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《薔薇国志》 第二章 第三節 ―少女は嫉妬し、少年は動き始める―


○雲南 政庁

相も変わらず人気のない政庁を、連れ帰ってきた少女―薔薇水晶を伴いながら歩き――。
この街の軍士―ジュンは、通り抜けてきた市場を思い出す。
三週間ほど前に此処を発った時と比べると、、市場は格段に賑わいの声が広がっていた。
店の数も増え、並ぶ商品の品ぞろえも豊富になり、軒先でそれらを選ぶ人の数も増えている。
反面、急激な店舗の増加の為か、彼らをさばく店側の人間が間に合ってない様で、絶対数が少ない。
店側からすれば嬉しい悲鳴と言った状態であろうが、ジュンは、それをある程度予測し―望んでいた。
人が足りていないのは、市場だけではないだろう――静かな廊下を歩きながら、ジュンは考える。
ジュンは諜報先の永昌に行く前、真紅に「工房の底上げ」を最優先に指示するよう伝え、その後に
「農地の開墾」を提案していた。
その二案は、彼が成そうとしている対永昌戦の骨子とも言える、重要な案件の一部。
人員の少ない軍隊の補強を考えていた真紅に、ジュンはそう言って、内政を充実させる様に頼んだ。
当時はまだ知らせたくなかった作戦内容を説明してでも、この案件を通そうとしたジュンであったが。
真紅は、意外なほどにあっさりと、それらを呑んだ。
拍子抜けするジュンに、真顔で真紅―「貴方がそう言うんだったら、それ相応の理由があるんでしょ?」
勝てる気がしないな――ジュンは心の中で舌を巻いたのだった。
ともかく、呑んだ以上は彼女はそれを実行するだろうし、中途半端に投げ出す事はなかろう。
それ故、底上げと開墾が一段落し、その他の内政―市場の拡張―に手を付けた………そう、ジュンは推測する。
(市場を発展させて資金を増やす事も必要だけど………どうせ、払う俸禄も使える人材もいないしな。
それよりも、今は都市を大きくして………ん)――「――どうした?」
黙々と歩くジュンだったが、後ろからついてくる薔薇水晶に袖口を掴まれ、思考を中断させる。
控え目にくぃくぃと引っ張る彼女は、普段―と言っても、二三日の付き合いだが―の様から駆け離れていて。
彼は素直に、その理由を問うた。

「ん。………真紅、わかるかな?」
「――?何をだ?」
「ばらしーが、ばらしーだって事………」

何時も通り抑揚のない声だが何時もより不安げな瞳に、道中に彼女がぽつぽつと
語っていた、彼女自身の生い立ちをジュンは思いだす。
幼い頃―幼年期か小児期かは明言しなかった―、に真紅ら姉妹と離れ離れになってしまい、
長らく逢っていない事。
容姿はともかく、自分では気付きにくい性格・口調の変化があるのではなかろうか、という疑心。
眉根を八の字に曲げ、「わかるかな………わかるかな………?」と繰り返す彼女は、普段のふざけた
態度よりも、時折見せる蠱惑的な表情よりも、何故かしっくりときた。
「――大丈夫だろ、………多分だけどさ」
言葉の最後に曖昧さを含ませるのは、ジュンの悪い癖だったが。
薔薇水晶は、『大丈夫』という単語に、袖口を引っ張る力を強くする。
「ほんと?ほんとにそう思う?」
彼女の童の様な言動に、ジュンは微苦笑を浮かべ、ぽんぽんと頭を軽く叩く。
彼は先程、『多分』などと誤魔化し、不確定要素を残したが。
真紅になら、今目の前にいる少女が―例え数年離れていようが―姉妹の一人である、と判るだろうと
確信していた。
「真紅が、お前の事を『掴みどころのない』って言っててさ。
僕もそれで、お前が薔薇水晶だってわかったから………言った本人なら、当然わかるだろう」
そうかな?と瞳を覗き込み問い返してくる少女に、あぁ、と短く返す少年。
己の返答に愁いを消した薔薇水晶の表情に、くすぐったい感情を持ちつつ。
太守殿も顔を綻ばしてくれるだろうか――ジュンは、そう思った。

