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     四、いろいろと相変わらず

 結菱一葉の訪問をうけた翌日の昼過ぎ、槐は柏葉巴へ電報を打った。
 槐としては、これで自分の役割は終わったと感じた。オディール・フォッセーの家へ双子の姉妹をおくりとどけるという役目は果たせずじまいだが、それは結菱一葉が代わっておこなうはずだと思われた。早い話が、子どもの足に三田は遠いので、柏葉の本邸から近い・見知った槐の店を、中継場所に選んだということであろう。
 詳しい事情を知らないままだが、槐は特別知りたいとも思わなかった。双子の名さえ知れば、満足できた。だから、槐の中で、この件は今日の電報を打った時点で終わったものになった。
 郵便局から帰ってくると、店には昔なじみの白崎がいて、人形を物色していた。
「相変わらず、いい人形を作る」
 白崎が持っていた人形の正面を槐にむけて笑って言った。それはどうも、と槐は素気なく言い、白崎の笑顔を一蹴した。
「相変わらずと言うのは、進歩がない、という意味じゃないよ」
「ぼくが、おまえの褒め言葉を、そこまで曲解する男に見えるか」
 白崎の弁解こそが、槐の癪に障る言い方であった。白崎は、これは失礼、と相変わらずの芝居がかった大げさな手振りで謝った。こういうところは、昔と同じである。槐には妙に安心できる。気分をあらためた槐は、店の奥を指さし、
「上がってゆくか。客間はひどい散らかりようだから、居間にでも」
 と言った。客間は、昨夜に妹の友人が大挙しておしよせて来て、飲み食い散らかして帰っていったから、とてもひとをあげられる状態ではない。
 白崎はうなずいた。槐の妹が、今お茶の用意をしているところであった。白崎がそれを飲まずに帰るわけにはゆかなかった。それを聞いた槐は、
「姿が見えないと思ったら、台所にいたのか。客間の掃除もしているのかな」
 と言い、
「すぐに帰るのか」
「迷惑なら、そうする」
「よし、夜までいるといい」
 と言って、槐は閉店を告げる『CLOSED』の札を表戸へ掛けにいった。
 無難に『本日閉店』と書いた札にしておけばよいのにと、白崎はつねづね思うが、それを槐に言ったところで彼は、西洋人形の店なのだから、これで問題ない、と言いはって札を変えなかった。この上、こういうのが今はおしゃれなのだとも言った。
 表戸がひらかれる。間をおかず、白崎は人形を元の場所へもどした。最近来たのは、先月の初め頃であったと記憶している。その時にこの人形はなかったはずだから、これは新作であろう。
 髪から衣装まで全体的に薄く紫がかった人形で、左目に眼帯が付けられている。金色の目が、猫みたいでなんとなく怖かったが、見惚れるほどうつくしくもあった。だから、なおさら、
 ――もったいないな。
 と、白崎は思い、人形をながめているあいだ中、眼帯をはずしたくてたまらない気持ちになった。はたして、この片目の人形の隠れている目は、きちんと作られているのか、そういう好奇心もあった。人形をおいてようやく、槐の作品を台無しにしかねない衝動をおさめることができた。
 札を掛けてもどって来た槐が、
「主人に人形の用があるのか」
 と、白崎に訊いた。昨日は槐の店に結菱一葉がやって来て、今日は白崎がやって来た。白崎の訪問の理由は、一葉と、それからたぶん、例の双子の姉妹にあるのだろう、と槐は思ったが、そのことは訊かず、人形のことだけを言った。
 白崎の主人は元華族の富豪である。顧客にかかえられるのなら、是非にもそうなってほしいものであった。
 どうだろうな、と白崎は少し首をひねった。白崎が邸を出る時、どうせ店へゆくなら人形を見て来い、と一葉が言ってきた。彼に人形の用があるに違いなかった。
「でも、これ、子どもには怖い代物かもしれない。あと大きいね。持ってひきずりそうだ」
