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 ――さて。
 
 私は今の状況を、冷静に分析しようと試みる。
 それが失敗に終わることは、勿論自覚していたのだ。手先は割かし器用な方だけれど、複雑なことを考えるのはとんと苦手だから、私は。

 本当に、複雑な問題なのかしら?

 改めて考えて、その自問にもやっぱり答えを出すことが出来ない。

 ――少し、嘘をついている。
 出すことが出来ない、ではなくて。出そうとしていない、だけじゃなのかも?


「槐さん、お茶が入りました」
「ああ、ありがとう」

 私の思考を余所に、繰り広げられる幕間。

「みっちゃんさんも……はい、どうぞ」
「あ、ああ、ありがと」

 優雅な仕草で私にお茶を差し出し、お盆を持っていそいそと奥の部屋へ戻る彼女。

 今、時は夜中の十二時をまわったところ。
 眼の前には、これまたこの上無いくらい上品な仕草で紅茶に口をつける彼。
 一流の人形師ともなると、普段の仕草まで洗練されてくるものなのかな、なんて。多分的外れなことを、考えたりもする。
 そして。そんな思考は、どういうサイクルを以て戻ってくるのか私自身も分からないまま、眼の前の事象に立ち返ってくる。

 ――ふむ。こんな時間に、あの娘が居る――この状況を、どう解釈すれば良いものか。
 しかもわざわざ、店を開けた状態で。お客なんて、来ないんじゃない?

 私は私で。彼に教えて貰った、今自分が居る処にかなり近い(徒歩にして一分もかからない)バーでちまちまとお酒を呑んでから、珍しく夜中に灯りの点いていたこの場所へと寄ってみたのだった。珍しく、というか、かなり久しぶり。
 それでも、店に入ったところで私はお客になるつもりは無かったのだから、やっぱりこの『店』にとっての利点は、ゼロだ。

 とりもあえず、先程手渡された紅茶をのんでみる。
 ――正直、『これは良い葉を使っている』だとか、そういったことがわかるような殊勝な味覚を私は持ち合わせていない。
 ただ何となく、その香りがとても良かったことと、アルコールの入っているおなかの中に熱く染み込んでくるような感じが、それを『美味しい』と思わせていた。

 ふぅ、と。落ち着いて紅茶を飲んでいる彼には聴かれない程度の、溜息をひとつ。
 ここには何も音が無かったけど、二人の息遣いがよく響く程の静けさを保ってはいない。
 よくよく耳を凝らすことをしなくても。ぱたぱたと、カーテン越しのショウウィンドウから、何かが打ち付ける音が聴こえる。

「雨かしら?」
「そのようだ」

 それぎり、また無言。
 ここへやってきたタイミングとしては、結果として良かったのだろうかと思う。
 バーを出た後、駅までは暫く歩かなければいけなかったから。傘も持っていなかったし、もしあのまま帰っていたとしたら、ずぶ濡れになっていたかもしれない。

 五月も、半ばを過ぎた辺り。あたりは大分暖かくなってきていたけれど、朝晩は少し肌寒い。たまに水が零れ落ちる日の空気は冷たくて、吐き出す息が白く濁ることもある。
 時期的に、梅雨も近い。六月に入れば、こんな日が蒸し暑く感じるようになるだろうか。
 雨はそんなに嫌いではないから、私としては何も構うことは無い。

 ――ところで私は、何かを忘れているような。

「君、終電は大丈夫なのか」
「あ」

 しまった。……って、あれ。私さっき、時間、確認してなかったかしら?
 紅茶を飲んで、ほっと一息ついて。気付いてみたら、もう先程から半刻も経ってしまっている。
 かちかちと、携帯で終電検索――0:28。アウト。

「ごめん――今日、ちょっと泊めて」
「構わない。もうひとり居るけど、元々三人分くらいの寝床はあるから」

 あんまり、さらっと言われたものだから。私は何だか拍子抜けしてしまう。

『ねぇ、あの娘は――』

 ――なんでまた、こんな時間に?

