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――明けて、1933年。
1月の冷えた空気は、音をよく響かせる。広い室内に、四つの音が余韻を引いた。
悲痛な声は短く、物の砕ける音は長く――
柱時計の振り子と、ミストラルと呼ばれる季節風に揺れる窓の音が、それらを包み込む。
雪華綺晶が、己が主である少女の部屋を、掃除しているときのコトだった。
いつものように、サロンから聞こえるピアノの旋律に聴き入るあまり、つい――
 
「あぁ……どうしましょう……」
 
コリンヌが大切にしている人形を清掃中、うっかり、床に落としてしまったのだ。
18世紀ごろの著名な錬金術師の手によるモノらしく、その造形は精巧の極致。
眩い銀色の髪に、寂しげな目元、なめらかな光沢を放つ肌の質感……そして、黒い翼。
逆十字をあしらった黒いドレスと相俟って、なんともデカダンな美しさを醸している。
無垢な幼女のようで、完熟した妖女にも見える面差しは、畏怖の念すら抱かせた。
 
だが、いま床に投げ出された人形の身体は、有り得ないカタチに折れ曲がっている。
落下の衝撃で、ビスク製の胴体部分が、割れてしまったようだ。
雪華綺晶が、震える手で人形の上半身を持ち上げると、がしゃり――
パーツを繋いでいたゴム紐が切れて、腰から下が、細かい破片と共に床へと抜け落ちた。
 
本当に、どうしたらいいのか。とても素人の手に負える代物ではない。
兎にも角にも、修理なんて証拠隠滅の手段を考えるより先に、コリンヌに謝らなければ。
壊してしまった人形を胸に抱いて、雪華綺晶は重い脚を引きずり、サロンを訪れた。
 
「まあ!」ひたすら平謝りする雪華綺晶の手から、人形を奪い取ったコリンヌは、
目に涙を溜めて、唇を震わせた。「そんな……二葉さんに戴いた、お人形が――」
 
 
 
  第九話 『キヲク』
 
 
 
もし、大好きな人からプレゼントされた、大切な品を壊されてしまったら――
雪華綺晶は唇をキュッと噛んで、無意識の内に、胸元のペンダントを握り締めた。
 
悲しいに決まっている。代わりの物が用意できようと、できまいと。
たとえ修理しても、本人にとって、その価値は著しく失われてしまうのだから。
見た目は元どおり。だけど、それは最早、からっぽの器……。
たくさんの思い出が詰まっていた宝箱では、もうないのだ。
 
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
 
人形を抱いて啜り泣くコリンヌを前に、雪華綺晶はただただ俯いて、
壊れた蓄音機のように、謝罪の言葉を繰り返すことしか出来なかった。
いっそ、思いっ切り強く、頬を引っ叩いてもらえたら――
百万の罵詈雑言を、コリンヌが容赦なく浴びせてくれたのなら――
ある意味、まだ救われたかも知れない。完全悪として、裁かれるのであれば。
 
けれど、コリンヌはさめざめと泣き濡れるだけだった。
一言たりとも、雪華綺晶を責めようとはしなかった。
なぜ? 過ちは人の常、許すは神の業……とでも?
痛罵されないことで、雪華綺晶の忸怩たる想いは胸につっかえたまま、
フラストレーションを溜め込み、際限なく膨張してゆく。
無言が続けば続くほど、内側から圧迫される胸の痛みも増して、雪華綺晶は苦悶に喘いだ。
 
 
かちゃり。ドアノブが回され、雛苺が不安そうな顔を覗かせたのは、
いたたまれなくなった雪華綺晶が、今まさに逃げだそうとした矢先だった。
 
「コリンヌお嬢様……どうしたの? なにか、あったの?」
察しの良い娘だ。ピアノの演奏が不自然に止んだので、心配になったのだろう。
 
彼女の登場によって、浮いていた雪華綺晶の踵は、再び床を踏みしめた。
逃げだす機会を逸したからではない。雛苺なら助けてくれると、思ったからだ。
今の雪華綺晶は、コリンヌを宥め慰める言葉を、持っていなかった。
もし持っていたとしても、それを口にすることなど出来はしなかっただろう。
――でも、長く住み込みで奉公してきた雛苺ならば、或いは……。
 
