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L.― 電信


 想い、かい?

 伝えたいことを……伝えられなかった。そういうことかな。
 ふふ、よく言われる。妙に鋭いって。

 うん。それは多分、この世の中に、ままあることのひとつなのだと思う。……あ、いや、僕がそういうことに慣れている訳では、無くてね。ただ何となく、そう思うだけ。

 だって、そうだろう? ひとの命には、限りがある。決められた時間、という奴だね。それはきっと、産まれた時に、既に決まっていたんだ。僕の場合も、そう。

 ひとは何時までもいきていられないし、その中で……己の中で、考えることがあるとしよう。うん、何でも良いんだ。兎に角、己の中に思い浮かぶ、由無しごとさ。

 その中で、己以外に、伝えたいと思えること。それはどの位あるだろうか。

 五割? 七割?
 そんなに多いかな。僕はもっともっと、少ないと考えるよ。言えないこと、言いたくないこと、そんなことだって、……

 そう。考える由無しごとが大きすぎるから、そこから踏まえて『伝えたいこと』の割が少なかったとしても……それも、大きすぎる。

 すべて、は無理だろうね。――うん。さみしい。それはとてもさみしいことだ。
 多分、……伝えられなかった想いというものが、さみしさに変わっていくのだろう。
 ひとりだと、誰にも伝えられない。伝える相手が、居ないんだ。

 だから、ね。僕は声が聴きたいのだ。声には想いが宿る。僕は君の想いを受け取るし。君は、僕の想いを感じてくれるだろうか?

 ――ありがとう。以前はそういう相手が、姉さん以外にも、居たのだよ。丁度、昨年の夏。彼女は、亡くなってしまった……うん。大丈夫。

 色々な話をして……愉しかったなあ。
 ふふ、そうだね。こうやって話すのも、便利な世の中だと思うけれど。直に逢っているのなら、その熱まで伝わるものね。

 熱、か。

 君は。そうだね、君は。伝えたいことが、伝えられなかったと。
 まだそのひとに、逢うことは出来るかい。

 ……そうか。それなら、うん――そうだね。
 もし逢うことが出来たのなら、何の言葉も、交わさなくとも。
 ただ、その手を握れば良いと、思ったのだよ。それだけさ。

 言葉が無くても、想いは伝わる……それがいつだってまかり通るかだなんて、僕にもわからない。

 けれど。その熱は、大事なものだ。それは、いきているということだから。
 当たり前のようでいて、とても大切なことだと、僕は思う――




――――――――――



L.6


 それにしても暑い。夏、もう夏の盛りであると、言ってしまって何の差支えも無かろうと思う。
 港を歩くのも、随分と久しぶりであるような気がしていた。ただ此処は、僕が居る居ないに関わらずいつも賑やかだったし、それは僕が此処にやってきていない暫くの間だって、毎日繰り返されていることに違いなかった。

 鴎、の群れ。それだっていつも、見慣れたひとつの画だった。
 けたたましく鳴いている彼らを暫く眺めていると、其処から、すぃ、と。群れから離れて、飛び立っていく鴎が一羽。

 行き先を、眼で追ってみる。
 その一羽はただ、高い高い青空の下。大きく弧を描いて、飛んでいた。その様は何処か優雅で、僕も鳥であったなら、などと。「たが」の外れたことを思い起こした訳でも無かったが、取りも敢えず気分は良さそうである、と思った。

「鴎、か」

 たましいとは、巡るものらしい、――僕はそんな彼女の言葉を、思い出している。巡り巡ったたましいというものは、また、『ひと』というかたちに戻るものなのだろうか。それとも、地を這い回る虫であったり……それこそ、今頭上を飛んでいる、鴎になることもあるだろうか。

 ――下らない、と。いつもは僕のそんな思考を一蹴する筈の"考え虫"の声など、もう聴こえない。そうだ。あれは元より僕自身の言葉だったわけで、"考え虫"など居なかった、居なかったのだ。
 もっとも。僕自身の陰鬱な考え方が全て消え去ったかと言うと、そう上手い塩梅にもいかず、己の鴎云々についての思考に対しては、単純に自嘲してしまうばかりである。