それから数分後。
ジュンと薔薇水晶は大きな扉―太守の間への扉の前まで辿り着く。
殊更に巨大な門に、まるで自分が試されている様な気がして、薔薇水晶は小さく身構えた。
少女の様子に呆れつつ、自分はどうだったかな、とジュンは振り返る。
(………静けさに、戦々恐々としてたっけ)
少女と大して変わらない様だった己を、苦笑と共に思い出す。
あの時は、この先は二人しかいなかった空間。
しかし、今は、姉を入れて三人であったし――この「うぅうぅ」と無機物に唸っている少女もまた、
空間を共有する一員となるであろう。
国造りの最初はこんなものなのかもしれない………少年はそう思いつつ、少女の頭を軽く叩き、
静かに告げた。
「大丈夫だから、そんな緊張するなって。
――最初は、正式な報告しないといけないから少し待っててくれ」
「少し?少しってどれ位?」
「あのな………ちゃんと呼ぶから。良い子で、な?」
「………うん」
童を扱う様な接し方は、年頃の少女には失礼なのだが。
薔薇水晶は、それこそ本当に童の様な返答をする。
『掴みどころのない』少女を段々と掴めてきた少年は、彼女の素直な対応に彼にしては珍しい
淀みのない笑顔を送った。

「――朗繕軍が軍士・桜田ジュン。帰ってきたぞ」
重い扉を開き、けば立ちの少ない赤絨毯の真ん中まで進み。
ジュンは、その先に真紅がいる事を疑問にも思わず、帰還の意を告げた。
ただ、いぶかしむ事が一つ――(なんか、妙に不機嫌じゃないか、こいつ………?)
「――そ。お疲れ様。
時間がかかったみたいだけど、首尾は?」
淡々とした言い草は何時も通りであったし、短い労いの言葉も予想していた。
しかし、ジュンは感じ取る――真紅が、何事か自分に対して怒りを放っていると。
相性の良さが成せる業であったが、生憎その理由までは皆目見当がつかず。
首を捻る思いを留め、彼は永昌の現状をかいつまんで報告していく。

「二つ、朗報がある。
一つ――永昌の諜報結果だけど………噂にあった通り、治安及び防衛は自衛団がやってるみたいだ」
「そ」
「数は2500~3000って所だな。正式な訓練はしてないみたいだから、軍隊の強さとしてはほどほど。
ただ、士気は高い」
「まぁ、自分たちの街ですものね」
「あぁ。それに、境界の都市だけあって城壁は未だ健在」
「兵糧戦になると厄介ね。………その調子だと――」
「――農地も市場も工房も、栄えてはいないけど活気がない訳でもない」

――ジュンの、彼らしいざっくばらんな、しかし的確な報告を受けるにつれ。
真紅は、己の懸念も忘れ、話にのめり込んでいった。
そして、彼の報告を頭の中で更にまとめ、自分なりの対永昌戦について考える。
(近い距離に太守―攻め込んでくる者―はいないから、私も兵も全て回せるけれど………。
台所事情も考えると、持っていける兵糧は精々三十日分が限度ね。
………永昌に太守がいれば、速攻の型も使えたけど――本末転倒だし、考えても栓ない話。
ふむ………今の戦力だと、負けはしないでしょうけど、下手をすると勝てもしない、か)
冷静に弾きだした予測に、頭が痛くなる。
どれだけ他の事―農地の開墾など―を一月に亘り行っていようが、此方の戦力は曲がりなりにも
軍隊と呼ばれるもの。
敗北するのは無論、引き分けとするのも風評に悪過ぎる。
真紅と言う『少女』は、戦火での評判は余り気にしていない。
しかし、『太守』の彼女としてはそうも言っていられず、また何よりも、
兵士達の士気が―恐らく確実に―低下する事が恐ろしい。
――そこまで考えた所で、真紅はジュンの冒頭の言葉を思い出す。
自分が計算した事ならば、当然、彼も予測しているだろう――だと言うのに、彼は言った。
『朗報』だと――「何か、策があるのね?」――真正面から問う。
瞳は受け止められた――少年の双眸と確固たる言葉に。

