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 ――とある夏の日の昼下がりのこと……。
 
「ただいまなの……」
 ドアがゆっくりと開く。そこに姿をあらわしたのはがっくりとうなだれている雛苺。
 声も力なく、しょげているのは明らかだった。

「どうしたんだよ……まさか今日も……?」
 僕は恐る恐る尋ねる。雛苺がこんな調子で帰って来るって事はだいたいの理由は掴めているが――。
「うっ……うー……蒼星石……」
 その場に立ち尽くしながら徐々に目を潤ませる雛苺。手にしていた鞄を床へとどさっと落とす。
 そして――

「ぶわぁ~ん!!」
 思い切り泣き出す雛苺。
「やっぱり今日もダメだったか……」
 僕の問いかけに雛苺は泣きながら首を縦に振る。
「まあまあ、まだあと5ヶ月もあるし、そう焦らなくてもいいんじゃない?」
 そう僕がなだめようとした時……

「また落ちやがったですか、おバカ苺! いつになったら卒検受けられるですか!」

 いつのまにか僕の横に翠星石が仁王立ちで雛苺を見下ろしていた。


 雛苺が車の免許が欲しいってことで春から教習所に行きだした。
 ただ、彼女にはなんて言うか……周りへの注意ととっさの判断がかなり鈍かったわけで、路上に出るまで2ヵ月半は掛かっていた。
言っておくと、毎日教習所に通ってである。
しかも、仮免の技能検定もギリギリの点数で受かったってのだから、まだまだ不安が残っていたのだが……。

「まあまあ、そんなに怒ることもないじゃないか。まあうまくなるまでじっくりと……」
「蒼星石、そんな悠長なことは言ってられねぇです! 補講何回やったら気が済むと思ってるですか」
「う……まあ、確かに仮免取るまでに補講15回……路上出てからも13回やってるからなぁ」
「これ以上やったら、補講の金は払いきれねぇです」
 確かに翠星石の言うことももっともだった。教習所の補講は大体1万位はかかる。
 初期に払う金だけでもいっぱいいっぱいだったのに、補講がこれだけやってるとなると、本気でヤバい。
ていうか、雛苺がバイトで貯めたお金はとっくに底をつき、今は僕と翠星石が金を貸している状態だった。


「もう、とにかく一度バカ苺の運転を見てやるですぅ。みきわめごときで28回も落ちるなんて異常ですぅ!」
 翠星石ももはや我慢の限界といったところだった。(もっとも、彼女ももっと早くツッコまなかったのかが不思議だが)
 大きくため息をつくと、まだ目に涙を浮かべている雛苺に手招きをする。
「泣いている暇はないですぅ。さっさと来やがれですぅ!」
「……分かったの……今行くの」
 ぐずりながらも翠星石の後におずおずとついていく雛苺。
 僕もその後についていく。行った先はガレージだ。
 そこには翠星石が最近買ったばかりの車が停められている。
 赤のソアラ3.0GT。しかし、かなり値が張った車を買ったものだ。
 中古で買ったというが、走行距離は3万キロと少なく、内装外装ともに新車同然だ。
 翠星石はすでに用意していたのか、『仮免許練習中』と書かれた札をナンバープレートの横につけている。


「今からヒナがこれを運転するの?」
「何寝ぼけたこと言ってるですか!もう、これ以上おバカ苺が補講を受けるはめになっているのはごめんなのです。
つーか、これ以上補講代を貸す金がねぇですう!」
「うー、でも、教習所で使っている車と違うよー。ヒナ運転できな……」
「つべこべ言わずに早く乗るですぅ!あそこの教習所で使っているのはクラウンのはずだから、大きさは同じ筈ですぅ」
 翠星石の言うとおりだった。雛苺が通っている教習所の車は確かにクラウンだ。
ソアラだと2ドアという違いはあるものの、排気量は同じ3000CC台のはずだ。車体の大きさもそんなに違わない。
 翠星石の剣幕に押されて、しぶしぶ運転席に乗り込む雛苺。
 ただ、乗り込んだのがいいが背丈が低く、シートやハンドル、ミラーの調整に戸惑っていた。
「さあ、蒼星石も乗るです」
 そう言って助手席のシートを前倒しにする翠星石。後部座席に座れってことだろう。
 僕が乗り込むと同時に、助手席のシートを元に戻して翠星石が乗り込む。それと同時に――


