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後編

庭に伸びる木々の影も短くなってきた頃、水銀燈はリビングで、遅すぎる朝食を兼ねた昼食を一人とっていました。
テーブルの上には、白いお皿にトーストが一枚、小鉢にはプチトマトでシンプルに飾られたサラダ、
湯気の立つブラックコーヒーと、それだけがありました。粗末な食事でしたが、寝起きの彼女にはその方がよいのです。
他の姉妹はいつも朝がはやいので、休日は水銀燈だけ別に朝食をとるというのがいつしか習慣になっていました。
それにしても、昼過ぎまでというのは、彼女にしてもいささか寝過ぎでしたが。

水銀燈は食パンをくわえてカレンダーの日付を確認すると、今日は何をしようかとぼんやり考えていました。
漠然と、なにかすることがあったはずなんだけど、という感じが頭にひっかかっていて、
なんの日だったかしらと記憶を遡っていけば、
「ああ…そっか、今日はジュンが来るんだったわ」
とひとりごちて、水銀燈はなるほど、それで朝からなにか騒がしかったわけだ、と頷きました。
大方、翠星石あたりが散らかっている部屋を大急ぎで片づけていたのでしょう。

この日は珍しく姉妹のたいていが何かしらの用事ででかけていて、
家にいるのは水銀燈の他に真紅と翠星石、それに雛苺の三人だけ。
四人でジュンを迎えることになっています。

テレビからは、女芸人の甲高い下卑た笑い声が響いていて、
水銀燈は見るともなしにそれを眺めながら、トーストをコーヒーで流し込んだとき、
なにやら真紅と翠星石の騒がしい声が、扉の向こうから聞こえてきました。
ひっきりなしに続く大声には、どうも怒気が含まれているようです。

「……また喧嘩してるかしら。最近多いわねぇ」 

水銀燈はしばらくの間、目を瞑ってじっと遠く聞こえる喧噪に耳を傾けていましたが、
やがてひょいと席をたつと、食べ終わった食器を片づけ、けだるそうに髪を撫でながら居間をでていきました。



「翠星石です!」
「いーえ、この真紅だわ!」

水銀燈が翠星石の部屋に入ったとき、火花を散らして睨み合う二人の妹が目に飛び込んできました。
その横で、雛苺がオロオロと二人の間をいったりきたりしています。

「はいはい、そこまでよぉ、おばかさんたちぃ」

パンパンと手を叩いて、水銀燈は二人の間に割って入り、諍いの原因は何かと問い質しました。

「私じゃないですよ、真紅が悪いんです!」
「何よ、翠星石が勝手なことを言うからじゃない」
「それは真紅の方ですぅ!」
「わかったから、何があったのか言いなさぁい」

真紅が面白くなさそうに口を開きました。

「翠星石がねぇ、ジュンは今日自分に会いに来るのだと言ってきかないのよ」
翠星石はキッと目を釣り上げると、
「真紅こそ、ジュンは自分のために来るんだっていってるじゃないですか!」

水銀燈は額に手をあてて、溜息をつきました。 

「……これはまた…くだらないことで言い争っているのねぇ……」
「く、くだらなくなんかねぇです!」
「……翠星石はともかく、真紅まで……らしくないじゃないの。いつもなら軽く流してることでしょうに」

真紅は俯いて、何も言いませんでした。

「……ほんとあなたたち、近頃よく喧嘩してるわねぇ。何か、お互い不満でもあるわけ?」
「私は何もないわ」

真紅は語気強く即答しました。

「なんですか?翠星石が悪いとでも言いたいんですか?」
「ほらほら、喧嘩腰にならない」
「あぅ~、あのね…その……」

ツンとそっぽを向く真紅に目を剥いて詰め寄る翠星石と、それを宥める水銀燈、
そこへ、それまであ~とかう~とか、言葉にもならない声を発していただけの雛苺が、
気まずそうに、おずおずと手をあげて、三人に話しかけました。

