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「こんにちは。足の具合、どう?」

金曜日の、午後四時。
気遣わしげなノックに続いて、ドアの隙間から、巴が控えめの笑顔を覗かせる。
蒼星石が目を覚ましてからと言うもの、彼女は毎日、学校帰りに病室を訪れていた。
一人部屋で退屈三昧の蒼星石にとっては、待ち侘びた時間でもある。

「だいぶ、よくなったよ。歩くのが、まだちょっと億劫なんだけどね」
言って、蒼星石は深まる秋の早い夕暮れを正面に受けて、眩しげに瞬きした。
抗生物質を点滴したお陰か、両脚の腫れは、もうすっかり治まっている。
今では、塞がりかけの傷口が、むず痒くて仕方ないほどだ。
どうにも我慢できなくて、蒼星石は包帯を巻かれた足を、もぞもぞ摺り合わせた。

蒼星石の血色よい顔を見て、巴は「よかった」と、にっこり白い歯を見せた。

「今日は、おみやげを持ってきたの」
言って、ひょいと持ち上げたのは、病院の側にある和菓子屋の箱。

「柏餅なんて、ありきたりかも知れないけれど……もし良ければ」
「わぁ、嬉しいな。ちょうど甘い物が欲しかったんだ。柏葉さんも、一緒に食べよ?」
「ええ。ちょっと待ってて。いま、お茶を煎れるね」

肩に掛けていた竹刀の袋を降ろし、巴は、かいがいしくお茶の用意を始める。
小柄な彼女の背に「ありがと」と囁いた蒼星石の顔に、愁いは無かった。
ついさっきまで流していた、涙の痕も――



  第十七話 『明日を夢見て』



一緒に柏餅を食べて、お茶を飲んで、お喋りして……
たったそれだけのコトなのに、蒼星石の胸に重く沈んだ憂愁が、和らいでいく。
巴と語らっているだけで、真っ黒い岩石みたいだった感情の角が削りとられて、
トゲトゲしい不快感から救いだされる安らぎを、蒼星石は覚えていた。

以前、巴の部屋にお邪魔して、夕方まで話し込んでいたことが思い出される。
あの時も、愉しくて仕方がなかった。
どうして? 理由は解っていた。初めて言葉を交わした日、既に。


――キミとボクは、とても似ている。

そして、こうも言った憶えがある。もっと仲良くなれると思うんだ、と。
事実、まだ始まって間もない付き合いにも拘わらず、共有した時間はとても濃密だった。
1分が1日――コトによると1ヶ月――に相当するほどに緻密で。
彼女たちは、和やかに言葉のキャッチボールを繰り返しながら、
お互いの機微を観察しあって、ごく自然に相手を気遣うようになっていた。

「大丈夫?」

現に、無意識のうちに左手を庇う蒼星石を見た巴は、さり気なく手を差し伸べる。
蒼星石は「心配ないよ」と、彼女の配慮をねぎらった。

「抜糸は、いつになるの?」
「必要ないって話だよ。合成吸収糸で、縫合してあるんだって。
 ほら、よく聞くじゃない。溶けて吸収されちゃうって、アレ」
「ああ……あれね」

巴は目を細めて、掌を打ち鳴らした。「じゃあ、もうすぐ退院できそうね」

蒼星石も「一応、明後日の予定なんだ」と返して、かぷりと柏餅に歯を立てる。
そして、もちもちと噛み切りながら、早くそうなって欲しいと願っていた。
少しでも長く、大切な人たちと、貴重な時間を共有するためにも。


翠星石への羨望。依存、そして……盲従。

それが、今までの蒼星石。
いつだって、姉に手を引かれるまま、黙って付き従っていただけ。
そんな生活に慣れきって、いつしか相手任せにすることが、当たり前になっていた。
我を立てて張り合うよりも、誰かの言いなりでいる方が、気楽だったから。
無邪気に振る舞っていれば、みんなに……なによりも、翠星石に可愛がってもらえたから。

(でも……これからは、明日を夢見て、歩いていく。
 自分の意志で、自分の両脚で、立ち向かって行くと決めたから。そして――)

叶うものなら、みんなの太陽として、輝いてゆきたい。
誰かの輝きを映すだけの鏡ではなく、自らが光を放って、幸せを振りまく存在に。
道は遠いかも知れない。けれど今ならば、そうなれそうな気がしていた。
ひとつの過去にケジメをつけて、少しだけ大人になれた……今ならば。

(死のうとしたボクの身代わりとなって消えてしまった、もうひとりのボク。
 彼女や、姉さんの思い出をひっくるめて、ボクは幸せにならなきゃいけない。
 それが……義務、ううん……感謝のしるしなんだから)

彼女たちが居たから、蒼星石は今まで、挫けずに生きてこられた。
時に過保護すぎたりもしたけれど、みんなの支えがあったから、苗木は大きく育ったのだ。
だから、蒼星石は思う。
伸びやかに枝葉を伸ばし、憩いの場を提供して……実を結ぶことこそが、最高の恩返しだと。