 訊けばきっと、明解な答えを返してくれる筈だった問いも、口にするのを忘れてしまった。
 私がちょっと『何かを訊きたそうな顔』をしていたとしても、それを察してくれるような心遣いを彼に期待してはいけない。今まで実際そんな塩梅だったし、今もきっとそうだ。

「君、明日の仕事は?」

 ほら、ね。

「午後から。フレックス制って重宝するわ、本当に。今日、一仕事終わったの。だから自分のご褒美に、――ほら。近くのバーで呑んでたの。貴方の知り合いがやってる」

 手にしていたカップの中身は、既に空だった。

「そうか。僕も明日あたり、顔を出してみようか――」

 言いながら口をつけた彼の紅茶も、どうやら干されてしまった様子。
 それを察したのだろうか――と、少なくとも私には思えた――、奥の間に引っ込んでいた彼女が、お盆に色々と載せて戻ってきた。

「みっちゃんさん、明日、お仕事は?」

 にっこりと微笑みながら、彼と同じことを訊いてくる彼女。
 うわ、眩しいなあ。これが若さって物なのかしら……ああ、食べちゃいたい。

「どうやら平気らしい。もう呑んでるみたいだけど、どうやら付き合って貰えそうだ」

 何に『付き合う』かは、お盆の上に載ったものを見れば一目瞭然である。
 巷で『たのしい云々です』と言われながら、するすると呑んでしまう為に、次の日の朝が結果的にちっとも楽しくなれない某お酒。
 それに追加された、どうやら彼女のお手製らしいおつまみが少々。……結婚してくれない? 私と。

「みっちゃんさんもお料理上手じゃないですか。特に玉子料理」

 彼と違い、私の思考を性格にトレースしてくる彼女。大分慣れてしまっているので(最初は大分驚いたものだったが)、私は苦笑いを浮かべる位しか出来なかった。

「えと、ロックで良いですか?」
「うん、ありがと」
「僕もそれでお願い出来るかな」
「槐さん、下戸でしょう。大丈夫ですか?」
「今日ぐらいは良いだろう。――と、由奈。下戸と呼ばれるのは心外だな。白崎よりは呑めるぞ、僕は。君に言われると、大体のひとは『弱い』ことになってしまうだろうに」
「……みっちゃんさん程じゃありません」
「由奈ちゃん、それちょっと酷い」
「敵わないね、君達には」

 並々と、グラスに透明が注がれる。よく冷えた氷がそれを受けて、カチン、と音を立てた。私は、この音がとてもすき。

「――さて、」
「それでは」
「参りましょうか」

 私達は、めいめいにグラスを持って。

「「「乾杯」」」

 チン、と。グラスを付き合わせる。
 何に対する乾杯かは、まだよくわからなかったけれど。とりあえずはまあ、こんなのも悪くないかな、なんて。
 複雑に考えることをやめた私と、何故かはわからないがこんな時間に居合わせた彼女。そして、このドール・ショップの店主。

 まだ全くやむ様子の見られない、雨の旋律に包まれながら。そんな三人の幕間が、始まった。



【ある日の幕間】



「最近どうなのよ、槐」
「どう、ってどういうことだ」
「どうもこうもないでしょ、色々あるじゃない。近況なり何なり」
「それだったら、いつもと変わらない。居る場所の違いはあるがね」
「いつ帰ってきたのよ?」
「一昨日の午後」

 ――連絡くらいくれたって、良いんじゃないかしら?

 私はその一言を、何となく抑えてしまった。
 うん。今日は言いたいことを言えない日。そんな時だって、あるのだろう。

「由奈ちゃんも大変ね、滅多に開けない店のバイトしてるのも」
「あ、大丈夫ですよ。慣れてますし。帰ってくる日も、教えていただいてましたから」

 ……ふぅん。この娘には、ちゃんと伝えていたのか。

 ちみちみとグラスに口をつける彼女は、このドール・ショップのバイトをしている。
 一体何の手伝いをするのか私にはよくわからなかったが、不意に『バイト募集』の張り紙を出したのが一年前。


―――


「ねぇ槐、来るのかしらね」
「ちょっとした気まぐれだ。これでいて、人形作りは手間がかかる。居て役立つなら手伝ってもらうし、そうでなかったら辞めてもらう」
「……結構酷いこと言ってるわよ、それ」

