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     五、翌檜林

 あまり嬉しそうでない様子の巴を、由奈は訝しく思った。
「あら、お嬢さま、まだ緊張していらっしゃるの」
「ちょっとだけ」
 と、巴は言った。
「次ですよ、次。次はもっとうまくやりましょう」
 と、由奈が変な励まし方をするものだから、巴は思わずふきだした。
「あの子たち、ここにもどって来て、それでわたしたちがまた逃がすのね」
 そんなことはもうない、と思いながら巴は言ったのだが、言っているうちに、あるいはそういうこともあるかもしれない、と思いあらためるようになった。が、それよりは、次に逃げるとすれば、自分たちのほうであろう。
 巴が明るい調子で言うと、由奈がその言葉にのった。
「そうですね。ふたりで家出しちゃいましょう」
 と言って、由奈は手を打った。しかし、いきなり家出をすれば、かけこみ先のオディールがまた驚くに違いないから、次はちゃんと、あらかじめ連絡をしておくべきだと、由奈は言った。
「うん。いっそ、薔薇屋敷へゆくのも、わるくないかも。どうせつれあいになる子がいるのだし、逆になっても」
 と、巴は言った。言うまでもなく、薔薇屋敷とは、現在件の双子姉妹が世話になっている家である。巴のいいなずけのいる家でもある。
 オディールの家へゆく気でいた由奈は驚いて、
「えっ、でも、あそこのご嫡子の方、とんでもない色きちがいだって話ですよ。お嬢さんやわたしなんて、危ないわ」
 と、両手を振って、薔薇屋敷ゆきはだめだと言いはった。
 巴は呆気にとられたように、小さく口をひらき、それから一回まばたきをした。そんな話を聞いたことはない。いったい誰がそんなことを言ったのか、巴が訊くと、
「そこの時計屋さんに」
 由奈は時計屋のある方角を指さした。そこの、と表現できるほど近くにある店ではないが、しかし近所と言えなくもない距離である。
 由奈は以前、柴崎の時計屋へ使に出されたことがある。その時、どういうわけか主人とたいそう気が合って、そしてすっかり話しこんでしまった。それで、いろいろ教えてもらったわけである。
「柴崎のご主人、一葉さまとは大の仲よしなんですって」
 と、由奈は言った。
 巴は感嘆した。太平楽を絵に画いたような御曹司と聞いたが、交友関係一つとっても、それがあらわれているようであった。
 性格がどうであれ、そのうち会わなければならない人物である。
「五月の連休のあたりがいいかな。四月中は、わたしはともかく、一葉さんが時間をとれるかどうかわからないし」
「そうですねえ。……」
 と、由奈は呟くように言った。
 それまであの薔薇屋敷に双子がいるとはかぎらなかったが、そのあたりは一葉へ信書を出すなりして、一度じっくりとこちらの都合を話せば、なんとかしてくれるに違いない。結菱一葉は一から百まで女の味方で女の敵だと、時計屋の主人が教えてくれた。一も百も、たぶん年齢のことであろう。が、
 ――どこまで、ほんとうのことなのか。
 巴は、由奈の言っている・時計屋の主人の人物評については、話半分に聞いておくべきだと思った。
 由奈が巴の手をつかんできて、
「薔薇屋敷、わたしもご一緒していいですか。あそこ、大きな薔薇園があるのでしょう。見たいな」
 と、同行をねだった。
 遊びにゆくのではないのだから、と巴は言いかけてやめた。このさい、それでもよいような気がした。それくらいの気楽な心持でいるのが、よいのかもしれない。
 こちらあの双子のゆくえ知れずになって以来、大げさに言うと食事も喉をとおらないほど心配に心配を重ね、ために体調をくずすこともあったというのに、当のふたりは、結菱一葉に保護されて健在というのだから、巴としては、自分の必死さを馬鹿らしく思ってしまったところが、たしかにあった。
「そうね、一緒にゆきましょう。由奈さんがいちばん、仲よかったんだもの」
 と、巴は快諾した。会って文句の一つでも言う権利が、由奈にこそあろうと思われた。

 いったい、あの奇妙な双子が自分の家の敷地内に住みはじめたのか、巴は知らない。
 昨年春、翌檜の林の奥にひっそりと離れ座敷が建てられたものだから、どうしたことかと巴がふしぎに思っていたところ、これまたひっそりと目の色のおかしな双子姉妹がやって来て住みはじめた、という具合である。
