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夕食の席に、見慣れた姉の姿はなく――

(どうしてなの?)

蒼星石の心は、言いようのない虚しさに包まれていた。
瞼を閉じると姉の寂しげな顔が浮かんできて、なんとなく、食欲も湧かない。

「翠ちゃん、具合悪いって言ってたけど……大丈夫かしらねぇ」
「近頃、めっきり寒くなってきたからのぉ。風邪でもひいたんじゃろう」

心配そうに呟いた祖父母が、揃って天井を見上げた。
それが、今、翠星石がここに居ない理由。
彼女は気分が優れないからと告げて、食事もせず部屋に籠もってしまったのだ。

もちろん、そんな言い訳がましい戯言を、鵜呑みにする蒼星石ではない。
昨夜の自分の行為が、姉をひどく傷付けてしまったと察して、胸を痛めていた。

(でも……あれは姉さんが、ボクから離れていっちゃうから)

引き留めたくて、焦っただけ。ほんの少し、擦れ違っただけ。
全ては、些細な誤解。落ち着いて話をすれば、きっと解り合えると思っていた。
だって二人は、産まれる前から、ずっと一緒だったのだから。

――けれど結局、その日の内に、姉妹が言葉を交わすことはなかった。



  第十一話 『かけがえのないもの』



明けて、月曜日の朝。
蒼星石は普段より1時間も早く、目を覚ました。まだ寝惚けている頭が、重い。
額に手を当てて、無造作に前髪を掻き上げながら、欠伸をかみ殺した。

「……眠ぃ。姉さん…………もう起きてるかな」

のそのそとベッドを抜け出し、ドアノブに指をかけたところで、ふと考えた。
ドアを開けた途端、そこにビックリ顔の翠星石が立っているのではないか、と。
しかし、蒼星石の案に反して、廊下には誰も居なかった。
姉の部屋を見遣ると、ドアが開いていた。もう起きているようだ。
であれば、洗面所か台所で、翠星石と会えるかも知れない。
そう思うと、期待に胸が躍る一方、不安で階段を降りる足取りが鈍った。

(姉さんの哀しそうな顔を見るのは、つらい。でも、だからこそ会わなきゃ!)

ぎこちなくてもいい。
『ごめんなさい』でも『おはよう』でも……なんなら『やあ』でも構わない。
とにかく、たった一言でもいいから、話をしたかった。
それをキッカケに仲直りができるのであれば、どんな言葉でも――

しかし、決心したつもりでも、洗面所から水音が聞こえた途端、足は竦んでしまう。
ここまで来て、躊躇うなんて情けない。蒼星石は廊下で深呼吸して、気を落ち着かせた。
そして…………すだれを掻き分け、洗面所に踏み込んだ。

「ん? おや、蒼星石かい。どうしたんじゃ。姉妹そろって、今朝は早いのう」
「あ……おはようございます、お祖父さん」

蒼星石の肩から、力が抜ける。洗顔していたのは、祖父だった。
となると、翠星石は今、朝食を摂っている頃だろうか。


今度は、会いたいと思う気持ちの方が勝った。
蒼星石にとって、翠星石は自分の半身に等しい、かけがえのないもの。
それを取り戻したいと、本気で思っているならば、恥も外見もない。

顔を洗った蒼星石は、もう微塵も迷わず、足早に台所を目指した。
しょんぼりした顔でトーストを囓る姉の姿を想像したら、じっとなんかしていられない。
祖母が一緒だとしても、憚る所なく昨夜のことを謝るつもりだった。

だが、勢い込んでいた蒼星石は、またしても肩すかしをくらった。

「おはよう、蒼ちゃん」

台所で弁当を作っていた祖母が、にこやかに振り向いて挨拶してくる。
食卓に、翠星石は居なかった。

「おはよ。姉さんは?」
「翠ちゃんなら、もう出かけたわよ。お弁当が出来てないから待ってと言ったんだけど、
 それなら購買でパンを買うからいらない……って」
「……そう。どんな様子だったの?」
「昨夜より具合は良くなったみたいだけど、まだ元気なかったわねえ」

ひょっとして、本当に体調が優れないのだろうか?
けれど、翠星石は意地っ張り。そして、ヘソ曲がりでもある。
追いかけて欲しくて、わざと忌避の態度をとることも、ままあった。
その可能性は、半々といったところだろう。
だったら、逃がさない口実を手土産に、追いかけるのみ。
幸いなことに、口実は蒼星石のすぐ目の前にあった。

「ねえ、お祖母さん。お弁当、ふたつ作って。ボクが姉さんに届けるよ」



朝食を済ませ、あれこれと身支度を整えて、蒼星石は勢いよく玄関を出た。
今度こそ翠星石と向かい合って、きちんと気持ちを伝えなければならない。
このまま互いの距離が不自然に広がってしまうのは、耐え難い苦痛だった。

