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薔薇乙女家族番外編 その三
~時計塔屋敷~

おぼつかない足取りで、暗闇の道を辿って前へ進む。扉はまだ見えない。この暗闇の通路に捕まったのかと思わされてならない。
中庭で見た事は一旦忘れよう。これ以上せき立てられては本当に参ってしまう。どうにかなってしまいそうだ。
頭が痛い。動悸が激しくて息苦しい。足も肩も重い。だが前へ進むのをここで辞するわけにはいかない。塩吹く背中、石の体、歩け歩けと頭が必死に指令を出している。
愛する娘達を迎えに行ってやらないと。最近たまに生意気な口も利いたりするが、何だかんだで寂しがりで怖がりな子供達なのだ。今頃泣いているかもしれない。子供達が危機に陥った時は真っ先駆けて助けに行くのが父の役目だ。それは死んだ妻との約束でもあるんだ。
僕の一生の女である愛する妻の顔を瞼の裏に現像する。彼女はいつまでも笑顔のままでいる。
…巴……どうか、娘達を守ってくれ…。
気休めに過ぎないのは百も承知だ。こんな奇怪な空間に武器も無しに取り残されて、他に頼みが無いものだとは言え、とうとう死んだ妻を頼りにしてしまった。情けなくも思うが、それよりも救いを求める心が上回ってしまった。明らかに僕は怯えているなと今更に痛感する。
照明を絶やさずに進むと、ようやく扉が目に映った。一瞬の希望に賭けて扉に手を掛けたが、見事に打ち砕かれてしまって僕は落胆する事になる。否、戦慄が走った。

扉は三つあった。一つはピアノが置かれた埃被った器楽室。一つは水垢で汚れたお手洗い兼風呂場。
もう一つは何ともおぞましい事に、生心臓の標本が並ぶ不気味な展示室だった。理科室の前辺りに並んでいそうな動物の開腹標本より不気味だ。
薄暗闇の中、視界を微弱なライトを頼りにしてるこちらとしては、突然目の前に心臓が現れたのだからそれこそ口から心臓を吐き出さん勢いで飛び上がってしまった。
こんな部屋なんかにいてたまるかと、慌てて部屋から飛び出した。あの生心臓のコレクションも水銀燈の物かと思うと、彼女の事がだんだんと不気味で得体の知れない存在に見えてきた。台所のカラスの事もある。あの怪しげな黒魔術の文書も。そして…。
ポケットから古い紙切れを取り出す。彼女の日記と共に拝借した物だ。
…この紙切れだ。この紙切れに記載された「儀式を遂行す」とは一体…?彼女は一体何の儀式をしたというんだ。
カラスの首を切った物を…だか書いてある点とあの黒魔術の書物を見る限り、何らかの邪教の儀式であるらしい事に違いは無いだろうが…それだけで納得が行くわけがない。儀式という手段を以て、何を遂行したのかが分からない。メモに照明を近づける。
いや、もしかしたらと僕は感づいた。メモの一文に「大時計を凍らせる」と書いてあるのを見て、まさかと思った。
………また冷や汗が出てきた。
僕はメモをポケットに戻した。廊下の果てにたどり着いたみたいだ。扉がある。例によって傷みが激しい。
しかし今までと違うのは、扉に走る亀裂から光が漏れているという事だ。人の気配を感じた僕は忍び足で近づいて、音が立たない様に中を覗き見た。
誰もいないみたいだ。だが照明は確かに点いているし、暖炉にも火が灯っている。誰が点けたのか…?
そこが魂の、肉体の拠り所であれば、暗闇の冷たさからようやく抜ける事ができたと実感しただろう。部屋の中は暖かいから強張った筋肉を緩やかにしてくれるだろう。だが、今ではそれが無い。この閉鎖空間での真の拠り所は、愛する者の心のみだ。

