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ぽっかりと抜け落ちた、パズルのピース。
過半数に及ぶ空隙に当てはまるスペアは無く、虚ろな世界が口を広げるのみ。


翠星石の部屋で、蒼星石は虚脱感の促すままに、くたりと寝転がって動かない。
目を閉ざせば、瞼の裏に焼き付いた光景が、色鮮やかに蘇ってきた。


  息吹を止めた、姉――

  すべすべで温かかった柔肌は、時と共に色を失い、冷たく固まってゆく――

  まるで、精巧に作られた蝋人形のよう――


「……イヤだ…………そばに来てよ、姉さん」

思い出すたび、飽くことなく繰り返される、嗚咽。
蒼星石は頭を抱え、身体を丸めて、溢れ出す涙を流れるに任せた。
それは短く切りそろえた髪を濡らし、姉の匂いが染みついたカーペットに馴染んでゆく。

しゃくりあげる蒼星石を、ふわりと包み込んでくれる、翠星石の残り香。
この部屋には、まだ確かに、姉の面影がひっそりと息づいていた。
それは、悲しみに暮れる妹を優しく抱き締め、慰めてくれるのだった。



  第十四話 『君に逢いたくなったら…』



翠星石の葬儀には、週の半ばであるにも拘わらず、実に多くの人々が足を運んだ。
親類縁者は勿論のこと、級友や教員、近所の方々に至るまで……
皆が皆、うら若い少女の早すぎる死を心から悼み、落涙を惜しまなかった。
いかに翠星石が人々から慕われていたか。その事実だけが、参列者たちの胸に刻みこまれた。

そんな中で、蒼星石だけは通夜にも、告別式にも顔を出さなかった。
葬儀で、棺に横たわる亡骸を見たくなかったから。全てがウソだと、信じかったから。
――だから、蒼星石は病院に駆けつけた時からずっと、制服を着たまま。
着替えることすらも、姉が消えた日を過去に流して、姉の死を肯定する行為に思えたのだ。
蒼星石にとって、あの日はまだ、終わっていない。どれだけ昼夜が繰り返されようとも。
永続する一日を、姉の部屋に閉じこもり、起きている間は泣き続け、疲れたら眠り続けた。
けれど、夢の中でも……翠星石には再会できなかった――


そんな生活を、実際にはもう、四日以上も続けている。
祖父母も、失意のあまり寝込みがちで、火の消えたような雰囲気だ。
湿った空気と、線香の匂いだけが、死と生をひとつに結びつけていた。
つくづく、この家族にとって、翠星石は太陽のような存在だったのだと実感させられる。
そして蒼星石は、太陽が生み出した陰でしかない自分を、惨めに思った。


雨戸とカーテンを閉め切った、真っ暗な部屋の中で、蒼星石は、むくりと身体を起こす。
今は昼間なのか、夜なのか……時間の感覚すら失いつつある。
だが、ずっと閉じこもっているワケにもいかない。
生きている限り訪れる最低限の欲求を満たすため、たまに、こっそりと部屋を出る。
冷蔵庫をあさって、僅かばかりの空腹を満たし、泣き疲れて乾ききった喉を潤し、
トイレに行ったりして、また閉じこもる。それの繰り返しだった。

しかし、どれだけ気力を失おうとも、たったひとつ、絶対にしないと決めた事があった。
それは、仏壇に目を向けること。変わり果てた姉を、見てしまわないように……。



部屋を出ると、廊下も真っ暗だった。外の世界には、何度目かの夜が訪れていた。
蒼星石は明かりも点けず、住み慣れた家の中を、猫のように足音忍ばせ移動する。
そして、誰も居ない台所で、蒼星石はいつものように、もそもそと菓子パンにかぶりついた。
蛍光灯の白々した明かりに、皺くちゃの制服が照らし出され、ひどく見窄らしい。
ポットのお湯を急須に注ぎ、出涸らしのお茶を飲んで、呆気なく食事を終えた。
このところ、ずっと一日一食。栄養失調だろうか、肌荒れが目につく。
腕や足が細くなったように見えるのも、気のせいばかりではあるまい。

衰弱した身体を引きずり、手すりにしがみつきながら、階段を昇り始める。
一段、一段……踏みしめる足を、激痛が駆け昇ってきた。
蒼星石の両脚は、傷口の化膿によって倍ほども腫れあがり、むくんでいた。
そのうち壊死して、そこから毒素が全身に回り、死んでしまうかも知れない。
けれど、蒼星石はもう、どうなってもいいと思っていた。
今はただ、終わりを待つために、惰性で生きているだけなのだから。


いつもなら30秒とかからず登れた階段を、5分近くかけて登り切る。
たった、それだけの事なのに、もう息切れしていた。

とても怠い。早く、翠星石の部屋に戻って、横になりたい。
廊下の壁に手を着きながら、自分の部屋の前を通り過ぎようとして、今更ながら気付く。
開け放たれたドアの向こうは、仄かに明るかった。
レースのカーテンを透して、月明かりが青く降り注いでいたから。

