さら、さら、さら。
「――行って、仕舞ったね」
「ええ」
「大丈夫だよね」
「何が?」
「あれで…良かったんだよね」
「…ええ」
「…………」
「やっぱり」
「えっ」
「やってはいけない事…だったのかな」
「…………」
「器の無い私達がこんな事――」
「僕等は」
「えっ」
「間違ってなんかいない。元に、戻しただけじゃないか。在るべき状態に――存在しない僕等が存在しない状態に――戻しただけだよ。偽りの記憶を消したんだ。ジュン君と姉さんの事は、飽くまでも序での話」
「…そうね。そうよね、間違ってなんかいないわよね。私達は元々器が無いのだから」
「うん」
「…………」
「…………」
「驚いちゃうわよね。普通の人間として生を受け、普通に生きた筈だったのに…爆撃に遭って、死ぬ時になってさ。
――体が散っていくんだもの。雪の様に、はらはらと風に舞う様に。
そして、気付いたら此処に居て、貴方と出逢った」
「知ってた?僕は最初の内は気付かなかったんだ」
「そうなの?」
「そう」
「…何時気付いたの?」
「此の樹でね、少しの間転た寝をしていたんだ。
其の時、夢を見たんだ。君と同じ様に自分の体が舞い散る光景を。其の時は嫌な夢を見て仕舞ったな程度に考えてたんだけどね、君の話を聞いて、矢張おかしい。そう気付いたんだ」
「そうだったの…」
「…………」
「私達って、一体何なのかしらね」
「分からない。不確かで器の無い存在だよ」
「…………」
「彼等には、嘘、吐いちゃったね」
「うん。でも…私は言えない。特に貴女のお姉さんには」
「はは、確かにね。――そうだよね。翠星石は、僕の姉さんなんだよね」
「ええ。そして桜田君は、私の初恋の人」
「初恋か…僕もそういう経験してみたいなあ」
「良い物よ、恋は」
「うん…」
「…………」
「…………」
「…また、桜田君の顔が見れて、良かった」
「僕もだよ。姉さんの元気そうな姿が見れて安心したよ。尤も、ちょくちょくは見ていたんだけど。やっぱり間近で見ると実感が湧くと言うか…兎に角、そんな感じ」
「…握手をね」
「うん」
「握手をした時、彼の鼓動が、伝わってきたの。驚いたわ。こんな不確かな存在の私が彼の鼓動を感じ取れるんだもの」
「…………」
「何だか、私もちゃんと器が在るのかな…って思える位に、伝わってきた。たましいって、此れなのかな」
「ううん…君がそう思うのなら、きっとそうだよ」
「うん…」
「…何だか、儚いね」
「そうね。
――ねえ、やっぱり元に戻すことが序でって事にしましょうよ」
「…どうして?」
「分からない。けど、何か嫌なんだもの。というより、そっちの方が――何と無く、なんだけど――私達らしいんじゃ無いかしら?」
「…ははっ、確かにそうかも。僕等らしいのかなあ」
「ええ」
「…やっぱり、僕等は似た者同士なのかもね」
「ふふっ、そうね――」
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「――ねえ、見てよ」
「…ええ」
「扉だ」
「…………」
「意外と、小さいんだね。普通の扉だ」
「本当ね。てっきりもっと荘厳なものかと思っていたわ」
「…どうするんだい」
「…貴女はどうしたいの?」
「分からない。…怖いんだ」
「怖い?」
「だって、器の無い僕等が此処に入ったら一体どうなるんだい?」
「ううん…」
「…ちょっと怖いな」
「大丈夫よ。きっと」
「そうかなあ」
「そうだよ」
「うん…君がそう言うのなら、きっとそうだね」
「うん。大丈夫」
「…………」
「…………」
「君は」
「うん?」
「僕の一番の友達だ」
「ええ。勿論、貴女は私の一番の友達よ」
「――逢えて良かった。君に逢えて、本当に良かった」