「あら、雛苺?なぁに?」

水銀燈は優しく返事をしました。ピリピリと張りつめていた空気が、少しだけ和らぎました。

「あのね、直接ジュンに聞いてみたらいいと思うの、誰のために来たのか」
「はぁ!?なにいってやがるですか、このおバカ苺は!」
「まったくね、そんなこと、聞けるわけないでしょう」

二人は猛然と反論しました。けれど、雛苺は引きません。 

「ヒナが聞いてあげるの!このままじゃ、いつまでたっても二人とも喧嘩したままなのよ!」

頬をぷくっと膨らまして、上目遣いに睨み付ける妹に、真紅と翠星石はお互い顔を見合わせて、
困ったように視線を交錯させました。

と、そのときです。ぴんぽんと、部屋全体に軽やかなインターフォンの音が鳴り響きました。
「あら、ジュンが来たみたいねぇ、それじゃ、迎えにいってくるわぁ」
これ幸いと、水銀燈は逃げ出すように部屋から抜け出し、「ヒナもヒナも~」と、その後を雛苺が追いかけていきました。

玄関につくまでに、水銀燈は雛苺の頭をなでながら言いました。

「あなたという子は、時々とても大胆というか、単純なのねぇ」
「うぃ?そうかしら…ヒナは、みんなで仲良く遊びたいだけなのよ」
「ふふ、雛苺はいい子ね……それにしても、ジュンが素直に答えてくれるかしら?」
「きっとジュンは、『みんなのために来た』って言うと思うのよ」
「へぇ、意外とよく考えてるじゃない」

そうなれば丸く収まって、きっと今日という日は、実に素敵な休日となることでしょう。

雛苺は玄関までかけよると、ドアを思い切りよく開き、訪問者をはしゃいで歓迎しました。
「わーい、ジュン、ジュンなの!えへへ、ジュン登りぃ~!」
「わっ、やめろ、いい加減に卒業しろよな、その遊び」
「んー…それじゃあね、おんぶして、おんぶ!」
「おんぶぅ?ったく、いつまでたってもお子様だな…ほらよ」
ジュンは、少しだけ照れたようにして身をかがめると、雛苺に背中を向けました。
水銀燈はふっと笑うと、一つ頷いて、「いらっしゃい」と言いました。 



ジュンが来ると、部屋の中はたちまちにして賑やかになりました。

「ジュン、よく来たわね」
「……っ!雛苺、てめぇなにジュンにおぶさってるですか、さっさと下りやがれですぅ!」
「べーだ、羨ましいなら翠星石もやってもらったらいいのよ。でもきっと、重いから無理なのね~」
「キィーッ、チビ苺のクセに生意気ですぅ!」
「…喧嘩なら、せめて挨拶くらい済ませてからにしろよな」

ジュンは慣れた様子で呟くと、雛苺をおろして、「よう、真紅、翠星石」と声をかけました。
すると二人は、まるでなにかを探るようにじっとジュンを見て、「おはよう」「おはようです」と答えました。
その様子がちょいと妙だったものですから、ジュンは訝しげに「ん?」と首を傾げました。

「ああ、その二人はね、喧嘩中なのよぉ」
「え?そうなのか?」
「ちょ、ちょっと、水銀燈!」

慌てる二人をよそに、水銀燈は雛苺を促しました。
「さ、雛苺、二人の喧嘩の原因、教えてあげて」
「や、やめなさい!」
「やめるですぅ!」
「んっとねんっとね……」
口を押さえようとする二人の手を払いのけながら、雛苺はさも楽しそうにして言いました。



「……はぁ?」
ジュンは、間の抜けた声で聞き返しました。
「だからね、ジュンが今日来たのは、誰のためなのかって聞いてるのよ」
「なんだよそれ……」 
くだらない、ジュンはそう思いながら周りを見てみますと、
顔を真っ赤にして下を向いている真紅と翠星石、それをニヤニヤしながら眺めている水銀燈の様子が目に入りました。

「はぁ……おい、冗談は……」
「冗談!?」
冗談はそれくらいにしてさ、といいかけて、ジュンは口を噤みました。
顔をあげた真紅と翠星石の目が、それはもうマジ、まさに真剣、鳥も射抜けそうなくらいに鋭い眼光を発していたのです。