「呼んで……るの?」

声が聞こえたワケではない。ただ、月に手招きされたように思えただけ。
四日ぶりで、蒼星石は自分の部屋に、足を踏み入れた。

その直後だった。机の隅で瞬いている、小さな光に気付いたのは。


何かと思えば、それは充電器に載せたままの、携帯電話。
明滅しているのは、着信を報せるLEDだった。
――翠星石が事故に遭った日から、ずっと失念していたもの。

ふらつきながら机に近付いた蒼星石は、暫しの逡巡を置いて、腕を伸ばした。

「メールなんて、誰から?」

全く心当たりがない風な口振り。
だが、独りごちた言葉とは裏腹に、強い予感を抱いていた。
きっと、姉さんからだ……と。

予感は見事に的中。十件を超える履歴は、ことごとく姉からのメールだった。
一体、こんなに多く、何を伝えてきたのだろうか。
最初の一件目を開くと、あまりにも短いメッセージが、ぽつりと記されていた。


  『逢いたい』


一切、飾りのない言葉。端的に、核心を突く4文字。
二件目を開いてみたら、また、同じ言葉が綴られていた。
三件目も――
四件目も――

最後まで、ただ『逢いたい』とだけ。


「……今更、なにさ」
蒼星石は、携帯電話を握りしめながら、吐き捨てた。「逃げ回ってたのは、姉さんの方じゃないか」



翠星石には、少しばかり独り善がりで、自分本位なところがあった。
自分の都合で、他者を引きずり回してしまうような、身勝手さが。
でも、これは……あまりにも、酷い仕打ちだ。
蒼星石が温もりを求めたときには、突き放したクセに。

「それを……今になって、こんなの……ないよぉ」

腫れぼったい瞼に熱い雫が溢れて、蒼星石は青白い天井を仰ぎ、奥歯を噛み締めた。
どうしようもなく悔しくて、持て余した憤りが、涙を作り続ける。
それは、姉の身勝手に対するものではなく、自分の失態に対する悔恨。
認めたくない過去が、悲しい現実となって、蒼星石の胸に押し寄せてくる。

あの日、自分が携帯電話を忘れたりしたから――
あの時、もし、メールで気持ちを伝えあっていたなら――
翠星石は、死なずに済んだかも知れないのに。
仲直りして、他愛ない話で盛り上がって……笑い合えていたかも知れないのに。



涙で滲んだ目を瞬かせながら、携帯電話の履歴を調べると、留守録のメッセージに気付いた。
音声再生の操作をして、蒼星石は嗚咽を堪えながら、電話機を耳に当てる。
やや音割れして、くぐもっているものの、紛れもなく翠星石の声が語りかけてきた。


『あ、えっと…………な、な……なにやってるですか、蒼星石っ!
 何度もメールしてやってるのに、一回も返事をよこさねぇとは、どーいう料簡です。
 反省しろです! それから……さっ……さっさとメールを、返信しやがれですぅっ!』


録音時間に間に合わせようとして、あくせくと一息に捲したてたのだろう。
メッセージの終了寸前、はぅ……と、小さな吐息が吹き込まれていた。
姉さんらしいや。涙の跡が残る頬を、少しだけ綻ばせて、蒼星石は二件目の再生に耳を傾けた。


『…………何故です? どうして…………連絡をくれないのです?
 話をするのもイヤですか? そんなに、怒ってるですか?
 お願いだから……声を……聞かせてください。ずっと……待ってるです』


一転して、とても寂しそうな声。それは杭となって、蒼星石の胸に突き刺さり、引き裂こうとする。
もし一件目のメッセージを聞いていたなら、こんな想いは、絶対させなかったのに。
打ちひしがれ、辛い気持ちで、三件目のメッセージを聞く。


『ホントは……こんなカタチじゃなくて、ちゃんと向き合って話したかったです。
 でも、蒼星石が応えてくれないから……仕方ないですね。
 とっても不本意ですけど……こうして、私の正直な気持ちを……伝えておくです。


 ――あのね、蒼星石。
 私は…………翠星石は…………


 蒼星石のことが……大好きですぅ。世界中の誰よりも、どんな時でも、1番に想ってるですよ。
 ずっと、ずぅっと――――たと』


途切れたメッセージ。最後まで語られることなく、録音時間は無情にも終了していた。
でも、蒼星石には解っている。姉が、何を言いたかったか。伝えたかったのか。

「キミに逢いたくなったら……キミの香りに抱かれて眠り、夢で出会うしかないと思ってた。
 でも、それは間違いだったんだね。ただ待ってるだけじゃ、キミは、どんどん離れていっちゃう。
 だから……ボクは、追いかけるよ。そして――ずっと一緒に居よう。たとえ、生まれ変わっても」

蒼星石は指先で睫毛の涙を拭うと、とても清々しい表情で、机の引き出しからカッターナイフを取り出した。
そして……左の手首に宛った鋭利な刃を、微塵の躊躇いも見せずに滑らせた。



  第十四話 おわり





三行で【次回予定】

 擦れ違い、迷走を続けた末に、再会を果たしたふたつのココロ。
 幸せを追いかける代償として、新たな不幸は求められるのか。
 彼女が夢みた未来に待ち受けるのは――

次回 第十五話 『負けないで』
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