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薔薇乙女家族番外編 その五
~時計塔屋敷~

心に穴が空いたかの様だった。
床がぐらぐら揺れている。足が取られる。真っ直ぐ歩けない。
体がだるい。頭が痛い。吐き気もする。
水銀燈との過去の思い出が次々と湧き出てくる。あの時は楽しかった。彼女の笑顔は本当に美しかった。幸せだと思った。
しかし悲しいかな、運命がそれを認めてはくれなかったのだ。神様は僕と彼女を引き離してしまった。
僕には巴という愛する人ができたが、彼女には黒い影が憑いてしまった。
それがやがて、今生の別れになってしまった。彼女との繋がりを僕が断ち切ってしまった。僕がこの手で。
……水銀燈…。
嗚呼、また悪いクセだ。決断しときながらこうして後悔するなんて。こんなにも苛まれるなんて。なんて情けない。後悔しないはずだったのに。
ぐらりと体が傾いた。そのまま扉の中へと滑り込んでしまった。もうもうと埃が舞い上がる。思わず咳き込んでしまう。
「…?…ここは…」
中は書斎の様だった。あの妊婦の雑誌に黒魔術の本が置かれていた部屋と同じ造りだ。灯りは点いてるから見回すだけですぐに分かった。
しかし唯一の違いが壁にあった。絵が描かれていたのだ。起き上がってその絵をよく見ると、儀式の様子を描いている様だった。
…儀式を遂行す…。あの書斎で見つけたメモにはそう書かれていた。この絵がその儀式なのだろうか。

絵の中では祭壇にカラスが生贄にされている。メモを取り出して見てみると、カラスを触媒に…という記述があるから多分間違いは無いみたいだ。この儀式で屋敷をおかしくしたのではないか。
その勘は机の上にあるメモで裏付けられた。時を固着させる。そう書かれてる。
そのメモを手に取って、先に手に入れていたもう一枚のメモと見比べる。大時計を凍らせる…時を固着させる…関連は深そうだ。
……?メモの裏に続きが書いてある。像の中に像を……何の事だ。
壁画を見てもそれらしい描写が無いが、壁画の一部が本棚で隠されてるのに気づいた。これをどかせば隠された事が見えるかもしれないと判断するや、早速行動に移る。本棚は高さの割に幅が無いから倒すのは容易だ。
ガダン!
本棚が隣りの棚を巻き込んで倒れた。そこにはやはり隠された絵があって、人が小さな像を持って祭壇に祈りを捧げていた。これを隠すとはよほど重要な事なのかと理解した僕は携帯のカメラ機能でそれを記録しておく。
しかしまた疑問が浮かんだ。そもそも何故、こんな儀式を遂行する必要があったというんだ。それがさっぱり分からない。唯一の証人であるはずの水銀燈も…もう物を言えない状態にしてしまった。

やってしまったと思った。何も殺す事もなかったじゃないかと激しく自責の念にかられた。どうすればいいのだと汗がまたぷつぷつと湧いてくる。怖くなった。頭が妙に落ち着いたせいか、自分の行った事が分からなくなってきてしまった。
内臓が鉛みたいだ。精神が疲弊するというのはこんなにも辛いのかと今日は散々に思い知らされる。もう嫌だ。この屋敷にいる限り、こんな恐怖に延々と付き合わなきゃならないなんて。
しかし、逃げられない。父という名が僕を逃がさないとばかりに足を引っ張っている。娘達の顔が脳裏に浮かび、僕を呼んでいる。僕を待っている。
父親。その名が恨めしいと思うのは多分、今日が最初で最後だろうと信じたい。
頭を切り替えようと瞼をきつく閉じる。集中しろと何回も念じる。頬を力強く叩く。手が顔の脂で湿るのも構わずに何回もやる。
その拍子に何かが僕の腹辺りから滑り落ちて、ゴトンと音を立てた。金属製の表紙でできた本だ。
…銅製表紙の日記。そうだ、彼女の日記があった。鍵が掛かっていて表紙が開けないが、鍵をどうにかすれば…。
机の中を見てみたが、それらしい物も無かった。日記が置いてあった方の書斎にあったのだろうか。だがそれで鍵の意味はあるのか…となると後は彼女の個室くらいか。
単純に予想を立てて、その部屋を後にした。
彼女の足取りをやたら気にするのは、もちろん個人的な理由もある。それと、かつての恋人の生み出した闇を取り払わねばならないという義務感を感じた気がしたからだ。この闇はやがて、社会を巻き込んでいくのではないかという悪寒がある。
日本という国は肝心な所で危機意識が欠けている。この屋敷の闇が社会にまで広まった時は遅いかもしれない。
もう娘達だけ探して脱出するだけの話ではなくなってしまった。根本を絶たなければ、本当の意味で僕達が逃げ切る事はできないだろう。どんなに逃げても闇は勢力を伸ばし、僕達の逃げ場を消してしまう。
たった一組の彼氏彼女。それがこんな大事に至るだなんて…。 