――暫し話題が途切れて、なんとなく微妙な間が、病室の空気を重苦しく変える。
その沈黙を嫌った蒼星石は、もうひとりの親友の名を口にした。

「水銀燈は、今日も?」
「ええ。ここのところ毎日、ずっとよ」

蒼星石が入院してからと言うもの、水銀燈は柴崎家に、足繁く通っているらしい。
その事実は、巴や、面会に来る祖父母の口から伝えられていた。
なんでも、彼女は実の娘のように親身になって、家事を手伝ってくれているそうだ。
それによって、悲しみの淵に沈んでいた祖父母も、だいぶ立ち直れた感がある。
実際、近頃の祖父母は他愛ない冗談を口にして、笑う余裕を取り戻していた。

「水銀燈って、いかにも唯我独尊って感じだけど……本当は、とてもナイーブなの」
「柏葉さんも気付いてたんだ? 水銀燈の素顔に」

言いながら、蒼星石は水銀燈と並んで眺めた海の夕暮れを、思い出していた。
あの時、彼女が呟いていた言葉すらも。

  『――ただの強がりなのよ。強く見せようと演技しているだけ。
   本当の私は……弱い』

でも、それはちっとも不自然なことじゃない……と、蒼星石は考えていた。
誰しも、幾ばくかは自分を偽り、他人を謀っているのだから。
肝心なのは、寂しさの本質を知っていて、本当の意味で淋しさを癒せるか、ということ。

  『大切なヒトを、温かく幸せな気持ちで満たしてあげられること』

人を愛するとは、どういうことなのかを訊いたとき、彼女は、そう答えた。
いまならば、蒼星石にも、あの言葉の意味がわかる気がした。

「ボクの代わりに、お祖父さん達を元気づけてくれたんだもの。
 彼女には、いっぱい御礼をしないとね」

蒼星石が言うと、巴は頬に指を当てて「うーん」と唸った。

「御礼とか言うと、彼女、嫌がると思うわよ。とっても意固地だから」
「あ、なんか分かるよ。
 水銀燈なら『謝礼が欲しくて親切にしたんじゃない』とか、怒り出しそう」
「実際、そう言うでしょうね。自分が楽しいから、やっているんだ……って。
 彼女は自分に正直なのよ。猫みたいに気侭で、他人の言葉より、自らの感情を優先するの。
 そんな水銀燈が剣道を続けてるのは、わたしが居るから――なんて思うのは自惚れかな?」

胸に手を当てて、そう話す巴は、どこか誇らしげで、嬉しそうだった。
水銀燈にライバル視されるのが、楽しくて仕方ない……そんな感じ。
そこで、ふと思い出した。夕暮れの体育館で、竹刀を打ち合っていた二人の姿を。

「……いいなぁ、そういうの」
「なにが?」
「前に話したでしょ。放課後の体育館で、柏葉さんと水銀燈の立ち合いを見たって。
 キミたちが、すごくカッコよかったから……ボクは魅了されてたんだ」
「ああ、憶えてるわ。でも、どうして、そう思ったの?」
「きっと、二人とも笑ってたからじゃないかな。
 防具も着けずに打ち合って、すごく危険なのに、とても楽しそうだったんだもの。
 本気でぶつかり合えるキミたちの関係を、ボクはココロのどこかで羨ましく思ってたんだ」

そして漠然と、翠星石と自分も、同じように本音をぶつけ合えたらと望んでもいた。
近すぎて、以心伝心を期待することに慣れすぎて、気持ちが通い合っていると錯覚していた姉妹。
ぶつかりあって、もっと傷付け合っていれば、すれ違いと過ちに気付けたかも知れないのに。
こんな状況に、なってしまう前に――


「姉……さん」

ポツリと呟き、小刻みに肩を震わせる蒼星石の左手を、巴の両手が包み込む。
護るように。勇気づけるように。しっかりと。

「なにか、して欲しいことある?」
「ううん。別に無……あ、やっぱり……ひとつだけ。
 悪いんだけど、足の裏を、さすってくれない? とっても、むず痒いんだ」

巴は微塵も厭わず、包帯が巻かれた蒼星石の足を、手に取った。「こう?」

「ぁんっ」
「あ! ごめんなさい。痛かった?」
「いや……ちょっと……気持ちよかっただけ」

胸に迫る孤独感のせいだろうか。誰かに触られていることが、心地よく感じられた。
スキンシップは、会話よりも雄弁なコミュニケーション。
依然としてココロに穿たれたままの空隙が、温もりを渇望していたのだろう。

「柏葉さん。もうひとつだけ、ボクのお願い……聞いてくれる?」

訊いたときにはもう、蒼星石は背を丸めて腕を伸ばし、巴の手を握っていた。

「少しだけ……ほんの五分で構わないから――」

一緒に、寝て欲しい。温もりで、この胸の空虚を、潤して欲しい。
蒼星石の言葉を聞いて、巴のとった行動は、驚きでも怒りでもなく……
ただ真っ直ぐに蒼星石の瞳を見つめながら、笑うことだった。


「…………うん……いいよ」



  第十七話 おわり





三行で【次回予定】

 悲しみは、時間に洗い流されてゆく。
 頑なな気持ちは、大切な者たちの体温に解きほぐされてゆく。
 そして、彼女たちも変わってゆく。女の子から、女性へと――

次回 第十八話 『さわやかな君の気持ち』
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