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 みーん、みーん。




「――暇だなあ」

「暇ですね。まあ、偶には良いんじゃないのですか、坊っちゃん?」

「まあそうなのだが…此れから先、本当に『偶に』で済むのかと思うと、矢張気になるものだよ」

「そうですね…
 ……ねえ、坊っちゃん?」

「ん、何?」

「また、散歩に行かれてはどうですか?」

「や、いいよ。この間のあれはどうしても気乗りしなかったものだから、無理を言って休みにして貰った訳であって、そんなに引っ切り無しに休む訳にはいかないよ。
 あの時、うちに来てくれたお客様、居ただろう?申し訳無いよ。僕の本の気紛れの所為でそんな方達にこれ以上迷惑は――」

「坊っちゃん」

「…何?」

「肩に力、入り過ぎです。
 確かに、この店の経営者である貴方は店の事を第一に考えなければなりません。そして、お父様譲りの性格もあって、ちゃんと店の事、私達の事を考えて下さる坊っちゃんを、私は心から尊敬しております。
 でも、其処まで独りで抱え込む必要は無いのですよ?坊っちゃんは他人を頼る事が殆ど有りません。私共としては、少し寂しいです。私共じゃあ、お役に立てないのかと不安になります。
 だから、もう少しその肩に背負った荷物を、私達にお預け下さい。私達だってある程度なら、力にはなれますよ。だから、ね?」

「…そうだな。じゃあ、散歩でもしてくるよ。
 ……ありがとう、おばさん」

「ふふ、どう致しまして。ところで、独りで行かれるのですか?」

「え、独りの心算だったけど」

「じゃあ、其処に居る人と行かれてはどうですか?
 ――ふふ、お入りなさい」

「なななな、ばれてたですか!」

「あっ、お前!」

「…ど、どうもです、ジュン――」




《とある呉服屋での出来事―八月二十一日―》




 みーん、みーん。




「――やったですぅ!また此処に来れたです!」

「はあ……子供みたいにはしゃぎおって…
 ――それで、どうして来たんだ?」

「ああ、買い物ですよ」

「…買い物?またなんでわざわざ此処まで」

「其処の四軒先の豆腐屋さんの豆腐が美味しいという噂を聞き付けたのですよ」

「まあ、確かに彼処の豆腐は美味いな」

「ですよね?楽しみですぅ!今日は冷奴でも作ろうかと思うですよ」

「ほお、冷奴か。美味そうだな…」

「おじじもきっと喜ぶですよ」

「…おじじ?」

「ああ。家の祖父母の事です。時計屋をやってるですよ。
 元々別の家に住んでたのですが、私一人になった時、心配だからと言って家に済むようになったんですよ」

「時計屋…もしや、柴崎さんの事か?」

「え、知ってるですか?」

「まあな。父の知り合いだった。
 ……ん?君の父親は?」

「もう、いないですよ」

「えっ……」

「病気で…元々体が弱かったし、戦後は病が流行ってたですから…」

「あ…そうか…済まない…」

「ふふ、この位、平気の平左ですから…心配しなくても大丈夫ですよ」

「――あ、ああ……」

「……どうしたですか?」

「……君の、其の微笑み。とても切ない」

「は?…なぁに言ってるですか、おめぇは」

「いや、何と言うか…」

「冗談ですよ。
 ――辛いからって、一々泣いていても、始まんないですから。
 きちんと『箪笥』に仕舞っておいてあるのなら、それで良いのです」

「そうだな……
 ――だが、君の其の微笑みは見たくない。君は、もっと思い切り笑っている方が似合う」

「な…この間も言ったですが、あんまりそんな事は言わん方が良いですぅ…」

「ん、どうしてだ」

「ああ、もう…やっぱり良いですよぉ…」

「何だよ、変な奴だな」

「変なのはおめぇの方なのですよ…全く、恥ずかしいったらありゃしねぇのです。でも、嬉しい…ですかね…」

「…ん?何か言ったか?」

「別にぃ、何でも無いですよ。勝手に盗み聞きするなです――」




 みーん、みーん。




「――なあ、前から気になってたんだが、此の場所はどうやって知ったんだ?」

「――ああ、その事ですか。ハンカチーフに名前、書いてあったですよ。そしてその書いてあった名前と、ジュンの呉服屋の話で思い出したんですよ。
 ――実はですね、十八の時に、家族で此処に来た事があったんですよ。私と妹の振袖を買いに。こんな大きな店だったから忘れろ、という方が無理な話です。
 それなのにお前は嘘を吐いて…」

