※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。


     三、ドールショップ・槐

 天井が高い、と目を覚ました瞬間に思ったのは、今まで暮らしていた家が矮かったからであろう。(元治の家の天井も矮かった)が、起きるたびに天井の高さにおどろいていたら、身がもたなくなる。
 ソウは体を起こし、まだ姉の眠っているベッドから降りた。
 この大きなお邸は、不足しているものがあっても一両日中には揃うという、ソウにとっては魔法としか言いようのない仕組になっている。ソウとスイに用意された来客用スリッパが大きすぎて、ふたりが歩きづらそうにしていると、数時間後にはぴったりと足にあうスリッパが二組並べられたし、翌朝寄越された着替えがスカートだったものだから、足もとがすうすうすると、ソウがつい口からもらしてしまったところ、そのまた翌朝の着替えはすっかりあらたまって、スカートでなくズボンがあって、ボタンの多い服にてこずっていれば、すぐにボタンのついていない綺麗な洋服に着替えさせられた。
 ただし、今まで自分の着ていた服とは、あきらかに毛色が違う。けっきょく与えられた服の中では、今着ている夜着がいちばん着心地がよい。
 足をスリッパの中につっこんだソウは、着替えもせずにあがわれた部屋から出た。
 となりの部屋で一葉が寝起きしている。そこは本来一葉の部屋ではなかったが、会うのにわざわざ階段をのぼるのは手間だろうということで、わざわざ一階まで移動してきたのである。
 ソウは一葉を起こしたいがために自分も早起きしているのだが、ソウが一葉の部屋へ入る頃には、もうかならず一葉は着替えをすませたあとで、ソウは夜着のままであることを一葉に叱られる。
 この日も、もちろんそうである。これで五度目になる。
「スイは起きていないの」
 ソウは、まだ、と首を振って返した。スイはめったにソウより先に起きないし、この家では一度もない。ソウが一葉の部屋に来る前にスイを起こそうとしたこともない。
「起こして、着替えを持って、連れて来なさい」
 壁を指さして、一葉は言った。このやりとりも毎朝のことである。
 うなずいたソウがスイを連れて来て、一葉の部屋で着替えをする、このところの朝の習慣である。
 ひとりで着替えられない年齢でもないので、一葉がかしずくとか、なにをするというわけでもないが、なんとなくそういう朝のくりかえしとなっていた。
 着替え終わったのを確認してから、一葉はソウとスイの髪を手櫛で梳いてやり、その手で部屋のドアを開けた。
 子どもが余裕をもってとおれるくらいに開かれたドアからソウとスイが出てゆくと、一葉はドアを開ききって自分の体も出し、両手でドアを閉めた。
「よし、歯を磨きにゆこう」
 食事はそのあと、一葉の部屋でとることになっている。
「こういう家、くつ、ぬがないのだと思っていた」
「ぬぐよ。ぬがないと床が汚れるもの。かぶれているのは、見た目だけ、見た目だけ」
 食後、ソウがスリッパを見ながら言ったので、一葉はソウとスイに履物を買ってやるのを忘れていたことに気づいた。一葉の買い与えた洋服に、下駄はいかにも合わない。
 公園の家、とソウが言っていたわりに、ふたりの服装は、とても粗衣とは言えないものであった。下駄は上質だし、食事にしても作法はともかく舌はまずしくない。あと、二葉が髪の長さについて、
「公園に住んでいるようなのが、あんなにきちんと髪を切りととのえられるはずない。家が貧しけりゃ、髪は男も女もみんな同じふうに短く刈るのさ。だのに、きれいに分かれていることだね。見栄えでやっているのなら、よけいに気になる。ほんとうに裏通りなんかで拾ってきたの」
 と、言ってきた。スイの髪は腰を突破しているし、ソウは短髪と言いじょう、両耳がかくれきっていて、肩近くまで伸びている。
 一葉はそんなことをついぞ気にしたことがなかったが、二葉に言われると、なるほど、これは気になるかもしれない。
 ふたりはそれなりの環境で生活していたのであろう。ソウの言葉には嘘か勘違いがある。
「髪、切らせようか」
 と、一葉はソウに言った。前髪がそろそろうっとうしいのか、ソウは手があくと髪を掻きあげるしぐさをしている。
