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《薔薇国志》 第二章 第一節 ―少女は地を耕し、少年は血を滾らせられる―


○雲南 農地

視界の右側に映るのは、青々とした苗が植えられた風景。
視界の左側に映るのは、未だ剥き出しの茶が覗く大地。
数週間以前に遡れば、二つの視界を塞ぐのは大地のみであった。
其れが今では、片方だけとは言え、美しい緑を楽しませてくれる。
――髪を左右に結った少女は、己の仕事振りを少しだけ誇らしく思い、更に邁進する為に、
大きめの声で自分を励ます。

「よぉし、お姉ちゃん、頑張っちゃうわよぅ!」

控え目に拳を握り、気力を充実させる少女―桜田のり。
彼女は、実弟―ジュンから、雲南の士官の話をされ、一も二もなく首を縦に振った。
弟に対して過保護気味の彼女であったから、当然の事と言える。
また、日々を漫然と過ごす様に見えていたジュンを憂慮する彼女にとって、
彼の変わり様は殊の外、喜ぶべき事態であった様で。
その自己主張の激しい凹凸を意識せず少年を抱きすくめ、彼を困惑させたのも、
既に一月以上前の話となっていた。

彼女とは対照的に、無気力な表情で苗を植えていく男性が二人。
彼らは、無気力なれどてきぱきとした動作を続ける、と言う器用な事をやってのけている。
一人は、この街―雲南の歩兵士長兼衛士長。
もう一人は、真紅とジュンが出会った日に、歩兵士長と口論をしていた若者。

「………なぁ、おっさんよぅ」
「おっさん言うな、がきんちょ。――なんだよ?」
「俺ぁ、おっさんの『体を動かせる仕事』って誘いで歩兵隊に入ったんだが」
「だな」
「此処一か月、戦どころか、訓練すらろくすっぽしてない訳だが」
「体がなまっちまうなぁ」
「――なまっちまうじゃねぇよ!なんでごろつきしてた俺が真面目に農作業しねぇといけねぇんだよ!?」
「健康的で、偶には悪くねぇじゃねぇか」
「偶にならなっ。先週は市場で売り子、先々週は工房で石切り!真面目に働いちゃってますよ!?」
「………とは言ってもなぁ。嬢ちゃんと坊主の指示なんだから、仕方ねぇだろ」

嬢ちゃんとは、雲南の太守、朗繕真紅。
坊主とは、雲南の軍士、桜田ジュン。
歩兵士長の言は、間違っていないが完全に正しくもない。
何故なら、彼らに仕事を割り当てたのはジュンであって、真紅はそれを伝えただけだから。

真紅は当初、総勢約二万しかいない層の薄い兵力の補強と増員を考えていたが。
ジュンの『内政を優先しよう』との言葉を受け入れ、彼女自ら農地や市場、工房を訪れ、
それぞれを改善していった。
そして、人がいない事もあって―なにせ、指示できる者が真紅を入れても三人しかいないのだ―、
彼ら兵士も駆り出された訳だが。
しかし、彼と彼女の会話を知らない兵士たちには、若干不満が溜まってきていたりする。

「まぁ、なんだ。雄大な『山』でも見て落ち着けって」
「あぁ!?山なんざ其処ら中にあって見飽きて――」

歩兵士長の慰めに声を荒げる若者。
だが、彼の視線の先を目で追い――其処にいたのは、のりであった。
農作業に適した格好をしている彼女は、先程から懸命に働いていて。
彼女の意思とは無関係に、二つの『山』も動いていた。
それはもう、たゆんたゆんと。
「あぁ………山だ………俺、まだ頑張れる、頑張れるよ」
「よぉし、おじさんも頑張っちゃうぞぉ」
いい笑顔のがきんちょとおっさんは有難や有難やと拝みつつ。
お互いに親指を立て、再度の奮起を誓った。
そんな馬鹿な二人に、背後から冷ややかな視線を浴びせつつ、声をかけてくる者が。