「ある。でなけりゃ、今の戦力で勝てるとは思わない。
――確認しておくけど、頼んでいた技術の底上げと農地の開墾は………」
「一段落、と言った所ね。でもないと、頼まれた私がこんな所でのんびりしていないのだわ」
「仰る通り――だったら、勝てる」
「そう――任せたわよ」

軍士は、どの様な手で勝利を手にするつもりなのか全く説明していない。
太守は、どれだけの兵力が必要なのか聞く事もしない。
曖昧さのない宣言に、信頼を寄せた短い命令――それだけで、充分だった。
太守の間を覆っていた硬い空気は、どちらからとも判断しにくい笑い声により、弛緩していく。
「はは、任せる………って、それだけでいいのかよ」
「ふふ、貴方が断言するんですもの、よほど確信があるんでしょう?――ところで」
「もう少しだけ準備が必要だけどな。――うん?」
「朗報は二つあるんでしょう?もう一つって」
ジュンは、あぁ、と含み笑いと共に頷く。
真紅からすれば、もしかすると今からの報告の方が嬉しいかもしれないな、なんて考えつつ。
「人手を見つけてな。登用したんだ」
「あら………足りていないから有難いけど、それは頼んでいなかったと――」
「そうだな――でも、願ってはいたさ。
――いいぞ、入ってこい」
響きわたる、ジュンの珍しい大声。
耳を抑え、少しばかり非難めいた視線を送る真紅だったが。
ぎぃ、と微かな軋み音を立てて開いた扉の先に、目を―思考を奪われる。

「んと。お久しぶり………真紅」

てくてくと歩みを進ませる少女。

「えと。やっと………逢えた。また、逢えた」

拙い言葉に、幾千幾万の想いを込めて。
――ふわふわとした少女の足取りは、赤絨毯の真ん中前で止められた。
もう一人の少女――駆けてきた真紅に、抱きとめられて。

「――お久しぶり………本当に、本当にお久しぶりね。
もう………何所に、行って、いたのよ――薔薇水晶」
「えへへ………色んな所………また、怒られた。
でも………嬉しい」
「怒ってあげるわ、何度でも。――だから、もう離れないで頂戴ね」

美しい滴を零しつつ、二人の少女の抱擁は続く。
身長差のある二人は、姉と妹の関係に見えたが、言葉だけでは背の低い少女が姉の様。
(口に出したら睨まれそうだけど)――微苦笑しながら、事の成り行きを見守るジュンはそう思った。

「ジュン――ありがとう」

いきなりの真紅の礼に、心臓を飛び跳ねさせる少年だったが。
涙を拭う彼女に、怒りの表情は見てとれず。
むしろ、その微笑みに別の感情で胸が高鳴り、そっぽを向いてしまう。
何時も通り素直な感情を受け止められない少年に、くすりと真紅は微笑む。
姉妹に感化されたのか――もう一人の少女も、少年に笑みを送る。
「えへへ………ジュンの言うとおりだった。真紅、わかったよ。
――………ありがと」
微笑みと呼ぶには幼すぎるその表情に、少年はまたもどぎまぎしてしまい。
思わず、つっけんどんに言い返してしまう。
………それが、どういう結果を及ぼすか、全く考えもしないで。
「ったく、心配し過ぎなんだよ、お前は。
道中もずっと言ってたじゃないか」
「ぅー………だって………」
「だってじゃない。その所為で、僕は一昨日から寝不足なんだからな」
「昨日は、さっさと寝たくせにー」
「開き直るなよ………真紅、お前からも――」
「真紅は、ばらしーの味方だよ――ひっ………っ」
非難の同意を得ようとした少年。
姉妹を味方につけようとした少女。
二人が視線を向けた先の少女は――笑みを浮かべていた。
完璧すぎる三日月、触れがたい美しさ、柔らかい微笑み。
「――此処…永昌で先程会ったんではないの?」
「いや、二三日前に邪龍で、真夜中に偶然見つけた」
「そう、真夜中。寒かったんじゃないの?」
微笑みを浮かべたまま問うてくる真紅に、ジュンは饒舌に返答する。
彼としては、礼を言われた反動―照れによる軽口であったのだが。
舌が滑り過ぎたのが、普段の彼の賢明さを消してしまっていた。
もしも、普段の注意深い彼であったならば、語りかけている真紅の後ろにいる薔薇水晶の
表情に違和感を覚えていただろう。
漂漂とした彼女がとんと見せない類の―恐怖と言う感情が、表に出ていたのだから。
「『掴みどころのない』誰かさんがもたれかかってきてな。
まぁ、寒くはなかったさ」

