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薔薇乙女家族番外編 その一
~時計塔屋敷~

扉を開けると、広い広いエントランスホールが僕達を迎えてくれた。
「そこに椅子があるから少し待っててぇ。紹介したい人がいるのよぉ」
彼女がそう言うんで暖かい暖炉の近くにたむろさせていただく事にした。
彼女はニッコリ笑ってその場を後にした。
「…それにしても、立派なお屋敷ね…」
真紅がポツリと漏らす。みんなもそれに従うかの様に口を開く。
「銅像がいっぱいあるかしら~」
「すごい高そうなテーブルなの~」
金糸雀と雛苺は落ち着きなく周りをキョロキョロ見ている。しかし、翠星石は何だか訝しげに目を光らす。
「なんだか埃臭い屋敷ですねぇ…」
真紅がそれに反応した。
「そういえば、使用人とかもいないのね。これだけ広い屋敷じゃ手入れも大変なはず。少し妙な話ね」
二人は勘が鋭いな。一方、もう二人の方はそんなの露知らずと相変わらずだ。
「…あら、あの時計も止まっているのね」
真紅が暖炉の上に飾られた柱時計に注目した。見たら何と、その時計もあの時計塔と同じ時刻である十一時五十九分に止まっているではないか。
鳥肌が立った。偶然だと思いたい。ほんの奇遇だと信じたいが胸の中の不安はくつくつと募っていった。彼女…水銀燈を疑うわけではないが、正直この屋敷は何かがおかしい。何日か泊まる予定だったが、今日一日でもう帰ろう。彼女に嘘をついてでも。

僕はすっかり冷や汗で背中を濡らし、心臓をバクバクと躍らせていた。
「…そういえば、今何時かしら~?」
金糸雀が雛苺を連れていつの間にか戻ってきていた。僕は携帯を開いてその時刻を知らせた。
「十三時十分だな」
携帯のディスプレイの左上に圏外の二文字が残酷に光っていたのを見て、一層不安が募る。
「ありがとうかしら~」
金糸雀と雛苺はそれだけ言うと暖炉の方へと走り寄り、身を屈めた。後はだるまの様に動かなくなった。
…水銀燈、遅いな…。
どれだけ時間が経ったのかも分からないが、少し遅すぎないか?
「…遅いですね…」
翠星石もぼやき始めた。
「広い屋敷だけれど…流石に遅いわね」
椅子に座っている真紅も答えた。
…仕方ない。僕は重い腰を持ち上げた。
「少し様子見てくる。お前たちは待っていろ」
娘達にそれだけ伝えて、水銀燈が消えた廊下へと足を運んだ。
薄暗闇の中、真っ直ぐとした道が続く。脇にある大きな窓から見える毒々しい緑がゆさゆさと揺れて僕の心を震わせる。
まだ日中のはずなのに夕暮れ時かと思わせるほど光が見られないのは、まるで僕の心情とこの屋敷を象徴しているかの様だ。全く洒落になっていない。
視線を右へ左へと揺らす。ひび割れた大きな窓からプールが見える。中庭だ。さっき見たのは、手入れのされていない中庭の植物の成れの果てといった所か。
ギシ…ギシ…。
時折、足下が軋む。足が僅かに浮き沈みする。ここで四股を踏んだら床を踏み抜いてしまいそうだ。少し足周りに気をつけよう。全く、なんて屋敷なんだ。
「水銀燈~!!」
半ばやけっぱちで彼女を呼ぶ。しかし返事は無く、ただ声が反響するのみ。