 時に。そこら辺で鳴いている鴎も然ることながら、どうやら頃合はやってきていたようだった。

『また港でも歩いてれば、学校が終わった頃に女学生がその辺で騒ぎ始めるですから、――』

 少し口の悪い、翠色のリボンがよく似合う彼女の言葉が浮かぶ。
 今正に女学生は港に溢れ始め、そのような塩梅に辺りは包まれ始めていた。
 よくもまあ、そんなにしゃべることがあるものだ、と。声を聴きながら、しかしその内容には全く耳を傾けず、僕はその場を後にしようとする。

 昨日あった彼女と、これからあう彼女。僕はもう、ひとつのことに気付いてしまって、何て世の中は狭いのだろうと――そんなことも、何となく思い浮かべていた。成る程、よくよく思い出してみれば、二人の少女は、似ているといえば似ている。明るく眩しい、栗色の髪。

 あの時、あえて口には出さなかったものの。ふたりが、姉妹であったとしたならば。電信の繋がった彼女の話と、また港で出逢った彼女の話に。ぴたりと木型が組み合わさるような、そんな合点が得られるような気がしていた。
 ただ、それを僕が確かめることはしないだろうと思う。
 それをする必要は、多分無い。

 元より、不思議な縁なのだから。それを明らかにするのは、何となく『うまくない』。
 それだけ、ただそれだけで、特に大した理由など浮かばない。

 踵を返し、蒼い海を背にして。僕は煉瓦の敷き詰められた道の方へと歩み始める。


――――――


『おお、また出かけるのか?』
『直ぐ帰ってくるです、おじじ! 何の心配も要らねぇです!』

 ……うん。
 件の時計店の眼の前で響いている、大きな声。
 おじじ、というのは。多分彼女の家のひとであろう。そりゃあ、やっとこさ女学校から帰ってきた娘がいきなり外へ出る等と言い出したら、多少の心配もあるだろう。

 僕がそれを耳にしつつ、ぼんやりと時計店の前に立っていると。慌しい様子で、ひとりの娘がやってくる。

「全く、おじじは心配性です……って、」

 包みのようなものを持って彼女は額の汗を拭いつつ、その眼線は僕を捉えた様子だった。

「ななななな、何でおめぇが此処に居るです!」
「何でって。三日程経ったから、頃合を見計らって来た訳だけど?」

 ――陽の高い内に。
 自分の肩の高さ位に手をやって、僕は空を指差しながら言った。
 それと共に上を見やれば、高い高い青空に、お天道様はしろくぎらぎらと輝いている。

「え、あー……と。そう、そうですよね。てっきり港でふらふらしてるもんだと思ってたですから」

 あはは、と。何やら引きつった笑いを浮かべる彼女は、片方の手で頭を掻き、もう片方を後ろの方へとやった。

「それ、何だ?」

 指摘してやると、彼女は更に慌てた様子になる。

「お、おめぇは何も気にせんで良いのです! さ、行くですよ」
「……行くって、何処へ」

 先程から僕は、彼女にものを訊いてばかりである。仕方の無いことだ、何しろ会話を繋げようとしたとて、ちっとも己の中では合点のいく処が見当たらなかったから。
 だが、それにしても。何となく間が悪かったろうか、などと。そんな塩梅にも、思えてきていた。

「とりあえず。涼める処、ですかね」

 僕の考えを余所にして、彼女はすたすたと歩き出す。

「ほら、ちゃっちゃと歩くですよ」
「おい、待ってくれ――」

 『とりあえず』の言に従うように、僕は彼女の後をついていった。
 ぺたぺたと、草履を踏みしめる。素足で歩いたなら、照り付けられた煉瓦道はさぞ熱いことに違いない。

 周りの喧騒に包まれて、彼女の編み上げ靴の鳴らす音は、よく聴こえなかった。
 何処に向かっているかも、わからぬまま。僕達は肩を並べてからも、歩いている間はついぞ、お互い何も話すことは無かった。



―――――――――



 空のひかりは、相も変わらず僕達を照らしつけていた。
 涼める処、という彼女の言が、一体何処を指していたのかはわからなかったのだが、大体歩いている方で予想がついてきたのは、特に何も話さないままに歩き続けて十分ほど経った後の話だった。