 そもそも、ひとが来る、という前提で話していること自体が少し解せない。
 その日、たまたま店に顔を出していた私は、彼とそんな話をしていた。

「まぁ、『あて』は在るんだ。なんというか、そろそろ来る」
「へ?」

 彼の言葉に嘘は無くて、間もなく本当にドアを開けて入ってくる人物が居たのだ。

「すみません――バイト募集してるって聞いて、伺ったんですけど」

 おずおずとした様子で口を開く彼女。
 思わず、眼を奪われた。あらやだ、この娘可愛いじゃない。
 何処と無く清楚で、ちょっと緊張しているのか声が僅かに震えていたけれど――静かに響く、安心出来るような声色だった。整った顔立ちに、とても似合っている声。

 服飾――とは言っても趣味がてらの、しかも人形専門――を嗜む自分としては、彼女の着ていた服も目ざとく見つめてしまった。

 水色のデニム地のジャケット――このボタンの形って、見たことある――あ、フラボアだ、これ。良い物着てるなあ。少し重たいけど、朝は少し寒かったし。
 焦げ茶色の編み上げ模様の紐をあしらったスカートが、膝のあたりでクシュッと可愛らしく
すぼまっている。と、脛あたりで裾がレース型になっている黒のスパッツ。この合わせ方、流行ってるのかしら? 見てる分には可愛くて目の保養になるが、私にはちょっと無理だ。それで履物は、――

 ――と。上から下までまじまじと眺めてしまったものだから、当の彼女は少し引いてしまった様子だった。

 いけない。可愛い娘を見ると即座に頬擦りしたくなってくる私の性癖を、悟られてはならない。

「あ、あの……雪華綺晶さんの紹介で……」
「雪華綺晶――あ、きらきーちゃんのこと?」

 きらきーちゃんは槐の姪っこで、たまに店で出くわすから顔見知りだった。あの眼帯がまたそそるというか、お嬢様っぽい格好がよく似合っていて、思わず食べちゃいたいくらいだけれど。何故か本能が『逆に食べられるぞ』と叫んでいるような気がしたので、あくまで普通に接していた。

 ちなみに私の『食べる』は、存分に着せ替えをして写真を撮ってそれをお部屋に飾って愛でる、の隠語。誰にも通じたことが無い。
 『食べられる』という本能に関しては――きらきーちゃんは多分写真を撮る趣味は無いし、色んな意味で『補食』されるような感じ。ものすごく健啖なのよね、あの娘。なのにあんなスレンダーな体系で、出るとこ出てて……みっちゃん悔しい……!

「おい、自分の世界にいくな」
「え、ああ。ごめんなさい」
「や、君、すまない。こいつの妄想ははっきりいって留まることを知らないんだ」
「其処まではっきり言わなくても……」

 かくん、と肩を下ろしてしまう私を余所に、槐は続ける。

「――で。紹介とは言えど、此処に来るということは多少の興味はあったということかな」
「は、はい。お人形――西洋人形、を製作されてるんですよね?」
「ああ、そうだ」
「え、えっと――かなりまとまりにならない話ですけど、、良いでしょうか?」
「構わない」

 言われて、彼女は。胸に手をやって、ふぅ、と一息ついてから。ゆっくりと、話し始めた。

「えと、私――何かを生み出すことって、凄いことなんだな、って。最近思うようになったんです」
「へぇ、そうなんだ」

 気を取り直した私も、口を挟みはじめる。

「はい。昔、――中学校時代のことなんですけど、文化祭で――プリンセスのドレスを、デザインして貰ったことがあって」
「すごいじゃない! お姫様かぁ。うんうん、貴女可愛いものねぇ」

 私が言うと、彼女は寂しそうに、ふっと眼をふせた。

「公式なものじゃ、無かったんです、――ある男の子の、想像だったんです。すごく上手だったし、もう吃驚しちゃって、――や、周りの冷やかしなんて、言い訳にならないですね。

