週が開けて月曜日がやってきた。

しかし教室に翠星石の姿は無く、それは次の日もそのまた次の日もおなじだった。

そして私はジュンと目を合わせることすらなく、それらの日々を過ごしていた。

全部が全部、バレンタインの前に戻ったわけじゃない。
ほらやっぱり、リセットなんて出来っこないんだ。

友達とすらどこかよそよそしく、私は人の輪にいる術を忘れてしまったように過ごしている。
あぁ、誰のせいに出来れば私はこんなに冷たく凍えずにいられるのだろう。


木曜日。

帰り支度をしていると蒼星石が話し掛けてきた。

「翠星石は明日から学校に出て来るよ。」
「心配かけたね。あと…迷惑も」
蒼星石は苦笑いでそう言った。

「翠星石は…姉さんは自分の恋を精一杯頑張っただけだから…」
「だから彼女を責めないでやってほしい。」
「身勝手な言い分だとはおもうけどね」

蒼星石が隣の席に座る。 

「1月に翠星石は偶然ジュン君の好きな人を知ったんだ。」
「その日からの彼女は見てられなかったなぁ…」
「学校では、特に君とジュン君の前では平静を装っていたけどね」

蒼星石がまぶたを長く閉じた。
つられるように私も瞳を閉じ彼女の言葉に耳を傾け続ける。

「最初はジュン君が水銀燈を嫌うように仕向けようと考えたみたいだ…」
「けど君を嫌わせるなんてこと、やっぱり翠星石には出来なかった。」

私は瞳をゆっくりと開く。

「次に彼女は水銀燈に恋をさせようとした。」
「…君に彼氏が出来ればジュン君が諦めると思ったんだね。」

蒼星石の瞳は深い哀しみをたたえていた。

「結果は知っての通り…」
「君は恋をした…」
「けれどそれは…翠星石の望むものではなかった。」

僕が知っているのはここまでさ、と蒼星石は小さな笑顔を作った。
私も少しだけ表情を変えた。
自分ではどう変わったかわからないのだけれど。
おそらく笑えたと思う。 

「私が間違えたのよぉ」
「責める権利なんてないわぁ…」

蒼星石の瞳に私が映っている。
笑顔と呼ぶにはあまりにも歪んだ顔…

「それにもう、終わったことだから…」
「私の恋はもう冷めちゃったからぁ」

「水銀燈…」

ゆっくりと立ち上がり、廊下に向かって歩きだす。
扉を前に立ち止まり振り返ると蒼星石はとても悲しい表情をしていた。

大丈夫よ、私は大丈夫。
私はまた恋をする。だからそんな風に心配しないで…

「私がまた恋をするなら」
「今度は誰も傷つかない恋をするわぁ…」

私の言葉に蒼星石は顔を上げて、そしてにっこりと微笑んでくれた。

「それは…とても素敵だね」



―――WHITE DAY――― 



「おはよーです。水銀燈。」
驚いて振り返るとそこには七日ぶりの友達の顔。

「幽霊でも見たような顔するなです」
そう言って笑う彼女の顔は確かに柔らかかった。

「おはよぅ、翠星石」
込み上げてくる想いと流れ落ちそうな涙を必死に飲み込んで、私は返事をする。

まるで何も無かったかのように私たちは触れ合い、
何も無かったかのように時間は流れ…
放課後が訪れた頃、私は図書室にいた。

雑誌のページをくりながらちょうど一週間前のあの出来事がふと頭をよぎる。

あの時もこうして図書室に一人、雑誌をめくっていたっけか。
そう考えてぞっとした、なんで私はまたここにいるんだろうか。

私は無意識にジュンとまた繋がろうとしているんだろうか?
こうして用もない図書室で時間をつぶし、
まるで何かを期待しているような自分に嫌気がさしてくる。

私は顔が熱くなるのを覚え、慌てて雑誌を閉じ乱雑に棚に投げ込んで図書室を出た。

「なにやってんのよぉ…わたし…」
廊下に出るなり零れるのは自虐的な言葉。

翠星石と仲直りできたことで油断をしていた。
今度はジュンと仲直りしたいなんて何が何でも虫が良すぎる。

でも…

でも、今ごろ翠星石はジュンと仲直りしているかもしれない…
今日彼女が学校に出てきたのは委員会の日だったからかもしれない…
もしかしたら翠星石はジュンに告白して、二人は恋人になっているかもしれない…

馬鹿みたいに飛躍し続ける思考を、どうにか吹き飛ばそうと廊下を駆ける。
教室を避け、遠回りに下駄箱へ。
もうこれ以上ここにいたくはない。

ジュンで、ジュンで頭が一杯になってしまうから。


ようやく昇降口までたどり着いた私は足を止め息を整える。

「私の恋は…冷めちゃったはずなのにぃ…」

つぶやきは下駄箱に吸い込まれていく。
深く冷たい息を一つ吐き出し、私は下駄箱を開き靴に手をのばす…

…見慣れない景色。
いや、それはちょうど一ヶ月前に見た景色とよく似ている。

靴の上には薄い水色の包装紙と赤いリボンでラッピングされたものが乗っている。 
恐る恐る手にとると添えてあったメッセージカードが目に留まった。

『屋上で待ってます』

瞬間、私は頬を伝うものを感じる。
どんなにつらくても悲しくても、必死で飲み込んできた涙が…
いま、とめどなくあふれている。

包みを抱きしめるようにして私は泣き続けた。
人目もはばからずに、子供のようにしゃくりあげて…

「水銀燈…」

肩を叩いて私を呼ぶ声がする。
涙を止められないままに振り返ると翠星石が立っている。

帰るとは言わさないですよ、と朝と同じ柔らかい顔で彼女は笑った。


「プレゼント、開いてみるです」

泣きながら促されるままにラッピングをほどく。
出てきたのは一組の手袋。

「ジュンが作ったですよ」 

少しだけ目を細めて翠星石は言った。

「先週聞いたです。水銀燈に手袋作ってるって。」
「『水銀燈いつも手が冷たそうだから…』」
「『よく口元に手をやって息で温めてるんだ…』」
「『喜んでくれるかなぁ?』って…」