部屋の中央にはソファーとテーブルがある。何かあるのかと、後ろに警戒もせずにそれに近づいてみた次の瞬間に頭に浮かんだ言葉は、油断大敵の四文字だった。
ガシッ!
「!!!~~~~~~~~!?!?!?!?」
後ろから突然羽交い締め…というよりも抱きつかれて声にならない悲鳴を上げる。
耳元に息がかかる。しまった…よりによって、一番背後を見せてはならない相手に………。
「見 ぃ つ け た ♪」
彼女…水銀燈の声が耳にじわりじわりと入り込んでくる。振りほどこうと足掻こうとするが、腕を封じられてるから身を揺する程度しかできない。彼女は華奢な外見の割りに力が強かった。
「どこに行ってたのよぉ~…心配したんだからぁ…」
彼女の声が悪魔の囁きにしか聞こえない。半ばパニックになりながら必死にもがく。まるで罠に掛かった獣の様に。
彼女こちらを覗き込んできた。紅色の目が僕の眼を見つめている。
「何を怖がっているのお…ジュンくぅん…」
悪魔みたいな冷たい目だ。彼女は人間の皮を被った悪魔だ…!
多少乱暴だが、彼女の手が一瞬緩んだすきに突き飛ばして距離を取った。とりあえず背後を突かれた姿勢から立て直す事はできた。
彼女は床に滑り込む様な姿勢で突っ伏していたのをゆっくりと起き上がり、おもむろにこちらを向く。まるでカクカクと音を立てて自立する壊れた人形みたいで、彼女の持ち合わせている美しさは皮肉にもそれを一層引き立たせていた。
「痛いわぁ…ジュゥン…痛いわぁ…」

彼女は何故かニヤリと唇の端を釣り上げる。その笑顔に僕は明らかに気圧されていた。
じりじりと距離を詰められる。僕は後ろに後退りをして距離を取りたいのだが、やがてソファーにぶつかって一瞬姿勢を崩してしまう。彼女は相変わらず笑っていた。明らかに狼狽える僕を見て笑っていた。
あっという間に距離を詰められ、彼女に腕を掴まれた。
「ジュン………ようやく二人きりになれたわぁ…」
彼女が腕を引いて、ソファーに着くように促してくる。その言葉を聞いて裏付けも無しに確信した。
「水銀燈………娘がいないんだ…」
ヤブをつつく様な言葉を彼女に投げてみる。
「ふぅん…この屋敷の中を遊び回ってるんじゃないのぉ?」
「…娘達の悲鳴も聞こえたんだが」
「………私には聞こえなかったわねぇ。何時の話ぃ?」
「さっきの事だ。ついさっき、確かにいた娘達がいなくなってしまったんだ」
互いに目を合わせて言葉を浴びせ合う。彼女ののらりくらりとした態度に段々と苛立ちを感じ、自然と語調が荒くなるが彼女は変わらずの調子だった。
「お前がなかなか来ないから様子見に行った時、突然エントランスから娘達の悲鳴がした。慌てて戻ったが娘達の姿はなかったんだ」
お前、何か知ってるんじゃないか?そう彼女に突きつけたが彼女は揺るがない。こっちが必死になってるのにまるで雲を掴む様だ。手を伸ばせば彼女を殴りつけるのも容易だと言うのに。
彼女は僕の言葉の真意を知ってか知らずか、テーブルの上にワインのボトルを置き、グラスを寄越してきた。いらないと言ってるのに目の前に無理やり押し付けてきた。そしてワインをそれに注いだ。真っ赤な血を彷彿とさせ、さっき見てしまった生心臓がフラッシュバックする。
とても飲めたものではないし、そもそも今は酒に逃げている場合ではない。言ってしまえば、彼女の出した物を口にするという事自体躊躇われた。
僕は水銀燈の杯を拒否する。まさか彼女もこれで誤魔化そうなんて腹ではあるまい。構え直そう。