「ああ、悪かった悪かった。へえ、そうなのか。知らなかった」

「そりゃそうです。教えてないんですから」

「はは、そりゃあそうか。
 そうか…名前、書いてたのか――あ、返すんだったな、ハンカチーフ」

「――あ、いや、その…ええと………」

「どうかしたか?」

「…わ――忘れたです、持って来るの!御免なさいです」

「む、そうか。まあいい、君のだけでも――」

「あ、良いですよ!ちゃんと交換したいです……って、意味分かんねぇですよぉ…ええと、ええと…」

「は?」

「と、兎に角!今度持って来た時に渡すです!今日はおあずけなのです」

「はあ…まあ構わんが――」




 みーん、みーん。




「――あのぅ、ですね」

「何だ?」

「ええとですね……今、暇ですか?」

「暇だからこうして話をして居るのだが」

「いや、その、そうじゃなくてですねえ――」

「失礼します。坊っちゃん、お出掛けなさらないのですか?」

「えっ?出掛ける心算だったのですか!?」

「まあ、君が来たからもういいかな、と思っていたのだが」

「さっきも言ったじゃないですか、坊っちゃん。一緒にお出掛けなさったらどうですか?」

「まあ、構わんが…良いのか?」

「べ、別に私は構わんですよ!」

「そうか。なら、出掛けるとするか。
 ――店の前で待っててくれ。支度して来る」

「分かったです」

「――ふふ、間を見て入って、正解だったわね。良かったじゃないの」

「なななな、何の話ですかあっ!」

「ふふ、何でもないわよ――」



__________



「――済まん、待たせた」

「…………」

「…おい、聞いてるか?おい!」

「――ひいっ!…ビックリさせるなです!」

「お前がぼうっとしているからだろうが」

「別に緊張など――って、この間のあの服じゃねぇんですね」

「ん?ああ、この間あの様に言われたからな…変えてみたよ。色無地、って云うんだ」

「へえ…まあ確かに、此方の方が清潔な印象ですね」

「そうか。其れなら良かった。
 ところで、何処に行くんだ?」

「そうですね…
 取り敢えず、電車に乗るですよ」

「電車?遠出するのか?」

「ううん…まあ遠出という程じゃ無いですが。兎に角、ついて来るですよ」

「ああ、分かった。じゃあ行くか」

「はいですぅ――」




 こつん、こつん。




「――おい」

「な、何ですか」

「ついて来いと言った奴がどうしてついて来ているのだ」

「う、五月蝿いです。余計な事を考えずにさっさと駅に向かうです」

「はあ……――」




 こつん、こつん。




「――あだっ!…な、何で急に止まるのですかあっ!」

「や、済まない。ぼうっとしていた」

「全く…さっさと足を動かすですよ」

「…………」

「…………もう、さっさと動けですよ!」

「先に歩き出せば良いじゃあないか?」

「うう………いいからさっさと――」

「素直に言えば良いじゃないか。怖いんだろう、此の人混みが?」

「うう…そうですよぉ…だったら何だって言うんですか…」

「はあ…ついて来い」

「…あ…分かったですぅ―…―」




 がたん、ごとん。




「――なあ、そろそろ教えてくれたって良いじゃないか」

「やです。――あ、スコーン、焼いてきたです。食べる――」

「食べる」

「ふふ。分かったですよ。
 ――はい、おめぇが沢山食べると思って、多目に焼いてきたです」

「気が利くな。有り難う。じゃあ、頂きます」

「私も一口、頂くです」

「――うん、美味い。この間は食べ損ねたからな。その分、頂くとするよ」

「ほんとですよ。この間のは仕方無いから私達で食べちまったですけど」

「ううん、実に勿体無い事をして仕舞った」

「全く…身体に似合わず食い意地ばかり張りやがるんですから――」




 がたん、ごとん。




「――やっと駅に付いたですね」

「…此処で降りるのか?」

「ええ、そうですよ。どうかしたですか?」

「や、何でもない――」



----------



「――着いたです」

「矢張、此処か……」

「さあ、バケツと杓子を持ってくるです。場所は、――」

「ああ、場所は分かる」

「え?そうですか?じゃあ、ちゃちゃっと取ってくるですよ」

「ああ…――」



----------



「――取ってきた」

「サンキューです」

「…さんきゅう?」

「ああ、英語ですよ。『有難う』って意味です」

「へえ、詳しいのだな」

「今時、知ってる人のが多いですよ――さて、着いたです。此処が――」

「君の妹の、眠っている処か」

「そうです。妹――蒼星石の、眠っている処です。
