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薔薇乙女家族 その六之三

生徒達の下校は、基本的には学校が終わって準備ができた者から自由に帰宅して良いという形式が普通だ。どこの学校もみんなそうであるはずだ。
だが近年、小学生をターゲットにした事件が頻繁に発生したという事もあって、集団下校という各地域別にまとまって下校をする事も定期的に行われている。教師も途中の道のりまでは同行していく。場合によっては保護者にも協力してもらう事もあるにはある。
学校側としては自由下校の際にも一人孤立しての帰宅はあまりしない様にとの通達はしている。勿論保護者にもプリントにてその様に伝えている。だが実際それを守っているかといえば、今日の雛苺を見れば分かる通りだ。
教員も口ではそれを徹底するという事にはしているが、実際にそこまでやったら生徒を縛り上げる様なイメージが前面に出てしまうという事で、今の社会において浮いた存在になるのを恐れている様な姿勢が暗に見受けられる。
校長はそれを良しとしているかどうかで言うと、やはりもう少し生徒達によく話をして理解をしてもらうべきではないかと否定の意を表している。
今は昔と違って、学校という空間は安全などと言う神話はとうに崩れている。子供達の身を安全にかつ学校という空間に対して信頼を得られる様にする為に、少しは厳しくするべきではないのかというのが校長の本音の意見だ。
だが職員会議においてはその意見に対して何かと批判がつきまとい、握り潰されてしまう事が殆だというのが事の実情である。この点に関しては校長の人の良さが仇になってしまっているのに違いはないだろう、押しが弱いのだ。
暗くなりゆく道を十歳にもならない子供が一人歩く。今はそれだけでもう危険であるのは否めない、真冬の日暮れの早さの様に暗いご時世だ。

おまけに、夕方は太陽も月も出ていないという時間だ。太陽と月の加護を得られない故に、一番危険な時間帯であると言える。
朝と昼間は太陽が、夜は月が太陽の輝きを受けて地上を照らす。この世の者達は皆、光を受けて初めてお互いの姿形を認め合える。光の源の無いほんの一時に光より見放された影達が動き始めて、光を受けて生きる者達を闇へと引きずって行こうとするのだ。
その様な事は頭の中が苺大福一色の彼女…雛苺にはまるで知るはずがないだろう。もう街灯が灯ろうとする時間だが彼女は至ってマイペースだからお構いなしであった。
そこは彼女の見慣れた道と言えど、時間が時間だ。見慣れた道こそが、一番影に目を付けられやすいというのがこの世の裏に隠れている暗い事実なのだという事なんて知る由もない。
今、彼女の背後にそれがうっすらと顔を覗かせている。その目はギラギラとしていておよそ人間を見る様な眼では無かった。それはまさしく獲物を見つめるケダモノのものだった。
影は雛苺から遠すぎず、かつ近すぎずの距離を保ち、じわりじわりと手を伸ばしていた。影の目的は分からないが自分の飢えを癒やす為であるのは確かであろう、舌なめずりをしながら足音を殺して彼女の背後へと忍び寄る。
雛苺が横断歩道の手前で止まった。信号待ちだ。彼女の目の前にはいくつもの車が高速で横切って行く。ニヤリと心でほくそ笑んだ。
影はさりげなく彼女の横に立った。顔は横断歩道の信号を向いているが、そのいやらしさをみなぎらせた眼は彼女の横顔を舐めまわしている。手をそわそわとさせて落ち着きが見られない。彼女を射程圏内に入れたケダモノは、後はどう引き込もうかと機会を窺っているみたいだ。
どうすればこの幼子を仕留められるか。
影は己の中で邪念を炸裂させ、体中から邪なる気迫を漂わせている。或いは今この隙に手を掛けようか、もう少し彼女のルートを追って機会を得られるチャンスを増やして次回に決め手を掛けるか、どうするかを選んでいるみたいだ。