ぴき。

「………そう。姉妹が迷惑をかけた様ね」
「まったくだ。子ども体温だから、寝具代りには丁度良かったかもな」

ぴきぴき。

「………………そ」
「あぁ、それに、お前と違って肉付きもいいみたいだし」

ぴ………っきん。

「――言いたい事は、それだけ?」
「ん………そうだな。――髪結い、お前が着けるならもう少し紅い方が」
「今さら遅いのだわ!」

すぱんっ――と影すらついてこれそうにない突きを、ジュンの額に放つ。
っっこん――受けた少年が音を認識できたのは、奇麗に尻もちをついてからだった。
「――って、いきなり、何するんだよ!?」
「煩いのだわ、人の気も知らないで!――
こんな人放っておいて、いきましょう、薔薇水晶」
言い放ち、くるりと背をジュンに向けて、薔薇水晶の是非さえも問わずすたすたと太守の間を出て行く。
訳のわからない彼女の行動にジュンは怒りよりも戸惑いが先だつ。
ぱちくりと目を瞬かせる彼に、薔薇水晶は詫びを入れ、姉妹の機微を説明する――多少、余韻で震えながら。

「途中でとめれなくて、ごめん。
真紅、美味しそうに、ぷくぅってなっちゃった」
「謝られる理由も、その比喩もわからないんだが………」
「………ばらしー、ジュンと真紅が話し始めた時から、真紅が怒ってるのわかった。
真紅、ほんとに怒ってる時は、あぁいう笑い方するの」
「それもわからないんだよな。
怒ってるのは、まぁ後後察しがついたけど、その理由がわからない。しかも、本気で怒ってたのか」
「ん――ばらしーも、何回かだけ、あぁいう感じで怒られた。
………………途中までは、だけど」
「――途中?」
「ん。真紅は、本当のほんとに怒ってる時は、手は絶対に出さない。
ちゃんと、何をどう怒ってるのかわかりやすく説明するの」
「今回のは、手も出したし、簡単な説明すらなかったぞ」
「うん、だから、ばらしーの知らない怒り方―女の子な怒り方。
理不尽だけど、怒っちゃ駄目だよ?」

煙を出しそうに熱い額をさすりながら、ジュンは何の事だと考える。
どう考えても非は真紅にあるのだが、怒ってはいけないらしい。
気難しい顔をしてその理由を模索する彼に、薔薇水晶はくすくすと笑む。と――

「――薔薇水晶、何をしているの?早く来なさいな!」

扉の向こう側から、感情が丸わかりの可愛らしい姉妹の呼び声。
太守と軍士の遣り取りを聞く前であったならば、呼ばれた薔薇水晶はおっかなびっくりとした
足取りでついて行っただろうが。
彼女の知らなかった姉妹の一部を覗いた今は、にやにやとした、彼女独特の楽しみの表情を
浮かべている。
とことこと足取りも軽やかに扉の方に向かい――ふと思い出し、ぽかんと呆けた様なジュンに
最後の補足を残し、彼女も奥に消えて行った。

「お醤油をかけて食べたら、とっても美味しいのだ」

――その補足も彼女独特のものだったため、言われた少年はより一層不可解な顔をしているが。
二人の少女に取り残された少年は、悩んでいても仕方がない、と思考を切り替える。
その内容は無論、目下のところ、彼に課せられた使命―永昌討伐であった。