 離れのことは邸外に及ばず、などという緘口めいた沙汰が父から出たのは、それからまもなくのことであった。
 ――妙なこと……。
 と、怪訝に思ったのは巴ばかりではあるまいが、巴自身について言えば、一度もそのことを両親に訊かなかった。そうする心のゆとりがなかった。
 ほとんど同じ時期に、みつが居候をはじめたり、また結菱二葉が息子(巴のいいなずけ)を伴ってやって来ることが増えたり、邸内はがぜんあわただしくなっていった。翌檜林の双子のことを忘れている時間が、この一年のうちでは圧倒的に多かったのである。
 旬代わりに交替される離れの世話係が翌檜林へ入ってゆくのを時々見て、巴はようやくにして双子の存在を思い出す、せいぜいその程度になっていた。
 ところが、巴と同い年の由奈は、役目を負うたわけでもないのに、自分より年下の子がいるのが嬉しいのか、ひまをつくっては離れの双子にこっそり会っていたらしい。他の者は双子の色違いの目を気味わるがっていたが、由奈には好奇心の対象にしかならなかった。
 あるいは巴の父が、離れに双子を住まわせたのは、そのあたりの目を配慮したゆえであったかもしれない。
 由奈が離れにかよっていると判明したのは、今年の二月頃であったと思われる。
 その日、もうすっかり月例となっていた結菱親子の訪問を受けていた巴は、父に案内され、四人で邸を散歩した。
 翌檜林の近くを通りかかった時、林の入り口に、林間に半身をかくしてこちらを見ている双子を発見した。
 ふたりは、はっきりとこちらを見ていた。巴以外は誰も気づかない。巴だけが、翌檜の双子の、あの色違いの目で見られていることに気づいた。
 その目がふいに林に消えたかと思うと、代わりに由奈が頭だけをひょっこりとあらわした。彼女は巴に手を振って、それから頭をさげ、自身も林の奥へ姿を消した。
 見つかってしまっては是非もない、と言わんばかりに、由奈は日のいくらかあらたまったあと、巴の肩を押して離れまで連れていった。酔いどれみつが勝手について来た。
 その時になって、巴は、仮にも自家の敷地内に住んでいる人間の名を知らなかったことに、半ば愕然とした。一年のあいだ、それだけ無関心でいたということである。
 双子の名は、姉が翠星石で妹が蒼星石である。見た目が奇妙なら名もたいがい奇妙だと巴は思った。
 柏葉氏にひきとられて来た理由は本人たちもよく知らないようであった。以前住んでいた場所におられなくなり、仮の宿としてこの離れ座敷を提供された。把握しているのは、それくらいであった。
 その他、おおむねの事情(身元など)は、別の人間にもう一度同じことを説明させる面倒を気づかった由奈が、あとから代わって説明してくれた。
 以前も今と似たような離れに住んでいたこと、そこには、二十歳にはなるまいが、由奈や巴よりも年上の女性が一緒にすんでいたこと、その女性の名が、カキザキメグといい、本来は母屋の住人であること、そして、血のつながりという点において、双子とは全く赤の他人であるということ云々。……
 ――カキザキ、メグ。
 巴は頭の中で姓名を復唱した。石神井に柿崎という大家がある。巴はまっ先にこの家を思いうかべた。が、石神井の柿崎家にそんな名の娘はいなかった。シラコの娘がひとりいるだけで、その娘の名は、メグ、などという平凡な名ではなく、もっと変わった名であったと巴は記憶している。(名自体は思い出せなかった)
 自分が知らないだけかもしれないと思い、巴は邸を訊いてまわった。かんばしい結果は得られなかった。ただし、両親には訊かなかった。藪を突いて蛇を出そうとしているのと変わらない気が、なんとなくしたのである。
 それから巴は、ちょくちょくと翌檜の離れへかようようになった。由奈と違い、そう頻繁に離れにかよっているわけではなかったが、翠星石も蒼星石も由奈より巴に懐いているようで、
「喋り方がねえ、違うんですよ。わたしと話す時は、お嬢さまの時より、ちょっと雑になっているみたい」
 と、由奈が巴に言った。
 喋り方に関しては、巴はそんなふうに感じたことはなかったが、ほんとうであれば、それは賢いと言うべきか、でなければ、いやらしいと言えるかもしれない。巴の齢半分ほどしかなくても、どちらのほうがより恃むに安全なのか、ちゃんとわかるということである。
