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薔薇乙女家族番外編 その九
~時計塔屋敷~

きゃはははは…きゃははは…。
松明の灯りもだんだん少なくなってきて視界が頼りなくなってきた。足を取られて転ばない様に気をつけようとしている中でも少女の笑い声が僕を取り巻く。
何が可笑しくてそんなに笑っているのかは知らないが、非常に耳障りだ。僕の中をかき回している様で気分が不快になってくる。
カラカラ…。
足下の石ころが転がって岸の下へ落ち、虚しく水音を立てて消えていった。この洞窟は地下大河に繋がっていたみたいだ。
柵も何も無いから足を踏み外したらアウトだ。なるべく壁側を歩く様にしよう。
きゃははははは…おとぉさまぁぁ…♪
はやくぅ…はやくきてぇ…。
きらきしょうは…おとぉさまとおあいできるのを…たのしみにしてますわぁ…。
洞窟内を反響して伝わってくる彼女のメッセージ。
その愛のメッセージは利己心の塊。邪なる者の上げる欲望。悪魔の招き声だ。耳を貸したら肉体どころか魂までさらわれるだろう。
そう理解し、己を戒めている。にも関わらず何故か足はその方へその方へと自然に動く。それはただ単に道が一本しかないからだと信じたいのだが、それは偽りではないかと思えてくるのは何故なのだろう。 

それは自分が一番理解している。彼女に会わずに済ますわけにはいかないと頭に決めているからだ。家では繋がらなくとも血が繋がっている以上は彼女の責は僕にもあるという事を分かってしまったのだ。
だからといって、水銀燈の企てに同調するつもりは無い。僕は、僕の家族を守る為に行くんだ。
真紅の指輪を入れた胸ポケットに手を当て、布地越しに握りしめる。
この指輪は重さで言えば五グラムあるかないかだが、真紅の無念が宿った物でもあるんだ。物質を超えた、とても重たい物だ。
真紅…頼む、僕に勇気を分けてくれ。
指輪を指で力無く転がし、真紅に祈る。
…死んでしまった…真紅に。
そして突然はっとなった。頭に冷や水をかけられた様だ。
何をしているんだろう僕は。
これでは死んだ妻に頼り、死んだ娘にも頼りのロクデナシじゃないか。
こんなだから…真紅も助けられなかったんじゃないか…。
………いけない。このままでは駄目だ。このまま先に進んだら絶対に取り込まれてしまう。彼女達に弱みを見せたら間違いなくそこを仕留められてしまう。
深く深呼吸をする。頭の中をまっさらにしないと駄目だ…。
汗が目にしみる。視界が霞む。
…?
霞む視線が目の前の虚空に捕らわれた。
「…道が無い」 

多少荒れてはいるが…平坦に続く道がここで途切れてしまった。足下は急な傾斜になっており、その行く果てには大河(ここらは浅瀬ではあるみたいだが)へと直行となっている。
角度にしておよそ四十五度。これを利用して下まで滑り落ちるのは正直勇気がいる。
考え方を変えよう。あるいはここは行き止まりなのかもしれないと。
何か別の道があるかもしれないと、左右上下を見てもそれらしい物は見つからない。ただ、この傾斜と浅瀬を乗り越えた先には陸地があるらしいのは分かる(向こう辺りの岩壁には点々と松明の灯りがあるから傾斜の下の様子もよく分かった)。
向こうに陸地があるのだからここで別の道が無いはずがない。見逃したかもしれないと元来た道を向く。
そしてそれは呆気なく見つかった。
「こんな所に梯子があったのか…」
これに気づかなかったのは来る方面からでは死角となる所にあったからだ。おまけに岩壁の色に似せた塗料を塗って保護色にされている。塗料が一部、腐食して剥がれ落ちていたおかげで気がついた。
こんな小細工もするとは…やはり何かが先にあるという事かと確信した僕は、迷わずその梯子に手と足を掛ける。梯子は上へと伸びていて、人が入れるくらいの横穴に続いている。 

その横穴の中からは緩やかな下り坂になっていて、大きな弧を描く様な形になっている。道は結構長く、松明もそれに見合うだけある。
それをなぞる様に辿っていくと今度は螺旋階段があった。サビた鉄で出来た様な階段だがまだ作りはしっかりしている。表面をグラインダーで削って塗装する程度で補修は充分間に合うだろう。
カンカンと音を立てながら階段を降りると、大河の流れる空洞に戻ってきたらしい事が分かる。
水のせせらぎを耳に認めると、向こうの方に今さっき自分がいたあの傾斜が見える。とりあえず大河の浅瀬を跨ぐ事はできたみたいだ。
……きゃは…☆
声がまた響いてきた。かなり近いのが分かる。
おとぉさまぁ…もう…すぐそこにきてるぅ…。
はやくぅ…こっちこっちぃ…。
彼女が手招きしている。僕は黙って声の導く方へと進む。
目の前に松明よりも明るい光がある。それはどうやら個室から溢れている物だと判断すると、いよいよ体が緊張してくる。間違いなく彼女、雪華綺晶がいるはずだからだ。
彼女もまた得体の知れない存在だというのは、あの寝室の一件で思い知らされた。鏡の中に空間を作ってそこから声を掛けてきたり、念力を使って物も操れる。 

