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薔薇乙女家族 その六之二

午前の授業を終えて給食も食べ、今は昼休みだ。
学校の中で一番長い休み時間であるこの時をどの様に過ごすかでその子の性格が大別できる。図書室で読書に勤しむのもいれば外でボールを転がして走り回るのもいる(すっころんで怪我をするのもちらほらと見られる)。或いは教室に留まってひなたぼっこするのもいる。
十人十色。様々な過ごし方を生徒達はしている。
「うゆゆ~…」
さて雛苺はと言うと、校舎中の廊下を階段を跨いで練り歩いていた。何かを探している様に首を右へ左へとやっているみたいである。
彼女のクラスは二階にあるから三階には通常あまり行くことは無い。図書室は三階に位置しているが彼女は小難しい本を好んで読む様な性格ではないから、何かを探すと言うよりも誰かを探している様だ。
三階を端から端まで歩いた彼女はやがてため息をついてまた階段を下っていった。行き違いになったと判断したのかもしれない。
一階には職員室と保健室がある。雛苺はすでに職員室には顔を覗かせていたがそこにお目当ての人はいなかったのは確認済みで、保健室に至っては影も見られなかった。
三階から一階まで降りた彼女は、自分の勘が当たるのを期待してまた職員室に顔を突っ込んでみた。が、やはりいない。
ならばと今度はその隣の保健室にパタパタと走って行った。 

今度は当たりだった様だ、中には人影が二つある。
一人は保健室を守る先生、もう一人は…。
「…あら、お客様みたいですよ?」
「…?」
振り返ると、戸の窓ガラス越しにこちらを見てくる一人の少女の顔があった。
「…桜田さん?」
「柏葉先生、こちらはもう大丈夫ですから行ってあげてください」
「あ…すいません」
柏葉は彼女に軽く頭を下げ、保健室を出た。
こちらを見上げている小さな少女に笑みを向ける。
「どうしたの?」
「あのね、あのね、ヒナは先生と仲良くなりたいの」
無邪気な笑顔だ。子供は素直が一番似合うなと改めて思う。
「ありがとう、桜田さん。嬉しいな」
大人になると言葉で己と他人を誤魔化すのが自然となってしまう。自分がまさにそれである。彼女の様な子供達は、自分が暗に理想とする姿を写す鏡であった。
彼女の様にもう少し活動的で、もう少し素直になれたなら…自分は、あの大好きだった人との間にしこりを作る事も無かったかもしれない。あの人にあんな顔をさせる事も無かったかもしれない。そして、自分の気持ちも伝えられたかもしれない。
「ヒナの事は雛苺って呼んでほしいの~。みんなみんなからそう呼ばれてるの」
「うん、そうね…分かった、雛苺」
「~♪」
水面下に押しやったはずの記憶がぶり返してきているのに気づいて、少し胸の中が落ち着かない。今更になって…と、自分がまだ未練たらたらだったのを知って恥じる。
「彼」の隣には「彼女」がいた。確証は持てないが、きっと彼と彼女は今でも手を結び合い、お互いを支え合っている…そんな気がする。 

彼の所に私の場所なんて無いのだ。彼は彼女を必要とし、彼女は彼を必要としているのだから。私がそこに付け入る隙間なんかあるわけがない。そう思い、自分の感情を押し殺したつもりだった。
どうしてだろう。何故こんな感情が湧き立つのだろう。
やはり彼女の姓である桜田という名がそうさせているのだろうか。
~♪~♪~♪
チャイムの音色が二人に時間を告げた。
「あ…そろそろ時間みたいね」
「うゆ…探してるだけで終わっちゃったの…」
「また次に、ね」
「うぃ~♪」
二人はそうして別れた。雛苺は自分のクラスに、柏葉は職員室にそれぞれ歩を向けた。
その際に、彼女…雛苺に父親と母親の事を訊けば良かったかと柏葉は思っていた。桜田なんて別に珍しいわけでもない名だから考えすぎかもしれないが、もしかしてと何となく思い始めていたのだ。
あだ名と言えど、雛苺なんて随分変わってる名だ。しかもそれを母親が名付けたというのだ。
それに何となくだが心当たりがある。自分自身の、子供の頃の記憶に鍵があるのだ。しかしそれは苦々しい記憶でもあるのも確かな事であった。
彼の隣にいた彼女…彼女は本名こそ極普通のどこにでもありそうな名前であったが、そのあだ名は実に独特なものだった。その名前からどうしてそのあだ名ができたのかが常に疑問に思っていた。
彼女とは親しくなかったし、そもそも立場的に親しくできなかったからそれはとうとう解けない疑問となってしまった。
それは自分にとってさほど大きな事ではなかったからだろうか、時の流れと共に風化していったと思ったが結局は違ったみたいだ。雛苺という名を聞いた瞬間にそれを確信した所を考えると、潜在的な何かがしっかりと記憶していたのかもしれない。
ここまで考えると柏葉は内心が穏やかではなくなっていた。腹の中に黒いものが混ざり始めていて、理性を少しずつ揺さぶっていく様だ。
混濁する頭の中で思う。やはり私は彼が好きだったのだ、と。