 みつは中々子ども好きな性格らしく、なにかと翌檜林にゆきたがったが、酒の抜けないうちはだめだと巴が言うと、そんなことはもう言わなくなった。みつは全くなさけない大人であった。巴は呆れた。
 巴はたまに離れへゆくと、かならず双子の姉妹を外出にさそった。三度それを断わられ、四度目に諒承された。
 離れのことは邸外に及ばず、という沙汰のため、外を遊びまわるわけにはゆかなかったが、自動車の中から景色をながめるだけでも、ふたりは楽しんでくれた。
 翌檜林の双子はお互いの名を、頭の一字を抜き出して呼びあっているので、巴たちもそれに倣うようになった。
 巴は、だからといって、彼女たちと特別親しくなった気にはならなかった。
 やはり、由奈のほうにより親しんでいると、巴には感じられた。

 巴が初めて翌檜林の離れに入ってから半月余が経った頃、ローゼンと名のる四十歳前後の男が、柏葉の本邸を訪問して来た。
 訛のない日本語を喋る・見るからに〝うさんくさ〟な西洋人の男であったが、石神井の柿崎氏からの連絡が事前にあったことと、彼のしたためたる信書をあずかって寄越して来たので、門前払いをくらわずにすんだ。
 事前の連絡に訃報が含まれていたので、柏葉氏は家人に言って弔電を打たせた。
 亡くなったのは長野の本家方の妾で、長いこと病に臥せっていたが、ついに治ることなく床で臨終をむかえた。ローゼンはその妾の愛人にあたり、翌檜林の双子はその娘にあたる。
 死んだ妾は、生前ローゼンと姦通して三人の娘を産んだ。その一人が石神井の分家にひきとられたシラコの娘で、あとの二人が翠星石・蒼星石ということである。シラコの娘は今十七、八歳であろう。双子とは、かなり年齢差がある。
 身の回りの清掃をすませたローゼンは、自分の娘たちをひきとりに来た。むろん、今日来てすぐに連れ帰るのでなく、それに先がけて挨拶に来ただけである。
 女中に案内されて客間に入ろうとしているローゼンを、酒蔵帰りのみつと由奈が目撃した。みつは、
「あのひと、うちの元旦那にそっくりね。里の方かしら。見覚えないけれど」
 と、酒臭い息を吐いて由奈に言った。似ているが、その元旦那の槐よりも一回りほど老けて見えた。
 みつも由奈も、まだ客の正体を知らないでいる。
 由奈は、みつを彼女の部屋へ連れもどしたら巴の部屋へゆこうと思った。客が来た日は、かならずそうしている。巴から客の話を聞くためである。巴はけっして口の達者なほうではなかったが、それでも、こうした日の話を聞くのは、由奈にとって愉しいことであった。
「わたし、みっちゃんさんの別れた旦那さんに、会ったことありませんよ」
 問いかけられても、同意を求められても困る。由奈はそう言って、足どりの重いみつの背を押した。みつの心はまだ半ば酒蔵の門前にあるので、歩の進みがにぶかった。
「ううん、なんで蔵に錠なんてかけるかなあ」
「錠が要るから蔵にお酒をいれているんです!」
 由奈はこの酒狂いの尻の一つでも蹴りとばしたくなった。
「それにしても、よく似ていたわねえ。あいつも十何年後かには、あんな感じになるのかしら」
 背を押す由奈に体半分をあずけながら、みつは酒臭い部屋へもどる途中、そんなことを呟きつづけた。時々、自分の呟きを聞いている由奈に妙な言い訳をして「いや、確認しに見にいったりしないわよ。うん」などとも。
 由奈はみつを部屋の中へ押し入れると、巴の部屋へむかった。
 室内に巴はいなかった。たぶん、挨拶につきあわされているのであろう。じきにもどってくるはずだと思い、由奈はそのまま巴を待った。
 けっきょく巴が部屋にもどってきたのは、日の暮れきった頃であった。ローゼンが帰っていったということでもある。巴は最初から最後まで父とローゼンにつきあわされた。
 巴は由奈がいたことに多少驚いたようであった。
「あら、由奈さん」
「おつかれさまです」
 と、由奈は巴をねぎらった。由奈はそのまま今日の訪問客について話を切り出そうとしたが、それは巴の、
「ちょうどよかった」
 という言葉にさえぎられた。
「なにが、ちょうどよかったんですか」
 と、由奈は当然の疑問を言った。