(条件は、とりあえずだけど整った。
後は………一応の、保険をかけておかないとな)


○雲南 兵舎

がやがやどやどや――政庁とは違い、嫌でも喧騒が耳に入る。
士気が高く、統率が完璧ならば、この場所ももう少し静かなのだろうが――(仕方無いか)。
そういう指示を出さなかったのは、自分自身であることはよく分かっている。
そして、それを責任転嫁できるほど、少年は図太くなかった。
噎せかえる空気の中を、少年は顔を顰めながら歩く。
きょろきょろと目的の人物を探している様は、迷子の童のようで。
余りにも場違いな彼を、数人の兵士たちは声には上げないで笑っていた。
少年とて、それに気づいていない訳ではないが、ふんと鼻を小さく鳴らし無理やり意識の外に押しやる。
彼にとって、彼らはまだ、ごろつきと余り変わらない存在と言う認識だったから。
――数分程の探索ののち、ジュンは目的の人物を探し当てる。

「――珍しい場所にいやがるな、坊主」
「ふん………用事があるからな。――あと、坊主って呼ぶな」

そうでもなければ来るものか――解り易い言葉の裏に、ジュンの目的の人物―歩兵士長は苦笑した。
歩兵士長は、自身に学がない事を解っている。
しかし、年を重ねてきた分だけ、人の機微を伺う術は得ていた。
ジュン自身が自らを訪ねてきたのは、それ相応の理由があるのだろう。
だとすれば、此方に不快な態度を取る事は良い選択とは言えない。
彼は少年の青臭い対応に苦笑し、その分、自らの対応を軟化する事に決めた。
「で、用事ってのはなんだい?――嬢ちゃんと痴話喧嘩でもして、機嫌の取り方でも聞きに来たか」
「なんでそうなる!?」
顔を赤くして怒号をあげる少年に、歩兵士長はくくっと小さく笑う。
推測半分やまかん半分で叩いた軽口だったのだが、どうやら図星だった様だ。
自分の額をとんとんと指で弾きながら、少年に種明かしをする。
「その赤いの、嬢ちゃんにはたかれでもしたんだろ?
まぁ、人の事は言えんが」
「あんたもか………いや、そうじゃなくて」
一瞬、緊張を緩ませるジュン。
少年の様子に暫しにやりと笑んだ歩兵士長だったが、一転して表情を真面目なものに変える。
緊張や警戒は、話を拗れさせる――彼の頬にくっきりと浮かぶ皺が、年相応の知恵を伺わせた。
「永昌戦の話だな。――俺も含めて、兵士どもは爆発寸前だぞ?」
彼らの感情は、士気と呼ぶには余りにも乱暴であった。
しかし、その類の感情は抑えにくい事を歩兵士長は知っている。
それ故、自分達を動かす眼前の少年軍士にそれとなく告げる歩兵士長。
一方のジュンも、彼の危惧を重々承知している。
だからこそ、ジュンは政庁から此処に一直線でやってきたのだ。

「――永昌へは、一週間後に攻め込む。ただ、その前にあんたに頼みたい事がある」
「一週間………ね。その間に、兵を集めて鍛える………ってのは、多少無理があるんじゃないか?」
「集めなくてもいいんだ。そう、小数を鍛えるだけで良い――あんたも含めて」
「はんっ!?幾らなんでも、今の数じゃ――」
「それを可能にする為の策は考えてある――聞いてくれ」

――――――――――――

永昌の現状から始まるジュンの説明を、歩兵士長は初め、静に聞いていたが。
策の骨子に触れるにあたり、眼を丸め、口を挟もうとした。
だが、ジュンの口は止まらず、また、歩兵士長自身、その策について検討を始め。
結局、少年軍士は十数分、延々と己の策を披露する事となった。
――ジュンの説明が終わり、一旦、間が合く。
己の策に、説明に不備はなかっただろうか………反応のない歩兵士長に不安を感じ始めるジュンだったが。
彼から返ってきたのは、感嘆の言葉であった――
「………たまげたな。そういう戦り方もあるのか」
「あぁ、自軍の現状、相手の現状――二つを鑑みると、是が一番いいと思う」
「なるほど………それで、お前さん自らわざわざ見に行った、と」
あぁ、と頷くジュン。
初めて人に策を説明したからであろう――彼としては珍しく、顔に熱気が上がっている。
ジュンの実に『少年』らしい表情に、歩兵士長は胸を打たれるが。
今、自分がしなくてはいけない事は称賛ではない――策に穴がないかの質問である。

