中編

柏葉巴、14歳。桜田くんの才色兼備な幼馴染み。嫌いな盾は天空の盾。
幼馴染みなのだから、当然私と桜田くんには、共にヴァージンロードを歩む未来が待っている。
…はずなのだけれど、最近の彼を見てるとなんだか不安になってしまう。
その瞳にうつっているのは、私ではなく真紅なのではないかと…。
そんなことはないはずなのに、気になってしまう乙女心がいじらしさ。

…けれど、それは根も葉もない疑問というわけではない。
なぜなら、私は完全無欠な幼馴染みではないからだ。
私と桜田くんは幼馴染みの中ではやや特殊な部類である、「ブランクのある幼馴染み」にカテゴライズされる。

ブランクのある幼馴染み…これには悪質なジンクスがある。
それは、「ブランクのある幼馴染みは空白期間に出会ったポッと出のツンデレヒロインに寝取られる」、というものだ。
もちろん、私はそんなものを信じているわけではないけれど、
たとえば数年を経て再会した許嫁だったはずの幼馴染みがすっかり女たらしの腐れ外道になっていて、
「らんちゃんいったい何人許嫁がおるねん!」という悲劇は実際にあり、それが私の心を動揺させる。

しかし、例にあげた彼女はミスを犯していた。
彼女は幼馴染みの法則を犯していたのだ。
もし然るべき行動を起こしていたならば、決して寝取られなどはしなかっただろう。

そう、「幼馴染みは毎朝起こしにきて登下校を共にする」。
私はそれを実行することを一人決意した。不言実行が柏葉家の家訓である。
これで私たちはより完璧な幼馴染みへと近づいていき、いずれ来るべきハネムーンの計画をたてるようになるに違いない。 



私は今、再び桜田家の屋根の上にいる。
玄関から入らない理由は昨日の通りである。
ベルや桜田くんのお姉さんの声で起こすなんてまぬけなことになってはならない。
不法侵入なのではないかという疑念がちらりと脳裏をかすめたが、幼馴染みだから多分無罪。

というわけで、桜田くんの部屋への侵入はあっさりと成功した。
昨日はよく見ていなかったが、中学生の男の子にしては、桜田くんの部屋はずいぶんとこざっぱりしていた。
しかし、それはものがないといういうわけではなく、綺麗に整頓されているからで、
白い壁や本棚の上には、釘の胸にささった人形だとか、目の据わった市松人形だとか、
3つの願いでも叶えてくれそうなお札だとか、変わったものが鬱陶しくならない程度に並んでいる。

こういったセンスは私にはちょっとわからない。
でもきっと、桜田くんは好きなんだろうな。それが少し、羨ましかったりもするの。
…変わらないな。

さて、そろそろ起こさないと。
例によっておたまとフライパンを取り出す。準備万端、いつでもOK。
一日の始まりに、桜田くんの網膜が、一番最初に捉えるのは私の顔…。

強烈な金属音が夏の部屋に響き渡る…はずだった。
しかし、まさにかち鳴らそうとする寸前、桜田くんはガバッと起きあがると、
私の方を向いて、呆然と目をぱちぱちまばたきさせていた。
けれど、驚いたのは私も同じ。
やり場のなくなった両手はバンザイしたまま、ただぱちくりと目が桜田くんを捉えていた。

「……柏葉?」
桜田くんはそう呟くと、眠そうな様子にも見えなかったけれど、両目をこすってしぱしぱ瞼を瞬かせた。 

「……やっぱり、柏葉だよな」
「うん」
「うんって……」

静寂が私たちを包んだ。逡巡。

「って、柏葉ぁ!?なななんでこんなところに…こ、ここは僕の部屋で…しかも朝で…」
「桜田くん、落ち着いて」
「というか昨日僕が見たのは夢とかじゃなくて本当に柏葉で…!?どど、どうして、いったい、なんで…」
「落ち着いて」
「あ…いや、えっと…う、うん…」
「……落ち着いた?」
「…あ、ああ…ありがと」
「そう、よかった」

静かだ。

「ってぇ!そうじゃなくて、なんで柏葉がこんなところにいるんだよ!?」
「ほら、また…落ち着いて」
「落ち着けじゃない!い、今は朝だぞ!?これから学校だってあるのにどうして…」
「それでいいのよ。起こしに来てあげたの。学校も一緒に行かないとね」
「は、はぁ!?なにいって…」
「もう、桜田くん、よく考えてみて、私たちは幼馴染みなんだよ」
「あ…ま、まぁ…」
「だからこれが当然なの。本来のあるべき姿なの。私はそのことに気づいてしまったのよ」
「そ、そうなのか…」