 兎に角私は、彼のことを拒絶してしまった」

「……」
「……」

「それを勝手に、しかも全校生徒の前で、――公表されてしまって。彼は学校に来なくなりました。登校拒否です。私があの時、何も気にしてないって言っていれば、彼は――」

 胸に添えた手を、ぎゅっと握り締める彼女。
 中学生といえば、多感なお年頃。今思えば何でもないようなことでも、当時は何か大きなものとして受け止めてしまったのだろう。

「そんな彼と、この間街で出くわして」
「えっ!?」

「彼、凄かったんです。元々、お人形の服のデザインをしてるお話は、クラスで聞いていたから知ってたんですけど。今度はひとの着るための服――デザイナーになりたいって、海外に飛んでたらしいんですよ」

「もう、気にしないでって。私が、言われちゃいました。何度も何度も謝ったけど、彼、笑って言うんです。

『何かを作るっていうことに――今は誇りを持ってるから。もう、迷わない』って。

 それから、色々お話して――とある人形師のひとに、海外に連れて行って貰ったんだよって。

 槐さん、――貴方、ですよね?」

「……」

 訊ねられた彼は、特に何も応えない。

「雪華綺晶さんから貴方のお名前が出たとき、また吃驚しちゃいました。私は正直、何かを生み出すなんてこと、したことが無かったように思います。作品、と呼べるようなものなんて、特に。

 だからせめて、それに携わってみたいと思ったんです。私は彼みたいに才能があるかわからないけど、それでも――」

 其処で、彼女の言葉は途切れた。
 一分程の静寂の後、槐がゆっくりと口を開く。

「君、名前は?」
「あ、すみません――申し遅れました。桑田、由奈です」
「うん――合格」

 えっ? という表情で眼を丸くしてしまったのは、私も彼女も同様だった。

「僕はひとつの究極を目指しているんだ。人形、という、それそのものにおいて。だから、携わる、というレベルでは終わらないかもしれない。それでもいいかな?」

「は――はいっ」

 その瞬間から、このドール・ショップに――槐の愛弟子が、ひとり誕生したのだ。



―――――


「そういえば、由奈ちゃん。ジュンジュンと連絡とったりはしてるの?」
「え、桜田君ですか?」

 空になったグラスにとぽとぽとお酒を注ぎながら、私は彼女に訊いてみる。

「桜田君とは――自分から連絡とることは、しないですね。何となく、おこがましいというか。いくら彼が気にしてないって言ってくれても、私のしたことは消えないですから」

 そう言って、寂しそうな眼を浮かべた。
 ジュンジュンが引き篭もってしまったことに対して、彼女に全くの責任が無い――とは、言
えないだろうけど。全てが彼女のせいである、と言うのは、あまりにも酷だ。
 それでも彼女は、ずっと――その自責を、抱え続けていくのだろう。もう、誰の言葉に拠る
ものでもなく。彼女が彼女自身を赦さない限り、それは続く。

「それに彼には、今は良いひとが居ますしね。女の私がメールしちゃうってのも、ちょっと野暮じゃないですか」
「由奈はそういう妙なところで奥ゆかしい」

 これまた快調に杯を進める槐が、口を挟む。

「槐さんっ! もう……酔ってるでしょう」

 あ、その意見は私も賛成。彼は普段今みたいな口をきいたりはしない。『妙なところ』なんて、何やらわかった風なことを言っているが、女の心の機微を読むなんて、そもそもこの男には十年早いのだ。

「そっかぁ……ごめんね、変なこと訊いて」
「いえ、大丈夫ですよ」
「槐はもっと、弟子を大事にした方がいいわね。こんなに気が利く娘なんて、なかなか居ないと思うんだけど」
「ああ――由奈は中々、筋が良い。今度海外に連れて行こうかとも思っている」
「ええ!? 初耳ですよ、それ」
「そうだろう、今初めて言ったから」

 それから暫く、わぁわぁと話を続ける二人。……何だかんだいって、仲が良いのよね。
 さり気に、短期で彼が海外へ飛ぶ時は、彼女に店を任せていくこともあったり(勿論彼女は大学があるので、空いている時間限定だが)。