「――そう言ってくれるのは有難いけど。
煩悩だけで開墾しないで頂戴ね」

視線よりも怜悧な声色でそう告げたのは、雲南の太守様。
彼女―真紅も、のりや彼らと同じ様に、簡素な衣服に身を包まれている。
髪や瞳、肌の色に目を瞑れば、その様は平民の娘の様にも見えた。
真紅の辛口の言に、若者と歩兵士長はだらしない顔のまま振り向き――。

「あ、絶壁――げふぁ!?」

若者は正直な失言を零し、膝から崩れ落ちる醜態を晒す。
放った左手の衝撃をひらひらと振り払い、真紅は、若者に両手を合わせている歩兵士長に問いかける。
「貴方も、何かあって?」
「なんまんだぶなんまんだぶ――はっ、滅相もないでありますっ。
――それはともかく、嬢ちゃんよぅ」
歩兵士長のからの呼称に若干眉を顰める真紅だったが、
いつもは漂漂とした態度の彼の、珍しく真面目な面構えに呼応して真剣な表情となる。
「俺らや嬢ちゃん、のりの姐さんに指示した当の本人―坊主は何処いったぃ?」
歩兵士長の言葉には、一握り程の不満が籠っていた。
その感情は、彼個人のものではない――言うなれば、兵士全員の代弁である。
彼の問う通り、ジュンは数週間、彼らの前に姿を見せていない。
末端の兵士からすれば、突然上に立った者の指示で、役違いな仕事をさせられており、
しかも、その上の者が一切姿を現さないのだ――彼らの不満も当然のものだろう。 
加えて、上に立った者―ジュンは兵士からすれば、ただの『少年』の様にしか見えなかった。
真紅を君主と仰ぐ歩兵士長からしても、『真紅が認めている少年』としか捉えていない。
こんな状況では、今は小さな不満で抑えられているが、
そう遠くない内に全体の士気の低下を招いてしまう。
――軽い言い草であったが、歩兵士長の言はそれらを危惧する不安が内包されていた。
「坊主は止めなさいな。
ジュンは三週間ほど前から、永昌に潜入しているのだわ――諜報の為に」
真紅とて、彼らの感情がわかっていない訳ではない。
だからこそ、こうして自らが現地に赴き、共に働いているのだ。
「あの坊主が潜入?………大丈夫なんかね」
「彼が言いだした事だもの――大丈夫でしょ」
そういうもんかね、と首をすくめて返す歩兵士長。
真紅は、ジュンの能力をある程度把握できていると思っているし、
性格に関してならば熟知していると確信している。
彼は引っ込み思案であり、己の能力を過小評価している――そう、真紅は感じていた。
そんな彼が、自ら永昌の諜報を進言してきたのだ、よっぽどの自信があるのだろう。
「それにしても、なんでまた永昌なんかに。
いや、とりあえずの目標ってのはわかってんだけど、別に其処まで警戒する事もないと思うがね」
腰に手をあて伸びをしながら、歩兵士長は何気なく呟く。
しかし、彼が漏らした感想は、真紅も抱いていたものであった。

永昌――ここ雲南よりも、西方に位置する、今は統治する者のいない都市。
統治する者がいないと言う事は即ち、都市を守る正規の軍隊が存在しない事と直結する。
伝え聞く話では、そんな事態を憂慮し、治安を維持しようとする自警団が結成されているらしい。
しかし、所詮は自警団であり――恐らく、今の雲南の戦力でも全力で挑めばどうとでもなるだろう。
勿論、ある程度の被害は考えなくてはいけないが。
その旨を、真紅はジュンが永昌に旅経つ前日に告げている。
ジュンからの返答は、「否」。
「一か月待ってほしい」と言うジュンの申し立てを了承し――目下、彼が指示した内政を
取り仕切っている所である。

「まぁ………もうすぐ、彼も帰ってくるでしょうし。
それまでに、彼が驚くほど、農地を広げておきましょう」


○永昌―雲南間(邪龍)