翠星石は目を閉じた。

「あのメガネチビは水銀燈のことばーっかり。」
「私は悔しくて悔しくて」
「それでジュンに…水銀燈にひどいことをしたです」

ごめんなさい、と頭を下げる彼女。
私は言葉も見つからずただ泣くことしかできない。

そんな私にやれやれといった様子で頭があがると、
またいつもの笑顔になる翠星石。

「さぁ、ほら早く行くです!あいつ凍えちまうですよ!」

私はその笑顔に「ありがとう」と告げてようやく涙を止めることができた。

「翠星石は…もう帰るの?」
マフラーをまいてまるで帰り支度に見えた彼女だったが
途端に笑顔を膨れっ面へと変形させる。 

「馬鹿言うなです!誰かさん達のせいで一人で委員の仕事をせにゃならんのです!」

「ご、ごめんなさぁい」
鬼のような形相でにじり寄る翠星石に追い立てられるように私は玄関を後にした。

「…頑張るですよ」

とても小さな翠星石の声が確かに耳に届いた気がした。



ようやくたどり着いた屋上への扉。
少しためらってドアノブから手を放した私は、左手に握ったままだった手袋に視線をうつす。

規則正しいミシン目が、厚めの革を正確に私の手の平にかたどっている…
毛糸の手編みなどではないから一見すると本当に買ったもののように見える。

銀色の糸で刺繍された私の名前を見つけた。
ここだけは手縫いのようだ。

ジュンは私と別れた後も、私を想いこれを縫っていたのだろうか?

手にはめるといっそうジュンの心の温もりが伝わってくるようで、
こみ上げてくる涙を拭って私はようやくドアノブを回せた。 

夕日に変わるのも近い薄紅色の太陽が優しく照らす屋上。
フェンス際で立ち尽くすジュンを視認してゆっくりと歩を進める。

振り返り確認するように私の手元を見て、にっこりと微笑むジュン。
私はまるで隠すように後ろに手をまわし微笑み返す。

言葉はなくても、全てを分かりあっているような…
そんな雰囲気があたりを包み込んでいる。

だけどそれでは先に進めないから。
私たちは言葉を使わなければならない。
だから私たちはほぼ同時に真剣な眼差しをお互いに向けた。

「僕が本当に信じていなかったのは僕自身だったんだと思う。」

ジュンはそう言って一度私から視線をそらした。

「君が好きになってくれるほどの価値が僕にあるのか…それがわからなくて。」
「自分で探しても何も見つからなくて…だからかな」
「どんどん君が好きになっていく一方で、」
「どんどん自分を嫌いになっていった。」

そらされていた視線が戻り私を映す。

「君を好きになった自分まで嫌いになりかけた時に、僕は君に気付かされた」
「信じることを恐れすぎていたことに。」

彼の瞳が力強く、私をとらえ続ける。 

「この一週間、今までのぶん全部使って自分を信じてみたよ。」
「君が絶対にその手袋をはめてくれるって信じ続けた」

私は手袋をはめた両手を前方に差し出す。
ジュンは両手でやさしく握ってくれる。

「もう二度と信じることから逃げ出したりしない。」
「だから、僕ともう一度付き合ってくださぅぃっ!?」

言い終わる前に私はジュンの胸に飛び込んだ。

「おばかさぁん」
「私も、もう二度と信じることから逃げ出さないからぁ」
「だから私からも…お願いします」

ジュンが私の背中に手をまわして強く抱きしめてくれた。
そのまま長い時間が流れる。

この次私たちが何をすべきか、さすがの私にもわかっている。

次のステップに進むための言葉、私は沸騰しそうな頭で必死にそれを選び出す。

「ててて手袋ありがとね…手作りなんてびっくりしちゃったわぁ」

…残念ながら出来上がっていた甘い雰囲気が台なしになった。
やっちゃったと自分でも思ったから私は苦笑いを浮かべた。
見上げるとジュンが私を抱きしめたまま、クスクスと笑っている。 

そして笑いながらジュンは急に変なことを言い出した。

「その手袋、手作りなんだよ」
彼が微笑む。
私はしばらく考えてようやく言葉の意味を理解できた。

「気付かなかったわぁ…本当に…」
私も微笑んで言葉を返す。
それは幸せだった時間を取り戻すための言葉達。
あの時とまるで真逆になってしまっているのだが…

「じゃあ…やっぱり買ったものってことにするよ…」
「高かったよ、来年のバレンタインにすごく期待しちゃうくらい」
あの時の私と同じくらい意地悪で、同じくらい優しい嘘がジュンの口からこぼれる。 

「あらぁ…そんなに待つ必要ないわよぉ」

予定に無いきりかえしにジュンは戸惑いの表情。
そんな焦った表情も可愛い。

私はあの時にはなかった続きを作ることにしたのだ。
二人の未来を作ることにしたのだ。

「今、ちゃんとお礼するわぁ」

ジュンの胸から顔を離す。
見つめると彼は私の意図に気付いたらしく顔を真っ赤にした。

近づく顔と顔、

重なる唇と唇…

つながる心と心。

あぁ二人はまた恋に落ちていく…

二人は未来を…信じ合っていく…



                     おわり

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最終更新:2008年02月19日 23:45