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『夏バテの日』

 七月のはじめ、空が真っ青で、雲がくっきりと立体的な日のこと。
 もう17時だが、日が落ちる気配はまったくなかった。
 学園の中庭を金糸雀が歩いている。
 右手側には、金糸雀よりも背の高い向日葵が壁のようにたくさん咲き誇っていた。
 黒のローファー、チェックのスカート。夏でも袖の長いブラウスを着て、麦藁帽子
を被り、左手に鞄とヴァイオリンケースを持つ。
 姉譲りの制服はその小柄な体には大きく、両袖は常にひらひらと揺れていた。
 「あーつーいー、かしら~」
 変な節をつけて、呟いてみる。ついでに、声にあわせて右腕を上げ、降ろす。
ばたばたと袖が風を受けて鳴った。
 さらに、ぱたぱた、ぱたぱた、と袖を鳴らす。
 「猫さーん」
 いつもよりへたれた声で、猫を呼ぶ。
 金糸雀はそんなことを繰り返しつつ、歩いていく。
背後で風で起きるのとは違う種類の、がさり、と音がしたのを、金糸雀は聞き逃さなかった。
音に向かって、走り出す。20mほど走って、金糸雀は向日葵に向かってしゃがみこんだ。
 
 金糸雀がしゃがみこんだ途端、向日葵の根元から、茶色の猫が顔を出した。
 目の前の金糸雀に驚いた様子もなく、その猫は金糸雀に向かって
「ぶなー」
 と低い声で鳴いた。

 街のあらゆるところに出没するデブ猫であるが、とくにこの学園にはよく出没する。
 餌をくれる人間が多いからだろう。

 「それでねー。あなたをモデルに紙粘土で人形を作ったら、ゾウさんとまちがわれちゃったかしら」
 「に゛ゃあー」
 言っている間にも、あごを撫で、腹を撫で、ひげをちょっぴり触る。
 この猫と金糸雀の付き合いは意外と古い。学園が一貫校であり、幼稚園のころから通っていることもあるが、なによりの縁は砂糖入りの卵焼きだ。
 昔から砂糖入りの卵焼きが大好きだった金糸雀だが、年を経るごとにその投入量はエスカレート。
今では金糸雀のお弁当に入る卵焼きの甘さについていけるのは雛苺とこの猫だけだった。

 卵焼きを食べるデブ猫を見ながら、金糸雀は、小さくため息をついた。
 『どうした?』といわんばかりの上目遣いで、猫は金糸雀を見る。
 「なんだか最近色んなことがあって、ちょっぴり疲れたかしら」
 猫のそれを特に不思議とも思わずに、金糸雀も猫に語りかけた。
 「今日も先生に言いつけられて、こんな時間になっちゃうし」
 フォークに刺さった卵焼きをぴこぴこと動かす。
 常に元気な金糸雀が、こんな風に呟くのは珍しい。
 猫はほんの数秒、じいっと金糸雀を見た。その後、立ち上がり歩き始める。
現れたときのように向日葵の間からではなく、ちゃんと人間用に整備された道のほうを進み、金糸雀のほうを向いて「にゃあ」と鳴いた。
 誘われている気がして、金糸雀は向日葵の花壇の柵を越えた。

 この学園は創立年の古さと敷地面積では国の中でも上から数えたほうが早いらしい。
中庭といっても相当な広さなのだが、双子姉妹率いる園芸部は向日葵を見事に管理しているようだった。
外から見ると隙間なく向日葵が植わっているように見えるが、実際の花壇の内部には管理用に人が通るため
の道が整備されていた。

 猫は迷いなく、迷路のような向日葵の群れの中を進んだ。
 何度目かの角を曲がったとき、一瞬金糸雀は猫の姿を見失った。
 「あれ?」
 と呟いたが、すぐに気づく。どういう自然の作用か、整然と植わっている向日葵の並びが、一箇所だけ大きく窪んでいた。
 そうやってできた向日葵の木陰の中に、猫は寝そべっている。
 真夏の太陽の影響は強く、あたりはまだまだ暑かった。
大きなお腹が芝生の上に垂れていて、猫は気持ちよさそうに目を細めていた。
その窪みは、小柄な金糸雀の体ならばすっぽりと入ってしまいそうだった。
「ここを紹介してくれたのかしら」
 もちろん、その好意を無にする金糸雀ではなかった。
 2時間ほどしただろうか。姉の水銀燈が向日葵の花壇にやってきた。
 群青色の夜に向日葵の黄色。その根元で眠る妹を見て、水銀燈は無性にほっとした。
 先日、複雑な血縁関係が知らされたりと、妹の心理状態が心配だったのだ。そして今日、なかなか家に帰ってこなかった。物騒な事件も最近は多い。なにかあったのかと、久しぶりに焦った。しかし、この暢気な寝顔を見ていると、何事も問題はないように思えてくるのだった。

 金糸雀が目を覚ますと、車の助手席の座っていた。
 「目が覚めたのね」
 姉である水銀燈がハンドルを握っていた。
 「かしふわぁー」
 寝ぼけ眼を擦りながら、返事をすると、水銀燈は少し笑った。
 「あんなところで寝ちゃって。とんだ野生児だわ」
 えへへ、と金糸雀は笑った。
 「ちょびっとだけ涼むつもりだったのかしら」
 「あきれた。門がもう少しで閉まるところだったじゃない」
 「けれど、おねえちゃんが来てくれたもの」
 「おばか。GPS端末がなかったら、朝までそこで、夏かぜ確定よぉ」
 水銀燈は左手で、金糸雀のおでこをぺち、と叩いた。
 「きゃあ、痛いかしら!」
 そう言いながら、金糸雀はさらに嬉しそうに笑って、水銀燈もつられて笑った。

 車の運転をする姉の横顔を金糸雀はそっと見る。大好きなおねえちゃんのりりしい横顔を見ていると、どんなことでも大丈夫なように思えてくるのだった。
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