正直、真正面から行くのは御免だが背後に回り込むのは地理的にも無理だ。そもそもそんな事は僕自身が許す訳が無いし、そんな事したところで無駄だろう。
個室に入ると、さっきまでの不自由な暗闇が一変した。しばらく目が光にチカチカする。
部屋は今まで屋敷中で目にしてきた殺風景な物とは打って変わって、かなり賑やかなものだった。ここだけ屋敷から隔離された様な空間だ。
壁にはピエロが舞うに似合いそうな明るい色彩。床は赤や黄色のモザイク模様をして、おもちゃ箱をひっくり返した様にあちらこちらに車の模型や人形が転がっている。そして目の前には部屋を遮断する様にかけられた赤いカーテンが広がっている。
このカーテンの向こうにいるのかと僕は部屋の中を縦断する。
チータカプップーチータカプップー♪
誰も触ってなんかいないのにおもちゃがいきなり音楽を流し始めた。
予期しない間抜けな音を奏でるのは、ピエロのメイクをして太鼓を持っているブリキの人形だ。カタカタと身を揺すって太鼓をポンポン叩いている。
カタカタカタカタ…。
その音楽が命を吹き込んだかの様に他のおもちゃが身震いさせて起き上がっていく。僕の身の回りはおもちゃに取り囲まれた。
人形のガラス眼がこちらをじっと見つめている。子供部屋にも見た光景だ。 

それを思い出すととっさに身構えた。子供部屋のあの人形がおもちゃのナイフを持って体当たりをしてきた、その記憶が肉体の神経に走り抜けたのだ。
チータカプップーチータカプップーチータカプップーチータカプー♪
動くおもちゃが増えたせいか音が賑やかになってきた。一体何のつもりだろうか。
「うふふふ…」
声をすぐそこに聞いたと思ったら、カーテンがバサッと開いた。
雪華綺晶だ。だが直ちに違和感を感じた。
寝室で見た時より幼くなっている。その時もさほど大きくは感じなかったが、今の彼女は明らかに…。
「お父さま…来てくれたのね☆」
カーテンの向こうの、編んで作られたベッド程にもある揺りかごの中にいる少女…幼稚園に上がったかそこらの身空だった。
「うふふふ…待ってた…ずっとずっと…」
雪華綺晶が揺りかごから抜け出して抱きついてきた。混乱している僕はそのまま今にも倒れそうな木の様に固まっていた。
「ね、お父さま☆これからは雪華綺晶をたくさん愛して♪たくさん愛でて♪」
やたらとじゃれついてくる。事を知らなければ可愛い女の子だとこっちも愛でてあげられただろう。 

だが彼女を受け入れるわけにはいかない。彼女を受け入れるという事は水銀燈と過去の自分を肯定するという事になってしまう。
答えを出さなければならない時が来た。水銀燈をバールで殴り、殺したと思ったあの時、彼女と自分を否定した現実を直視できないでいた。そしてそれを後回しにしたまま屋敷の探索を続けてここに至った。
だが今この瞬間にふと思う。探索を続けていただなんて言葉を粉飾しているだけではないかと。
僕は屋敷をさまよっていた。水銀燈を相手に一度は結論を出したはずなのに後になって決断を厭った。僕は屋敷をさまよい、決断する意志も屋敷の闇に紛れ、さまよっていたんだ。
結果的に彼女は生きていたとはいえ、あの時あの瞬間においては殺すつもりだったのは事実だ。殺すつもりだったからバールを持ち出して殴りつけた。そして殺したと確信した。
実は生きていた事が分かったら今度は水銀燈に対して否定の意を表明し、蒼星石に対しては顔面を殴り飛ばした。
それでも、この期に及んでも決断をしたとは言えない。今に至るまでここまで引きずり続けているのだから。 

「お父さま♪どうしたのぉ☆」
引きずり続けて来た足枷、これを外さないといけない時が来た。対外的に決断した様に見えても、内面的には未だに打ち切れずにいる。
こうして今更思い出されたかの様になるのは、こんな幼い子供が出てきてしまったからだと思う。水銀燈が確かに身ごもって、出産をしてしまったという事実を一番に認識しやすい幼子が出てきてしまった。
傷を暴かれた様な心境だ。おまけに傷口に塩を擦り込まれた様にヒリヒリする。
眼下には真白い少女が微笑んでこちらを見ている。気づけばおもちゃの音楽隊も何時の間にか活動を停止していて、部屋は静寂に包まれていた。
僕は重たく口を開いた…。

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