 一葉は膝の上に手をのせてかがむと、ベッドに腰かけて前髪をいじっているソウの手を指さして、
「邪魔なんだろう。切ってすっきりさせてしまおう」
 と言い、となりに座っているスイにも同じことを言った。
 ソウは、たしかに前髪を邪魔に思っていたが、スイは自分の髪のどこも邪魔とは思っていなかった。
 しかし、髪の量が多く・なんとなく重かったので、切るのなら、丈を短くするのでなく、すいて髪の量を減らしてほしかった。長さはこのままがよかった。
「髪の長さ同じだと、見分けづらいよ」
 と、ソウが言って、一葉がそれに応じたので、スイは自分の勝手を口に出さずに済んだ。
「でも重そうだ。すくだけ、やっておいたほうがいい」
 と、一葉が言った。スイはうなずいた。
 散髪後は風呂に入る手順だから、切るのは夕方以降になる。靴屋に連れていってやろうかと一葉は思ったが、帰宅後に散髪というのは疲れるだろうと思いなおした。
 この休日は、散髪だけですませるべきであろう。二つも三つも物事をこなす必要はなく、時間の限りもない。
 さて、そうすると、それまでどう時間をつぶすかということになる。
 平日、一葉が仕事に出ているあいだは白崎が世話をしていた――これは一葉の指図が二葉を経由して成ったもので、このあたり、やはり二葉は一葉に甘いというか、弱いのであろう――のだが、あたら一葉は、体調のこと以外ろくに報告させなかった。
 白崎は二葉に供して出ている。柏葉本邸での花見が来週にひかえているために、物を揃えにいったのかもしれない。妻子の姿も見えないのは、ついていったからであろう。
 ――まいったなあ。体調のことばかり話させていたら、このざまだよ。もっと細かな報告をさせておくのだった。
 今この邸にいない人間のことを考えても仕方がない。
 一葉はいったん部屋を出ると、女給仕の腕をつかまえて、平生ふたりがなにをしているのか、話させた。
 当人たちに直接訊かないのは、十歳にいくつも満たないであろう幼子に、日頃の巨細を話させるのは無理だという判断である。スイは言葉に吝く、ソウは言葉に明瞭を欠く、ということもある。
 ――そういや、ブリキ箱の中身を見せてもらうの忘れていた。
 部屋にもどった一葉は、なんとなくスイと目を合わせづらくなった。
「それなあに」
 と、ソウが一葉の右脇を指さして言った。
 一葉は腕をほどき、本の表紙をソウにむけて見せてやった。ソウはまばたきをして、一葉を見あげ、
「読めない」
「読んであげるよ」
 ソウはまばたきの回数を増やした。読んであげると一葉は言ったが、本を読んであげるということであろう。が、ソウが読めないと言ったのは表紙の題名の字のことである。
「こっちおいで」
 と、一葉は部屋の奥に進んで、ソウとスイを手まねいた。
 テーブルと椅子は部屋の奥・窓際に置かれている。
 一葉は卓上呼鈴を鳴らして給仕を呼んだ。椅子の数が足らないので、それをこの部屋まではこんで来させるためであった。
「鈴が鳴ると人が来る」
 と、ソウは言った。
「来るね」
 一葉は爪で鈴をたたいた。音は鳴らない。
 一葉が書斎から持って来た本は、十六編からなる説話集である。東西・洋のさまざまな奇譚を集録したもので、ざっと目次を見るだけでも、いかに秩序の無い内容かがわかる仕様になっている。
 昼食をはさんで空の色の変ずるまで読み聞かせられたのは、うち二編でしかなかった。
 一頁読むたびに一葉はふたりから質問攻めにあい、適切な回答を考え教えてやらなければならなかったので、なかなか読みすすめられなかった、そのせいである。

 この夜、一葉はソウを先に寝かせて、スイを自室に入れた。
 ――ブリキ箱の中には、なにが入っているのか。
 という疑問は、一葉だけではなく、ソウにも元治にもある。
 持って来させたブリキ箱をテーブルの真ん中に置いて、スイをむかいあわせで座らせた。
「ぼくさ、もっと大きな箱を想像していたんだよ。こういう感じの」
 と言って、一葉は虚空に四角形を画いた。
 しかし、よく考えるまでもなく、スイもソウも手ぶらで、かばんなどを持っていなかったのだから、ポケットや懐におさめられているものの大きさや量など、たかが知れている。
