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  『ひょひょいの憑依っ!』Act.9


「死んだ人間は、人を好きになっちゃいけないの?
 幸せを夢見ることすら、許されないの?」

金糸雀は、濡れた睫毛を鬱陶しそうに、指先で拭いました。
けれど、枯れることを知らない涙泉は、苦い雫を際限なく溢れさせます。

――ジュン、お願い。言って。そんなコトないって。

問いかけた唇をキュッと引き結んだまま、瞳で縋りつく彼女。
どこまでも白く、透けるような白皙の頬を、なお蒼ざめさせながら……
ただただ、ジュンが答えるのを、待つばかり。


待ちかまえているのは、めぐも、そして水銀燈も、同じでした。
ジュンが、なんと答えるのか。金糸雀の想いに、どう応えるのか。
結果如何では……金糸雀の出方によっては、攻撃も辞さない。
そんな覚悟を胸に秘めたまま、固唾を呑んで、向かい合う二人を見守っていたのです。


「聞いてくれ……金糸雀」

ジュンの乾いた唇から、かさかさに掠れた声が、絞り出されます。
金糸雀はビクリと肩を震わせて、折り畳んだパラソルを握り締めました。
そのまま、へし折ってしまうのではないかと思えるほど、強く、強く……。

しかし、あまりにも重い空気が、彼から言葉を奪ってしまったのでしょうか。
ジュンは、それ以降、二の句を継ごうとしません。


無言。それも、ひとつの返答。
多くの場面において、沈黙は肯定の返事と見なされます。

金糸雀とて、おっちょこちょいなだけで、本当はとても利発な女の子。
ジュンに訊ねる前から、既に、およその察しが付いていたのかも知れません。
彼の眼が、どこを見つめていて、彼の気持ちが、誰に傾いているのか……を。

でも、ジュンの舌がその言葉を紡ぐまで、金糸雀は頑なに口を噤んでいました。
意地になっていたフシも、多分にあるでしょう。
自分だけ、辛く悲しい想いをさせられるなんて不公平は、我慢できない。
辛いコトを、敢えて言わせることで、ジュンにも苦痛を与えたかったのです。


「正直――」

長く長く尾を引く、重い溜息を吐いた後に、ジュンの声が続きました。

「僕みたいなモテない奴と一緒に居たいっていう、金糸雀の気持ちは嬉しいよ。
 お前と出逢ってから、ずっと振り回されっぱなしだったけどさ……
 なんて言うか、時間の経つのが早くて――――少しだけ……楽しかった」

そう語るジュンの表情は、苦痛に歪むどころか、とても清々しげでした。
メガネの奥から、金糸雀に注がれる優しい眼差しも。
微塵のぎこちなさも無く、口元に浮かべられた微笑すらも。

すべてが、嘘偽りないことの表れ。金糸雀には、そう感じられたのです。

「知らない街で独り暮らしを始めるのは、すごく不安だった。心細かった。
 けど――お前の賑やかさが、そんな胸の蟠りを忘れさせてくれたんだ」

だから、と。
ジュンは数秒の間を置いて、金糸雀の瞳を真っ直ぐに見つめたまま……
静かな口振りで、しかし、ハッキリと伝えました。

「出来ることならば、僕も、お前と一緒に居たい。ホントに、そう思ってる」


暗澹たる状況の中で、微光を見出したように、金糸雀の頬から緊張が抜けていきます。
何のことはない。元の鞘に納まるだけ。
でも、それこそが彼女の望みでした。

ジュンと暮らせるのならば、どんな条件を呑んでもいい。
真紅に手を出すなと言うのなら、二度と危害を加えないと誓ったっていい。
生身の身体を得ることには、ちょっと未練が残りますが……でも、構わない。

拒絶されることに比べれば。
僕の前から消えろと宣告されることに比べれば。
その他のことなど、苦痛ですらありませんから。

「カナも……カナだって……色々と不便なこともあったけど、嬉しかったかしら。
 あの部屋で、ずぅっと独りぼっちで…………とっても寂しかったから」

不慮の事故による、突然の他界。
カラスにたまご焼きを盗まれるように、突如として、奪い取られてしまった未来。
未練が残らないハズがなく、気付けば、あの部屋に縛り付けられていたのです。