「………お前、そう言えば…紹介したい人がどうとか言ってたな。一体誰を連れてくるつもりだったんだ」
少しの間だけの沈黙を破ったのは、僕の彼女に対する問い掛けであった。娘の事については受け流されたが、まさかこれまで誤魔化そうとはしないだろう。とにかく彼女が口を開けば何らかのヒントを得られるかもしれない。その頭での質疑だ。
かなり都合のいい考え方ではあるが、彼女の隠している事を暴ける解(ほつ)れた糸を見つけなければと脳が言っている。
あの不気味な心臓の標本室に、黒魔術の書物にカラスの死骸なんかをいきなり突きつけたら彼女がどういう反応…反発を起こすか分からない。そうしたら僕自身まで危ない目に遭うかもしれない(後ろを突かれた時点でもう彼女自身も感づいただろうが)。
彼女が口を開きそうな事を持ちかけて、かつ、油を注ぎすぎて炎上しない様なさじ加減が求められた。今まで経験の無い事だから、正直かなり口がまだるっこしい。
彼女は口を開いた。
「私の娘よ。蒼星石って言うの」
やはり子供がいたのか。まず、あの妊婦の雑誌の件が分かった。
とりあえずここは惚けておいた方が良さそうだ。
「…娘がいたのか。いつの間にか結婚したんだ?」
「結婚はしてないのぉ。だから戸籍上、私に夫はいないわぁ」
夫がいない?離婚したわけでもなく、結婚すらしてないのか。
彼女の思わせぶりな発言に枝で突っついてみた。
「…それじゃあ、その、蒼星石の…父親に当たる人とは何時出会ったんだ」
彼女が言った。
「あらぁ、あなたが一番良く知っている人よぉ?」
…嫌な予感がした。部屋は暖かいのに肝が冷えてくる。

ここで一番単純な事に気付いた。その蒼星石という、彼女の娘は今どこにいるんだ。
水銀燈に訊いたら、突然笑いだした。背筋がゾッとした。
「あなたの…娘達と一緒に遊んでいるんじゃないかしらぁ?あの子はとても社交的な子なのよぉ…。それに、子供が大好きだしねぇ」
僕は弾かれた様に立ち上がったと同時に、完全にタガが外れた。彼女を見下ろして言った。
「それじゃあ彼女を呼んで来てくれ。彼女は娘達と一緒なんだろう?連れて来てくれ。もう僕達は帰るから」
彼女は、何日か泊まっていくんじゃないのか。予定が変わったのなら、せめてもう少しいてくれても良いじゃないか。食事を出そうと思ってたのに…と、とにかく引き留めようとしてきた。
それを拒否すると彼女は途端に転調してきた。
「ジュン君…何故私が、あなたの所に、今更になって来たのか…分かる?」
彼女が突然調子を変えてきたのに追いつけず、一瞬だけ怯んでしまった。
「私は………あなたの事が…好きなのに…今でも…」
「僕には巴がいる。彼女が死んでも、彼女は僕の永遠の女だ」
すぐにこちらも調子を合わせて彼女を否定する言葉を投げつけた。彼女からすればショックかもしれないが、彼女を肯定するわけにはいかない。水銀燈との関係はもうあの時に終わっているんだ。
この言葉は、それを分かっているのに彼女との約束をしてこの屋敷に来てしまった自分自身に対する叱責でもあった。僕は馬鹿だったんだ。だから、彼女とは今ここではっきりと区切りをつけなければならない気がした。

「水銀燈…僕は娘達と一緒に帰る」
彼女は俯いて黙ってる。ブツブツ呟いている様にも見えたが、彼女はこちらを見てくれない。僕は席を外した。
部屋から立ち去ろうとしたら、彼女が突然僕に「刃」を突きつけてきた。
「無駄よ…」
「…え?」
振り返ると、彼女は力無く席を立っていた。
「あなたの娘達は今頃…」
最悪な予感がまた走った。そこまでは彼女もしないだろうという甘い考えをこの期に及んで持っていた自分が愚かしい。
「私の………蒼星石が………」
うふふふ…と、不気味な笑いを上げ始めた。
僕は扉を蹴り飛ばして走った。暗闇の中、力無い灯りを片手に全力疾走する。
「金糸雀!翠星石!真紅!雛苺!」
暗闇がいきなり明るくなった。廊下の照明が点灯したみたいだ。
「無駄よぉぉ!!ジュン!!私と…私とぉぉ!!!」
水銀燈が…追ってきた!?
私と…一緒にぃ…!!私とぉ…私とぉ…!!!
愛故か、果ては憎しみか。その声は屋敷に寂しく響き渡った。

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