 ここは海に近い街だから。そこに水を流し込む、川がある。

「さ、この辺でいいですかねぇ」

 川べりの土手で、僕達は腰を下ろす。人通りは、当然ながらほとんど見られない。
 それほど長く歩いたとも思わなかったけれど、もう此処は随分と『街中』から離れてしまったようにも感じる。
 丁度山間に群生していた樹々の影になって、陽射しはそれほど厳しくはなかったのがありがたかった。
 少し、風が吹く。緑がざわついて、その隙間から零れ落ちるひかりが、川面をきらきらと輝かせていた。

「それにしても、あちーですねぇ」
「そうだな」
「ばてたりは、しとらんです?」
「その辺りは大丈夫」
「……」
「……」
「街中も、こんくらい静かならいいですのに」
「全くだ」

 他愛の無いやりとりを、ぽつぽつと交わす。僅かな風に、彼女の髪がさわさわとなびく。

「それで」「それでですね、」

 重なる声。

「お先にどうぞ」
「え、あー……うー」

 何の訳かは知らないが、言葉に詰まった感じになる彼女だった。

「いいですか、勘違いするなです!」
「な、何を」
「『うさぎの』の甘味があんまり美味しかったから、その返礼です! 別におめーをどうこう思ってって訳じゃないんですよ!?」
「えーと……」

 捲くし立てられて、うまく言葉を返すことの出来ない僕の眼前に。彼女はずぃ、と、布包みを突きつける。

「あ、ありがとう。開けてみても、良いだろうか?」
「さっさとするです! 大したもんじゃねぇです!」

 ぷぃ、とそっぽを向く、そんな彼女の頭からは。煮立った湯気が見えるかの様相である。
 ――何故そんなに怒るのだろう。お転婆、というのとも違うな、これは。上手い塩梅の言葉が見つからなかった。

 しゅるっ、と。音をたてつつ、包みを開ける。中には、……よく見たことの無いような、うすくまるい塊が入っていた。何だか、あまい香りがする。甘味の返礼と言うからには、これもひょっとして――?

「これ、何だ?」

 僕は先程、間も悪く彼女の言と重なってしまった問いを投げかける。

「食い物であることには間違いねぇです。……私が作ったんじゃねぇですよ? えーと、ほら、あれです。常連のお客さんが、ぽいって家に置いてった土産です。実はそのお客さんに作り方を教えて貰って、昨日の夜に鉄板(てついた)で焼いてこげこげになったから作り直したとか、そんなんじゃねぇです」
「……」

 うん。この娘は、きっと墓穴を掘る性質(たち)なのだ。しかしながら、知り合って殆ど間も無いと言うのに、こんな様が如何にも彼女らしいと、そんなことも思う。

 ごくり、と喉を鳴らし。意を決して、それに齧りつく。
 さくり、という音を立てて、仄かな甘みが口の中に広がった。
 暫し咀嚼を繰り返している間中。彼女が、じっ、とこっちを見ているものだから、何だか食べ辛い。――そんなに睨まないでくれないか。どうやら、僕の感想を待っているような風であった。

「ん……美味しいよ、これ」
「本当ですかっ!?」

 言を聴き取るや否や、ぱぁっと顔を明るくする彼女。
 初めての口当たりではあったけれど、世辞では無くこれを美味しいと感じている。

「西洋菓子ですよ。東亰あたりに顔を出しゃあ、もう出回ってるかもしれんです。それに合わすには、紅い茶が良かったりするですが……生憎うちのおじじが気に入って飲んじまって、葉を切らしちまったです。だからこれで勘弁して欲しいです」

 竹筒を手渡される。随分と、つめたい。
 口に含んでみれば、それは冷出しされた茶の様子。
 この甘味は中々好みの味だけれど、口が渇いてしまう塩梅だったから、川の水を掬って飲もうかとも考えていた処だった。有難い心遣いである。