「五年もの間、いろんな人が、あの部屋を借りたけれど……
 みんな、三日と経たずに出ていったかしら。
 しまいには、おフダまで貼られて、部屋の中を歩く自由すら奪われてしまったわ」

金糸雀の頬を、また、大粒の雫が流れ落ちてゆきます。

「ジュンだけかしら…………カナを怖がらず、側に居てくれたのは。
 貴女に出会えてから、毎日が楽しくて、楽しくて、楽しくて……
 本当に――――カナは、幸せだった」

口の端に滲む涙が、舌の上に広がってきます。
けれど、それは先程までの苦い味ではなく……しょっぱいけれど、甘い蜜でした。

「この幸せを、続けたかった。楽しくて大切な日々を、護りたかった。
 カナの願いは、ただ、それだけかしら」

そして、ジュンは言ってくれたのです。金糸雀が、最も欲していた言葉を。
出来ることなら、お前と一緒に居たい――と。

「カナは今までどおり、あの部屋に居ても良いかしら?
 ジュンと一緒に……これからもずっと、暮らしても良いのね?」


――それならば、しっかりと触れ合いたい。
濡れた瞳に喜色を浮かべる金糸雀が、一歩、ジュンの足元へと近付きます。
ジュンはしかし、人形の手がジーンズの生地を握るより早く、一歩、後ずさりました。

「ごめん――」

そして、今までの穏やかなムードをブチ壊す言葉を、息苦しそうに吐いたのです。

「それは……出来ないよ、もう」


陳腐な表現を用いれば、天国から地獄。歓喜から絶望。蒼穹から深淵。
未だ嘗て経験したこともない墜落感に、金糸雀のココロは打ちひしがれました。
なんと惨たらしい仕打ち。さんざん期待させておきながら、忌諱するなんて!
騙されたという想念が、金糸雀の胸を掻きむしり、怒りの炎を煽ります。

「納得できないかしら! カナと一緒に居たいって、言ってくれたじゃない!」
「……自分でも、ひどいコト言ってると思うよ。だけど、こんな関係――何か違う。
 僕らは偶然、孤独に苛まれてたときに出逢い、似た者同士で寂しさを誤魔化してただけ。
 傷を舐め合ってただけじゃないのか? きっと、今のままじゃいけないんだ」
「違うわっ! カナの想いは、その場しのぎの虚飾なんかじゃないかしら!」

ジュンの言い種に、金糸雀が血を吐くような叫びをあげたのと、ほぼ同時。


「あ~ぁ……ぴぃぴぃウルサイ地縛霊ねぇ」

人形の背中に投げ付けられる、水銀燈の嗤笑。
冷たい光を湛えた瞳が、振り返った金糸雀……次いで、ジュンをひたと射抜きます。

「幽霊のクセに、色気出してるんじゃないわよ、おバカさん。
 そっちの冴えないボウヤも、まだるっこしいのよねぇ。
 ハッキリ言ってやればぁ? いい加減、邪魔なんだ……って」
「ふざけるなっ! 僕はボウヤじゃないし、そんな風に思ってもない!」
「なによ! 貴女だって亡霊でしょ! 何様のつもりかしら、忌々しい。
 自分のことは棚に上げて、脇から偉そうな口を挟まないで欲しいかしらっ」

ジュンと金糸雀が、一斉に憤りの矛先を、水銀燈に向けます。
しかし、当の水銀燈は、全く意に介していないご様子。
鼻でせせら笑い、からかうように、背中の黒翼をピヨピヨと動かしました。

「ふ……呆れた。とんだ身の程知らずの、おバカさんだわ。
 その辺をブラブラ彷徨ってるノラ亡者なんかと、一緒にしないでもらいたいわねぇ」

言うが早いか、水銀燈は宙に舞っていた黒羽根を人差し指と中指で挟み、
まるでトランプのカードを配るかのように、ひょいと飛ばしました。
……が、優雅な仕種に相反して、羽根は弾丸の如く空を斬り、
人形の髪飾りを、過たず弾き飛ばしたのです。
金糸雀も、そしてジュンも、驚きのあまり双眸を見開き、棒立ちするだけ。
そんな彼らを眺めて、くすくす……。水銀燈は、眼を細めます。

