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 色々なことを、思い出していた。学校での、出来事。保健室での出会い、思い出。それ
よりももっと前の、曖昧な記憶。

 雛苺が渡仏してから、年明けの春。あと半年とちょっともすれば、彼女は日本へ帰って
くる。僕は高校二年生になって、来年は受験生だ。……といっても、大学を受験するつも
りはないから、周りよりはある程度余裕ではある。そのことを伝えに、僕はこれからフラ
ンスへ向かう。我ながら、相当大胆な行動に出たものだと思う。

 出世払い……というとプレッシャーなのだけれど、今回の旅費については家のひとに相
当無理を言ってしまった。姉はなんだか喜んでいたみたいだったが。
 本当はバイトをして自分で稼ぎたかったが、山奥の学校ではそれも敵わず。その辺りは、
流石に不便であると思う。

『卒業したらバイト始めなよ、桜田君。いいとこ紹介してあげるから』
『ジュンが働くなら、私も其処でバイトするわぁ』

 あの二人は、いつも通り。僕は相変わらず保健室の住人で、時たま紅茶を淹れたりなん
かしながら、穏やかな時を過ごしていた。

『少し、変わったね』と。先生に言われた。何がどう変わったのか自覚はあまりしていな
いのだけど、少なくとも悪い方向ではないらしい。

「それなら、いいんだけどな……」

 出発の前に、何となく海の青を眺めたくて、衝動的に着てしまった。暫く山の上の生活
だったから……と言うと、自分でも存外単純な性格かもしれない、と感じる。

 荷物はもう、準備してあるから。一度家に帰ろう。彼女は、元気でやっているだろうか……?



――――――――――――



 海外の空気に、少なからず緊張を覚えていた。それはそうだ。思っていたより日本人は
多いみたいだったけれど、それでも圧倒的に外国の人達ばかり。
 とりあえず空港で待ち合わせ、という手筈になっているのだが……このゲートで合って
るのか? 不安になってくる。

「ジュン!」

 聞きなれた、そして懐かしい、声。

「雛苺……久しぶり」
「うん……久しぶりなの。元気だった? 病気とか怪我とかしてない?」
「なんだよいきなり。僕はこの通りピンピンしてる」
「うよ、そうよね。……うんうん、そうね! えへへ」
「全く、変わんないなあお前も」

 言いながらも、二年程直に見ることが無かった彼女に対して。あの時よりも更に大人び
てきた印象を受けている。僕は僕で背が(少しばかり)伸びたし、それなりに格好つくだろ
うかと思っていたのはどうやら浅はかだったようだ。結局のところ、あまり身長に差はつ
いていない。

「じゃあ。れっつごーなの~」
「おーい、引っ張るなって!」

 前もこんなこと、あったな。思いつつ、僕は彼女に手を引かれ、空港を後にする。

――――――

「結構あったかいもんだな、こっちの気候も。なんていうか、過ごしやすそう」
「そうね。夏はちょっと暑すぎるけど……今の時期も、冷えるときはちょっと肌寒くなっ
 たりするわ。ほら、そういう気候にぴったりの花が咲いたり」

 彼女の示したその先に、群生した白い花。
 これは――

「ライラック。フランス語で、リラ」
「リラ――白いリラか。薄紫は"初恋"だったっけ。ええと……」

 不意に、頭に浮かぶ言葉。

「白いリラの花言葉は……"純潔。うつくしい、契り"……あれ? なんでこんなこと知ってるんだ」
「ジュン……」

 雛苺は、驚いたような。それでいて、自分でも何に驚いているのか、不思議そうな。
きょとんとした表情を浮かべる。
 そして、すぐに穏やかに微笑んで、言った。

「うつくしい、契り……そう。白いリラは、約束の花なのね……」

「貴方も、いつか。……いつか、――」

 ――え?
 この、気配は。
 あの日、居なくなってしまった――

「……ジュン?」
「あ、……いや、なんでもない」

 懐かしい、と感じる。一年前に、僕と話をした『彼女』。それよりももっと昔に、僕は……
 曖昧な感じにちょっと頭を振り、また歩き出す。


――――


「ようこそ。此処がヒナのアトリエなのよ~」

 彼女の家には、絵を描く為の場所が用意されていた。勿論学校にも通っている様だが、
こちらでは自由に絵を描いているらしい。
 暫く部屋をうろついて、眺めてみる。

「これ、全部雛苺が描いたのか?」
「そうなの~。好きなことが出来て、とっても幸せなのよ?」

 部屋の隅に雑然と置かれていた、カンバスの数々。田舎ののどかな風景だったり、抽象
的なイメージだったり。や、本当に……画家に向かって、一直線って感じだ。

 彼女の用意してくれた紅茶とお菓子に舌鼓を打ちつつ、椅子に座って向かい合うかたちになる。

「えっと、雛苺。今回来たのは、久しぶりに顔が見たいってのもあったけど……
 話したいことが、あってさ」
「なになに?」

「いや、……高校卒業したら、真面目にデザインの勉強しようと思って。それで、お金が
 溜まったらさ。僕も此処へ留学しようって。対抗意識って訳じゃないけど……少しでも
 お前に追いつきたいから」

 一呼吸、おく。

「頑張ってみようって――決めたんだ」

「……」
「先達に向けて、宣言しとこうかと」

「……」

 ……いや、何故、黙る。恥ずかしいじゃない、か。

 そんな僕に語りかける彼女は。僕の知っている、零れるような笑みを浮かべるのだ。

「ジュン、……うまく言えないけど。ジュンは、すごいのね」
「お前だって留学してるじゃないか」
「ううん、そうじゃないわ。そうやって一歩一歩進んでいくのが、きっと大事なことなの。
 とっても、大事なことよ。それに、――」