「うわっ!!」
 いきなり運転席のシートが後ろに倒れていたから、思わず声をあげてしまった。
 雛苺が間違えてシートのリクライニングを倒してしまったのだ。
「ご、ごめんなさいなのー!」
「いーから、早くシートを元に戻すですぅ!んで、鍵を回してエンジンかけるです!」
「は、はいなのー!」
 助手席から浴びせられる翠星石の怒鳴り声に、おろおろしながらもキーを差し込んでエンジンを掛ける雛苺。
 これを見ていて思った。
 ――大丈夫か?これ? こんなんでよく修了検定通ったんだな……。
 まあ、事故さえ起こさなきゃ大丈夫か。

 その時までは僕もそれぐらいにしか考えていなかった。
 だが、その2分くらい後で、その考えがあまりにも甘すぎたことを思い知らされることになる――


 恐る恐るアクセルを踏み出す雛苺。
 えっと、ベタなパターンだったらここでギアがバックに入っているまま……なんてことはないか。
 ギアは普通にドライブに入っていた。ゆっくりと車が前に進みだす。
 ガレージは幅2M半の道路に面していて、その道を左へと曲がろうとした時。

「ちょーっ!!ブレーキですっ!!」
 いきなり助手席から身を乗り出す翠星石に慌ててブレーキを踏む雛苺。
 おいおいいきなりなんだよと、ふと左のドアミラーに目をやると……。

 側壁とミラーの間は1cmもありませんでした……。

 頼むよ、おい……。
 なんか頭が痛くなってきた……。というか、無傷で帰れるのか?

 なんとかゆっくりとハンドルを緩めながら、その場は通り過ぎたと思った。
 しかし、雛苺のほうに目を戻すと、今度は右のフェンダーに向かいの壁が迫って……。

「ハンドル!!早く切るです!!」
 翠星石が横からハンドルを掴み、無理矢理左へと切ろうとしたが!

 ……ゴリゴリゴリ。

 アノ……ナニカ非常ニイヤナ音ガシタノデスケド……。

 有無を言わさず車から飛び降りる翠星石。僕も窓を開けて右のフェンダーを覗き見た。
 ええ、ありましたとも。
 壁にはバンパーがこすった痕がくっきりと。見事なぐらいに赤い線がひかれていましたとも……。

「…………」
 何も言わずに助手席に乗り込むや否や、ドアを力任せに閉める翠星石。
「ご……ごめんなさいなの……」
 雛苺がおどおどとしながら謝る。
「……いいからバックするです……」
「は、はいなのー!!」
 感情を押し殺した低い声に怯えながらも車をバックさせる雛苺。
 が!!

 ……どんっ!!

 後ろからこんどは何かをぶつけた派手な音と強い振動。思わず飛び上がってしまう僕。
 振り返るとガレージの横の側壁の角にトランクが……その両者は完全に接していた。
 ぶつけたのは明らかだった。
「……おバカ苺……」
「は、はいなの……」
「……とにかく苺大福3ヶ月抜き……ですぅ……」
「そ、それは嫌なの……」
「嫌って……おのれのしたことが分かってんのかですぅ!!バンパーとトランクの修理代どれくらい掛かるか分かってるですかっ!」
 今まで我慢していた怒りを一気に雛苺にぶつける翠星石。まさしく般若の形相で雛苺につかみかかっていた。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいなのーー!!」
 半泣きになりながら必死に謝る雛苺。