「有難う」

 ふ、と。一息ついて。僕一人では食べきれないから、と。結局その西洋菓子を、ふたりで食べることにする。

「いや、本当に中々美味しいよ、これは」
「ま、まーそうですねぇ。そりゃ良かったです」

 其処からまた、何のこともない話が続けられて。
 そんな最中、彼女は川面を見つめ、ぽつりと或る言葉を漏らした。

「妹も、美味しいって言ってくれるですかねー……」

 妹。彼女の、妹。
 彼女の口から直接訊いた訳では無かったけれど、僕の予想が正しければ、それは――あの山間の療養所で、胸を患っている――彼女のこと。
 妹想いの、姉である。真に、心の底から。そんな姉に想われて、妹だってそれに応えぬ筈があるまい。

「大丈夫だ。自信を持って良いと僕は思う。喜んでくれるさ、きっと」
「……そうだと良いんですけど」

 言って、彼女は俯き、少し表情を曇らせた。
 けれどその後直ぐ、こちらを向き直して、

「ありがとです、気遣って貰って」

 にこり、と笑みを讃えて、僕に言うのだった。

 胸患い。彼女の妹の病は――いずれ血を吐き、苦しみながらしんでゆく、そんな病。僕の幼馴染の彼女が居たあの療養所は、そんな患者で溢れかえっていた。

 家族でも、その病に罹ってしまった者が身内に出たならば、早々に諦めてしまう者も多いという。眼の前の彼女も――この姉も、それに近くなっている様な、そんな気さえする。

「駄目だ」
「……え?」

 そう。ひとつの命の終わりなど。何時やってくるか、わからないから。
 彼女は――僕と同じ様に、なってなどいけない!

「丁度菓子は、余っているだろう。君の妹に、食べて貰おう」
「え? でも……」
「良いんだ。時は刻々と過ぎる。今、これを持っていこう」
「私の妹は――病気です。旨くねぇもん食わされて、それ以外は食うなって言われる、そんな状態ですよ。見つかったらただじゃ済まんです。それに――」

「おめーにも、伝染しちまうかもしれんです」

 僕を見つめる瞳が、色を失っていく。その方が、小刻みに震えている。
 悩んで、悩んで――今まで見ていた筈の、饒舌な彼女が。触れるだけで壊れてしまいそうな、そんな風にも見えた。

「食べさせて、やりたいんだろう?」

 僕の言に暫く反応を示さず。
 眼を見ずに、やがて。こくん、と。ちいさく、ちいさく、頷いた。

「じゃあ、行こう。――そうだな。伝染す云々と言うのなら、僕は部屋の外で待とう――と。胸患いならば、何処かの施設に君の妹は居る。それで間違いは無いか?」
「……そうです。此処から一寸歩いた処にあるです」
「そうか。その場所なら、僕も知っている」

 五、六個ほど残っていた菓子を包み直して。僕はまた――初めて、港で出逢った時の様に――彼女の手を、引いた。彼女の右手に、僕の左手を重ねて。

 弱々しく。それでも彼女は、僕の手を握り返した。
 此処には、僕達しか居ない。他のひとの眼など、気にする必要も無い。

 土手を後にする。
 先程から、風が幾許か強くなってきたと思って。ふと空を見上げたら、何時の間にやら、僕達を照らし続けていたお天道様が、灰色の雲に姿を隠してしまっていた。

 一雨、来るかもしれない。夏の天気は、気まぐれだから――

 そんなこと思いながら。彼女のてのひらから感じる、熱を伴って。僕達は、歩き始める。



―――――



R.― 

 大丈夫かい? 
 さっきから、随分咳をしているけど――

 ……そうなのか。僕も丁度肺が悪くて、こんな処に居る訳だけれど。君とは何だか、他人の様な気がしないな。

 ――話? うん。それは勿論、僕もそうだけど。あまり無理をしてはいけないよ。君の姉さんが、心配するじゃないか。
 そう。家族は、大事にしなくちゃいけない。かけがいの無い存在だからね。僕だって、そうさ。

 お見舞いの品に、お菓子を作ってくれたりするんだよ。この間だってね、先生に見つからないように、こっそり持ってきてくれたんだ。

 ――そうなんだ? そうか……手作りのものが上手、っていうのは。多分、いいお嫁さんになるだろうね。

 はは、僕は……そういう相手が、居ないからね。しょうがないよ。
 ん、いいんだ。気にしないで――
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