桜田くんは呆けた顔で口をだらしなく開けている。もう、しっかりしないと。 

「っておかしいだろ!?柏葉、お前いったいどうしたんだよ!」
「だから言ったじゃない。私、気づいたの。私たちは幼馴染みなんだから、もっとそれらしく振る舞わないとって」
「わけわかんないよ!だいたい幼馴染みだってことと今お前がしてることと、どんな関係が…」
「桜田くんも幼馴染み初心者だからね。私もだけど、安心して、私、頑張って調べたから…」
「はぁ!?」

それから、桜田くんは開いた口もそのままに、呆けた顔で私の目を見ていた。



「なぁ、柏葉…」
「なに?」

今、私たち二人は一緒に登校している。
あれから一階に下りて桜田くんのお姉さんに会ったときは、たいそう驚かれたが、
「これが幼馴染みというものなのです」と言ったら、「幼馴染みってすごいのねぇ」とあっさり納得してくれた。
やりやすい人だ。桜田くんは「お前はそれでいいのか!」とかなんとか言ってたけど。
そして現在、幼馴染みらしく一緒に登校している…のだが。

「今朝、どうやって、僕の部屋に入ったんだ…?」
「…窓、開いてたから」
「……そうか」

会話がどこかぎこちない気がする。
この空気はどちらかといえば、登校中偶然出会ってしまったそれほど親しくもない仲のクラスメートのそれだ。
私の考える幼馴染みとはほど遠い。 

「桜田くん」
「…よし、明日からちゃんと鍵しめ…えっ!?な、なに!?」
「…もしかして、迷惑だった…?」
「あ、いや…まぁ、で、できれば、玄関から入ってほしい、かな…」
「玄関から入ったら、桜田くんのこと起こしてもいい?」
「え…いいっていうか…なんでそんなに、僕のこと起こしたいんだよ」
「幼馴染みだから」
「はぁ?」

そのまぬけたへんじを聞くのは、今日で何度目だろう。
私は柄にもなく、アスファルトに転がっていた小石を蹴った。
どこかを狙っていたわけじゃないけれど、小石はあらぬ方向に飛んでいった。

「……昔はよく、こうして歩いたよね」
ふと、そんな言葉が口をついて出た。
桜田くんは少し間をおいてからぽそりと、「そうだな」と言った。

それっきり、校門につくまで私は桜田くんと何も話さなかった。



「それじゃあ、今日はここまでだ、掃除当番はしっかり掃除してくれよ!じゃあみんな、また明日に…」

担任の無駄に爽やかな声が教室内に響いている。でもそんな声は私の耳まで届いていない。
やがてベルがなると、教室のみんなは慌ただしく机を前に運び始めた。
仕方ないから、私もその流れに乗って机を持ち上げる。
けれど、なにかを持ち上げたという実感もそこそこに、私の頭は桜田くんのことでいっぱいだった。 

なんだか今朝は妙な気分だった。
せっかく二人きりで登校できたのに、全然話さなかったなんて。
しかも、そのときはそれがなんだか自然なようにも思えて…だめよ、こんなんじゃ理想的な幼馴染みにはたどり着けない。

…ところで、今日私と桜田くんは一緒に教室に入ったのに、そのことを誰にも指摘されなかった。
もっとこう、「きゃー、柏葉さんと桜田くんって仲いいのぉ?」とか「よっ、ご両人!」的な野次が飛んでもいいんじゃないだろうか。
というか、飛ばすべきだ。まったくこのクラスの人たちは気が利かない。
廊下で会った真紅でさえ、「おはよう、ジュン、巴。今日は一緒なのね」と言っただけで、特に変わった素振りを見せなかった。
正しい幼馴染みカップルの迎え方というものを、みんなには勉強してもらいたい。
そんなことを考えながら、私はかばんを持って急いで廊下へ出た。

「桜田くん」
「ん…ああ、柏葉か」

帰ろうとしていた桜田くんに声をかける。
少し後ずさりしてるような気がしたけれど、きっと気のせい。

「いっしょに帰らない?」

登下校を一緒にしての幼馴染みなのだから、当然の要請である。
桜田くんは少しはにかんでいて、俯き気味にせわしなく髪だの頬だのをかいている。

「あー…まぁ、特になんもないし、いいけど…部活はないのか?」
「今日はお休みなの」

ああ、そうだ。桜田くんは帰宅部で、私は剣道部。
こんなところに障害があったなんて…今日はいいけれど、これじゃ毎日登下校は無理かな…。
うーん、立場が逆なら、部活が終わるまで待ってるんだけどな、私だったら…。
でも桜田くんは幼馴染み初心者だし、なにより男の子が女の子を待つっていうのもちょっと…。 