真紅達が農地で斯様な会話をいている同時刻。
ジュンは永昌から雲南へと、帰還の途についていた。
前後に伸びる岩がむき出しの道、左右に広がる広大な林と青々とした山々。
雄大すぎる自然に、ジュンは疲労が溜まっている足を引きずって溜息を洩らす。
「この道も………余裕が出来たら、繕わないとな………」
肉体は疲労の限界を迎えている彼だったが、表情には充実したものが見て取れる。
彼が永昌へと諜報に赴いたのは、『生きた情報』が欲しかった故。
真紅や歩兵士長が語る内容ならば、ジュンも知っていた。
知ってはいたが、それは『伝聞』という曖昧な情報であり、確固としたものではない。
それならば、と彼は自身の目で確認する為に、真紅に諜報の任を命じるよう頼んだ。

諜報によって得た情報は、彼にとって有難いものであった。
まず―やはり、と言うべきか―太守はおらず、腕っ節の良い若者を中心に、
多く見積もっても3000人程の自警団が組織されている。
彼らの士気は、正規の軍隊でない割には『永昌の人々を守る』という共通目的の為か低くなく
街を守る城郭に籠られたならば、厄介な相手となるだろう。
もし、彼らを強力に束ねる者がいれば、軍隊としての即戦力とも扱えるが――そういう者がいないのが、
未統治都市の御愛嬌と言ったところか。
街の人々も、けして治安が良いと言える現状を嘆くだけではなく、日々の生活を送っている。
目下の所の悩みは、「働き口が増えれば、うだうだしてる子たち―ごろつき―も減るのにねぇ」。
中華の最南端の都市は、戦火の音を遠くに感じつつも、土地柄による逞しさもあって、
世に絶望する事はしていない様だ。

「――うん、あの状態なら………僕の作戦で大丈夫な筈だ」

疲れた体とは違い、頭は更なる回転を始める。
自身が正式な軍士となって初めての戦――と言う事もあるが。
それよりも、真紅―朗繕軍の初陣と言う事実の方が、彼にとっては重かった。
世が世なのだから、自分と同じ「軍士」は数多く存在する。
だから、もし自分が軍士として失格であっても、大きな痛手ではないだろう―彼の太守殿にとっては。
だが、初陣が失敗するとなれば、話は違う。
しかも、相手は世間的に見れば「格下」と思われるのである―負けるわけにはいかない。
そう………負けるわけにはいかないのだ。
今更ながらに迫りくる重圧に、少年は小さく拳を握り、立ち向かった。

それから数刻の間、少年は黙々と歩き――日が落ちる頃に、かつては何所かの軍の拠点であった邪龍と呼ばれる
地域に辿り着く。
苔が付き放題の石壁、自由に伸びまくる雑草――今は見る影もないその場所で、ジュンは野宿する事にした。
暖を取る為に焚いた、ゆらゆらとした火を眺めながら、ふと思いだす。

「――欲しい情報は手に入ったけど。
結局、人には会えなかったな………」

彼が―諜報の合間に―探していたのは、二人の人物。
一人は、真紅が語っていた、永昌にいるらしい彼女の姉妹。
彼女の姉妹なのだから、容姿も目立つであろうと推測し、特に真紅に尋ねなかったジュンだったが。
中央の都市ならともかく、永昌は西方や南蛮との玄関口―特異な容姿をしている者は、珍しくなかった。
――彼は自覚していないが、真紅に姉妹の事を聞かなかったのにはもう一つ理由があり。
それは、突然に姉妹を連れ帰ってきたら彼女は喜んでくれるだろう、という可愛らしい下心。

もう一人は―此方は完全に私用だが―彼の、昔馴染みの少女。
親や姉と共に流転の生活をしていた彼は、永昌にも一時、居を構えていた。
その時に、歳も同じ事もあって、よく遊んでいた少女がいたのだが。
記憶に残る彼女の住まいをちらりと覗いて見ても、其処に彼女と思しき人物はおらず。
其処にいたのは、眩い金色の髪を大きく華やかな髪結いで止めていた少女のみであった。
(あいつの髪は黒だったし………性格からして、あぁいう装飾は付けないもんなぁ)