 パパーン!!
 背後からクランクションが鳴らされる。見ると、道には2台の車が待ちぼうけをくらっていた。
「と、とにかくこのままじゃあ他の車の妨げにもなるしさ……車動かそうよ」
 おそるおそる両者に声を掛ける。
 翠星石は何も言わず雛苺の襟元を掴んでいた手を離して、助手席に座りなおす。
「うー、うん」
 少しは落ち着いた(?)のか、雛苺はゆっくりとハンドルを切りなおす。なんとか道に出ることはできた。
 だが、油断は出来ない。何せ狭い道を左右にフラフラさせながら進んでいるのだから。

「右ですっ!!電柱にぶつかるですっ!!」
「行き過ぎですっ!左っ!!」
「ちょっと、ブレーキっ!!信号が見えなかったですかっ!」
「ああ、も~っ!!もう少しで人はねるとこでしたよっ!どこ見てるですかっ!!」
 必死になって運転指導する翠星石。おろおろしながらも、辛うじて安全運転(?)でいく雛苺。


 今でようやく家から1キロというところまできた。でも30分以上はすでに掛かっている。
 ここにいたるまで、いろいろあった。
 L字路を曲がるのに減速しなければいけないところを、アクセルとブレーキを踏み間違えて危うく壁にぶつかりかけたり。
 気が付いたら反対車線を逆送しかかっていたり。
 歩道に何回か乗りあがったり。
 ここまでにあったことを全て書くとそれこそ長くなってしまうので省くが、とにかく濃い道のりだった。
 見ている僕も(当然翠星石も)命がけになったのは初めてだった。
 おそらくこんな経験は二度とないだろう……ということを祈りたい。
 というか無事故で……いや、相手なしの事故で終わることを祈りたい。

 さすがに広い道に出て初めは他の車にぶつかりそうになったが、しばらく走っていると慣れてきたのか、流れに乗れていた。
 雛苺の表情も先程よりか多少緊張がほぐれていたという感じだった。
 もっとも助手席から放たれているただならぬオーラにはびくびくしているが。

「……まだ、買って3週間しかたってないのですぅ」
「……まだ2年もローンが残ってるですぅ……」
「……中古だけど120万もしたのにですぅ……」
 そのオーラを放っている張本人はずっと俯きながらうわごとのように何かを呟いている。
 なんでも、この車は水銀燈と一緒に中古車屋めぐりをして見つけたという。
 120万と値は張っていたけど、170万のシルバーのセルシオを買った水銀燈に対抗して即決したそうだ。
 本人にしては大きすぎる買い物だったけどそれなりに満足はしていたようだ。
 たしかにそんな車を貸した翠星石も翠星石だが……ここまでメチャクチャにされたらな……。
 僕も思わずため息が出てきた。

「あっ!あそこでいいの?」
 雛苺が叫び声を揚げたのを聞き、ふと前方に目をやると目的地のショッピングモールが見えてきた。
 とりあえず、今日はそこの立体駐車場に車を停めて終了ということにしていたのだ。
 立体駐車場の入口までは問題なくすんなりと行けた。
 とりあえず4階あたりが空いているというので、そこまで車を進ませる。
「あともうちょっとなのー」
「そうそう、がんばってね。それと落ち着いてね」
 僕は雛苺を励ますのが精一杯だった。後部座席からだけど、なんとかミラーや前方を見ながらナビゲートする。
 一方、翠星石は相変わらず落ち込んだままだった。もはや、気力も無くなってしまったようだ。
 そして4階まで登って、駐車する場所を探してようやく見つけたのだが柱の横のややせまいスペースだった。
 とにかくバックでそこに入れることにしたのだが……。