 槐とは、私の方が付き合い長いのになぁ……ちょっとだけ、寂しい感じになる。

「みっちゃんさん、そろそろボトルも空なんで新しいの持ってきますね」
「あ、ありがと、由奈ちゃん」
「今日は良いのを持ってきちゃいました! 期待してて下さい」
「何で最初からそれを出さない」
「とっておきは後からですよ、槐さん」

 そう言って、彼女は奥へ引っ込んでいった。
 会話の無い空間で、ふたり。彼のグラスに残っていた氷が溶けたのか、からん、と音を立てた。外の雨はまだ――まだやんでいない様子。時刻は今、一時半。

「みつ」
「――へっ?」
「自分の世界に行くな。ところで……最近の新作は、無いのか?」
「え、ええと――ここ最近本業が忙しかったから、ちょっと製作が追いついてないかも」
「そうか」

 名前で呼ばれるのは、久しぶりだったような気がする。いま少しだけ顔が熱くなっている訳だけれど――お酒のせいだろう、うん。

「お待たせしました!」

 満面の笑みを浮かべながら、由奈ちゃんが戻ってくる。

「さあさあ、早速開けましょう」
「由奈ちゃん……これは私も、槐の意見に賛同するわ。最初から出そうよ、これ」

 『結果的に楽しくなれないお酒』を丸まるいっぽん開けた後に呑むものじゃないな、と思ってしまった。

 グレンフィディック――しかも三十年じゃない。妙に高価いのよね。さっき私がバーで呑んでたのは、これの十二年。

「まぁまぁ。美味しいお酒は、いつ呑んだって美味しいじゃないですか。はい、グラスをどうぞ」

 替えのグラスまでしっかり用意しているところが、彼女が「気の利いてる」所以である。

「では、改めまして乾杯~」

 由奈ちゃんの音頭で、またグラスを付き合わせる私達。

「ねぇ、ところで」
「何だ?」
「この乾杯は、何に対する『乾杯』な訳?」

 ――しかも、この面子で。

 普段呑み会が開かれたら、何はともあれ『乾杯』から席が始まるのは世の常だ。
 だけど私がここに来るのは不意だった訳だし、何だか元々呑むような雰囲気だったし、何か理由があるように私には思えたのだ。

「祝賀会ですよ、みっちゃんさん」
「祝賀会?」
「――そう。僕の作った人形が、向こうの個展でも高い評価が得られたんだ。……師匠にも、褒められてね。間違いなく、今の僕の中では最高傑作であると思えるものが、出来た」

 何だか照れくさそうに話す槐だ。

「そんな訳で、祝賀会です。さぁ、今日はがんがん呑みましょう」
「由奈ちゃん――貴方、お酒強いのねぇ」
「みっちゃんさんには敵いませんよ」
「君達……」

 何となくこの会話に既視感を覚えなくもなかったが。兎に角今日は、そんな理由の酒盛りだった訳だ。

 こんな時間に開かれている理由が、まだ分からなかったけれど。まぁ、いいか。

 そうして、暫しの歓談。

「ねぇ由奈ちゃん、まだモデルになってよぅ」
「ええっ!? 私専門に作ってくれるのは嬉しいですけど、槐さんが……」
「おい君。僕の人形の服を作らないでそんなことをしてるって、どういう了見だ」
「どうもこうも無いわー。普段日本に居ないひとなんて知りません」
「! そうか……」
「え、ちょっと槐、本気でへこまないでよ!」
「み、みっちゃんさんもお仕事忙しいですもんねっ?」
「そ、そうなのよ! さっきも言ったじゃない」
「……」

 他愛ない話をしているつもり、だったが。
 ボトルを半分開ける頃には(槐は水割り、私と由奈ちゃんはロックで頂いている)、槐はただひたすらに落ち込んだ状態になってしまった。
 しくったなぁ……こうなったらなかなか、復活しないのよね。