「確かに、お前さんの考えが当たっていりゃ、これ程の勝利は考えられねぇ。
だがな―気を悪くするなよ―正直………机上の空論じゃねぇか?」
「しないさ。むしろ、どんどん反論してくれ。
――是でも、大衆心理は読めるんだよ。あっちのあの状態なら、半分成功してるようなもんさ。
問題は、こっち。士気や訓練はほどほどで構わないから、軍規だけは守る様にしてくれ」
「そいつは心配するな。乱暴もんばっかだけど、根は悪くねぇ奴らだからな。
しかし………よく、嬢ちゃんが認めたな」

歩兵士長が知る限り、真紅は概ね、真面目な類の人間である。
その手の者は、例え必要があろうと『不真面目』を毛嫌いする事が多い。
また、常識を非常に重んじる。
ジュンの作戦は正攻法と呼べるものではなく、むしろ、常識外の『戦い方』だ。
いや、それをそう呼んでいいのかどうかさえ、歩兵士長は首を捻る。
そんな戦い方をよく認めさせたもんだ――彼は、ジュンの弁舌に感心したのだが。
当のジュンは、歩兵士長の思惑とは裏腹に、顔を小さく横に振る――「話してないさ」

「………はんっ!?話してないって、そりゃお前ぇさん――」
「何から何まで、全部。
正式な作戦会議はまだだけど………出来る事なら、骨子は話したくない」

衝撃の事実に面食らう歩兵士長だったが、少し気まずげな少年軍士の顔を見るに言葉に嘘はなさそうだ。
口をあんぐりと広げる彼は、しかし、では何故、と疑問が湧き上がる。

「――そんな策を、何で俺に?」

少年は自分を――と言うより、兵士と言うものを快く思っていない。
表情からも言論からも、それは容易に想像できる。
だのに、彼は重要な策を己の太守よりも先に自分と言う一兵卒に語った。
不可解でならない、と言う表情を隠しもしないで歩兵士長は返答を待つ。
返ってきた言葉は単純――。

「必要だからさ。あんたには、『保険』の為にも知っていてもらわないと困る」

――しかし、簡単ではない心情。
ジュンの言う事は尤もだ――彼の策の全貌を聞いている歩兵士長は、そう思う。
自分で気付くならまだしも、人に明かされれば為し難い対応を、ジュンは求めている。
だから、必要最低限のものにしか話したくない。
其れが例え、己が太守であっても。
理屈で考えれば、それは正しい判断だ。
だが、誰にでも出来る態度ではない――失敗すれば、全ての責任が圧し掛かるのだから。
少年の簡素な言葉に、歩兵士長は確かな覚悟を感じ、ごくりと唾を飲み込む。

「………一週間だったな」

ジュンの提示した永昌戦までの時間を確認する。

「あぁ、一週間後だ。――『保険』の準備、できるか?」

微かに不安そうになるジュンの頭をわしわしと掴み。

「厳しいが、やってやろうじゃねぇか。その代り――」

邪険に振り払おうとする少年の手を無視し、力強く笑む。

「帰ってきてからの祝杯の際は、絶対出席しろよ――坊主殿」

歩兵士長の言葉と表情、そのどちらにも一定の満足を覚え。
ジュンは、ふん、と鼻を鳴らし、約束した。

「酒は嫌いなんだけどな。――わかった、ごろつき殿」

坊主とごろつきは、互いに小さく短く笑い。
一週間後の為の――永昌戦の準備の為、動き始めた。


―――――――――――――《薔薇国志》 第二章 第三節 了

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