雛苺は、ことこと靴を鳴らして、泣き崩れているコリンヌの元へと歩み寄った。
そして、彼女の腕に抱かれた人形に気づくと、口元に手を当てて息を呑んだ。
 
「お人形さんが……壊れちゃったのね?」
「ごっ、ごめんなさいっ! 私の過失で――」
「……うぃ」
 
もはや条件反射的に謝る雪華綺晶に、雛苺は『任せて』と言わんばかりに頷くと、
コリンヌの隣りに屈み込んで、彼女の背中を撫でながら囁きかけた。
 
「そんなに悲しまないで。お嬢様が泣いてたら、きらきーも、ヒナも、
 お人形さんだって、とっても哀しくなっちゃうのよ?」
「雛…………苺」
「それにね、このままじゃ、その子も可哀相なの。
 壊れたところから、大切な思い出が流れだしちゃうのよ」
「……でも…………このお人形は――」
「解ってるの。このビスクドールは、もう作られてないのよね?
 ちゃんと修理できる職人さんは、もう居ないかも知れない――って」
 
それは、コリンヌの誕生日にプレゼントを手渡すとき、二葉が語っていたことだ。
この人形を、懇意にしているアンティークドールショップで偶然にも見つけた彼は、
店主に頼み込んで譲り受けた――とのコトだった。
どれだけ大枚をはたいたかは、一度として口にしなかったけれど。
 
 
まあ、とにかく。修復できるものなら、いくら払ってでも、元どおりにしたい。
本音を滲ます眼差しのコリンヌに、雛苺は「へへー」と、自信ありげに笑いかけた。
 
「実は、ヒナねぇ~……すっごい人形師さんを知ってるのよー。
 その人なら、きっと直してくれるのっ。さ、ヒナにその子を預けて」
 
いつもなら、この軽いノリと根拠に乏しい自信に、不安をもよおしていただろう。
しかし、現状では雛苺に従ってみるより他ない。
コリンヌはハンカチで目元を拭うと、愛娘を託すように、そっと人形を差し出した。
 
 
  ~  ~  ~
 
 
鄙びた田園風景の中を、山に向かって風のように走り抜ける、一台の自転車。
額に汗を滲ませながらペダルを漕ぐのは、髪をポニーテールに束ねた雪華綺晶。
その後ろには、人形を納めた鞄を抱えた雛苺が座って、時折、指示を出している。
 
「ねえ、雛苺さん。貴女どうして、その職人さんを知っていましたの?」
 
雪華綺晶の、至極もっともな疑問を受けて、雛苺は照れ笑いを浮かべた。
なんでも子供の時分に、やはり貴重な人形を壊してしまったことが、あったそうだ。
その際に修理を依頼したのが、これから会う人物なのだと言う。
 
「ホントかウソか、ヒナには解らないんだけど……
 山奥に隠棲してるその人はね、とある秘密結社のメンバーだって噂されてるのよ」
 
随分とオカルトめいた話だが、あのビスクドールを修理するには、
そういった分野の知識も必要かも知れない。何しろ、普通の人形ではないのだから。
 
流れゆく景色を、なにげなく眺めていた雪華綺晶は、ふと――
「あら?」郷愁めいた感情に、胸の奥が騒ぐのを感じた。
私は、この風景をよく見ていた……そんな気がする、と。
 
 


 
 
  第九話 終
 
 
 【3行予告?!】
 
人は悲しいぐらい忘れてゆく生き物。愛される喜びも、寂しい過去も――
コリンヌお嬢様のためにも、お人形さん、綺麗に直してもらいたいのよ。
……うよ? どうかしたの……きらきー?
 
次回、第十話 『fragile』
 
 
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