 と、白崎は言った。
 怖いと言われて、槐は店内を見わたした。なるほど、子どもにはちょっと怖いかたちの人形かもしれない。大人でもだめな人間は全くだめというものである。これは西洋人形でも日本人形でも同じであろう。この手の人形には、ある種の不気味さが宿っている。
「動物のぬいぐるみか、さもなければ、ビニール人形あたりが、子どもに贈るには具合がいいのか」
 金持ちの顧客をつかみそこねた槐は、わずかに肩を落とした。
「ぼくは、かわいいと思うよ」
 と、白崎は蛇足にしかならないことを言った。
 槐はむつとして眉を顰め、白崎を睨んだ。
「じゃ、おまえが買え」
「それは無理だ。金がない」
 白崎は親指と人さし指で小さな輪をつくった。
 そんなふうに、やりとりをしているうちに、奥からどたどたとやかましい足音がして、白崎さんお茶入ったかしらー、なんて、どこか間の抜けたのん気な声があがった。
 白崎はさもおかしげに大笑した。状況としてそこまで笑うようなことではないはずだが、少なくとも白崎にとっては、そうするだけの要素が揃ってしまっていた。
 自分の妹を笑われた槐は、白崎にむかって怒ってみせ、次に呆れてみせた。笑いすぎの白崎に呆れたのである。二十一歳とは思えないほど幼い妹に対する呆れでもあった。背丈の小学生並に低いのは、生まれつきのこととして仕方なしと思えるが、性格の幼稚さはどうにかならないものか、と思う。
「白崎さあん、お茶ァ――って……あ、おかえりかしら」
「金糸雀。ぼくにも、お茶」
 店へ出てきた妹に、槐は言った。
 金糸雀、という一風変わった名の槐の妹は、マセたふうに腰をひねって、
「お客さまでないひとに淹れるお茶はないかしら。お兄さま、どうかご自分でなさって。それでなくても、カナは忙しいの」
 と言い、ふふ、と微笑んだ。
「おまえ、自分のことを、カナ、なんて言うものじゃない。ちゃんと、わたし、と言いなさい」
 槐は、もう何度目かもわからない説教をした。それに、と説教をつづけようとしたところで、金糸雀は口に手を当てた。
「喋り方まで変えるのは、ご遠慮するかしら」
 特徴的な語尾をことさら強調して言って、金糸雀は逃げるように奥へひっこんでしまった。お説教はもうたくさん、という態度であった。
 怒りの落としどころを失った槐は、不作法に髪を掻きみだした。
 この兄妹もたいがい相変わらずのようだ、と白崎は肩をゆすって声なく笑った。槐はすでに白崎から目を切っていたので、笑われていることに気づかなかった。

 槐の家は洋風建築だが、内装はほとんど和風である。畳の部屋が大半を占めていて、白崎の上がった居間もそうであった。
 客間は掃除が終わらなかったと金糸雀が言った。彼女は今夕飯の支度をしている。
 居間に上がった白崎は、ふと、こういうことを考えた。――相変わらずというと、槐は草笛みつの近況を知っているのであろうか、と。
 ふたりが今でも連絡をとりあっているという話は、ついぞ聞かない。金糸雀はずいぶんとみつに懐いていたが、離婚後は槐に気をつかってか、いっさいの交わりを絶っている。(その点、槐の言うほど金糸雀は幼くない)
 しかし、昨夜中あびせられつづけた二葉の怒声によれば、槐は柏葉巴と電報のやりとりをしていたらしい。
 個人的なものでなく、あの双子の姉妹にかかわるものであったが、そのどさくさに、ほんの少しくらい、みつについてのやりとりがあったかもしれない、と白崎は思った。
 金糸雀を交えての食事を終え、彼女が居間を出ていったあとしばらくして、白崎はそれとなくみつの名を出してみた。
 みつは相変わらず飲んだくれているらしく、電話で話していても、いかにも酔っぱらっています、という声しか聞かなかった。息災と言えば息災だが、不健康な生活をつづけているのに違いない。白崎は槐に言った。