「柏葉?」
「え?あ、ごめんなさい…」
「そっちから話しかけておいて、変なやつだな」

変なやつ…しまった。桜田くんの目の前であれこれと考えるものじゃない。
でも変とはなによ変とは…桜田くんの方がよっぽど変だと思うけどな。
それにしても、最近私は考えてばかりいる。

「ちょっと、巴、待ちなさい」

その調子に少しとげを含んだ呼びかけを受けて、私は振り返った。真紅がいた。
手まねで私を呼んでいた。
「すぐいくから、待ってて」と私は桜田くんに言った。



「あなた、ジュンと一緒に帰るの?」
真紅がぶしつけに聞いてきた。

「おかしい?」
「別におかしくはないわ。巴はジュンと仲良しだもの」
「幼馴染みよ」
「ええ、そうね。それで、あなたは確か、今朝も一緒にジュンと登校してきたようね」
「幼馴染みだもの」
「…ええ、そうね。それはいいけれど、ジュンとどこで一緒になったのかしら?」
「どうしてそんなことを聞くの?」 

「今日ジュンに聞いてみたのよ。そうしたらあの子、そっぽを向いて何も答えてくれなかったわ。
 ただ不明瞭な早口でなにか言っていたけど、それは関係ないだろ、くらいの意味だったと思うの」
「そうなんだ」
「そう。あなたは教えてくれるわね?」
「別に隠すことでもないしね。…家から、ずっと一緒よ」
「…え?」
真紅は石みたいに固まった。そして唇を震わせて言った。

「家…あなた、ジュンを迎えにいったの!?」
「迎えに行ったどころか、起こしてあげたわ」
「お、起こして!?」
「幼馴染みだから。そんなに驚くことじゃないと思うよ」
「お、幼馴染みだとか、そういう問題じゃないでしょう!?」
「そういう問題よ」

真紅はしばらく黙っていたが、やがて、
「そう、それであの子…あんなに赤くなって慌てていたのね…。でも、よくもそんな朝早くから…のりに迷惑だとか思わなかったの?」
「窓から入ったから、大丈夫よ」
「ああ、窓から……窓から!?」
「屋根を上ってね」
「そ、それ…不法侵入じゃないの!」
「幼馴染みだから無罪よ」
「そんなわけないでしょうが!」
「わかってないのね」
「ああ、頭が痛い…」

真紅はふらっとよろめくと、頭をおさえながら質問した。 

「巴…あなたまさか、明日もするつもりじゃないでしょうね」
「もちろん明日もするつもりよ」
「どうして急に…そんなこと…」
「…最近、なんだか桜田くんが遠くへ行っちゃうような気がして…」
「…巴?」
「これからは一緒にいられると、思っていたのに………幼馴染みなのに」
「…ふぅん」

そのとき、真紅はにやりと笑うと、私の顔を覗き込むように少しだけ前へ出た。
笑っているけれど、私には何が面白いのかわからなかった。
真紅の青い瞳はとても深くて、底になにかあるようだったけれど、よく見えなかった。

「…そう。わかったわ」
真紅は「邪魔したわね」と言って背を向けた。
そのまま私も桜田くんのところへ帰ろうとしたとき、真紅は振り向きもせずに言った。

「明日も、行くのね?」
「行くつもり」
「そう、きっとね」

そして、彼女はそのまま教室の中へ入っていった。



結局、下校も登校と同じようなものだった。
真紅と何を話していたのか聞かれて、「たいしたことじゃないの」って言ったら、それっきり。
もっともっと会話をしようと思っていたのに、どういうわけか言葉が出てこない。
それなのに、そのときはそれでいいような気がしていた。
変だ。いろいろと調べてみたけれど、これは幼馴染みの症状とは思えない。 

なんだろう?まだ何か足りないのだろうか?
いったい何が?

…私は調べた。遮二無二調べ抜いた。
そして、わかってしまった。今度こそ真実だ。

『幼馴染みは毎朝起こしに来て登下校を共にし、さらに料理もつくってあげたりする』

…完璧だ。

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最終更新:2007年09月07日 22:15