小走りに学校を目指す蒼星石のカバンの中で、ふたつの弁当箱が揺れ、カタカタ鳴った。
あまり激しく揺らしては、中身が踊って、メチャクチャになってしまう。
そんな弁当を渡したら、仲直りどころか、また姉に難癖つけられるだけだ。

(まだ遅刻する時間でもないし、ゆっくり行こう)

焦らず騒がず、歩きながら考えればいい。会ったときに、話すことを――
蒼星石は足を緩めて、カバンの中の弁当に意識を向ける。
束の間、よそ見した彼女は、脇道から歩み出てきた人に気付かず、ぶつかってしまった。

「うわっ、ごめんなさいっ!」
「こちらこそ、すみま――って、蒼星石さん?」
「あれ? 柏葉さん。どうしたのさ、こっちに来るなんて」

巴の家からだと、こっちは学校と反対の方角だった。
いつものように竹刀を肩に掛けた巴は、礼儀正しく「おはよう」と頭を下げる。
そして、挨拶を返す蒼星石に、理由を話し始めた。

「お節介だとは思うんだけど、やっぱり気になってしまって……。
 翠星石さんとは、仲直りできた?」
「それが……なかなか機会に恵まれなくてね。まあ、歩きながら話すよ」

蒼星石は巴と並んで歩きながら、これまでの経緯を、かいつまんで語った。
姉が一向に機嫌を直さないことや、心労からか、体調を崩しているらしいことも。
翠星石が体調不良というくだりでは、巴も心配そうな顔をした。

「最近、寒いものね。わたしも、アノ日が近いから気が滅入ってて」
「そうなんだ? ボクは――」

言いかけて、蒼星石はひとつの可能性に気付いた。
姉の不機嫌は、女の子にしか解らない月のモノの苦しみも、影響しているのではないか。
どちらかと言うと、翠星石はアレが重い方で、しばしば痛み止めを服用していた。
指折り数えてみても、そろそろの筈だ。

(……謝るついでに、それとなく訊いてみよう)

どんな状況であれ、蒼星石にとって大切な姉であることに、変わりはない。
蒼星石は両腕でカバンを抱きかかえ、翠星石の身を案じた。



早朝の教室は生徒も疎らで、ひんやりした空気が立ちこめている。
まだ、校舎も眠っているのだろう。生徒たちの歓声が、校舎にとっての目覚ましなのだ。
翠星石は、窓辺の席で頬杖をつき、ぼんやりとグラウンドを眺めていた。
時折、思い出したように溜息を漏らす。他人の接近を拒む、沈鬱な気配。
そこだけが、周囲の世界から切り離されているようだった。

「あぁら。月曜日っから、随分とひどい顔してるじゃなぁい」
「……ふぇ?」

顔を向けた先には、妹のクラスメートで、翠星石の友人でもある水銀燈の姿。
彼女はいつもの不敵な笑みを浮かべながら、腰に手を当てて立っていた。
からかう為に、わざわざ、ふたつ隣の教室から足を運んだ訳ではあるまい。

「何しに……来たです?」ぷいっと顔を背け、翠星石は校庭を見ながら、ぶっきらぼうに訊ねた。
そんな彼女の態度を意にも介さず、水銀燈は机の前に回り込む。

「土曜日のことなんだけど、ちょっと蒼星石に相談されちゃってね」
「そーですか。蒼星石とはケンカなんてしてねぇですから、心配してくれなくて結構です」

嘲るような眼差しで、水銀燈は、そっぽを向く翠星石の横顔を見つめる。
「ケンカする内は、仲が良い証拠よ。でも、不機嫌の理由は……それだけ?」
「……なんでも、お見通しですか」
鼻先で憂鬱そうに溜息を吐き、翠星石は腹部に手を遣った。

「実は……いつもより重いのです」
「大丈夫なの? 私、よく効く薬を持ってるわよ。あげましょうか」
「もう自分のを飲んだです」
「ムリしない方がいいわ。保健室で休んでるか、ひどい様なら病院に行きなさいな」

水銀燈の気遣いはありがたかったが、そこまで大事にする気もない。
やんわり断ろうとした翠星石は、何気なく目を向けた校庭に、二人の姿を認めた。
仲良さそうに語らいながら登校する、蒼星石と巴を――
――途端、翠星石の胸の奥底が、ズキリと疼いた。

翠星石にとって、蒼星石は大切な存在。かけがえのないもの。
本当は、すぐにでも会いたい。もう一度、姉さんが必要だと言って欲しい。
だが、拒絶の言葉を叩きつけた今となっては気まずくて、顔を合わせ辛かった。

「…………やっぱり、ちょっと保健室で休ませてもらうです」

少し、気持ちを整理する時間が必要なのだ。それがきっと、お互いのため。
自分に言い訳しながら、翠星石は水銀燈に付き添われて、教室から逃げ出した。



  第十一話 おわり





三行で【次回予定】

 友人に背を押されて、向き合う決意をする彼女。
 けれど、迷い道は近付き、かつ遠ざかりて――
 求め合う二人の少女を、嘲笑うのだった。

次回 第十二話 『君がいない』
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