「水銀と…」
キャアアアアアアアアアアア!!!!
「…!?」
水銀燈の名を呼んで、応えたのは背後からの突き刺す様な悲鳴。娘達の声だ。一体何があったというんだ!?
僕は背後を向き、娘達のいるエントランスホールに駆け出した時だった。
バキッ!
足が腐った床に捕捕られて顎を打ってしまった。メガネが割れなかったのは良かったが危うく舌を噛みそうになった。
「っ…!クソ!」
床に捕まった足を解放できた僕は痛む体に鞭を打った。娘達に何かあったら…頭はそればかりだった。
息を切らしながらも扉を勢いよく弾く。扉の向こうのエントランスホールは薄暗闇に支配されており、暖炉の火も消えている。さっきまで人がいたとは思えない、冷たい空間になっていた。
「…!?真紅!金糸雀!翠星石!雛苺!」
娘達の名を呼ぶが、声に応えてくれるものは何もなかった。
「みんな…どうしたんだ!?どこだ!?」
やはり何も応えてくれない。だが暖炉の近くに落ちていた物が、娘達が確かにさっきまでここにいたのだという事を物語ってくれた。紙に包まれたままの苺大福に飴玉。雛苺と金糸雀の持ち物だ。僕はそれらを手に取り、ポケットに入れた。
何一つ音の無い屋敷にただ一人取り残された様に感じてしまい、正直、心細い。言葉で言い表すのも憚られる恐怖に心臓が縛りつけられる。胃の中が熱くうごめいて、喉へと込み上げてきそうだ。
だがそんな事言ってられない。倒れた椅子にテーブル、不自然な落とし物…きっと只ならぬ事が起きたに違いない。娘達は今、僕の迎えを待っているはずだ。僕は父親だ。僕がしっかりせねばならない。
頬を叩いて気合い(空元気に等しいが)を入れる。眼にも自然と力が込められる。

塩を吹いた背中も気にならなくなっていた。
一歩一歩、辺りを目で舐めまわしながら歩く。体中の神経が過敏になっている。窓が風で音を立てただけでも全身がそちらに意識を向ける。
脳内で分泌される物質のせいなのか頭がクラクラしてくる。肉体よりも神経と脳が疲弊しそうだ。
やがて、薄暗いエントランスホールの向こうの扉が半開きになっているのを僕の目と脳が認めた。体を引きずってそれに手を掛ける。また真っ直ぐな暗闇が続いていた。
「みんな!いないのか!?」
声は暗闇の中に消えていった。誰も応えてくれない。ここで誰か応えてくれればまだ助かるのだが、それは望めないのを認識した僕はまた暗闇へと足を踏み込む。
そして突然、はっと気がついた。暗闇で足を捕られてしまうのなら、灯りを点ければ良いだけの話ではないか。懐中電灯は無いが、携帯電話のカメラのフラッシュを使えばちょっとした照明になるはずだ。何で早く気がつかなかったのだろうと早速携帯電話をポケットから出す。
携帯電話のディスプレイを開いた時、僕はとんでもないものを目にする。
「…十三時………十分…?」
頭の中の動画がリプレイされる。
「そう言えば、今何時かしら?」
あの時、金糸雀がこう言ったのを聞いた僕は携帯電話を取り出した。
「十三時十分だな」
…確かにあの時、時計は十三時十分を指していたはずだ。しかし、だとしたら何故、今この携帯電話の時計は今も十三時十分を指しているのかが説明できない。

…否、できる。しかもそれはたった一言で結論付けられる。しかし、結論が出てきても、論理が無い(論を結んでこその結論なのだから、この場合「結論」という語を用いるのも正確ではないのだが)。「時が止まっている」だなんて一体どうして説明しろと言うのだ。
時間が遅れるというのならば物理的に実践可能ではある。「運動」しているものは「停止」しているものよりも、有重力空間(惑星上)にいるものは無重力空間(宇宙)にいるものよりも時間の流れが遅くなるというものだ。
これは千九百七十年代だと思ったのだが…たしかそれくらいの時期に行われた実験によって照明されていたはず。
航空機に乗って地球を一周回る人と航空機の出発点に待機し続ける人に、極僅かな時間を測れる原子時計を持たせた所、航空機に乗っていた人の持っている時計が極々僅かに遅れていたという話だ。
秒速二十七万キロの亜光速で宇宙空間を常に一定の速度で直進し続けるという「運動」をする航空機があるとして、「運動」をしない人が一年という時間を測る。
運動をせずに固定された人の方が一年経った頃、亜光速で動き続けてる航空機の方は○.四年程の時間しか流れていないという。物理学なんてさっぱりだが、そういった話を聞いた様な気がする。
…そういった話は聞いたものの、今思い出した所で何の役にも立たないのは明白。何だか馬鹿馬鹿しく思えてきたのでやめにした。この屋敷が光の速さで動き回っているわけではあるまいし。
しかし、そうなるとこの屋敷は今、物理学では証明できない事が起きているという事にもなるのではないか?
…お化け屋敷の道が果てしなく思えた。

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