「ちょっと……手洗いにいってくる」

 ふらふらとしながら、彼は店の奥のお手洗いに消えていった。

「……」
「……」
「……まずったかしら」
「……少し」

 女ふたり、溜息をそれぞれひとつ。
 静かな時間が続いて、未だ槐は戻ってくる様子が無い。

 彼とは昔から――とは言っても、幼馴染という訳でも無いけれど――知り合いで、結構色々話もしたが、まだまだ彼のことについて知らないことも多い。

「分からないことなんて一杯ありますよ、みっちゃんさん」
「だから私の思考を読まないで、由奈ちゃん」
「うふふ。みっちゃんさん、考えてる事、顔に出やすいですから」

 グラスに口をつけながら、彼女はそんなことを言い出す。

「槐さんは、まぁ――鈍いですからね。羨ましいです、お二人が」
「……羨ましい?」
「はい。祝賀会って言っても――なんでこんな時間に、って。みっちゃん、思いませんでした?」
「え? まぁ――」

 其処は、何故貴女がこんな時間に此処に居るのか、という私の疑問にも立ち返ってくる訳だけれど。

「槐さん、いきなり言うんですもの。『祝賀会をやる』って。実は昨日も、開催されてたんですが」
「えっ?」
「『彼女が、店を開けてれば来るに違いないから』って。昨日はそうならなかった訳ですけど、今日まさにみっちゃんさんが来たので、吃驚しちゃいました。『僕の勘を信じろ。きっと来る』って、何か自信ありげだったので、思わず従ってしまった次第なんです」

 はぁ――そんなことを、言っていたのか。あの男は、全く以て朴念仁だ。少しは白崎君を見習って欲しいわ――や、彼も、槐とはいい勝負で鈍いけれど。少しはまし。

「だから、少し羨ましかったんです。槐さん、自分で自覚してるかは怪しいけれど――きっとお二人って、お似合いですもの」
「! ゴホッ、ゆ、由奈ちゃん!?」

 不意を突かれて、思わずむせてしまう。

「槐さんは――あんな感じで。いつも夢を追い続けて、とても、純粋なんですよね。ひた向きと言うか、何と言うか」
「まぁ……そうねえ」

 それ故、周囲の人間の思惑など、色々な意味で気付くべくもない。彼は彼の世界を、いきているから。それが、全てだから。

「――みっちゃんさんにも、同じような空気を、感じますよ」
「私?」
「そうです。みっちゃんさん、言ってたじゃないですか――『私だけの、宇宙を創る……闘わないと、欲しい物は手に入らないから』って。

 私は桜田君とは違って、才能なんかある気がしないし……槐さんは、褒めてくれますけど。私も、お二人のような領域に辿り着きたい。私だけの宇宙を、創ってみたいですし」
「……」
「ふふ、ごめんなさい。お話が逸れちゃいましたね。
 槐さん、みっちゃんさんの前じゃ言わないですけど――貴女がデザインする服、いつも褒めてますよ」
「へ、――そうなの?」
「はい……それで何だか、羨ましい関係だなあって、思ったんですよね。何だかんだで、繋がってる処があるというか。

 ――でも」

 少し真剣味を帯びた眼をしてから、

「――私も、負けませんよ? 不利な勝負ですけど……『闘わないと』、ですから」

 微笑んで、……私の眼を真っ直ぐに見つめて。彼女は、言った。

「え、え――槐のことなんか、私別に、」
「また! そんなこと言うからいけないんですよっ! 槐さんはただでさえ鈍いんです、朴念仁なんです!」
「えーと……由奈ちゃん? 其処まで言うのは……」

 や、私も思ってたけどね。

「あ、ええと……いえ、兎に角ですね。私とみっちゃんさんは、ライバルです。
 宣戦布告ですっ。さぁさぁ、杯が空いてますよみっちゃんさん」

 はっきりと、言われてしまって。流石の私も、苦笑せざるを得なかった。これは、手強いライバルが出来てしまったようだ――

「「乾杯」」

 女ふたりの、秘密の乾杯。
 それから結局、グレンフィディックのボトルを干しきってしまうまでには至らなかったけれど、相当の量は呑む事になった。

 その日、気付かなかったことのひとつ。
 それは、ふたりだけの乾杯が交わされていた頃。お手洗いに消えた槐がそのまま戦線を離脱し、寝床で潰れてしまっていたことである。