 それにしても、元治は言葉が足らん、と一葉はけちをつけた。
 円筒である。茶筒にしては大きいような気がする。
 蓋をとりはらった一葉は、中身を検める前に、筒口に鼻をつけて、くんと息を吸った。茶葉のにおいはしなかった。
 一葉は諦めわるく、二度三度と鼻をこすらせ、茶葉のにおいのしないことに、顔をしかめた。
 スイの声がとぶ。「マヌケづら」
「なに阿呆なことしていやがるですか」
「口のわるい奴。嗅いでいただけだ」
 一葉は円筒を持っている手をおろし、指をつっこんで中身をとりだした。テーブルの上にとりだした物を並べてゆく。
 白い封筒・五百円札・半紙、それらは全てくしゃくしゃに折りたたまれていた。封筒に書かれているのは受取人名だけで、住所も差出人名も見あたらない。半紙には鉛筆で簡単な地図が走り書きされている。
 ――五百円札って、どこのお嬢さまだよ。
 しわだらけの紙幣をひろげて、一葉は憮然とした。
 それ以上に気になるのは封筒のほうである。一葉は、
「スイは、字、読めるの。かなとか」
「あんまり」
「この中に、読める字はあるか」
 一葉は封筒をスイに差し出した。スイはまじまじとその封筒を見つめていたが、やがてテーブルの下の手をのばし、一字々々人さし指でなぞりながら、その宛名を読みあげた。
「あー、そうか……」
 一葉は盛大にため息を吐くと、天井を仰ぎ、封筒で額をたたいた。 筒の位置をわずかにずらし、目に宛名を当てる。そのままの姿勢で、
「スイはさ、この人とどこかで会ったことあるの」
「ないです」
 一葉は椅子の脚が床からはなれるほど反らしていた体勢をもどした。
「ソウも?」
「たぶん」
 と、スイはあいまいにうなずいた。
 一葉は半紙をテーブルにすべらせ、朱色で印の付けられている箇所を指でおさえながら、ここにいったことがあるのか、スイに訊いた。
「知らんです」
 いったことがあるかもしれないし、ないかもしれない、そういう場所である。
 スイの座っている椅子が、ぎしぎしと小さく音をたてている。足をゆらしているせいであろう。
 どうやら、スイはもう一葉との会話に退屈しはじめたらしかった。
 そこからは、一葉がなにを訊いても、スイは気だるげな返事しかしなくなった。
 ――いや、こりゃ眠気だな。
 相手が七歳か八歳かという子どもであることを、一葉は放念していた。
 手紙も五百円札も半紙も、誰がスイに持たせたものなのか、それを訊くのは、また後日ということになりそうである。
 一葉は椅子から立ち、スイの体を抱きあげて、隣室まではこんでやった。
 そのわずかの距離を通るまでのあいだに、スイはすっかり眠った。
 自室へもどった一葉は、白い封筒を手にとって見た。
 細い墨の字は、大人のものか・子どものものか・男のものか・女のものか、一葉にはわからなかった。
 ただ、オディール・フォッセー、は女性の名であろう。
 一葉は、オディールという名を知らないが、姓と住所なら知っている。家主はコリンヌという老婆であったはずである。
 スイたちはコリンヌ媼の家を目指して走っていたのか、と一葉は想像したが、
 ――でも、あの家は三田にあったはずだ。
 それを思い出し、想像を否定した。一葉がふたりを拾ったところから、いかにも遠い。
 半紙の地図は朱色の点が二つあり、地図上南東の位置からほぼ真北・やや西よりの方向へ矢印が伸びて、二つの点を繋いでいる。
 いったい、どこを書いた地図なのか、出発点にも終着点にもその場所の名は記されていない。一葉にとっては全く不親切な地図であった。
 一葉はよほど、封を切ってオディール宛の手紙を読んでしまおうかと思った。
 もちろん実行するようなことはなかったが、とにかく手紙がいかなる内容のものなのか、気になってしようがなかった。
 元治は、ブリキ箱をあければスイのかかえている秘密だけは確実に知ることができる、と言ったが、現実にそれをして知ったことなど一つもなく、謎は増えるだけで、一葉は、この場に元治がいたのなら、ただちに文句を言ってやりたい気分であった。
 が、知るきっかけを得ることはできた。
 あとのこと、スイに訊けば、彼女はちゃんと答えてくれるに違いない。

 翌々日、一葉は午前中で仕事をきりあげ、手書きの簡易地図にある、終着点へとむかった。
