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下駄が入れられたことなんてついぞない新設高校の下駄箱に、
一通の手紙が投函されたのは、春休みの足音がそろそろ聞こえてくる、
ある二月の寒い寒い朝のことだった。

差出人は来るバレンタインデーのせいで、多少浮かれていたのかもしれない。
なにせ、その差出人というのは、ふだんならこんなことは逆立ちしても
できっこないはずの、内気と臆病が折紙付の男子生徒だったのだから。

蒼星石は自分の上履きの上に乗せられていた茶封筒を見つけた時、
はてここはいつから郵便受けになったのかと、首をひねった。
茶封筒である。
男子三割・女子七割くらいの比率でよく下駄箱にラブレターを貰う蒼星石だが、
きなこ色の長方形を下駄箱の中に見たのは、高校生活二年目にして
これが初めてだった。

表にはきちんと蒼星石宅の郵便番号と住所と、彼女の様付氏名が、
裏には差出人と思しき人物の、これまた郵便番号と住所氏名が、
おそらくは万年筆だろうと思われる光沢ある黒色で書かれていた。

封筒の糊付けに印鑑が捺されているあたり、この差出人はなにかを
勘違いしているんじゃないかという気が、蒼星石にはしてならなかった。

その勘違いとは、蒼星石の下駄箱を郵便受けと見なしたところなのか、
はたまた恋文がどんなものであるのか分かっていないがためなのか……。

中を見りゃあ、分かるんじゃねーですか。

という双子の姉・翠星石の鶴の一声で、ともかく蒼星石は、
もうすっかり馴染みとなった職員室横の来客用トイレの一室で、
洋式便座にしゃがみ、その茶封筒から二枚の縦書き便箋を取り出して
声なく読んでみたのである。

それは、「拝啓、時下益々……」という常套句から始まる文面で、
「敬具」で締めくくられ、「追伸」があって、最後の最後には、
手紙を書いたらしい日の年月日とお互いの氏名が、また書かれていた。
日付は昨年末のものだったが、これはなにを意味しているのだろうか。
蒼星石には分からなかった。

手紙の内容はまごうかたなき恋文だった。

ああ辞書を片手に一所懸命書いたんだね、と読み手が感じずにはおられないような、
拙くも丁寧な文章で、蒼星石への想いが書きつづられていたのである。

そして、このような(手紙)形で想いを伝えることを申し訳なく思う、
といった旨の謝辞の言葉と、また改めて告白したいので、よろしければ
放課後指定の場所に来てください、ということが追伸文として書かれていた。

 放課後、体育館裏

それが、柴崎時計店の跡取息子・一樹が一世一代の大舞台として選んだ場所でした。

この手の人間は希少種だった。
たいていのラブレターの差出人は出せばそれで満足するらしく、
蒼星石の返答を求めるような場をあえて設けたりしなかった。
だから、ラブレターを出してのちに改めて面と向かって告白したい、
と言い出す人間は珍しかったのである。
面と向かって告白する人間は、最初からラブレターなんぞ使わずに告白してきた。

めずらしい、蒼星石はそこにちょっと、茶封筒と印鑑と縦書き便箋のことも含めて、
柴崎一樹という目立たないクラスメイトに興味を持った。

しかし蒼星石は、手紙を読み終える前にはもう、断わろうと決めていた。
待ちぼうけさせるわけにはいかないので体育館裏には行くつもりでいたが、
そこでキッパリ断わろうと思った。

蒼星石は今のところ特定の誰かと交際する気は全然なかった。
恋愛というものに、それほど魅力を感じなかったのである。
彼女はそれよりも、友達や姉や姉とか姉とかと遊んでいるほうが、ずっと楽しかった。
姉に言い寄るフラチな男子生徒どもを片っ端から蹴散らして、
千切って投げては姉の青春の邪魔しているのも彼女である。
いわんやおのれの青春に、「恋愛」を持ち込もうなんて気はさらさらない。

そんなわけで蒼星石は、放課後、翠星石に先に帰るよう言うと、
柴崎一樹の告白をお断わりすべく、ひとり体育館裏へ向かったのだった。



そこには紺色のコートを着た柴崎一樹が、蒼星石を今かと待っていた。
彼は現れた蒼星石の姿に気づくと、震える歯で、こんにちはと挨拶し、
呼び出してごめんなさいと謝った。
そして何度か口ごもったあと、やがて意を決したように拳を握りしめて、
持てるありったけの想い蒼星石にぶちまけた。

「あなたのことが好きです、ぼくと付きあってください」

それは、そんな、短い言葉だった。

蒼星石は、最初の予定通り、なるたけ穏やかな・棘のない言葉で
彼の告白を鄭重に断わった。自分はまだ、そういうのは全然考えてないと。

柴崎一樹は、その瞬間いつもの内気で臆病でおとなしい彼に戻った。

しぼんだ風船みたいに肩をしなだれて、蒼星石に背を向けると、
とぼとぼと歩き去って行った。行くはずだった。

蒼星石があんまりにも哀愁の漂うその姿に、持ち前の博愛主義的な、
ある意味、彼女特有の臆病さからくる憐憫を湧かしさえしなければ、
いつか柴崎一樹の後姿は蒼星石の視界から消え去るはずだった。

しかし彼女は柴崎一樹を呼びとめた。
呼びとめてしまった以上、蒼星石に振り向いて青ざめた顔を見せる柴崎一樹に
蒼星石はなにも言わないわけにはいかなかった。

彼女は必死に言い訳した。別にきみのことが嫌いなんじゃない、
好きか嫌いかと問われれば嫌いじゃないと答えられるし、
今なら好きだとも答えられる、それは恋愛感情では全然ないのだけれども、
心根の善良な人間へ寄せる、ある種の普遍的な好意は持てるし、
そのことから、はっきり好きと言える。でも恋心でないから、それは違うから。
お話しようと言われたらできるし、一緒にお弁当食べようと言われたら諒承するし、
遊びに行こうと誘われたら都合の付きさえすれば断わる理由もない。

そんなことをまくしたてて言った。
はたから聞いていれば、あたかも蒼星石が柴崎一樹に告白していると思わなくもない、
そんなどうしようもない蒼星石の慰め方だった。

柴崎一樹はしばらくのあいだ茫然自失として、その場に立ち尽くしていた。
もしかしたら自分が今なにを言われたのか、分からなかったのかもしれない。
やがてぐるぐると思考をし始めた柴崎一樹の頭は、湯気でも立たんばかりに沸騰し、

「よろしくおねがいします!」

深々と下げられた柴崎一樹の頭のてっぺんを眺めることしばし、
蒼星石はようやくにして自分が今なにを言ったのかを理解した。
理解したが、それだけだった。どうしようもない。
これにさらに言葉を重ねてなんと誤解をとけばよいのか、
それを考えるには、蒼星石の頭は茹で上がりすぎていた。

こうしてふたりの甘酸っぱい青春は始まったのである。

内気で臆病でおとなしい、けれども真面目で誠実で賢く、
人を思いやること身内を思いやることに等しい柴崎一樹の人となりに触れるに、
蒼星石が彼に惹かれていくのは、またたくまのことだった。

ふたりは多分、十年後ぐらいに結婚する。



おしまい。
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