「ちょっとブレーキ!このままじゃ、隣の車にぶつけてしまうよ!」
「分かったの!」
「そうとにかくちょっと前へ出て……ああ、止まって!!横から車が来る!!」
「はいなの!」
「さあ、ハンドルを右に切って……後ろはゆっくり見てね……」
「うにゅー」
「ああ!ダメダメ!これじゃあ柱にバンパーがぶつかる!」
「うー……」

 さすがに後部座席からだけじゃ状況を見るにも限界がある。
「ちょっと翠星石。降りて誘導したいのだけど、いいかい?」
「……どうぞです」
 翠星石は力ない声で答えると、助手席のシートを倒してドアを開ける。
 僕は即座に降りると、車の後ろに回って誘導をはじめた。
 先ほど家のガレージでやってしまったリアバンパーのキズが痛々しい。トランクが損傷していないのが幸いだろう。

「そうそう……そのままそのまま……ちょっと柱の方に寄ってるけど……そのままバックして」
「これでいいなの?」
「いいよ。あとはハンドルを戻して……そのままゆっくりバックして……そろそろブレーキ踏んで」
「はいなの」
 運転席側の窓から満面の笑顔で返す雛苺。
 そしてそのままゆっくりと停車すればOKだね……えええっ!!

 車はいきなり後ろへ加速して僕の方へ向かってきました。

「うわっ!」
 僕はとっさに横に飛びのいた。なんとか車にぶつからなくてよかった……

 ……どーん!!

 駐車場内に響く激突音。
 
 ――モウ……ナンテイウカ、見タクナインデスケド……。

 恐る恐る、顔を上げて車の方を見ると……。

 車は停車していた。

 ただ……
 
「うわっちゃー!最後の最後でブレーキとアクセルを間違えるなんてないよ、これは……」

 ――コンクリート製の車止めの壁にぶつかって、見事なぐらいに折れてしまったリアバンパーが床に転がっていた……

「あわわ……やってしまったの……。びえええん!!」
 運転席で泣き出してしまう雛苺。ていうか、その前にギアはパーキングにした?
 翠星石の方はというと……。

「……もう勘弁してほしいです……」
 助手席で真っ白になってがっくりうなだれていた……。

「……雛苺に免許持たせちゃダメかな、これ」
 僕も呆然とその場に立ちつくすしかなかった。


 ――さすがにこの1件に雛苺は懲りたようだった。
 技能が瞬発的に上がったのか、2日後に受けたみきわめは何の問題もなくパスして、卒業検定も合格した。
 そして、鮫洲の免許試験場の学科試験もパスして、晴れて免許を手にしたのだった。

「やったなのー!免許とったのー!」
「よかったね。おめでとう」
 玄関で自慢げに免許を見せる雛苺を僕は思わず抱きしめて喜び合った。


 その一方で……

『見積書  翠星石 様
 車種:トヨタ ソアラ30GT 色:レッドマイカ

 フロントバンパー 脱着 修理 
 リアバンパー   脱着 交換
 塗装(ソリッド・赤)

 合計 ¥98000(税込)   
 (株)ガレージサイヤ』

「……はあ……これだったら、バカ苺に補習代出したほうがよかったですぅ……」
 提示された金額に完全にヘコむ翠星石。
「まあ、そういうな。ひょっとしたらそれよりも上回ったかもしれないからな!
 俺がやる以上は徹底的にやる……ぐはぁ!!」
 自慢げに語る修理工場の主、ベジータの顔面に翠星石の裏拳が炸裂する。
「……とにかく、安く仕上げろですぅ……」
「……分かったが……さすがにリアバンパーは交換で無いと無理だ。何とか中古品を探すから」
(たく、水銀燈のやつがこの間車の修理代でゴネたのを解決したかと思ったら、今度は翠星石か。やってらんねぇぜ)

 ――どかっ!!
「ぐはぁ!!」
 また、翠星石の裏拳がベジータの顔面にヒット。
「なに無茶苦茶な独り言言ってるですか。聞こえてるです」
「は……はい、仰せのままに……」
(これからが本当の地獄だ……)

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