「えー、と……」

こういうとき、一度躊躇ってしまうともうだめです。
なにも言えなくなります。しかし、沈黙が長引けば長引くほど、彼女たちの思いは真剣になっていくのです。
そして、少しずつ重くなっていくプレッシャーに耐えかねて、少年はこの忌まわしい質問をした少女を恨めしく睨みました。

「うゅ?」
少年の気持ちも知らないで、くるくると巻いたブロンドの少女はあどけない笑顔を返します。
「はやく言えばいいのに」とでも言いたげです。
その曇りない笑顔には責任感も危機感もありません。なぜなら、彼女は今少年の言うべき答えを知っているからです。
そして、いずれ少年はその答えを導き出すだろうと予測していたからです。

けれどそれは、彼女が男の子、いえ、ジュンという少年を知らないことからくる思い込みでした。
このうぶで、あまのじゃくで、捻くれた少年は、はずかしげもなく「みんなのため」なんてことは決していいません。
むしろ、そういう言葉を、曖昧な言葉を、うわべだけの言葉を、この少年は憎悪すらしていました。
といって、パリスの審判を英断する度胸も、年若い彼にはあまりに酷なことでした。
誰かのためだなんて、考えたこともない。呼ばれたからきた、それだけのことじゃないか。

ジュンはしばらく雛苺の顔を見つめていました。それ以外に、目の置き場がなかったのです。
そして、ふいとある思いつきを得て、にやりと笑うと、こう言いました。 

「ああ、雛苺に会いに来たんだよ」

ジュンは、なんとかうまく誤魔化せた、とでもいうように、満足げに鼻から大きく息をはきました。
それは一つの冗談でした。が、そう思うのは、彼が少女を、この真剣な乙女たちの想いを知らなかったからです。

「うゅ…そ、そうだったの?」
「へ?」
雛苺の答えが、思いの外真面目な声だったのにジュンは驚きました。
見てみれば、他の姉妹達の表情は一様に険しく、とても冗談を聞いた顔とは思えません。
ジュンは当惑しました。

「ご、ごめんなさい、ヒナ、気づかなくて……」
「おいおい、何本気にしてんだよ、いっちょまえに赤くなりやがって……なぁ?」
「ジュン、あなた……」
「ジュン、おめぇってやつは……」
「え?」

刹那。流れる空気が止まったかと思うと、次の瞬間にはじけ飛びました。

「このロリコン!!そういう趣味だったのですか!?」
「はぁ!?ロリコンって……なに言ってるんだよ、そんなわけないだろ!?」
「ジュン、こんな小さな子のどこが……」
「真紅!お前まで本気にするな!!」

ジュンは必死になって弁解します。
どうやら、最悪の選択肢を選んでしまったらしいことに、ようやく気づいたのです。
けれど、流れ溢れる洪水を塞き止めるには、もはや遅すぎました。
いまさら彼が何を言っても、少女達の耳にはいっこう届かない様子でした。 

真紅はもう枯れそうな声を振り絞って、
「ジュン……もしかして、そういうことなの?私の……が大きくなっても、最初こそ反応すれ、すぐに慣れてしまったのは……」
「は?なんの話だよ」
「そういえば……ジュンは他の男子と違って、真紅の……に、全然興味を示してなかったですね……」
「だから、なんの話?」
「……そうなのね?あなたは……小さい胸が好きだったのね!?」
「はぁあ!?」
「ジュン……なんてやつですか!」
「いったいどういう流れでこうなったんだ!?」

辟易するジュンに構わず、真紅はあらん限りの力を込めて言いました。
「小さい方が好きなら……最初からそう言ってほしかったのだわ!」
「ああ、もう何がなんだか……」
「ジュン、お前ってやつは…最低です、乙女心を弄びやがったですね!?」
「翠星石……おまえらいままで喧嘩してたんじゃないのかよ……」