扉を開けては閉め、開けては閉めを繰り返している内に、大きなベッドの置かれた寝室があった。一人が寝るには大きすぎるし、枕が二つある所を見ると、二人並んで寝る為のベッドだろう。彼女の寝室だろうか。とにかく棚を始めとした、調べられる所をみんな開けてみる。
ベッドの脇にある小さな棚の引き出しに光る物があった。小さな鍵だ。
早速日記の鍵穴に差し込んでみると、鍵は閉ざされた日記を開いてくれた。僕は急いで中を読む。最初の辺りは何気ない日常を書いていたみたいだが、僕に対してのメッセージもいくつかあった。だがそれはほどほどに読み飛ばして、キーワードを目を凝らして探す。
その内に目が止まった。日付は八十八年の十二月二十五日。彼女はこの日に、三つ子を出産したそうである。
…二十五日の夜八時○五分、三人の赤ちゃんが産まれた。嗚呼、ようやくこの日が来たのだと私は胸に感激を覚える。愛しい愛しい子供達が私の胸に寄り添っている。
私の愛するあの人にも教えてあげたい。いつか彼を探し出して顔を見せてあげたい。この三人の娘達を。
蒼星石、薔薇水晶、雪華綺晶…私と、あなたの娘達の名前よ。
…あなたに会いたい。私の大好きな人…私の愛する夫………ジュン…。
………ああ…やはりか…。
僕は目の前の、彼女の告白に目を疑いたかった。だが疑いなき事実がそこにある。 

無我夢中になって続きを読む。
日付は書いて無かった。
…私は三つ子を産んだ時から体をおかしくする様になった。子供達も様子が変だ。明日親戚に相談しよう。
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親戚のみんなから信じられない話を聞いた。私達の家系の女は極稀に、異界の門を腹に持って産まれるのだそうだ。異界の門から産まれ出るのは異世界の悪魔。悪魔は永遠に母を糧にしないと現世に留まれない。
私は三人も産んだ。だから私は三人分の命を吸われている。
そんな…私は…愛する人を騙してまで子供を授かったのに…それが悪魔だなんて…。
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考えてみれば、罰があたったのかもしれない。
彼と別れる前夜、私は彼に自分を抱いてほしいと願った。最後に思い出がほしいと。
私はその時に、コンドームに針を通して避妊具としての機能を破壊したのだ。彼は気付かなかっただろうが…。
その報いなのだろうか。嗚呼、私は…私は…。
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日に日に痩せてきた。力が湧かない。
体がだるい。
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親戚のおじさんが提案をしてくれた。それは、命の宝石であるローザミスティカを利用した儀式を遂行して永遠の命を得るというものだった。体を捨てて作り物の新しい体に魂を移す。時間を止めて…………。
…命の宝石…ローザミスティカ。永遠の命を得るために…体を捨てて…。
そして、それをする為には一度死ななければならないという事。だから時間を止める必要があった。
…大時計を凍らせる…。大時計を再び動かせば、この屋敷にかかった魔法は解けるのか?
バタン!
突然扉が開いた。僕はギョッとして背後を向く。
そこには、体を捨てて、永遠の命を得た彼女がいた。
「ジュぅン…私をぉ…一人にしないでぇ…」
己を殺してまで生き延びた、かつての恋人が…。

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