一方、雛苺はまさか自分の真隣にそんなものがいようとは気づいてもいなかった。ただ呑気に目の前をよぎる車を視線で追うばかりである。完全に隙だらけだった。
影は周りに人がいないのを確認し、雛苺を視線でじろりと舐める。闇に引き込んで一気に仕留めようと腹に決めたみたいだ。
とうとう牙を見せ、涎にまみれたそれを雛苺の首もとに掛けようと一気に食らいつくその刹那であった。西へと沈みゆく太陽は、地球の反対側をこれから照らしてやろうとしていた中、日本にこの日最後の恵みを与えてくれたみたいだった。
「雛苺!」
「うゆ?」
突然誰かが雛苺を呼んだ。影は慌てて牙をしまい込んで姿勢を直す。
「あなたは…こっちの方面だったのね」
「…あ~、柏葉先生なの~」
雛苺を呼んだのは車から顔を覗かせる柏葉巴であった。
「あなたはどこに住んでいるんだっけ?」
雛苺は横断歩道の信号もそっちのけて柏葉の方へと駆け寄った。影は完全に豆鉄砲くらった様な顔をしている。
「…そうなの。じゃ…本当は駄目なんだけど…乗せてあげよっか?」
「ありがとうなの~!」
「ふふ…どういたしまして」
柏葉は一瞬目を尖らせて影の顔をギロりと睨み付けた。影は完全にその一撃で怯んだ。
「先生の車、かっこいいの~」
雛苺を乗せた車はそのまま、夕暮れの街を駆け抜けて行った。そのテールランプはまさに影を切り裂く一筋の光であった。
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「ただいまなの~」
「おかえりなさぁい。遅かったわねぇ…まあ珍しい事ではないけどぉ」
自宅に戻った彼女を出迎えたのは母、水銀燈の声であった。それに次いで二人の姉が顔を見せた。
「チビチビは相変わらず帰ってくるのが遅いですね…」
「最近はここいらでも変質者が出るみたいよ、気をつけなさい」
「はいなの~」

雛苺は姉である翠星石と真紅にたしなめられ、素直に返事をした後に「でも」と続けた。
「今日は大丈夫だったのよ。今日新しく来た先生に送ってきてもらったの」
「あらあらぁ…新しい先生に早速迷惑かけたのねぇ」
水銀燈はやれやれとため息をつく。
「今度、学校に行くからその時にお礼言わないとねぇ…何ていう先生?」
雛苺はそれにはっきりと答えた。その瞬間に水銀燈は、自分の中の時間が止まった様な感覚に陥った。
「柏葉先生なの~。柏葉巴先生、いい先生なのよ」
…柏葉…巴…?
まさかと思った。何かの間違いか、或いは同姓同名の別人だろうと思ったがそれは自分をごまかす事もできなかった。心臓の鼓動が早まるばかりだ。
「ヒナ、柏葉先生といっぱいおしゃべりしたの。楽しかったの~」
彼女の好物である苺大福を頬張りながら母に報告する。その母は心ここにあらず、全く娘の話が耳に入っていないみたいだったが雛苺はそれにまだ気づいていないみたいだ。水銀燈は完全に自分の世界に入り込んでしまってた。
柏葉巴…ジュンの親友(恋愛感情に近くもあったみたいだが)で、自分とは中学生時代の同級生であったが親しかったわけではない。自分とは相反する存在だったからか、彼女を好いた記憶は一切無い。
だが当然ジュンは違う。彼は未だに彼女の事で胸を痛めている。彼女は彼にとっては大切な人であるという事に違いは無いのだ。それを思うと、ジュンの事がひどく心配になってくる。
水銀燈は困り果ててしまった。この事をジュンに言うべきなのか黙っておくべきなのか…。
「…三人共」
とりあえず娘達の口は塞いでおいた方が良さそうだと判断したみたいだ、右手の人差し指を立てた。
「この事はパパには内緒よぉ」

案の定、三人は何故と言いたげな顔をした。それは柏葉巴という人物は、母と父とは同級生だったという事を知らないからだ。巴の事を話す機会自体が無かったから当然の事と言える。
「何も言わずに、言うことを聞いてちょうだい…」
母のその顔に、NOと言えなくなった三人は黙って頷いた。吐き出しかけた言葉を無理やり飲み込んだ様子だったから納得してはいないだろうが、話をすると長くなってしまう。何より、話を聞いたらそれこそ娘達は黙っていられなくなるだろう。
娘達の怪訝そうな表情から目を反らし、次の一言で無理やり会話を終わらせた。
「いいわねぇ?柏葉巴という名前もパパの前で口にするのは許さないわよぉ」
こんな言い方は本当はしたくない。自分達の都合を娘達に押し付けているだけではないか、そう頭で理解はしていても口はこの様に動いてしまう。
胸が痛む。人の親にあるまじき姿を今自分はしているのかもしれないと思うとさらに痛む。胃液が胃袋をシトシトと侵食している様な感覚を腹の中に覚えた。

会話を終わらせた水銀燈はまたため息をついた。その手元にはプリントがあり、その文面に視線を釘付けにされている。
よりによってこんな時に…。
頭痛がしてくる。腹の中が鉛みたいに重い。
彼女が持っているプリントは授業参観の案内である。次の月曜日の五時限目、雛苺のクラスに行く事になっていたのだ。全く、タイミングが良いのか悪いのか。
水銀燈はプリントを机に投げ捨てて、天井を仰いだ。背もたれに上半身を任し、体を力無くだらけさせる。
彼女はしばらく頭を抱え込む事となってしまったみたいである。

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