「そういえば槐さん、遅いですねえ」
「……寝てるんじゃない?」

 宴が終わる辺りになって初めて、そんなことをのたまう私達。
 冷静に考えると、ちょっと酷いなと思ってしまった。


――――


「みっちゃんさん」
「……」
「みっちゃんさん、朝ですよ。起きてください」
「う……ん」

 目覚め。やさしい声で、私は起こされる。

「……今、何時?」
「ネタフリですか?」
「や、それは無し。本気で今は何時かと」

 また古い曲をしってるのね……

「十時です、みっちゃんさん。朝食、もう出来上がってます」
「そっか……ありがと。ふあ……おはよ、由奈ちゃん」
「はい、おはようございますっ」

 眼鏡をかけると、満面の笑みを浮かべた彼女が眼の前に。あれだけ呑んだっていうのに……これが若さって奴なのだろうか。

 その後、由奈ちゃん作の朝食(宴の明朝、あっさりとしたお味噌汁はとても有難い)を頂いて、私は家路につこうとする。由奈ちゃんは、朝食を食べた後すぐに、講義があると言って先に場を後にしていた。

「それじゃあ、お邪魔しました。泊めてくれてありがと、槐。また来るわね」
「礼には及ばない。それにしても、君達は何でそんなにけろりとしていられるんだ。僕なんかまだ頭が痛いぞ」

 こめかみの辺りを押さえながら、嘯く槐だ。

「一度呑むって決めたら、女は強いのよ」
「……性別が関係あるのか?」

 怪訝な表情を浮かべる彼に、私は笑みを浮かべながら言ってやる。

「――無いわ。強い弱いは、酒呑みにとっては関係ないもの。ただ、『同じ空間に居る』っていう空気を、一緒に感じられればそれでいいの。だからもっと、付き合えるようになってね」

 それを聴いた彼は、困ったような笑みを浮かべながら。

「全く君には――敵わない」

 そんなことを、口にするのだった。

 外へ出ると、昨晩の雨の空気は何処へやら。眩しいほどの光が、私の眼に入り込んでくる。
 道のところどころには、まだ乾ききっていない道路に、水溜りが。
 そこに光が反射して、きらきらと輝いている。

 雨上がりの、空気だ。
 雨自体も好みだけど、私はきっと――この雨上がりの空気が、一番すきなんだと思う。
 それを、すぅっ、と。思い切り吸い込んだ。

 潤いの香りを帯びた空気が、胸の中を満たす。
 うん、今日も頑張れそうだ。

 軽快なステップで、まずは歩き出す。
 そういえば、強力なライバルも出来てしまったけれど――まずは、眼の前のやれることに、闘いの意識を向けないと――

 そんなことを、考えながら。



――――


 ――さて。
 あの呑み会の席で、気付かなかったことのもうひとつ。
 私はそう遠くない将来。槐と、とある進展を得ることになる。

 ひとえに、そうなる様に仕向けたのは――無意識の意識を保ちながら、自分の世界に没頭し続ける槐と。彼に対する気持ちはばればれなのに、ちっとも行動を起こさない私に業を煮やした由奈ちゃんだ。その彼女が、とある作戦を立てていたということ。

 それは、自らが『ライバル』として立候補して――私の『闘いの意識』を、自覚させることだった。何しろ由奈ちゃんは、そもそも自分から槐にアプローチをかけるなんて、てんでしていなかったのだ。


――――



「私はそこまで野暮じゃありませんよ」

 ぺろりと舌を出して、いたずらっぽく彼女は言った。

「はぁ……」

 私は頭を抱えて。それでいて、きっと彼女のそんな後押しが無ければ、自分から行動を起こそうだなんて、思わなかったのだろう……そんなことも、考える。
 私が想いを伝えてから。槐から改めて、その想いを返される結果となったのだから。

「仲の良いおふたりは、『成るべくして成る』……そう、思ってますよ」

 よく言うわ、本当に。何処かの策士みたいね?