「ええ。こんな言い方良くないのかも知れないけど、此処に貴女が居てくれて良かった」
「そうだね。でも、其れはやっぱり必然だったと思うんだ。――だって僕等は、似た者同士じゃない」
「…ええ…」
「…………」
「あの二人は、もう大丈夫よね」
「うん。心配しなくても、もう大丈夫だよ、きっと」
「そうね…」
「…………」
「此の扉を開けて、中に入ると、もう戻れないのよね」
「うん」
「やっぱり、ちょっと寂しいわ。貴女に逢えなくなっちゃうじゃない」
「…………
――ねえ、握手しないかい?」
「…ええ、分かったわ――」
「…………」
「…………」
「…伝わったかな、僕の気持ち」
「ええ。伝わったわ。そうね。何時か何処かで、復た逢えたら良いわね。
もう、大丈夫」
「…………」
「出来れば、の話なんだけど。復た、桜田君や翠星石ちゃんにも逢いたいわね」
「…うん。復た、逢えると良いね」
「ええ。
――じゃあ、扉を開けるわよ」
「せーの、で開けない?」
「うん。そっちの方が、安心かも」
「うん。…じゃあ、行くよ。
――巴、有難う。さようなら――」
「此方こそ有難う、蒼星石。そして、さようなら――」
「「せーの、――」」
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ガタン、ゴトン。
「――…なあ、翠星石」
「何ですか?」
「人ってさ、死んだ後はどうなるんだろうな」
「…何ですか急に」
「いや、さ。柴崎さんとの話を、思い出していてな。あの人は、死んでもその人の器は残る、って言ったんだ」
「器、ですか。そりゃあ、器はお墓の中に――」
「そうじゃ無くてだよ。器って、全てのものに在るんだ。生き物にも、雲にも。物質の範疇を超えた話なんだ。
そして、『在る』って事は、其れ自身じゃ完結出来ないんだ。『在る』という観念が、大事なんだ」
「はあ…」
「…付いて来れてるか」
「だだ、大丈夫ですよ」
「ん、其れなら良い。
――其れでな、柴崎さんは、器が無くなる事も在るって言ったんだ。誰からも忘れられる、誰の記憶からも消え去って仕舞う時に、『在る』事を辞めるって」
「…………」
「…でもな、柴崎さんには悪いが、僕はそうは思わんのだよ。記憶が無くなる事って、果たして在るのだろうか。まあ、脳の仕組みに詳しい訳じゃ無いから、僕は科学的に説明されればきっと論破されるのだろう。
然し、だ。想い出、と云うのは消えないだろう。幾ら『箪笥』の引き出しが壊れて、中身を取り出せなくなったとしてもだ。――中身は、其処に残るだろう?
だからな――
『――やあ、のりさん。お久し振りです』
『あら、お久し振りです。その節は、オルゴール、有難う御座いました。大切に仕舞って居ります。
…あら、其の方々は?もしかしてお子さんでしょうか――』
…僕は、誰からも忘れられるという事は、有り得んのだと思う。
『――ええ。つい先日、留学先から帰国致しましてね。もう二十歳近いもんですから、丁度良い機会ですし振袖でも買ってやろうかなと思って。序でに、妹の方も連れてきた、という次第ですよ』
『そうだったんですか。有難う御座います――』
…だからな、器は未来永劫、残り続けるんだ。僕等の『箪笥』の中に。
『――ほら、二人とも御挨拶するんだ――』
…器が在る限り、此の世界には戻って来れる。存在しなくなる事なんて、無いんだよ。仮に、自分がそう思い込んでいた人が居たとしても、其れは泡沫の夢であって。ちゃんと、器は在るのだ。確かに、『在る』。
『――初めまして。私の名前は、――』
『初めまして。僕は妹の、――』
…僕は、そう思う」
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《とある処での出来事》
おしまい。