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放課後になった。今日という一日は、柏葉先生の新任という事件があった他は極めて今まで通りだった。授業をかったるそうに受けて、休み時間には友達とはしゃいで、下校になったら即帰宅。何の変わりもない。
「雛苺、バイバーイ」
クラスの友人が一人、また一人と下校していく。雛苺はその都度に見送って手を振っている。
雛苺は基本的に時間にルーズだ。極めてマイペースで団体行動の際には何かと遅れがちであり、それはこういった点でも顕著に見られる。下校の時でものんびりのんびりとしたペースで支度をしているから大抵最後に教室を出るのは雛苺一人だけになってしまう。
そんな彼女も勿論友人と一緒に帰る事もある。だが余程時間を気にしないという状況でもなければその友人達もしびれを切らしてしまう事がほとんどだったりする。子供は得てして、学校での用事が終わったと踏んだら一刻も早く自宅に帰りたくなるものだ。
「うゆ…あとは…あ、おトイレ行ってくるの」
鞄の支度も中途のまま教室を出てしまった。そのままパタパタと廊下を少し駆けて行った所で、ひょっと姿を消した。彼女は何時も大体こんな具合だ。一体何時になったら支度は終わるのか、さっぱり分からない。
確かに今日は人を待たせているわけではないがどうしたらこんなに尺を伸ばせるのか。

彼女がお手洗いに行ってしまったから、教室には鞄とランドセルが置かれただけになっている。貴重品らしい物は学校には持ってきてはいないものの、鞄だけが教室に残ったまんまというのは近年の事を考えると本当は望ましくはない。
最近は学校内でも盗難が発生していて、その犯人はおよそ決まって生徒の誰かである。幸いに、この学校ではそのような事件は起きてはいないが警戒を強めるのを余儀なくされてる。
人様の子供を預かっている以上、教師は父であり、母でもある。何かあったら事は教師の責任問題となってくる。それも警戒態勢を強める一因であった。
「…?」
放課後の見回りをしていた教師が、教室にあるランドセルと鞄を見つけた。主から忘れられて取り残された様にそこにあったのを見たその教師は、とりあえず誰の物なのかを手にとって調べてみる。
ランドセルにも鞄にも、名前を書く様に学校側から言ってあるのですぐに分かった。それはこの教師が昼休みに少しだけ話をした、あの子の物であった。
日は段々と西へと沈んで、その朱の輝きは彼女の顔を焼き付かす様に照らす。ランドセルをじっと見つめているその眼の裏に何を隠しているのか…否、隠そうとしているのかは頬を伝う黄金色の雫が表していた。

あの子は自分の恋した人と、あの彼女との愛の結晶であるのを理解してしまった。それは瞳の色からも窺えるのだ。
人間の瞳の色は、通常は茶色か黒か、青色である。だがあの子は緑色という珍しい瞳だ。あの子の母親であるはずの彼女の瞳は赤色だったはずだ。色こそは違うが、この二人は普段日本ではあまり見られない色を持った眼をしている。
もしかしたらカラーコンタクトレンズか何かを入れているのではないかと予想したが、先生方に訊いた所では確かな裸眼であるという答えだった。眼の色素の量が少ない故に起こる事なのだそうだ。
彼女の母親は色素が極端に少ないらしく、瞳の色が赤いという。眼の色素が薄いのはその母親譲りなのではないかという事であった。
「…うゆ?柏葉センセ…どうしたの?」
「あ…雛苺…」
廊下から見つめてくる彼女の顔が、何故かこちらの胸をつついてくる様に柏葉は感じた。
「これ、あなたのでしょう?駄目よ、荷物そのまんまにしちゃ」
「うゆゆ…ごめんなさいなの」
「気をつけてね。大切な物はできるだけそのまんまにしちゃわないように、ね」
「はいなの。分かったの~」
彼女は返事をするや残りの後片付けを始めた。
それを横から見つめる柏葉は何か複雑そうな顔をしているが、彼女に見られない様にそれを隠している。
「えぇっと…うん、できたの」
「それじゃ、もう帰らないと。お父さんお母さんが待っているよ」
「はいなの~、さよなら~なの」
彼女はそのまま笑顔で手を振って教室を後にした。
教室は主の無い机に椅子、柏葉のみが取り残され、音の無い空間となった。
一人佇む彼女は窓の奥にある夕日を見つめる。もうそれは山と山の影から少しだけ顔を覗かせる程度で、すっかり月を迎えようとしていたのであった。

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