「私は特別すごいのよ。なんなら、その仮初めの身体に、刻み込んであげましょうか。
 格の違い……ってヤツを、ねぇ?」

ねっとりと、絡みつく口振り。ざわざわと、ジュンの肌が粟立ちます。
まるで、一言一句に言霊が宿っているみたいに、得体の知れない威圧感を覚えました。
水銀燈の声を聞けば聞くほど、身体が萎んでいくような錯覚すら、感じていたのです。

「なんだ、この悪寒。禍魂って――なんなんだよ、一体」
「それはね、いわゆる『神霊』なのよ。桜田くん」

独り言のハズが、背後から語りかけられ、ジュンは首を竦めました。
振り返れば、めぐが壁に肩を預けて、コトの成り行きを見守っています。

「さっきは庇ってくれて、ありがとね」
「礼なんていいよ。それより、柿崎さん。神霊って、どういうコトなんだ?」
「禍魂は、元々が信仰の対象。八百万おわします土着の神様の、一人ってワケ。
 だけど、人々に忘れ去られた神様は、守護の立場から一転、祟りを為すようになるわ。
 水銀燈はね、私が入院してた病院の近くの、朽ち果てた神社の氏神だったの」
「禍魂が……元は、神だって?」

原始的な宗教において崇められていた神が、何らかの理由で信仰を失い、
妖怪変化と同列に扱われるという話は、国内は勿論、世界中、枚挙に暇がありません。
そう考えると、水銀燈が異常なまでに酒気を求めるのも、説明がつきます。
『御神酒』と言うように、古来より酒は、神への捧げものなのですから。

水銀燈は、不敵な笑みを崩すことなく、金糸雀を睨み付けました。

「聞いたでしょ? まあ、そういうコトなの。おとなしく成仏するなら、よし。
 あくまで我を通すと言うのであれば、ちょぉっとばかり、痛い目を見てもらうわ」
「ふん…………笑わせてくれるかしら」

引き下がれと言われて、素直に従えるならば、真紅の身体を奪おうなんて企みません。
どうしても、この幸せを護りたかったから。
なんとしても、ジュンと添い遂げたかったから。

「元が神様だか知らないけれど、所詮、零落した悪霊風情じゃない。
 カナが、その化けの皮を剥いでやるかしら!」

金糸雀は、いま一度、パラソルに青白い炎を纏わせました。
幸せは、闘って勝ち取るもの。敗者には、愛の詩を謳歌する資格など無い。
ましてや、誰かと幸せな家庭を築くことなど、身の程知らずな白昼夢。

「……強気……。貴女みたいな、一途で向こう見ずな子って、好きよぉ」

闘志を剥きだしにする金糸雀に、すぅっと瞼を細める水銀燈。
けれど、それも束の間のこと。

「でも、この私にケンカを売るなんて……おバカさんもいいところねぇ。
 そっちがその気なら、ズタズタのジャンクにしてやるわ」

やおら膨れ上がった霊圧が、場の空気を一変させます。
気の弱い者ならば、この急激な変圧だけで、気を失ってしまうでしょう。
ジュンや、めぐにしても、耳鳴りや眩暈といった症状を覚えていました。

「ほぉら! さっさとイッちゃいなさい」

水銀燈の黒羽根が、吹雪の如く金糸雀めがけて降り注ぎます。
金糸雀も先程と同じく、パラソルを広げて防御しました。
――が。

「なっ?! くぅっ……止め、きれない……かしら」

ピチカートを憑依させているにも拘わらず、黒羽根は易々とパラソルを穿ってきます。
忽ち、人形の煌びやかなドレスが、ボロ布へと変わってゆきました。

(威力が格段に上がってるかしら。さっきは、手加減してたって言うの?)