 出発点も終着点もスイは知らなかったが、彼女の話してくれた大小のことを、かいつまんで繋ぎあわせてゆくと、だいたい把握できた。
『Enju Doll』
 という、看板の掲げられた西洋人形店がある。スイはソウの手を曳いて、ここを目指していたのである。
 自宅兼用の店で、
 ――元治の店よりも大きいな。
 と、一葉は思った。店のことではなく生活空間のほうである。元治の家より部屋一個分は広そうであった。
 店内には客も店員もおらず、一葉は、誰かあるか、声をあげてひとを呼んだ。だいぶん待たされたあと、そうとうな巨体が店の奥からあらわれた。
 店主の槐である。
 この変わった名の人形師は、身の丈七尺近い大男で、高い鼻とほの白い緑色の目と、スイやソウよりもさらに明るい茶毛をもっている。彼を人目で日本人だとわかる者がいると思われない、そんな美丈夫であった。
 巨体にまかせてひとを威圧するようなふんいきはない。その点で、一葉は槐に好感をもった。
「昨日、電報を出した結菱一葉だが、槐さんは、おいでかな」
 と、一葉は言った。ああ、と槐は息を吐き、大きな体を曲げ、
「わたしがそうです。どうぞ、こちらへ――」
 と、奥の部屋へ一葉を案内した。
 築何年もない家の客間に案内された一葉は、座布団の上で槐を待った。
 台所でお茶の用意をしていた槐が部屋に入って来た。
 しばしの時の間隙を経て、最初に口をひらいたのは、槐である。
「一つ、まずはお訊ねしたいことがあります」槐が低い声で言うには、「あなたは先ほど、ご自分のことを結菱一葉と名のられた」と。
 慮外のことを言われた気がした一葉は、それに不快を感じたわけではなかったものの、声をつよめて、
「正しく、わたしが結菱一葉だ」
 と言った。
「いえ、わたしは、結菱氏から連絡をいただく時は、かならず白崎からのものだと思っていましたが、そうではないようで、少しとまどっています」
 と、槐は弁解した。
 一葉は驚いた。彼は槐が白崎と縁のあることを知らなかった。
 彼は白崎とは別の給仕に地図の場所を調べさせ、そこに電報を出させたのである。
 白崎が槐の関係者と知っていれば、はなから白崎に話をつけさせていた。
 かならず、と言うほどだから、槐にとっての結菱家とは、すなわち白崎のいる家、という認識なのであろう。
「それで、これはよほどの大事だと拝察しましたが、……」
 と言って、槐は一葉に催顔をむけた。
 一葉は背広の裏から半紙をとりだした。
 柏葉の本邸からこの人形屋への案内を書いている地図で、同区内で拾った双子の女児が持っていた。そういう説明をして槐にわたした。
 槐は地図をまじまじと見つめた。なるほど、と槐は呟き、
「たしかに、柏葉のお嬢さんから、そうした電報を何通かいただいています」
 と、一葉に言った。
「ああ、やはり」
 と、一葉はうなるように言った。そのあと、
 ――この男は、何者なのか。
 と、さぐるような目をむけた。
 白崎を知っている。それだけでなく、柏葉巴から電報を受ける。そういう男が繁華街からわずかにはずれた場所で人形屋を経営しているのである。
 白崎は二葉が巷間の底から拾い上げたような男なので、こういうところに知りあいがいてもおかしくないが、どうやって巴と縁をもったのか。
 巴がこの店の顧客というのなら、そのくらいの理解はとどく。が、せいぜいそこまでだ。一葉の目には、槐が巴と個人的な関係をもちえる男に見えなかった。
 一葉の目に気づいた槐は、
「お恥ずかしいことですが、別れた妻が、柏葉氏の本邸で居候しています。巴お嬢さんのいとこでしたか、まあ、その縁ということです」
 と、ほんとうに恥じているように言い、これ以上は勘弁していただきたい、というふうに右手をあげ、大きな掌を一葉に見せた。
 言わでないことを初対面の男に言わせてしまった一葉は、かるく頭をさげて謝った。
 いえ、と槐が言いかけたところで、どたどたと大きな音が、(おそらくは)玄関からあがった。
「妹です。失礼――」
 と、今度は槐が一葉に謝った。
 槐は首を回し、相変わらず大きな音をたてて廊下を歩いているらしいその妹に、大声をはりあげて、
「客人がお見えだ。静かになさい」