少年は、美味いとは言えない携帯食を無理やり喉に押し込んだ後。
尽きかけている体力を回復させる為に、疲労で固まった体を弛緩させる。
一応は膨れた腹に暖かな灯火、連日の慣れない仕事――彼の意識は、ずぶずぶと沈んでいき――。

「こんな所で嬢ちゃん一人たぁ、あぶねぇなぁ、へへへ………」

――そうになった所を、わかり易い下品な大声に遮られた。
「誰が――」――嬢ちゃんだ!………と、無理やり体を起こし、前方を確認するが。
視認で来たのは、ぱちぱちと火花を散らす火のみ。
どうやら、自分と同じ様に野宿をし――性質の悪いごろつきに絡まれている者がいる様だ。
その人物の声は聞こえないが、ごろつきの弁から考えるに、若い娘なのだろう。
推測がついた所で、少年は顔を顰める――なんだってそんなのが一人でこんなとこにいるんだよ!
ごろつきと推定少女の会話は続いているようだ。聞こえるのは、ごろつきの声のみだが。
くそ、と短く汚い言葉を吐き出すジュン―(自分の身も守れない奴が悪いんだ)。
身体は疲れている、意識も覚醒しきっていない―(僕には関係ないさ。ないんだ)。
相手は一人じゃないかもしれない、勝てない喧嘩はしない―(しちゃいけないんだ――くそ!)
言葉とは裏腹に、思考とは真逆に。
少年は、自身の荷物を持ち上げ、その中から小さくも鋭く、長い鉄針を取り出す――それは彼の武器。
非情になりきれない少年は、戦う意思を引きずりだし、声の方に駆けた。

声が近づくにつれ、ジュンは足音を小さくしていく。
大声の男―恐らくは彼が上役―の他に、二人、男が少女を取り囲む様な立ち位置にいた。
少女の様は、目が余りよくないジュンには見えなかった。
もっとも、目が良かろうが、顔の上半分までを外套で隠している為、確認はできなかっただろうが。
段々と男三人に詰められている少女は、声もなく、茫然と立っている。
(恐慌状態になってないだけ、いい方か)
男達に気付かれぬ様、木々に身を隠しながらジュンは思う。
(相手は三人………組みつかれなければ、なんとかなるか………?)
男達はジュンよりもかなり体格が良く、捕まってしまえば、抵抗するのは難しいだろう。
では、どうすれば勝てる?
(真ん中の大声の奴に致命傷を与え………あの娘を連れだす)
此方の勝利条件は、少女を助けだす―その一点。
その為に無駄な労力―相手を全員倒す―を使うつもりは、さらさらない。
ジュンは、気付かれない程度に息を吸い込み、覚悟を決める。
微かに震えていた体を叱咤し、木の影から男に狙いをつけて。
腕を振りかぶる――直前、少女が動いた。
彼も彼らも予想だにし得なかった方向に。

「――観客さん、とーちゃく。一人じゃ、ちょっと寂しいけど………」

独特な語り口に、ジュンもごろつきも動きを止める。

「一つ人の世のため我が身の為、二つ不束者ですがやっちゃうぜぇ、三つ………なんだっけ?」

耳心地のいい声だったが、内容は全くもって悪ふざけにしか聞こえず。
たまりかねたごろつきは、声を荒げる――少女の予想通りに。

「な、なんなんだてめぇは!?」

形の良い唇をにやりと曲げ。
満月の下、少女は羽織っていた外套を放り投げ、宣言する。
――夜風に揺れる薄紫色の髪の美しさも、左目につけられた眼帯の剛直さも、全て無駄にする勢いで。

「あ・悪党に教える名は持ち合わせちゃぁ、いねぇ。
綺麗で真ん丸な、お月さんの下、汚ねぇ血肉をぶちまけてやる――この、薔薇水晶のぉ、手によって」


―――――――――――――《薔薇国志》 第二章 第一節 了

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