こういうとき、えてして女の子というものは固い団結を見せるものです。
そして、それはたいていの場合男の子にとって理不尽なものですが、彼らはこの不条理にはどうやっても逆らえないのです。
ジュンは困惑した表情で、救いを求めるように水銀燈の方へ目を向けました。
女であり、また年長者の彼女なら、このめちゃくちゃな責めを静めてくれると、そう期待していました。

「……ジュン、どうしてなの?男は大きい方が好きなんじゃないの?ねぇ、大きい方がいいわよねぇ?」

ところが、水銀燈はこれまた泣きそうな顔で、悲痛な嘆きを訴えかけるのです。
ジュンはすっかり失望して、頭を垂れると、
「ああもう……お前らみんなバカだろ!?そりゃ確かに、真紅の胸が大きくなったことは知ってたけど……
 それといまの話となんの関係があるんだ!?」
「バカなのはジュンなのだわ!……いいえ、私の方ね、バカなのは。ああ、やはりあのウサギは悪魔だったのだわ。
 こんなことなら、魔法の力など借りるのではなかったわ……」 
「へ?ウサギ?魔法?」

突如として出てきた、日常生活では到底使われない言葉に、ジュンは目を丸くして尋ねました。
ジュンだけではなく、翠星石や水銀燈、雛苺も、頭にはてなを浮かべて、真紅に注目していました。

「そう、魔法よ。……信じてもらえないかもしれないけれど、私の胸が大きくなったのは……魔法のためなのよ」
さっきまでの喧噪が嘘のように、あたりはしんと静まりかえりました。

「……おおかた、私の頭がおかしくなったとでも思ってるのでしょう。
 けどね、よく考えてみて。翠星石、水銀燈……覚えてる?私が朝、食卓に下りてこなかった日のことを」
「ええ……私たちが、真紅の胸に気づいた日のことですよね?忘れやしないですよ」
「……突然、だったわね。私たちすら気づかずにあそこまで大きくなるなんて、ありえないと思ったわぁ……。…だから、手術じゃないかと疑ったのよ」
「現実問題、ありえないと思うわ。私の胸は……あの日、突然、大きくなったのよ」

あまりのことに、その場にいた全員が、ただただきょとんと呆けていました。
どれだけの静寂が続いたでしょう?
時計の時を刻む音だけが、コチコチと響いています。

「……なんで?」
ジュンが言いました。
「なんで、とは、どういうこと?」
真紅が聞きました。
「その……どうやって、っていうのもあるけど、その話が本当だとして、どうして、そんな魔法を受けたのか……」
真紅は、力無く微笑みました。

「……そうすることで、世界が変わると思ったの。新しい自分になれる、そんな気がしたのよ。
 ……そうね、確かに、世界は変わったわ。けれど、それは最低な世界だったわ。
 みんなは冷たくなるし、翠星石とも喧嘩ばかりするようになるし、ジュン、あなたは全然興味をもってくれないし……」
「べ、別に、翠星石はそんなつもりじゃ……」 
「…お前、案外くだらないことで悩んでたんだなぁ」
「く、くだらなくなんかねぇですよ!」

ジュンの言葉に、翠星石が反論しました。
「真紅にとっては重大な悩みだったと思うです……翠星石たちにとっても……」
「……魔法が本当かどうかはともかくとして、真紅の周りにいる人たちが変わったのは事実ね」
「……真紅、そうなのか?」
「そういえば、最近、真紅、なんだかちょっと寂しそうな顔をすることが多かったのよ」

真紅は何も言わず、目を瞑りました。

「けれど、一番変わったのは真紅ね」
「え?」
「あなた、自信ついたじゃない、一番のコンプレックスがなくなって。
 みんな薄情よね、いざそういうのを目の当たりに見ると、表面ではお祝いしてくれるけど、心の中ではドス黒い感情が渦巻いてるのよぉ。
 ……ま、気にすることはないわ。所詮他人のことじゃない。
 それに、ジュンが何とも思ってない以上、翠星石の態度だってそのうち元に戻るんだから」
「な……ど、どういう意味ですかぁ!」
「そのまんまよぉ」