「それに?」
「それをわざわざ言いに来てくれたのが、……ヒナ、とっても嬉しいの。ありがとう、ジュン」

 彼女は椅子から立ち上がり、布に覆われている様子のカンバスに近づいていった。

「ジュン、あのね――ヒナ、ジュンに伝えたいことが、あるの。これ、――」

 雛苺は、薄汚れた布を取り外す。

「それ、は――」

 それは。一年前、彼女が完成させることが出来なかった、絵。
 白と、薄紫の花。それに囲まれて、手を繋ぎ微笑んでいる――二人の、うつくしい少女。
 なんて鮮やかな"せかい"、なんだろう。

「描きたかった……絵、っ、ヒナ、描けた気が……するの、よ?」
「ずっと、ずっとずっと――心の中に居る筈なのに、顔の見えない女の子……っ、ひっく、
 が、居てね? ヒナ、思ったの。女の子の顔は、見えないんじゃなくて……ヒナが、見
 ないようにしてたんじゃないかって」

 彼女の涙が、床にぽろぽろと零れていった。
 僕には、彼女の言っていることが――わかる、気がする。なんとなくだ。呼吸は、乱れない。
おかしいな。彼女が『こんな話』をする時、僕はいつも胸が苦しくなっていた筈なのに。

「こっちに着て、色々大変で……そんな時、女の子が、ヒナのこと、励ましてくれたの。
 お姉ちゃんに、そっくりな。……えへっ、……っ、変、だよね」

 そうか。真紅は……彼女の中から、消えてしまった訳ではなかったんだ。

「いや、変じゃない。……頑張ったな、雛苺」

 頭を、撫でる。やさしく、やさしく。きっと昔から――小さい頃から。彼女が泣いたとき、
僕はこうしていた。

「うっ……うわぁぁぁぁぁぁぁん!」

 強く抱きしめられる。大声をあげて、彼女は泣いた。
 彼女は、もう。ずっと、ずっと昔から……こうやって泣くのを、我慢していたのではない
だろうか?
 僕はそれを、受け止める。
 少しでも、彼女の心が、軽くなるようにと。そんなことを、願いながら。


 思った。
 僕も――そして、雛苺も。とある何気ない日常で。とても大事な何かを、落としてきて
しまったのではないか。
 それはいつか、取り戻せる――ものなのだろうか?

 わからない。
 それは、わからない。

 けど。それを、ひょっとしたら、この先……見つけることが、出来たとしたら。
 たとえそれが、『見つけなければ良いものだった』としても。
 それを尚越えて――歩くことも、あるいは。


 ……落ち着いた様子の彼女を、座らせる。
 そして僕は感じていた。懐かしい、『彼女』の空気を。

「――ありがとうな、真紅」

「……全く、敵わないわね。もう逢う事は無いって言ってたでしょう」
「言いっこ無しだな。もうお前は――雛苺にとって、きっと無くてはならない存在になってる」
「……」

 彼女は、暫し無言になった後。少し諦めたような、それでいてやわらかな口調で、僕に語りかける。

「これが――貴方"達"の、望む夢なのね」
「夢、か」

「『生きているなら、夢も見る』。これは、"貴方"の言葉よ、ジュン。『私』だけじゃな
 く、きっと貴方達も……一度、"終わった"のかもしれない。ひとつの、夢の物語が。

 今はまだ、少しだけ間違っていて。そのままでもきっと、優しい夢を見ることが出来る
 かも。けどね。貴方達は――私が思っている以上に、強い存在なんじゃないかって、
 思うの。本当よ?

 貴方達はこれから、はじまりのうたを――唄うのね。いつか見る、夢の続きを繋ぐ為に。
 ばらばらに壊れてしまった欠片を集めて、出来上がったもの。
 もし、それが見られたのなら。『眠ってしまった、本当の私』に――逢ってあげて、頂戴」

「……わかった」

 僕は、――気付き始めている。彼女が、真紅が、言わんとしていることに。

「いい子ね、ジュン。もう、消えるだなんて言わないわ。私は貴方達のことを、見守っているから――」

 すぅ、と。彼女の気配が、消えていく。
 また『紅茶がぬるいわ、淹れ直して頂戴』だなんて。そんな減らず口を叩く彼女を、こ
れからも相手に出来るであろうと予感しながら、その様子を見守る。

「ジュン……?」
「ん。僕は此処に居るぞ」
「えへへ……今ね、女の子がまたヒナを、励ましてくれたの。『ちゃんと捕まえてなさい』
 とか言わたの。ライバルは強敵だから、って」

 ぶはっ、と噴出しそうになるのを堪えた。あいつめ……

「――なあ、雛苺」
「なぁに、ジュン?」
「もう一度――郊外を案内してくれよ。リラの花を……見に行こう」
「うぃ、合点承知なの~!」

 連れだって、外へ出る。
 空は、これでもかと言うくらいに晴れ渡っていた。

 どうしようもなく、此処は現実だから。僕が彼女と、こうして花を見に行くことも……
ひとつの物語として、残されていく。

 この世界は。透き通った、きれいなものばかりではない。
 けれど、そんな世界の中で。
 辛い中でも、やさしい物語を。
 出来れば、泡沫のように、儚いものではない夢の。――その続きを、繋げるのならば。

 彼女の言っていた、ばらばらに壊れてしまった欠片。
 それらを集めることが、徒労なのかどうかはわからないけど。
 時間をかけて、ゆっくりと集めていけばいい。

 僕は。いや、僕達は。
 今からそれを、約束しにいくのだ。


 この地に咲き誇る――ライラックの、花びらへ向けて。
 僕達の居る場所に。その香りがもう、届き始めている。
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