 座布団に座った巴は、一度こくりとうなずいてから、今日訪ねて来た客が翌檜林の双子の実父で、ふたりをひきとる話をもって来たのだと言った。それで、柏葉氏に一通りの事情を話しおえたローゼンは、――お互いのいろいろの準備がととのったら、連絡をください、こちらも入れます、そして後日にむかえにあがります、そう言って帰った、と。翌檜林へはゆかなかった。
「まあ、お父さまが――。それで、むかえにおいでになったのですか」
 そこまで言って、由奈は話のおかしさを感じ、小首をかしげた。
「えっ、お父さまがむかえにいらしたんですか。それって、メグさんという女性の使とかじゃなくて?」
「うん、そう。なんだか複雑な事情があるみたいだった」
 と、巴は言ったが、彼女はローゼンに聞かされた話の半分も理解できなかった。話の流れの上辺をせいぜい掬えたくらいであった。巴は、だから、由奈にも自分の理解できた部分しか教えられなかった。
 ローゼンは、他人の女と寝て、三人の子を産ませ、あげくその皆を棄ててどこかへ消えてしまった男である。子は三人とも柿崎家の敷地内で世話され、のちに石神井の分家と、この柏葉本邸にそれぞれひきとられた。
 らんぼうに要約すると、そのようになる。
「そのローゼンって男、まるきしロクデナシじゃないですか」
 聞きおえた由奈は、率直な感想を言った。それに、故人をわるく言うのは心はばかることだが、寝所に外の男を入れる女のほうも、たいがいロクデナシに思える。
 ところが、ロクデナシの女のほうが病に罹って死んだ。ローゼンはその女に産ませた娘をひきとりに来た。
「あの子たちをわたすの、いやですよ、わたし」
 と、由奈は慍然として言い、口をとがらせた。
 一年も経てば、由奈の内では、もうすっかり双子への情が湧いている。ずっと一緒に暮らしていた保護者代わりのメグならともかく、ちょっとも一緒にいたことのないロクデナシの男なんぞ、実父でも、わたすのはまっぴらごめんだと思った。
 巴は同意しかねた。巴の会ったローゼンという男は、ただの優男に感じられた。善人と言いきれるわけではないが、少なくとも悪人ではないように見えた。話しているうち、巴はローゼンに好感をもつようになった。
 しかし、女に対する男としては、由奈の言うとおりロクデナシに違いないと、巴にも思われた。
 ローゼンのもって来た話は、いかにも虫のよいものであった。これは、巴の父の侠気を恃んで双子の姉妹をあずからせた、石神井の柿崎氏も同様であった。虫のよさにも限りがあろう。
「まあ、わたしがぐだぐだと言っても、仕方のないことですけれども、……」
 と言った由奈は、やにわに姿勢をくずしてため息を吐いた。「でも、いやだなあ」
「だって、ねえ。仮の宿という話だから、そりゃ、そのうちここから出ていっちゃうんだろうな、とは思っていましたよ。だからって、なんで、メグさんというひとじゃなしに、――」
 由奈はそこで不快そうに口をつぐんだ。考えれば考えるほど、彼女の内でローゼンへの悪感情がふくれあがっているようであった。
 由奈はそのあと、また口をひらき、あらんかぎりの言葉でローゼンを罵りつづけた。巴はそれをとめなかった。声が大きい・もそっと小さく、と注意するだけで、罵りをとめることはなかった。とめない程度には、巴も由奈に同調しているということであった。
「あ、そういえば、あの子たちはもう知っているんですか。その、お父さまのこと」
 と、由奈が訊いた。巴は、
「ううん、まだ。父さまから、人形をわたすついでに話して来いと言われたけれど、断わって、人形だけわたしてもどって来たわ」
 と、人形の両脇を抱えあげるようなしぐさをして言った。そんな重大事を伝えるのは、どう考えても子どもの仕事ではあるまい。人形はローゼンが娘へと、巴に寄越して来たものである。
「お人形をですって。まあ、そんなのでご機嫌とりしようって魂胆かしら。自分で手わたしすればいいのに、ロクデナシの上に臆病者ですね」
 と、由奈は辛辣なことを言った。
「ほんとうに、大人って臆病」
 と、巴は言った。人形にかこつけて娘に事情を話させる父も含めて、巴は由奈に同調してみせた。

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