水銀燈はけらけら笑うと、真紅は納得がいかないのか、
「けど、どうしてジュンは水銀燈ばかり……顔を赤くして……」
「え、なに?」
「なな、なんでもないのだわ!」
「……真紅ぅ……おばかさぁん、色気ってのはねぇ、胸だけでできてるわけじゃないの、おわかり?」
水銀燈は手を頬にあてると、くねっとしなを作りました。真紅はカッとなって、
「うっさいわね!この色ボケ女!私はあなたみたいに下品じゃないのよ!」
「やぁんジュン、真紅がこわぁい、はしたないわよねぇ、あんな大声出して……」
「こ、この……!」 

わなわなと震える真紅を見て、ジュンはクスリと笑うと、
「よくわかんないけどさ、人がどう思おうと……どうなろうと……その、真紅は真紅じゃないか」
頬を染めて、あらぬ方向を見ながら、頬をかいて言いました。
「そうですね……翠星石もバカでした……なんだか、真紅に負けてしまったような、そんな感じがして……」
翠星石もまた、途切れがちにそういうと、最後に「ごめんです」と付け加えました。

室内は、それまでにない和やかな雰囲気に包まれ、誰もが誰かと糸で繋がっているような、そんな感覚でした。
話に入れなずひとり退屈そうにしていた雛苺は、話が終わったと見るやいなや、ジュンに飛びついて言いました。
「じゃあねジュン、今日はヒナ、ずぅ~っとジュンのお膝の上にいるのよ!」
「……は?」
「だって、ジュンはヒナのために来てくれたんでしょ?」
「ちょ……おま、それは言葉のあやってやつで……」

雛苺を振りほどこうとすると、とげのある声が、ジュンを押さえつけました。

「そういえば、そんなことを言ってましたねぇ、ジュンは……」
「ええ、そういえばそうね」
「あ……だから、それは……」
「はぁ…お姉さんは悲しいわぁ……今日一日たっぷりかけて、大人の魅力を教えてあ・げ・る」
「え……あ、お前ら……その、やめ……!」

暗転。それからジュンがどうなったのか、それはここで話すことでもありますまい。
ただ、その日の夜遅く、彼が家についたとき、身も心もぼろぼろになっていたそうです。 


………
……
… 


「おやすみなさい」
「ええ、おやすみ」

パタン。

ドアを閉めると、真っ暗でした。
長い一日が終わり、真紅が部屋に戻った頃には、すっかり夜も更けていて、
あの不思議な夜と同じように、まんまるの月が、雲一つない夜空にぽっかりと浮かんでいました。

「……月」

真紅は窓際に立ってそれをのぞくと、胸の膨らみを撫でながら、そっと目を瞑りました。

――月にはウサギがいるなんて、誰が考えたのかしら。

そのとき、頭の奥までくらくらするような目眩がしたかと思うと、真紅は「あ…」と一言漏らして、ぱたりと床に倒れ込んでしまいました。



「ん……」
真紅は頭を押さえながら、かすかにうめき声をあげました。
背中にゴツゴツと、絨毯を通した床の固い感触がします。
ほんの少し眠ってしまったようです。
しかし、随分と長い長い夢を見ていたようでした。

「疲れてるのかしら?」
真紅は起きあがって、体を伸ばしました。
すると、なんだか体に違和感を感じるではありませんか。主に、胸のあたりに。
真紅は小首を傾げて、胸に手を当てました。 

すかっ

その手には柔らかい弾力が返ることもなく、予想された着地点をすり抜けて、ぺたりとひらべったい胸板に触れました。
驚いて襟をつまみ服の中を確かめてみますと、そこにはよく見慣れた2つの平板な乳房が、華奢な上体にくっついていました。
真紅は首を振って、窓の外に視線を移しました。
月だけが深い闇を照らし、窓ガラスを通して聞こえる虫の音にはしんしんと夜が深まるのを感じます。
真紅は月に向かってぺこりとお辞儀をすると、あくびがでてきたので、ベッドに潜りそのまま眠りに入りました。
枕元には、少年のくれたいつかのブードゥー人形が、彼女を変わらずに見守っています。





『乳』 おわり

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