 槐の酔って赤くなりかけていた顔が、なんとなく青ざめたように白崎には感じられた。馬鹿な女だ、と槐は独り言のように言い、酒を飲みほした。酒杯を持つ手の動きも彼らしくなく、あらっぽかった。
「ぼくより年上のくせに、なんて情けない・不摂生な・考えなしな・ひとの気をわずらわせてばかりの……」言いかけて、「おい、白崎、なんて顔をしている。ぼくはよりをもどす気なんて、これっぽっちもない!」
 腰をうかせてそんなことを怒鳴ると、槐は黙り込んでしまった。槐は、しかし、明日くらいにでも、みつに電話してやろうかと思った。彼の家に電話はないので、近くの公衆電話ボックスまで走らなければならないが、そのくらいの手間はかけてやってもよい気がした。槐は酔った頭でそう思った。
 槐の考えたこととは少し違うが、白崎も似たようなことを考え、
「でも、まあ、彼女がああなった原因の一つに、きみの浮気性があったことは、たしかだ。だから、彼女へ手紙でも出してはどうだい」
 と、槐に言った。白崎もまた、そろそろ酔いのまわっている頃であった。
 槐は思案するように目をふせた。目をひらき、白崎を見た。睨んでいるような目つきであった。白崎はちょっとひるんだが、べつに槐は自分を睨んでいるつもりはなく、ただ酔いのせいでそうなっているだけだとわかったので、ふっと息を吐き、姿勢を正した。
「電話と、どちらが安上がりかな」
 と、槐は言った。
「やあ、金で決めるのか。こういうことは、せめて、金のかかわらないところでの利便で決めなよ」
 と、白崎は責めるように言った。槐はめったにない白崎の厳しい口調を、意外に思い、またいぶかしくも思った。
 それがきっかけというわけでもないが、槐の心は急激に冷めた。
「やめた。電話はすぐに切られるかもしれない。手紙はそもそも読まないかもしれない。どちらにしても、彼女は、もうぼくの話を聞かんと思う」
 と、槐はあっさりと言った。
「やめるのか。手紙なら、ぼくが柏葉の本邸を訪ねて直接わたして、読むのを見ていてやるのにさ」
「なんだ、いやに気をまわすじゃないか」
 槐は白崎の顔をのぞきこんだ。
「そうだな、ぼくはおかしなことを言った。きっと酔ってしまったせいだ」
 白崎は酒のせいにして、ひとり納得した。が、冗談半分・嫌味半分のつもりで言っただけの槐は、白崎がそんなことを言うものだから、かえって要領を得られなかった。――みつと会う口実にぼくを使いたいだけなんじゃないか。そういう無粋なことを、槐はつづけて言おうとしたのである。が、白崎のふんいきは、槐の無粋をゆるさないものであった。
 槐は少し心配になった。どうした、と白崎に訊いた。白崎は首をふった。白崎自身は、とくにどうもしない。が、主人方は、ややこしいことになっているようで、そのとばっちりで、白崎は二葉から説教を食らった。昨晩は、ずっと二葉に叱られっぱなしであった。その半分は槐のせいである。
「とばっちりで説教とは、わからないことを言う」
 槐は不快げに白崎へ言葉をぶつけた。なぜ白崎が自分のせいで主人から説教されるのか、槐には気に入らなかった。また、半分が槐のせいなら、もう半分はだれのせいなのか、槐はまずそれを訊いた。白崎は、
「ぼくのせいだ。自分の主人に面とむかって、無粋だ邪推だと言った。まっ先にそれを怒られて、しかも足を踏まれた」
 と、昨夜のことをふりかえって言った。二葉に呼び出された白崎は、部屋へ入るなり、二葉に足を踏まれたのである。白崎の足を踏んだあと、ぼくの邪推のとおりだったじゃないか、と二葉は言った。槐が巴から電報をうけとったのと同時期に、白崎はみつから電話をもらった。白崎の話はそこから始まる。――
 大方の話をし終えたところで、白崎は酒を飲み、長大息した。
「ぼくが原因の半分とは、それか」
 槐は納得した。したが、不満であった。ぼくのなにが悪いというのか、そう思った。