「そうねぇ……じゃあ今夜は、皆で呑みにいこうか」
「皆?」
「そ。槐も連れてくるから。きらきーちゃんに、巴ちゃんでしょ。あ、ばらしーちゃんが帰ってきてるって。水銀燈ちゃんは、元々居るし……真紅ちゃんに、――ジュンジュン。みーんな誘って、酒盛りよっ」

 きょとんとした表情を浮かべて。それから直ぐ、

「――はいっ」

 零れるような笑顔で、彼女は言った。

「……で、お話から察するに。集合場所は、此処というわけですね?」

 困ったような、それでいて少し嬉しそうな。複雑な表情で、カフェのマスターは言う。
 私と由奈ちゃんしか客の居ない喫茶店で、紅茶を啜りながらそんな話は繰り広げられていた。

「いいかな? 白崎君」
「――まぁ、大丈夫でしょう。今日は貸切にした方が良さそうですね。
 たまには悪くないでしょう――彼との腐れ縁も、長いですから」

 ――散々、冷やかしてあげますよ。

 にやりとしながら、カフェのマスターは言った。

「あはは……ほどほどにね。それにしても、ありがと」
「いえいえ。ああ、そうだ――指輪、お似合いですよ」

 言われて、私は右手の薬指に嵌められた、シンプルな銀の輪を見つめる。

「ふふ、本当にお似合いですよ、みっちゃんさん」
「むぅ、二人とも……」

 もう既に、冷やかしは始まっている。
 それはやっぱり少し、こそばゆくて……ただ二人とも、心から祝福してくれているんだという想いが、更に私の体温を上昇させた。

「ごめん……ありがと、って言いたいけど……まだちょっとだけ、勘弁して」

 顔から湯気が出る。婚約するって、皆こんな気分なのかなぁ……

「じゃあ、面子を集めるのは、私がしますね」
「僕も協力しますよ」

 うぅ。ちょっと、泣きそうになってしまう。
 彼と私の仕事の都合上、直ぐに結婚するという訳にはいかなかった。
 だけど、その前段階として――私の指には、婚約指輪が輝いている。

 私はいつか、彼の人形専門の、服飾デザイナーになるだろう。
 何だか、夢を見ているような。こんなに幸せで、良いのだろうか――

 そんなことも思うけれど、これが今。私にとっての、現実だ。

「私も良いひと、見つけたいですねぇ」

 眼を瞑り。ふぅ、と溜息をひとつつく彼女。

「貴女なら、――きっと見つかるわ」

 心からの想いを、告げる。彼女はきっと、幸せになれる。
 だって彼女は、私達の幸せを、願ってくれたひとだから――

「ふふ、ありがとうございます。私の時は――祝賀会、開いてくださいね?」
「……勿論よっ」

 いっぱい、写真を撮ってあげる。一生の思い出に、なるように。

「さて、一旦私は戻ります。集合は、と……七時くらいで、良いですか?」
「そうですね。少々準備もありますし。今日はそういう看板を、立てておきましょう。突発の呑み会で断るひとが居そうに無いというのが、この面子の良いところですねぇ」

 あはは、言うなぁ……本当に、そうだ。
 だいすきで、大切な、仲間達。

「じゃ、私も戻ろうかな。七時で良いんだよね?」
「そうですね」
「了解! じゃあ――また、あとで」

 喫茶店を後にして、私達は別れる。

 今日と明日、仕事はお休み。とりあえず、全力で呑む準備は、整っている。

 午後のひかりが、ぽかぽかと暖かい。雨はここ最近降っていなかったし、これから暫くは、天気が崩れる様子は無いみたい。

 ――と、確か今朝の天気予報では言っていたけれど。
 ふいに、ぽつり、と。額のあたりに、冷たい水の感触。

 太陽は、顔を出しているというのに。本当に少しの雨粒が、辺りに降り注いでいた。

「狐の嫁入り、って奴かなあ」

 うふふ。私は狐じゃ、無いんだけどね。

 そんなことを考えて。指輪の嵌った右手を、空へ掲げてみる。
 そうすると、銀の指輪は、太陽と水のひかりにあてられて、きらりと輝く。

 雨が降っているのに、まるで雨上がりのような空。
 だいすきな香りを胸いっぱいに吸い込んで。

 元々傘なんてもって居なかったけど。
 ぽつりぽつりと零れ落ちる水を、遮ることもせず。
 きらきらと輝くひかりの中を、歩き出していた。




【ある日の幕間】~つながりのゆめ~ おわり
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