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薔薇乙女家族番外編 その四
~時計塔屋敷~

ジュぅン…どこぉ…?
ジュぅン…逃げても無駄よぉ…?
ジュぅン…出てきなさぁい…?
ジュぅン…私と……一つになりましょう…?
怖がる事は無いわぁ…だって…とぉっても気持ちいい事をするんだものぉ…。
ジュぅン…ジュぅン…ジュぅン……………。
あれから、水銀燈に追われながらエントランスまで駆け戻って、二階に飛び上がった僕は適当な部屋に逃げ込んだ。そこは埃被った物置で、箱やら工具やら服やらの物達が乱雑に置かれていているから身を隠すにはもってこいだった。
埃と共に床にするのは正直気が滅入ったがそんな事言ってられなかった。
彼女に、この部屋に逃げ込んだ所は見られなかったはずだ。とりあえず水銀燈をやり過ごしてからでないと後の行動もままならない。娘達も今頃こんな風に逃げ延びてくれれば良いのだがと胸に不安が躍る。
水銀燈にその娘…蒼星石と言ったか、場合によっては二人を相手に娘達を守らなければならないという現実は僕を押し潰そうとのしかかってくる。この陰気な空気も相まって、余計に不安が煽られた。
…ジュぅン……私をぉ…おいていかないでぇ……。
廊下から聞こえてくる、まるで墓場からの呼び声みたいな彼女の声がじわじわと僕の喉元を絞めかかってきた。声が近づいてきてる。扉を開け閉めしているらしい物音も聞こえてくる。ここにももうじきやって来るだろう。僕は息を噛み殺そうと口元を押さえる。
ガチャ…キィィ…。 

扉が開いた。彼女が来たのだ。
カッ…カッ…カッ…。
足音が物置室内を歩き回っている。時折、何かが倒れる音に金属と金属がぶつかり合う音も聞こえる。それらはかなり荒々しい物で、彼女の精神状態を表しているようにも感じた。
…ジュぅン…逃がさないわぁ……。
あなたが……あなたが私をおいていかなければ……私は……私はぁ……。
彼女の、悲鳴ともうめき声とも受け取れる独り言が室内にこだまする。こだまは僕の耳を介して脳内に響く。彼女が直接僕の脳に吹き込んでいるかの様に、怨み言が頭に焼き付く。
物音が近くなってくる。しまったと僕は思った。こんなに物が多ければ隠れみのに使えると考えるのは彼女だって同じなのだ。それに物がこんなにも乱雑してるこの部屋だ。適当に物を引っ掻き回していけば何かの拍子で隠れみのが崩れてしまうのも充分に考えられる事だ。
心臓が高鳴る。息もまた荒くなる。心臓や呼吸の音が彼女に聞こえまいかと思ってしまう。姿を消せる魔法があるなら今この瞬間に使いたいと、果ては無い物ねだりまでしてしまうが無い物はいくら願ったって無い。この危機を上手くやり過ごせる事を願うしかない。
ガチャン!…カラカラ……パリン!
物がなぎ倒されていくのが耳に入る。
救いを願う傍ら、僕はある事を閃いた。
そうだ。何もこんな所に隠れる事なんかないんだ。彼女は所詮女で僕は男だ。さっきは不意を突かれたがこっちから仕掛ければ何て事はない。ここには武器になりそうな物がいくらでもある。そこら辺の工具で殴ればそれで終わりだ。
工具は金属製の物がほとんどだ。スパナなんかも、二十ミリを越した奴で端の方を持ち、遠心力をつけて振るえばそれなりの殺傷力がある。 

何も軽いスパナでなくても、モンキー・レンチ(幅が伸縮するレンチ)のヘッドで殴りつければほぼ一発だ。ハンマーもあるし、ドライバーで突く手段もある。バールでぶん殴るという手も。殺すのは極めて容易だ。
しかし、ここで良心が邪魔をしてくる。彼女はかつて、僕が愛した恋人であったという過去が目の前に立ちふさがったのだ。
過去を打ち砕くか、過去を守るかの二択の問いが頭に浮かぶ。迷いは一瞬だった。
僕は過去を打ち砕いた。過去を守るよりも今を守る事を選んだのだ。終わった事に未練を残したままでは守れる物も守れない。過ぎた過去に目を向けたまま、見つめるべき方に背中を向けるのは不当な執着である。それが答えだ。
僕の目の前に彼女が横たわっている。僕の右手にはバールが握られている。薄暗闇の中では彼女がどんな表情をして倒れているのかは分からない。分かりたくもない。
二択の問いの答えはそのまま正義になり、僕は正義を守る為に彼女を殺した。
近くにあったバールを掴み、隠れみのを破って彼女に姿を見せた。彼女が笑みを浮かべていたのは、僕の姿を見つけたからからだろう。その笑顔のまま僕に寄ってきた。
無防備なまま近づいてきた彼女に、肉食獣の如く喰いかかった。バールは彼女の頭を砕き、悲鳴を上げる間も無く床に沈め込んだ。殴られる瞬間まで彼女は笑顔だった。
一つの花が目の前で散った。散った花びらは新たな命を芽生えさせる事なく、枯れていく。そしてそのまま風と共に消えていく。彼女はまさに、花の様にあっけなく死んでしまった。 