 と、叱った。まもなく音が已んだ。槐はさらに「顔は見せなくてよいから、店の番をたのむ」とも言った。
 槐はそれから、一葉が訊いてもいないのに、妹はとうに成人していて、ふだんはこの店の番をしているのだが、今日は自分に一言もことわらずにどこかへ遊びにいってしまった、困った妹です、と言った。
 そして、咳ばらい一つ、さて、と話をもどそうとした。
「電報をお見せしましょうか」
 と、槐は言った。
「いや、それには及ばない。双子の女児を知っているかどうか、教えてほしい」
「率直に申しあげて、なにも存じておりません」槐は肩をすくめ、嘆息した。「なにせ、電報しかいただいていませんから」
「双子の女児をむかわせたので、彼女たちを三田の、巴お嬢さんの友人の家へおくりとどけてほしい、そういう内容です。双子のことはもちろん、三田の家も知りませんでした」
 と、槐は言った。
 そのかんじんの双子の女児は、いつまで経ってもやって来ず、槐は、いったいどうなっているのか、巴へ電報を打った。
 巴から不明を告げる返電のあった同じ日のうちに、追って電報が届いた。内容に差はなく、やはり不明を告げるものであった。以来、
「フメイノコトシンテンナシ」
 の十二字だけが、槐へ伝達される情報の全てとなっていた。
 一葉は、その双子の女児を拾ったのは自分で、邸に住まわせていること、衣食に不自由はさせていないことを、槐に教えてやった。
「シンテンアリ、になりましたか。よかった」
 槐は安堵して息を吐いた。大男だが、笑うとずいぶんあどけない感じの笑貌になるものだと、一葉は妙なところで感動した。
「ところで、ぶしつけなお願いですが、ついでにあの子らの名を教えていただけませんか」
 と、槐は言った。
 電報に込められる情報には限りがある。双子の名が、ちょうど省略された部分だったのであろう。槐はふたりの名を知らないままでいる。
「スイ、ソウ」
 と、一葉は言った。
 帰宅した一葉は、双子の世話をしていた白崎を移動前の自分の部屋に呼び寄せ、今日槐という男の人形屋を訪ねた、と言った。
「へえ、お人形でもプレゼントなさるので」
 白崎は意外そうに言い、
「いい店でしたでしょう。あの店は、ぼくの友人がやっている店なんですよ」
 と、自慢げに言った。
「そうらしいね。家に上がらせてもらったよ」
 そのことは、白崎にとって件よりさらに意外なことで、たまらず、
「驚きました」
 と、わざわざ口に出して言ってしまった。そこまでふたりは意気を統合させたのか。一葉と槐の両方、とくに槐を知る白崎としては、にわかには信じがたいことである。
「別れた妻が柏葉氏の世話になっているとか、あと妹と一緒に住んでいるとか、まあそんなことを話してもらったよ」
 白崎はますます驚いた。
 妹のことはともかく、別れた妻のことまで話すなんて、今日の槐はどこまで機嫌がよかったのか。
 それとも、逆にすこぶる機嫌がわるく、ために昼間から酒をあおぎ、その勢いで言ってしまったのであろうか。
 驚いてばかりいる白崎に、一葉は、この男はどこまで事情を知っていて、どこまで知らないでいるのか、問い質したくなった。
 事情なんぞまるで知らないように思えるし、また全てを知っているようにも思えた。
 一葉は、仔細を話してみたくなったが、友人の話について愉しげに笑う青年給仕の機嫌をそこねるのも野暮ったい気がした。
 けっきょく一葉は、当たり障りのない世間話に終始して、白崎を退かせた。
 白崎の軽口によると、槐の離婚の原因は、彼の浮気にあったらしい。
 なにせ槐は日本人ばなれした美男子である。それだけでそういう好意をもつ女性は多く、槐も槐で女の誘いを全然断わらない。
 知っている女から酒や買い物に誘われてつきあっただけだ、閨まで入ったことはない、と本人は言う。
 それは事実に違いなかったが、妻からすれば堪ったものではあるまい。また、槐にその気が無かったとは言いきれない。
「そんなことを何度もくりかえして、ようやく、という次第にござあい。まあ彼女も堪え性のあったことです」
 人形を作る腕はたしかですが、女の扱いはさっぱりな男で、と白崎は言った。
 ――そういう男か。
 一度会って話をしたくらいでは、ひとの性情はわからぬということである。

|