ、へし折ってるし………。
  (金糸雀の袖を小さく引っ張りながら)ね、ね、ところで、………孫権って誰?」
ラ「呉の偉いさんですぞ」
金「読めばわかるかしら!………その通りなんだけど。
  作中ではお父さんの孫堅もお兄さんの孫策も存命みたいだけど、史実では二人とも早逝して………。
  三国の一つ、『呉』を創ったのが、孫権なのかしら」
薔「………王様?」
ラ「平たく言うと」
薔「………玉の輿?」
金「上に、『超』とかつく位。くっつけば、だけど」

金「ところで………年代がおかしくないかしら?確か、二組の挙式って数年後だった様な」
ラ「はっはっは、瑣末な事に拘りまするな」
金「全然小さくないかしら!時代考証とかそういう――」
薔「難しい事は、架空戦記では求められてない………と思う」
ラ「そういう事ですな。いろいろイベントがあった方が楽しいではないですか」
金「………そういうスタンスで続くのね、もぅっ」

み「と言うか、私自身が全然贔屓されてると思えない!カナもばらしーちゃん達も周りにいない!」
大喬「金糸雀ちゃんはまだわかりませんが、薔薇水晶ちゃんとは東西で別れてしまっていますね」
小喬「その代り、私達がいるじゃないのですか、みっちゃん様♪」
み「あぁん、私のカナに対する愛が揺らいでしまいそう!?」
金「………殿方の方に揺らぐべきなのかしら」
孫権「………もっと言ってやってくれorz」

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最終更新:2008年02月21日 03:59