人の命は行動一つの一瞬間で決まってしまうという現実を目にした僕に、水銀燈を殺して、過去の自分を否定したという事実が突きつけられた。僕は答えが出せずにいた。
………行こう。
僕は水銀燈に別れを告げる事もなく、扉を開けた。美しい容姿をした彼女の死に場所は埃くさくて陰気な物置。彼女には相応しくない場所だ。
僕が一緒にいてあげれば、彼女をもう少し綺麗な床で死なせてやる事ができたかもしれない。少なくとも、光が届く所であの世への旅立ちをさせてやれたかもしれないと震える頭にそう思う。
体ががたがたと震えている。割り切った筈なのに、正義を守る為だったのに。
結局、人を殺したという枷は重たく苦しい物なのだと、この身に実感する事になってしまったのだった。
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暗闇の道をひた走る。背後の闇からは鋭利な金属が歯軋りして迫ってきている。
まさか、この屋敷に…あんな奴がいたなんて…!
お父様と他の姉妹達とは完全に離れ離れになってしまった。こんな果ても分からない闇に私だけ取り残されてしまった。奴は一人一人狙いを定めて喰うつもりらしい。
部屋はどこも完全にブロックとして独立されていて、逃げ込んだら最後、袋小路に追い詰められるだけだ。廊下をただ真っ直ぐに走り抜けて、その果てに逃げ道があるのを祈るしかない。
幸い、奴はデカい「獲物」を手にしているせいで足が遅い。目一杯距離をつけて何としてでも振り切る。
足が痛くなってきた。息も切れ始めてきた。心臓も限界に近いと訴えている。だが立ち止まるのは、そのまま死を意味する。止まれない。
足を引きずりながらも前へ進んだその結果、私を待っていたのは絶望だった。
「…嘘……でしょ…!?」

目の前には壁が立ちふさがっていた。
来た道からは少しずつ迫ってくる恐怖。前を向けば壁が私を嘲笑っている。
…………!
私は賭けに出た。来た道に向かって何十歩か駆け戻り、一番近場の扉の中に飛び込んだ。
中は寝室の様だ。私は暗闇のまま辺りを見回して武器になりそうな物を探す。
…殺される前に……。
私はパニックのまま部屋をかき回した。力の無い女に容易に使いこなせそうな武器は椅子くらいしかなかった。確実に殺傷力を与える物はもうこれ以外に望めそうになかった。
私はベッドの影に隠れて奴を待つ。正面から対峙してはまず殺される。すぐ近くに寄ってきた所を椅子で殴りつけて一気に止めをさす。甘い事なんか言ってられない。例え己の手を血で汚そうとも、私は何としてでも生き延びる。死にたくない!
廊下の方から怪物の足音が聞こえてきた。もう目の前にまで来たみたいだ。胸に戦慄が走る。
ガチャ…バタン!
扉が乱暴に開かれた。怪物が笑って話し掛けてくる。私がこの部屋に逃げ込んだのを見通しているかのように。
「…可愛い可愛いお嬢さん…鬼ごっこの次はかくれんぼかい?」
残酷な笑みだ。
何故「彼女」は笑ってられる。何故、そんなにも大きな凶器を持って人の命を弄べる。
奴の余裕の笑い声は、私の内臓を少しずつ貫いてくる。一言一言が、お腹の中を抉ってくる。吐き気がしそう。
椅子を握り締める手に一層力が込む。額と鼻柱に汗が走る。
同情すべき相手ではない。手加減すれば殺される。殺される前に殺す。殺ス…殺ス…。 

自己暗示をかける様に心の中で何回も呟く。
「ここかな?……違うね…。ここ?これも違うかぁ…」
奴にとって、人を殺すのはただの遊びでしかない。それを伺わせる様子だ。
クローゼットを閉めた彼女がこちらに歩いてきた。私は身構えた。
「ここかなぁ?」
顔を見せた。今だと私は思い切り椅子で殴りかかった。
バキィ!
全力の一撃が頭部に命中した。椅子は古びていたせいか一部が損壊したが、私は続け様に叩きつける。
椅子はバラバラに砕け散った。私は息切れが止まらない体を何とか持ち上げている状態だった。
奴は床に仰向けになって倒れていた。動かなくなっても頭を狙って徹底的に殴ったから、もう助けようとしても助からない状態だろう。
思わず腰が抜けてしまった。頬に涙が伝う。安心すれば良いのか今自分がした事を恐れるべきかが分からなくなってしまった。
私は…殺人者に襲われた。だから私は自分の身を守った!間違えていない!道理から外れてなんかいない!
自分が間違えていないと必死に信じ込もうとする。やらなきゃ自分が死んでいたと今一度脳に叩き込む。冷や汗がだくだくと流れるのを感じる。
「うふふふ…」
…え? 

「痛いなぁ~…」
倒れていた奴がまた起き上がった。こちらを見て笑っている。
「…あ……あああ…」
私にはもう、起き上がる事もできない。
「…赤い服を着たお嬢さん…結構乱暴なんだね…」
奴が凶器を…大きな鋏をこちらに向けた。
「おかえしだよ♪」
次の瞬間、私の腹部に大きな衝撃が走った。
喉下から血がこみ上げてきて、塊になったそれを吐き出す。腹部で何かがぐっちゃりと潰れた様な激痛。内臓が鋏で潰されたと意識する間も腹部に大きな異物がうごめいている不快感に襲われ、それを大きく上回る肉と骨と内臓を貫かれた痛みがたちまちに私を狂わせた。
しかし、血まみれになった私に悲鳴を上げる事もできない。声が痛みに握り潰される。もがく事すら封じられた。腹部を貫かれて壁に磔にされてる。
床に血がビチャビチャと飛び散る。見開いた目に映ったのは奴の黒い笑顔。こちらを見て恍惚としている。
…痛い…苦しい……助けて……死にたく…ない…………。
お父……様………暗くなって…何も見えな……。
嫌………怖い………お父………さん………お父……………。
父に救いを求め、優しい父の顔を浮かべたまま…彼女の意識は闇へと帰した。

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