 もう、御盆は過ぎちまったですが。折角の機会だし、おめぇにもお参りさせようと思って」

「そうか。――確かに、過ぎているな。まあ、お参りなら何時来ても然して変わらんのだろうな…
 ところで、線香とマッチは持って来ているのか?」

「ええ。いつもポーチの中に入れた侭ですから。――はい、マッチ。付けてです」

「はいはい――良し、線香を貸してくれ。――ほれ」

「ありがとです。さあ、確り挨拶するですよ?」

「ああ、勿論だ――」









「――ふう」

「…………」

「…終わったですか?」

「ふふ――矢張、言わなければならん様だな」

「何がですか?」

「此れから話す事は、俄には信じ難い話だ。だが、本当だと信じて欲しい。
 ――信じて、くれるか?」

「……はい」

「有難う。
 …君との最初の邂逅の翌日だ。僕はあの時の『用事』を終えて、電車に乗っていた。其処で、うとうとして仕舞ってな。夢を――夢と言うには余りに不確かだったが――、見たんだ。
 とある小川の在るところでな。其処で、君の妹と逢った」

「えっ……どういう事です?」

「さあな。僕にも判らぬ。何せ、不確かだったのだから。兎に角、最後まで聴いてくれ。
 ――君の妹と、話をした。僕の話、君の話。様々な話をした。
 君の事を話す彼女は、嬉しそうな顔だったよ。そして僕の印象通り、聡明な、賢いひとだった。他には――」

「もう、いいです」

「えっ、しかし、まだ続きが…」

「もう、十分です。それで、妹は――蒼星石は、元気だったのですよね?」

「……ああ、元気だった」

「そうですか…それを聞いて、安心したです」

「そうか……」

「有難うです」

「まだ」

「えっ?」

「まだ、話はある。――彼女からの『伝言』がある」

「『伝言』、ですか?」

「――『来てくれて有難う。逢えて、良かった。僕の、……」

「…………」

「――僕の分も幸せになって欲しい。だから、君の好きな様に生きて欲しい』
 ――彼女からの、『伝言』だ」

「…………」

「…………」

「最後にもう一つだけ。
 ……妹は、此れからどうすると言っていましたか?」

「旅に出たいと言っていた。あっちの世界の、様々な物を見て触れたいと言っていたよ」

「……そうですか。
 ――さて、こんな染々と感傷に浸っていても仕様がねえです!とっとと帰るですよ」

「…待ってくれ。僕も寄りたい処が有る」

「えっ…何処ですか?」

「ついて来てくれ――」



----------



「――此処だ」

「此処って、まさか…」

「ああ、彼女の――柏葉巴の、墓だ」

「そう、ですか…こんな近くに、在ったんですね」

「僕も驚いている。……こんなに近くに二人が居たなんてな」

「まあいいです。挨拶するですよ」

「そうだな――」




 がたん、ごとん。




「――来て、良かった。有難う。君の妹の方は行っていなかったからな」

「巴さんの方にはお盆に行ったのですよね?」

「当たり前だろう」

「それなら良いです」

「ああ。それで、そう言う君は行ったのか」

「それこそ当たり前なのです。と言っても、しょっちゅう行っているですから、気が付いたらお盆にも行っていただけなんですけどね」

「はは。君らしいな」

「どういう意味ですか?」

「妹離れが出来ていないって事さ」

「そう、ですか……」

「ああ。…ふふ、未だ逢って程無い間柄である僕が言うのも可笑しな話であるのだがな」

「……やっぱり、……
 ――妹離れ、しないといけないですか…?」

「えっ…」

「…私だって、何時迄も妹の事でうじうじしてはいられん事位、分かっているです。
 ――でも、離れようにも、離れられんのですよ!どうして、二十年ずっと一緒に居た妹を、そんな簡単に忘れる事など……
 そんな事…出来る訳、無いじゃないですか…」

「お、おい…どうした…」

「…あ、いや。何でも無いです。何でも無いですから」

「そ、そうか?」

「ええ。何でも、無いですから…」

「……――」




 がたん、ごとん。




「――忘れる必要など、無いじゃないか」

「えっ――」

「どうして無理に忘れる必要など有るものか。
 …無理に離れても、残るのは――後悔の念と、虚無感だ。それは、とてもつらい事だ――さみしい事だ。
 僕は、彼女のもとから――離れた。結果は、今更言い直す必要も無かろう。君には、僕と同じ過ちを冒して欲しくない。
 君は、君は――妹の分まで、幸せにならないといけないのだろう?」

「………わ、分かってるですよ、そんな事位!
 …さっきの私は、何処かおかしかったですよ。私は、妹の事が、誰よりも大好きなのですよ!そんな簡単には離れてやらないんですから」

