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十二月と言えば、寒さを本格的に感じ始める時期だ。日の出ている穏やかな頃は暖かい様な気もするが、とにかく風が冷たい。朝、外に出てみて
「ああ、今日は風が無いから暖かいな」
と思ってても、この季節は大体午後になってから吹き始める事が多いから、いつでも暖かい格好をして出掛けるのが賢明な判断である。
その教訓にならい、出来るだけ暖かい格好をした僕は今日も仕事先へと向かう。
普通、仕事先に行く事を「出勤」などと呼ぶが、僕の仕事先はその単語を使うにはおよそ似つかわしくない個人が経営している小さなドール(兼、ドレス)ショップだ。
そして似つかわしくないという理由だけでなく、その単語を使うのに抵抗すら感じるのは、その店のマスターが僕にとっての第三の父とも言える人だからというのが大きい。
マスターは僕の才能に注目し、それを大いに引き出してくれた。もともと裁縫は得意な方ではあったが…そして皮肉にも、その才能が仇となって、僕が自宅に引きこもるきっかけともなってしまったのだが…、マスターに会ってから自分の目に見える程の上達を感じられた。
マスターとの出会いがとても大きいものだったのは、今更言うまでもない。
僕がマスターを第三の父とまで呼ぶのはもちろんそれだけの理由ではない。
マスターは自分の経営する店で働かないかと声を掛けてくれたのみならず、ずっと昔から今に至るまで、本当に細かい所まで可愛がってもらっているのだ。本当に親子みたいな関係を続けさせてもらっている。

いつの頃だったか、娘達を紹介した事があった。まるで孫と遊ぶかの様に接してくれたおかげで、娘達もあっという間にマスターに懐いてくれた。あの人見知りをする翠星石すらもすぐに懐いたのには驚かされたものだったが。
マスターはどこか人を寄せ付けない様なイメージがあるが、僕の事と言い、娘達の事と言い、そんなのは全くただの思い込みに過ぎないのだと改めて深く認識したものだった。本当に器の大きい人だ。
マスターはまさに師であり、父であり、目標でもある。その人の下で働ける事は本当に有り難いものだ。運命というのは、なかなか分からないものである。
やがて僕は足を止め、それを仰ぎ見る。
今僕の目の前にある、初めて来た人ならば「小綺麗にまとめられた」という印象を持つであろう建物。ここが僕の仕事先であり、マスターの夢の結晶である。
「おはようございます」
カラン…とベルを鳴らしながらドアを開ける。
「おはようございます、ジュン君」
僕をいつもの様に出迎えてくれたのは、この店のカウンターを勤める白崎さん。スラリとしたシルエットに丸眼鏡が特徴の、少し謎めいた印象を匂わす人だ。
と言うのも、(彼曰わく)マスターと長年この商売を一緒にやってきたという話だが、僕がマスターと知り合った頃に彼と出会った記憶がない。
彼と知り合ったのはほんのつい最近…およそ三年前の事だ。マスターと僕が初めて会って、交流を初めたのはもう十何年…二十年近いか?…も前の事。およそ十七年間程の時間が空白になる。 

以前に彼にその事を指摘してみた事がある。それに至るまで色々な空白を自分なりの考えと予想を以て埋めていき、補完しようと試みたものだが…そんな事をした所で何にもならない、全くの無駄なのだと気づいた。
それは推測にしか過ぎないもので、僕の求めるものではないからだ。
しかし、直接行動に出ても彼はなかなか真っ直ぐに返事を返してくれない。それどころか質問を質問で返してきたり、時たま嫌に小難しい話まで始めるのだから、もうこの話をするのはやめる事にした。
十七年間の空白を知りたいだけなのに何故こんな無関係そうな講釈を受けねばならないのかと、もうどんなやりとりをしたのかもさっぱり覚えていない。
だが、彼のこの一言は未だに頭に残り続けている。
「君の事は、君と出会う前から知っていたんですよ」
彼はニッコリ笑ってこう言っていた。
何を考えているのか、何も考えていないのか、何を隠しているのか、何を言いたいのか、さっぱり分からない笑顔だった。
ここは、ドール・ドレス制作房兼販売店、そしてマスターの自宅そのものでもある。今では彼はマスターと同居しているみたいだが、白崎さんと僕が顔を合わせる以前までは、マスターは一人で暮らしていたはずだ。他人が出入りしていた様子も見られない。
なのに…何故僕を知っているのか…。
この話はもう考えない様にしようという決意を舌の根も乾かぬ内に覆して、マスターに尋ね訊いた。しかし、結果は大方の予想通り、曖昧にはぐらかされて終わってしまった。 

「彼は…あまり自分の事を詮索されるのを好まないんだ。君が彼を不審に思うのも無理はないが安心してくれ。彼は色々と変わってはいるが、決して悪い奴ではない」
それで納得できたと言えば大嘘になる。しかし、付き合いを重ねる内に彼に段々と馴れていった…と言った所か、不信感も完全にではないものの、気にしなくなっていた。
「エンジュならすでに房に行ってますよ」
白崎さんはマスターの事を名前で、おまけに呼び捨てで呼ぶ。この事もあって、とりあえずマスターと彼とは大分親しい仲ではあるみたいだと、とりあえず納得したという事にしておいてる。
「分かりました」
それだけ答えて僕も房へと向かう。
どこか掴みどころがない、雲みたいな不思議のベールに包まれた店…と言ったら大袈裟だろうか?
これが僕の仕事場だ。
そして今日もこの不思議な店で、そこにある「命」を育む為に、己と戦うのだ。
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蛇足となるのだが、もう少しだけ書いておきたい事がある。
休日。娘達と買い物をしていた所、たまたま店の前を通った時の事だ。
背中に薔薇水晶、胸に雪華綺晶を抱いて店の目の前に立ち、
金糸雀が「ここがお父さんの仕事場かしら~」と指を指し、真紅が「あのマスターは元気かしら?」と「思い出」を見つめながら何気ない会話をしている中、突然雪華綺晶が窓ガラスを指差し、小さい声で呟いたのだ。
「帽子を被ったうさぎさんだぁ」
僕は何のことかと振り向いたが、そこに帽子の被った兎なんかいなかった。
あの時、雪華綺晶は窓ガラスの中に一体何を見たのだろうか…。
(ジュンの日記より)

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