圧倒的な霊力の前に、なす術なく玩ばれる屈辱。
でも、諦めるワケにはいきません。負ければ、全てを失ってしまうのです。
ジュンと歩む未来も。小さな胸に宿した、はち切れんばかりの想いすらも。

(そんなの、イヤ! このまま、ジュンと引き離されたくないっ!)

ならば、勝つしかありません。たとえ相手が、神という絶対的な存在でも。
ガムシャラに戦い抜いて……『今』という時を『明日』へと繋がねばならないのです。

――とは言え、こうも猛射に曝されては、反撃など出来ようハズもなく。

「こうなったら……エレガントじゃないけど、形振り構ってられないかしら」

金糸雀は、ほんの僅かな射撃の隙を衝いて、真紅の脇まで素早く飛び退きました。
本当は、めぐを始末したかったのですが、彼女はジュンが庇っています。
そこで不本意ながら、真紅を盾にとり、水銀燈を牽制しようと試みたのです。
結果は、金糸雀の目論見どおり。水銀燈は忌々しげに舌打ちして、射撃を控えました。

「今度はカナのターンよ! いてこますかしら、ピチカート!」

号令一下、火の玉が勢いを強め、青い炎が猛然と水銀燈に襲いかかります。
しかし、金糸雀はまだ、水銀燈のポテンシャルを過小評価していました。
彼女はピチカートの火焔に肌を炙られようとも、眉ひとつ動かさなかったのです。
ちろりと舌なめずりするや否や、水銀燈は――

「なぁに? こんな子供だまし……小賢しいカンジぃ」

言って、右ストレートを火の玉に叩き込みました。
殴られた火の玉は、さながらヨーヨーのように、金糸雀の元へすっ飛んできます。
このままでは、盾にした真紅が『燃えろイイ女』になるのは必定。
しかし、金糸雀は驚きのあまり、

「うひゃぁっ!」

反射的に、両手でアタマを抱えて、蹲ってしまいました。
その行動は、水銀燈にとっても想定外でした。
あれだけの啖呵を切った以上、この程度で抵抗を止めるとは思っていなかったのです。

「ったく……本気でバカじゃなぁい。弱っちょろいクセに、虚勢はるんじゃないわよ」

殴り飛ばした火の玉を掴むべく、水銀燈は悪態を吐いて、ダッシュします。
――が、彼女より少しだけ早く駆け出していた者が、既に割り込んでいました。

「真紅――っ!!」

ジュンでした。
彼は幼なじみの娘を守りたい一心で、燃え盛る火球の前に、その身を曝したのです。
間に合わない。水銀燈も、めぐも、カナ縛りに遭っている真紅も……ジュン本人ですら、
彼の小柄な身体が、炎に包まれる光景を脳裏に描いていました。
ジリッ! 前髪の焼ける音と、異臭。

刹那――「そんなのダメぇっ!」室内に谺する、短い絶叫。
ジュンは目にしていました。自分の脇を高速で擦り抜ける、小さなシルエットを。
今のは、まさか! そう思った直後、彼の眼の前でバチッ! と音が弾けました。

「あああぁっ!」

金糸雀の悲鳴と、何かが当たる鈍い衝撃が、ジュンの胸を内外から叩きます。
炎の残像が滲む目を凝らして、状況を確かめようとした彼が見たのは――
四肢が砕け散って、力無く床に転がる、無惨な人形の姿でした。

「……よ……かった。間に合った……かしら」
「か…………金糸雀っ! お前! こんな時まで、なに自爆霊やってんだよっ!」
「……ホント……カナは、ダメな子かしら。いっつも……自滅してばっかり」

ジュンの呼び声に、金糸雀は弱々しく睫毛を震わせます。
そして、閉ざされていた瞼を、うっすらと開き……悔しそうに泣き笑いました。
最早、戦うことなど出来ないコトは、誰の目にも明らか。
にも拘わらず、水銀燈は、いつの間にか手にしていた太刀の切っ先を、
ぐったりと横たわった金糸雀に突きつけたのです。


「ここまでよ、おバカさん。せめてもの情けに、ひと突きでイカセてあげるわ」

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