「ふふ…其れなら構わん。――そろそろ着くぞ」

「ええ、分かってるですよ――」




 みーん、みーん。




「――ちゃっちゃと歩くですよ」

「全く…誰もお前の事など襲ったりせんよ」

「で、でも…こんなに人が沢山居るなんて…今日は何か有るのですか?」

「さあ、何かあったかな?
 普段は此れ位だとは思うが」

「ええっ、こんなに多いんですか!?私が来たときは…」

「きっとお盆の時期だったからだろう。
 …豆腐屋、着いたぞ」

「……此の人集りが、ですか?」

「ああ、そうだ。まあ、皆話をしているだけだがな」

「…帰るです」

「此の位頑張れ」

「嫌です!あんな人集りの中で買い物なんて出来る訳ねえですよ!」

「全く…今迄どうやって買い物してきたのだ……
 ……仕様が無い、ついて行ってやるから」

「わ、分かったですよ――って、ち、ちょっと!未だ心の準備が――」

「済みません」

「へい、いらっしゃい…って、桜田の坊っちゃん!あんたが買い物なんて珍しいねぇ」

「や、今日は僕じゃ無くてこの娘が…
 ――ほら、早く注文するんだ」

「……あ…え、えっと……その……」

「ん?どうした嬢ちゃん?」

「はあ…
 ――済みません、じゃあ、此の木綿豆腐を…二丁か?」

「…はい」

「――二丁で」

「へい、有難うよ!
 ――処で坊っちゃん、其の娘はもしや、『コレ』かい?」

「や、ち、違い――」

「違ぇですよ!勘違いすんなですぅ!」

「――うおっ!?」

「あ…いや…ええと……ううっ…」

「あ…――ああ、そうかい、嬢ちゃん。済まんな」

「全く…
 此方こそ、本当に済みません」

「はは、構わんよ、坊っちゃん。君のか……おっと、また嬢ちゃんを怒らせちまうとこだった。女性を怒らすと恐いからな。ははっ。
 ――ほれ、豆腐二丁!」

「あ、僕が持つよ――有難う御座いました」

「あ、ありがとです……あの、大きな声出して、御免なさいです。
 ジュン、さ、先に戻ってるです!」

「――あ、おい、待てよ――」



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「――おい、走ると転けるぞ――」

「――きゃあっ!」

「…言わんこっちゃ無い。大丈夫か?」

「だ、大丈夫です…あ、ポーチの中身が…」

「やれやれ。…って此れ、僕のハンカチーフじゃないか。持っていたのか」

「あ――駄目ですっ!」

「お、おい…返せよ…」

「嫌です!」

「な……何でだ!其れは僕のだろう?」

「…………」

「…………
 どうして、嘘吐いたんだ?」

「…だって…」

「…………だって?」

「だって、お…お……
 ――おばさんに、逢えなくなるじゃないですか!」

「……は?」

「…………」

「……ふっ、ははは。そっか。それはあの人も嘸かし喜ぶだろうな」

「あ、えと…」

「何時でも来てくれて構わないよ。きっと皆も歓迎してくれる事だろう。おばさんも『気立ての良い、可愛らしい娘だわあ』などと言っていたからな。
 それに、そっちの方が僕も嬉しい」

「えっ――」

「同年代の友人も、最近はめっぽう逢わなくなって仕舞ったからな。矢張、気兼ね無く話が出来る人は良い。君と話していると、つい童心と言うか、若い頃を彷彿とさせる感情が湧くのでな。
 だから、いつでも来てくれると良い。それに、君のスコーン、美味しいからな」

「……はいです!いつでも来てやるですよ!美味しいスコーン作って、来てやるですよ」

「そうか。楽しみにしてるよ」

「分かったです。ま、せいぜい首を長くして待つと良いですよ。
 ……それじゃあ、私はもう帰るですよ。二人が、待ってるですから」

「ああ。宜しく伝えておいてくれ」

「分かったです。――じゃあね、ジュン」

「ああ。また、翠星石――」




 みーん、みーん。




「――只今ですぅ」

「お帰り、翠星石」

「あれ?おじじ、何処か出掛けるのですか?」

「ちょっと散歩にと思ってのう。偶には、ぷらぷら外を出歩きたくなるのだよ」

「そうですか。じゃ、夕飯作っとくですから、頃合いを見計らって帰ってくるですよ。――今夜は、冷奴ですよ」

「おお、冷奴かい。夏らしいのう。そりゃ楽しみだ。
 ――ところで、今日も桜田君の処に行ってきたのか?」

「ええ、そうですよ」

「彼は、元気かね?」

「そうですね…元気は元気です」

「そうか…
 ――のう、翠星石?」

「何ですか、おじじ?」

「……や、何でもなかった。では、行ってくるぞい」

「行ってらっしゃいです――」




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 みーん、みーん。




《とある呉服屋での出来事―八月二十一日―》

おしまい。
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