「それじゃ、ぼくがおまえに電報のことを話さなかったから、おまえは主人に足を踏まれたということになる。でも、ぼくはそんなことを、おまえに話しようがない。結菱家と柏葉家が、あの双子において、そんな変なところで繋がっていたことなんて、ぼくはちょっとも知らなかったんだ」
 と、槐は怒って言った。それなら、白崎のところの主人が、おかしな双子の姉妹を拾ったと、一つ電報を槐に寄越して来たのなら、白崎は足を踏まれずにすんでいたかもしれない。こんな言い方もできるのである。
「違いない」
 白崎は苦笑して、槐に謝った。

 槐の打った電報は、夕方頃になって柏葉の本邸にとどけられた。
 巴はその電報をやんわり握りながら、みつの部屋を訪れた。
 みつの部屋はいつも酒の臭いを充満させている。そのため、巴はこの部屋へ入るたび、胸にむかむかしたものを感じなければならなかった。畳にも障子にも襖にも柱にも天井にも、酒臭さが染みついている。
 さすがに、先月の暮れ頃にぶちまけた吐瀉物の臭いは消えていたが、ぶちまけられた由奈の服からは消えなかったようで、けっきょく捨ててしまったと、このあいだ言っていた。
「みつ姉さん」
「もう、巴ちゃんってば、みっちゃんでいいって言っているじゃないの」
 みつの眼鏡は、自分の吐く息のせいでしばしばくもる。
 巴ちゃんより一回りも年上なの、と言ってはばからない二十五歳のいとこは、結婚後二年と経たずに離婚し、されども両親を怖れて実家へ帰ることもせず、柏葉家に居すわりつづけていた。
 離婚する数ヶ月前にころがりこんで来たようなので、居候も一年が経過したことになる。
「少しばかり色男に生まれたからって、調子にのっちゃって、いばっちゃって、あの浮気者。こっちから三行半つきつけてやりましたとも」
 酒が入ると、みつはそんなことを言った。素面の時には、巴から訊いても絶対に話さないことである。これのどこまでが真実なのか、正面から話を信じれば、みつもよく辛抱したものだと思えなくもないことだが、さて。
 もっとも、みつの素面はそう簡単におがめるものではなく、夕方頃にはたいていすでに泥酔していて、この日もそうであった。
 子どもの前でも酒の臭いを消そうとしないのは、感心できたものではない。
「みっちゃんさん」
 胡坐をかいている成人女性を前に、巴はかたちのよい正座をくずさない。それでも多少のいらだちがあるのか、膝の上できれいにかさねていた手をこすりあわせた。
「槐さんから電報をいただきました」
「へえ、そうなの」
「そうなの、ではありません。内容はだいたい見当がおつきでしょうから、あえて言いませんけれど、そういうことですから」
 巴は腰をあげた。中腰くらいになったところで、みつに呼びとめられた。みつは、苦笑し、首をかたむけつつ、人さし指をたてて、
「あの、全然、見当がおつきにならないのですが」
 と、いかにも巴の怒気に怖れ畏まったという感じで言った。
「槐さんから電報です」
「それだけでは、ちょっと……」
「〝フメイノコト 二九ヒ ユイビシカズハヒロウ トモニアリ〟――以上です」
「巴ちゃん」
 みつの目と眼鏡とがいっぺんにくもった。それだけでわかるはずないじゃない、そう言いたげなため息が吐かれた。
 巴は今度こそ退室するために、障子に手をそえ、音をたたせないように静かに開いた。
「見つかりましたよ、翠星石も蒼星石も。あなたが酔いつぶれているあいだに、結菱一葉さまに保護されていました」
 障子が閉じられた。
 ――あの人はだめね。やっぱり。
 みつに見切りをつけた巴は、女中頭の娘の由奈をさがした。巴は厨房近くで見つけた由奈の腕を曳いて自室へ入り、電報のことを話した。
「あ、そうでしたか。ちょっと予定と違っちゃいましたけれど、とにかく無事でよかった」
 由奈は両手を顔の前で合わせて言った。
 うん、と巴は静かな声でうなずいた。

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